「お邪魔するよ」
 返事がないのはいつものこと、梅月は何も考えずに弥勒の工房の戸を開けた。
 すると、明かり一つない、雨戸を閉め切ったままの暗い工房の中に、白い塊が浮かび上がる。
 それが布団であると気がついた瞬間、梅月は草履を脱ぎ散らして工房に駆け上がる。
「弥勒!?」
 また倒れたのかと顔色を青くして耳元で名前を呼び、布団の上から体を揺する。
 と、想像外の低い唸り声がした。
「やめろ・・・」
「弥勒!」
 絞り出すような声に梅月が叫ぶと、
「叫ぶな、頭に響く」
 と、弥勒は薄目を開いて強い口調で言ったが、すぐに頭を抱えて布団に逆戻りした。
「・・・弥勒?」
 元々血色のよい方ではないが、いつにも増して青白い顔色の原因に、ようやく梅月も思い当たる。
 その梅月に、布団の中から手だけを伸ばして、弥勒が懇願する。
「水・・・」










 湯呑み一杯の水を飲み干して、ようやく弥勒は一心地ついたらしい。
 ほっと息をつき、体を支えていた梅月に全体重を預けてくる。全体重と言っても、弥勒の場合、逆に心配してしまうほど軽いので、さほど強くはない梅月の腕力で楽に支えられてしまうのだが。
「・・・二日酔いかい」
 梅月の問いに、弥勒はゆっくりとうなずいて、顔を顰めた。その動きさえも頭に響くと言わんばかりに。
「またどうして」
「昨夜、館の酒宴に招かれて・・・気をつけてはいるのだが、いつも通り飲まされ過ぎた・・・」
 ぼそぼそと、いつにも増して陰気な口調で弥勒は答えた。
 梅月は雨戸を開こうとしたのだが、強い日差しを嫌った弥勒の希望により、昼間だと言うのに行灯の弱い光に照らされている。
「いつも・・そんなに飲まされるのかい?」
「人数が多いからな・・・」
 確かに、鬼道衆だけで軽く十人は超えるのであるから、それぞれに勧められて飲んだだけでもかなりの量になってしまうことは間違いないだろう。
 しかしそれにしても、
「勧められても君は無視するのかと思ったよ」
 実際そんなことをしたらさぞ険悪になるのだろうけど、と、梅月は苦笑したが、
「俺も嫌いではないからな・・・」
 考えてみれば、弥勒も吉原に出入りする人種だ。それなりに酒を飲む機会はあっただろう。
 弥勒はふうと息を吐いて、天を仰いだ。
 仰け反り露になった喉元に、思わず視線が釘付けになる。
 弥勒がほとんど力を入れることが出来ない今ならば、手に入れるのは簡単だ。
 本気で迫った時にはいつだって、抵抗はされたことはないのだが。
 思わず襦袢の裾に手を伸ばしかけたその時、低い声がかかる。
「やめておけ」
 その声に慌てて見やると、視線だけを梅月に向けた弥勒と目が合う。
「今、不埒なことをしようと言うなら、手加減できんぞ」
 その言葉の裏に、殺意すらちらつかせて、弥勒が凄む。
 二日酔いのせいでいつにも増して座った目つきが怖い。
 よほど体が辛いのだろう。
「分かった。やめておくよ」
「そうしてくれ・・・」
 素直に手を挙げた梅月に言って、弥勒は布団に顔を向けた。
 梅月が布団に体を横たえてやると、弥勒は梅月に見えないようにほっと息をついた。
 気がつかれていることに気がついていないようだから、多分、本当に体調がよくないのだろう。
 そうして、梅月にある考えが浮かぶ。
「今日のところは退散するとしよう」
 薄い布団をかけてやってから、梅月はあっさり言った。
「また次の機会に」
「すまん」
 弥勒は布団を被ったまま言い、満面の笑みの下に見事な下心があることにも気がつく由もなかったのだ。















 梅月が見るに、弥勒という男は、他人に借りを作ることを酷く嫌う。
 借りを作ってしまったと思うと、必ず彼なりの方法で返そうとする。
 そうして梅月は、そういう弥勒の甘さとも言える部分を見過ごす気などなかった。

 弥勒が吉原に仕事で出向くと言う話を聞いて、日を合わせて当の妓楼に入った梅月の呼び出しに応じたのは、この間の二日酔いの時のことを引け目として弥勒が認識している証左だろう。
「やあ」
 しかし、呼び出しに応じたものの、相変わらずの無表情で廊下から室内に入ろうとはしない弥勒へ、梅月は優雅に肘掛けに体を預けたまま、笑顔で声をかける。
「どうしたんだい、そんな所に突っ立って」
 さあさあ入った入った、と、上機嫌で手招く梅月に、弥勒はいつにも増して冷ややかな声で告げる。
「用件はここで聞く。早く言え」
 弥勒は不機嫌な様子である。
 しかし、その程度のことで恐れ入るぐらいなら、梅月も最初からこのような真似はしていない。
「たまたま僕の馴染みの店に君が来ていると小耳に挟んだのでね」
 どうだい一献、と、すらりと用意していた台詞をのたまう。
 途端、弥勒の片眉が急角度を描いた。
「俺は仕事だ」
 取りつく島もない様子で言い放つ弥勒に、梅月も言い返す。
「仕事は明日の朝だろう?」
 弥勒が相手にするのは店の女達だ。店の女相手の商売は、店が開く前の午前(ひるまえ)に行われるのが普通だ。
 納めて終わりの品ならば預けて帰れば済むことであるが、弥勒の簪はかなり格式の高い遊女からも引き合いがあり、そのような格式の高い遊女からの注文の時は、必ず本人に品を見せ、細かな要望にも応じる。
 だからこそ弥勒の簪は喜ばれるのだが、浅草に住んでいた頃はともかく鬼哭村から吉原は距離があるので、前日の夜から来て妓楼の下働き達の部屋に泊めてもらい、午前(ひるまえ)に商いを始めるのだ。
 そんな事情は、吉原で遊び慣れた梅月には説明されなくても分かる。
 そして、梅月には看破されていることを、恐らく弥勒も分かっている。
 実際、弥勒は仕事道具である肩掛けをしていなかったのだから、いくら仕事を口実にしても通用するはずがない。
 横を向き、ち、と、鋭く舌打ちした。
「少しぐらい付き合っておくれ」
 宥めるような声音で、梅月が言う。
 弥勒は逡巡する様子を見せた。
 梅月はじっと待つ。
 しばらくして、弥勒ははあっと溜め息を吐いて、室内に足を踏み入れた。
「少しだけだ」
 そう言いながら、梅月の差し向かいに腰を下ろす。
 布団がのべられた続きの間にも人影はなく、二人きりだった。
 言うまでもないが、布団は一組で枕は二つだ。
「全く酔狂な」
 杯になみなみと酒を注がれ、弥勒は苦々しげに呟いた。
「こういうお遊びは僕の得意とするところだよ」
 梅月はきれいに笑って言った。
 その目の奥にちらちらと下心が垣間見えるが、弥勒は気がついているのかどうか。
 注がれた杯を一気に空け、銚子を取り上げ梅月の杯に注ぐ。
「すまないね」
 梅月の用意していた酒は、するすると喉越しがよく、あっと言う間に進んでしまう。

 そのまま差しつ差されつ夜は更けて――

 「何だ、随分強いんじゃないか・・・」
 肘掛けを枕にして、横になった梅月が恨めし気に言う。
 その前で、弥勒はしっかり酒の残っている銚子を選り分けている。
 さすがに弥勒の目元は赤いが、それだけだ。
 しかし、
「それほどではなかろう」
 弥勒はまだ残っていた銚子を見つけるや、面倒になったのか、銚子に直接口をつけて呷った。
「館で飲まされると簡単に二日酔いにされるしな」
 確かに、相当酷い二日酔いの姿を梅月も見たからこそ、今こうしている訳だが、現実に差しで一晩飲んだ結果がこの通り、梅月が酔いつぶれかかり、弥勒は酔いつぶれるには程遠い。
 梅月はぼんやりと膜が張ったような視界の中、必死で目を凝らして弥勒の姿に焦点を合わす。
 そうしていなければ、今にも眠りの国に引き込まれてしまいそうだ。
「・・・一体、館ではどれぐらい飲むんだい」
「九角殿と九桐殿が強くてな。それと、骨董屋と後、們天丸が浴びるように飲んでそれでも全く酔わんのだ」
 弥勒は少し遠い目をした。
「俺はせいぜいおなごの桔梗殿と同じぐらいしか飲めんのでな。あの四人に付き合わされると大変なことになる・・・」
 いつも気をつけているのだが、と、弥勒はやはりいい酒は喉越しがいい、と、呟きながら、また銚子を空にする。
 それを聞いて、梅月は思わず額に手を当てた。
「弥勒・・・それは比べる相手を間違っているよ・・・」
 九角のことはよく知らないが、九桐と言えば、竜閃組の仲間内でうわばみやら底無しやらと言われている雄慶と差しで飲み明かし、二人とも酔う前に店の酒樽を空にしたと言う武勇伝の持ち主だ。とんでもない坊主どもである。
 們天丸は、人の身でありながら、天狗に育てられたと言う男だ。
 験力ばかりでなく、幼い頃から飲む、買う、打つも鍛えられているのだろうから、さぞや酒も強かろう。
 まして奈涸は玄武の化身で、水気のものなどどうとでもできるのだろう。
 ついでに言うなら、桔梗は純然たる人ではない。人の感覚で比べるのがそもそもの間違いではないか。
「そうだな・・・後は、泰山や火邑とは同じぐらい飲めるんだが・・・」
 やはり酔っている故か、弥勒は常よりは饒舌に指折り数えて教えてくれるが、梅月はただ呆れるばかりである。
 泰山や火邑の体格が、弥勒と比べて何周り大きいと思っているのか。
 そんな連中と同じぐらい飲める弥勒は間違いなく相当強い。
 その弥勒があれほど酷い二日酔いになるとは、一体一回でいくつ酒樽を空けているのか。
 まさかそんな酒豪揃いの酒宴で二日酔いになっていたとは知らず、適度に酔わせて無防備になった弥勒を愛でようという梅月の算段は水泡と帰した。
 実際、いつもよりも弥勒の気配が柔らかくなっているのは分かるのだが、いかんせん、弱くはないが特に強くもない梅月自身の方が既に体の自由が利かない。
 口惜しい思いを表情に表すことさえ出来なくなっている梅月の前で、弥勒は暢気に銚子を振って呟いた。
「これで全部空か」
 それから、梅月へ言う。
「寝るなら布団の方がよくないか」
「もう、いいよ・・・」
 酔いも酷く、甘やかな下心も破れて拗ねる梅月は、肘掛けに頭を預けたまま目を閉じた。
 すると、梅月の上に、暖かなものが振ってくる。
 目を開けると、続きの間にのべられていた掛け布団だった。
 ついでにどさりと音を立てて、目の前に枕が落ちてくる。
「そのままでは風邪をひく」
 弥勒の心尽くしである。
 梅月は酔った頭で必死に言う。
「せめて添い寝だけでも・・・」
 その刹那、遠くで銅鑼の音が響いた。
「刻限だ」
 その途端、弥勒の顔つきが変わった。
「悪いが、仕事だ」
「み、弥勒・・・」
 そう言って、踵を返して部屋を出て行ってしまう。
 梅月を振り返りもしない。
 残された梅月は、いじけて頭から布団を被った。
 間違いなく明日は二日酔いに悩まされることであろう。










すみません、ギャグです・・・。
ええと、サイト巡りをしている時に、外法キャラの酒の強さというデータを見つけまして。
真神新聞に載っていたそうで、転載して下さった管理人さんに感謝。
何となく、弥勒はあんまり強くないイメージがあったので、「やや強い」に入れられていて、ちょっと驚きました。
で、思いついたのがこの話。

一覧見ていると、全体的に鬼道衆に強いキャラが多く、竜閃組が普通から弱い感じでした。
うわばみクラスには、九角、九桐、奈涸、們天丸、雄慶、葛乃、花音。
やや強いに、泰山、火邑、桔梗、弥勒、京悟(絡み上戸という但し書き付き)。
この時点で鬼道衆が圧倒的に強いことが分かります。
ただ、このオフィシャル設定もいかがなものかと言うのは、奈涸がうわばみにも関わらず、涼浬が下戸だということ・・・遺伝子で決まってしまうはずなのに、この兄妹は一体・・・。

それはさて置き、弥勒がやや強くて、梅月が普通。ゴツイ受けの私としては、情けない攻めはツボです(笑)。あ、主弥だったら、主人公はうわばみであってほしいですが。うわばみが5人もいたらマジで怖いけど、酒宴。死者が出そうだ・・・。
上記のレベルで酒宴など開いたら、すぐ寝ちゃう下戸の風祭より、下手に飲める連中の方が酷いことになると思います。もんちゃんとか面白がって飲ませそうな気がしますし。
知らないでその結果だけ見たら多分誤解しますよね(笑)。管理人の脳内妄想の中では、弥勒の身長オフィシャル設定より-10センチと、かなり小柄ですし。ゴツイ受けスキーの私としては非常に珍しいことなのですが、だって、栄養失調で度々倒れているような町人が、剣士連中とあまり変わらない体格と言うのは、剣士連中の立つ瀬がなさ過ぎてかわいそうです・・・。基本的に意外性を好むので、小柄で酒豪、の方がキますし(笑)。
すみません、根っからお笑い頭なので、どうしてもこういう方向に走ってしまいます・・・。正直、楽でした。うーん、これが梅月と弥勒の強さが逆だったら、何も思いつかなかったと思いますね。ギャグ魂炸裂。

でも弥勒、やや強いと言っても相当強いんだろうなあ。
弥勒ぐらいの町人が飲んでいるのは、多分どぶろくなどの安酒だと思うので、それでやや強いなら、現代に照らし合わせたら相当なんじゃないかと。
梅月はきっといい酒しか飲んだことないと思うのです。そうしたら、弥勒はまず潰れることはないでしょうね。一気飲みとか無茶しなければ。
鬼道衆の酒宴は一気連発してそうですが、梅月はそういう飲み方はしまい。
なーんてことを考えていたらこうなりました。
お粗末様でした。



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