年の初めの初売りには、弥勒も市のいつもの場所に店を出す。
 だが、簪や櫛が主な商品、まして面に至っては、正月に買わねばならぬものでもないし、更には弥勒自身が認めた客でなければいくら金子を積まれても売りもしないとあっては、年初から押すな押すなの大盛況になるような店ではない。
 それでも新年の晴れ着に合わせて髪飾りを求める者が多い正月は売上げがいいので必ず店を出す。
 一つとして同じ物はなく、かつ、品のいい簪や櫛は、吉原の遊女達に人気があり、引き合いもある。
 遊女達の装いを真似たがる町娘達にも、当然人気があった。
 いくら弥勒が金銭に興味がないとは言え、生きて行くためには最低限のものが必要だし、ましてや、貧しい山村である鬼哭村で、金銭を稼ぐことが出来る弥勒に期待されているのは正にそれだ。
 弥勒が村にもたらす金で、村人達がまた必要なものを買うことが出来る。
 弥勒はちゃんとその点を理解していた。
 だから彼は、簪や櫛も作り続ける。
 しかしこの日は冷え込みが厳しいせいか、客足もまばらであった。
 何もしないと凍えてしまいそうで仕方なく、弥勒は手慰みに新しい簪細工に取り掛かっていたのだが。
「君は本当に商売をする気があるのかい」
 聞き覚えのある声に嫌味を投げつけられて、弥勒は目も上げずに応じた。
「もう少しで終わる、待て」
 その言葉通り、弥勒はしばらくの間、飛鳥の羽模様を小刀で浮き彫る。
 しばらくして手を止め、その出来に満足したのか小刀を肩掛けに仕舞いながら顔を上げると、そこには苦虫を噛み潰したような顔をした梅月が立っていた。
「全く、僕が簪を手に取っても声をかけるどころか細工に没頭して、声をかけても顔さえ上げずに待たせるとは、どう考えても商いをする気があるようには思えないな」
 とうとうと弥勒の非を鳴らす梅月に、弥勒はいつものぼそぼそした、とても新年の初売りの気配にはそぐわない口調で答えた。
「この人出では盗みなどしたところで逃げられはせん」
「だが、君は盗まれても気がつかないのではないかい」
「俺が見ていなくても、周りが見ている」
 聞きようによっては甘えきった台詞を吐いて、弥勒は息をつく。
「それに、待たせたのは君の声だったからだ。客だったら、ちゃんと応対する」
「憎たらしいことだねえ」
 梅月だからこそきちんと応対しなかったことを責めるべきなのか、それともちゃんと梅月の声を聞き分けていることを喜ぶべきなのか、梅月はどちらも選べずに正直な気持ちを言の葉に載せた。
 しかし、このやり取りの中で梅月は一つの事実に気がついた。
 弥勒の中で、梅月がただの客とは別の位置に置かれていると言うことに。
 弥勒が梅月を梅月として認識していると言う事実は、梅月にとって悪くないことであった。
 ために、他の有象無象よりもぞんざいな扱いを受ける結果になったとしても、だ。
 改めて梅月はまじまじと弥勒を見直す。
 しかし、彼が生み出す面以上に無表情な弥勒の顔は、梅月を特別扱いしているのが、意識してのことなのか、それとも無意識のことなのか、梅月にさえも真意を読ませない。
 しかし、弥勒が梅月の好意に甘えるようなことを抜かしたのも事実。
 その、うっかりしたら見逃しかねぬ隙を、逃すような梅月ではなかった。
「全く、仕方ないね」
 梅月はこれ見よがしに溜め息をついて、弥勒の店――と言っても茣蓙を一枚引いただけだが――に裏から上がり込んだ。
「何だ」
「店番をしてあげよう」
「いらん。狭い」
「そうつれないことを言うものではないよ。せっかくこの僕が店番などしようと言っているのに」
 と、梅月は選りにも選って弥勒の左側に座り込む。
 元々、そう品数が多い訳でも大きな物を取り扱っている訳でもない弥勒の店幅は半間しかない。
 二人ともそう体格のいい方ではないが、それでも男が二人並んで座るにはぎりぎりの幅だ。
 まして、刃物を扱う左側を塞がれてしまうと、弥勒は小刀といえども思う通りに動かせない。
 無論、梅月はそれを狙って陣取ったのだが。
 せっかく弥勒に会うために寒い中出て来たのだから、世間話でもしたいではないか。
 梅月は店番どころか商売など一度もしたことはないのだから、ままごとの真似事のようなものでしかないのだが。
 梅月は店の内から簪や櫛を眺め、呟く。
「娘達に買って行ってあげようかな」
「君に売る気はない」
「それは冷たい」
「金を取る気はないと言う意味だ」
 今の内に好きなものを取っておけ、と、弥勒は言い捨てた。
「いや、そういうつもりは・・・」
 ないのだけれど、と、言う前に、高い声が覆い被さった。
「あらっ、梅月先生」
「どうして先生がこんな所にいらっしゃいますの」
 声のした方を見れば、初詣の帰りなのか、晴れ着で着飾った梅月の取り巻きの娘達がいた。
 娘達はせかせかと店の前に歩み寄ってくる。
「やあ、君達」
「おめでとうございます、先生」
「あけましておめでとうございます」
 我先にと梅月に年頭の挨拶をする娘達に、梅月はいつものきれいな笑顔で答える。
「明けましておめでとう」
 その途端、悲鳴のような歓声が上がる。黄色い声、と言うのはこういうことを言うのだろうと言う声だ。
 弥勒がゆっくりと頭を巡らし、梅月を見る。その視線は、けったいなものを見るそれだ。
 その時、その中の一人が不審げに尋ねた。
「ところでどうして先生がこんな所で・・・」
 彼女はちらちらと弥勒を盗み見ている。
 いや、弥勒自身ではなくその右腕を見ているのだと気がつくまでに時はかからず、梅月は不愉快になる。
 実際、一度気がついてしまえば、弥勒にそのような視線を向けているのは目の前の娘達だけではない。
 しかし、隣に座る弥勒の気配は変わらない。
 それが、そのような好奇や蔑みの視線に慣れきってしまったからであることを知っているから、更に梅月は不快になる。
 早々に追いやってしまおう、と、思っていたが、はたと梅月は名案を思いつく。
「彼はとても腕のいい職人でね。彼の作る髪飾りは吉原の女達にも人気があるのだよ。どうだね、君にはこの杜若の櫛が、似合うのではないかと思うのだが」
 と、梅月は手近にあった櫛を手に取り、弥勒の腕を薄気味悪そうに見ていた娘へ意図的に甘い視線を投げかける。
「ま、まあ・・・」
 梅月に声をかけられた娘は顔を赤らめ、弥勒のことなど一瞬で吹き飛んで行ったようだった。
「彼の櫛は二つとない名品なのだがねえ」
 と、引っ込めるような素振りを見せた途端、
「か、買います、是非買います!」
 と、娘は財布を引っ張り出した。
 すると、他の娘達も口々に、
「先生、私にも見繕っていただけませんこと」
 と、競ってけして安くはない弥勒の髪飾りを買い求める。
 そんな人だかりが出来ていれば、覗きたくなるのは世の常で、しかも粋人として名高いかの霞梅月が見繕ってくれると言うのだから、女達は引きも切らず、男達にも間違いのない名品として飛ぶように売れて行く。
「や、ようやく終わったね」
 と、梅月が冬だと言うのに懐紙で額の汗を押さえた時には、並べた簪も櫛も一つもなくなっていた。
 その隣、弥勒は銭でずっしりと重くなった文箱を抱え、微動だにしない。
 その表情はいつものようにむっつりとしていたが、機嫌が悪いと言うよりは、驚きの余り凍りついているのだと、何となく梅月は感じ取っていた。
 掛け値なしに珍しいことではあるが。
「弥勒、大丈夫かい?」
「・・・・・・ない」
 ぼそり、と、弥勒が呟いた。
「何が?」
「明日から売る簪も櫛もない・・・」
「もしかして、今日店先に出ていた物で全部だったのかい?」
 こっくりと、弥勒がうなずく。
 何日か立つ市で、それだけの日数をかけて売ろうと思っていた簪が全て半日ほどで売れてしまえば、それは誰でも驚くだろうが、それが弥勒であるとなると話は別だ。
「何だ、ちゃんと驚けるんじゃないか」
 梅月はくすりと笑った。
「まあ、商いが繁盛したのだからいいじゃないか。後は遊んでもいいと言うことだろう?」
 それこそが梅月の狙いだったのだが、あまりにも浮世離れした物言いに、弥勒はむっとした――よく知っている者以外には何の変化も見られないのだが――目つきで言い返す。
「まだ面が残っている」
 だから見せ種に簪が必要だったのに、などと、ぶつぶつと口の中で文句を言っているが、何を言っているかはよく分からないので、梅月は聞こえないふりをすることに決めた。
「とにかく今日の商売はしまいだろう? 早く店じまいをして、せっかくここまで来たのだから、是非僕の屋敷に寄って行ってくれないか」
 しかし、そんな下心丸出しの梅月の誘いに、
「いや」
 不機嫌な弥勒はにべもない。
「今日も妓楼に泊まる約束だ。ああ、だが寝ずに作っても一晩ではせいぜい二本だ・・・」
 弥勒は苛だたしげに頭を覆う布を取った。
 それを腰紐に突っ込んで、いつにない乱雑な仕草で店じまいを始める。
 確かに、もう今日売れるものはないのだから。
 梅月は弥勒に茣蓙の上から追い出され、脇で店じまいの様子を眺めながら問う。
「遊女達の簪も売ってしまったのかい」
「それは別にある・・・」
「だったら、いいじゃないか。面の方は明日また僕が看板でも書いてあげるよ」
「いらぬおせっかいは止せ」
「おお、怖い」
 梅月は苦笑して肩を竦める。
 だが、まだ本気で怒っている訳ではないと読み切って、語を継ぐ。
 弥勒が本当に手をつけられない時は、黙り込んで一切の関わりを拒否してしまうのだから。
「この近くに僕が贔屓にしている蕎麦屋があるんだ。少し酒でも飲んで暖まって行くといい」
 懲りない梅月の言葉に、弥勒はぼそりと吐き捨てた。
「・・・くどい男だ・・・」
「何か言ったかい?」
「いや」
 諦めたのか、弥勒は小さく首を横に振った。
 その様子に、梅月は笑った。
 町娘達に見せた笑顔とは全く違う、柔らかな笑顔で。
「そうそう、娘達への土産を見繕うのを忘れていたよ。着物は大分買ってやったのだが、髪飾りは君に頼もうと思ってね、まだなんだ。明日、妓楼帰りに屋敷に寄ってもらって、着物に合う簪と櫛を誂えてやって貰えないかな」
「明日は真っ直ぐ帰る」
 荷物を抱えて歩き出す弥勒の後を、梅月が追う。
「そうつれないことは言わずに」
「御免被る」
 弥勒の口は取りつく島もないが振り払うことはせず、梅月も暖かな笑みを口の端に湛え、二人並んで歩く正月の夜。










ええっと。正月のニュースを見ていて思いついた話です。
商いをしているなら、当然初売りってあるよね、と、思って。
が、また年表の確認と、当時の市の様子をちゃんと調べないで勢いで書いていますので、細かいところはいろいろ嘘っぱちだと思います・・・すみません。滝沢馬琴を尊敬する人間ですので(馬琴の時代考証はかなりいい加減)ご容赦のほどを(そんな所は真似しなくていいです)。
この二人を指して「珍獣の番」と言われて、なるほどな、と思って。そんな感じの話を書くはずだったのが、『道程』はどこをどうしたらああなるんだ、と言うぐらいの異世界に行ってしまったので、虎視耽々と書く機会を狙っていたのですが、どうでしょうか、珍獣の番になっているでしょうか(笑)。
今回頭にあったのは、営業スマイルを顔に貼りつけて簪や櫛を売っ払って、早く引けた時間を弥勒と一緒に過ごそうと画策する梅月と、いつも少しずつしか売れない簪が飛ぶように売れて行く様に呆然と眺めている弥勒が並んだ姿です。それだけ考えて頭に絵を浮かべると、どうにも間抜けな図なのですが、多分、最初書くつもりだったのはどっちかって言うとこんな感じのほのぼの系だったはず。今や説得力ゼロですが・・・。
ネタは後4つ、とか言いながら、こうして違う話も浮かんでは来るので、まだまだしばらくは書き続けることになりそうです。
ということで、どうぞ今年もよろしくお願いします(笑)。

それにしても、弥勒って冬はどんな着物を着ているんだろう。



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