「お邪魔するよ」
 工房から返事はなかった。
 梅月が一つ溜め息を吐いて戸を開けると、やはり弥勒は面作りに没頭していた。
 明かり取りの窓からは充分に日が射し込んでいると言うのに、灯火台には消えかかった火が灯っている。
 どうやら昨夜から寝ずに面打ちに没頭していたようだ。
 溜め息をついて、梅月は弥勒の工房に足を踏み入る。
 まだ面は荒く形を削り出したところだった。
 しかし、それが何になるのか、梅月には読み取れた。
 弥勒の周囲をいつになく柔らかな空気が取り巻いている。
 恐らく、翁を打ち出そうとしているのだろう。
 豊穣を喜び、祝う翁は、同時に豊穣を与える神そのものでもある。
 翁の放つ穏やかな気配に、梅月の心が和んだ。
 梅月は奥へ進み、弥勒の手元を照らす位置にある灯火台の明かりを吹き消した。
 そして、弥勒の邪魔にならない、縁側に近い位置に、裾を払って座った。
 外は気持ちのよい快晴だ。
 縁側からそれほど森まで遠くはない。目の前に広がる緑と、森から聞こえる鳥の囀りに耳を傾ける。
 ――そのまま、どれほどの時が過ぎただろうか。
「・・・来てたのか」
 背後から声をかけられ梅月が肩越しに振り向くと、弥勒と視線があった。
 だが、弥勒の目は焦点があっていない感じだ。
 元からガラス玉のような目をしているが、今日はいつにも増してどこを見ているか分からない。
 まだ完全に心が戻って来ていないのかもしれない。
 そのぼんやりとした顔つきのまま、握っていた鑿を肩掛けに挿す。
「大丈夫かい?」
 思わず、梅月が尋ねると、
「何がだ」
 と、弥勒は取りつく島もない。
 梅月は苦笑して、袂から小さ目の包みを取り出そうとした。
「いただきものの菓子を持って来たのだがね、とりあえず、何も食べないよりはましだろう」
 どうせこれから飯を炊くと言い出すに決まっているのだ。
 食事の代わりに菓子と言うのも問題は多々あるが、とにかく何か食べさせた上で一度寝させなければ、体に悪すぎる。
 それは本人も自覚があるのか、
「では、茶を煎れよう」
 と、こくりとうなずき、立ち上がる。
 その背中に、
「ちゃんと茶葉は新しいものを使って・・・く・・・」
 と、梅月が声をかけたその刹那。
 ぱったり。
 随分軽い音を立てて、弥勒が倒れた。
 そのままぴくりともしない。
 驚きの余り思わず固まってしまった梅月だったが、すぐにはっと我に返る。
「弥勒!?」
 梅月は慌てて駆け寄り、息を確かめる。
 息はあった。
 脈もある。
 ただ、額が炎のように熱かった。
「また、こんな無理をして!」
 意識のない弥勒を腕に抱えて、梅月はさすがに怒りにかられた。
 どうしてこんな体で面を打つんだ、辛ければさっさと寝ろ、と、完全に意識のない弥勒を板の間に横たえながら、口の中で思う様罵る。
 足を踏み鳴らし、押し入れから薄い布団を引っ張り出すその姿は、常のきれいな笑顔を浮かべた梅月しか知らない者が見たら、驚天動地の光景だったろう。
 怒りで頬を赤く染めながら、布団を引き、弥勒の体を運ぶ。
 弥勒は初めて倒れているのを見つけた時のように、また軽くなっていた。
「全く・・・このままでは僕より君の方が早死にしてしまうよ」
 梅月は苦虫を噛み潰したような表情で、腕の中の弥勒に囁く。
 意識のない弥勒の耳には、届くはずもなかったが。
 薄い敷布団の上に弥勒を横たえて、着物を緩める。
 そしてこれまた薄い上掛けをかけて、一息ついた。
 汗を拭い、さあ、これからどうしようかと考えて、はたと気づく。
 梅月は何をどうしていいのか全く分からなかった。
 子供の頃はかなり虚弱な体質だったので看病はよくされたが、誰かの看病をしたことなどない。
 元々人にかしずかれて育ち、今もあまり変わらない生活を送っている梅月には、日常のことなど何も出来ようはずもない。
「・・・館で頼めば、よきに計らってくれるかな」
 自分で出来ないのなら、出来そうな助けを呼ぶしかないだろう。
 そうして、梅月は助けを求めて館へ向かった。




















 「九桐殿」
「おや、梅月殿。ご無沙汰ですな」
 丁度館を出てきた九桐に梅月は声を掛けた。
「お急ぎですか」
「いや、大丈夫ですよ。何か?」
 と、人のよい笑顔を浮かべる九桐に、梅月はかくかくしかじかと弥勒のことを訴えた。
 すると、
「またですか、あの御仁は」
 と、九桐は苦笑いをして、誰か人をやりましょう、と、言ってくれた。
「全く、そんなに身の回りのことに手が回らないのなら、嫁を貰えと言ったんですがな」
 二人して勝手口に向かって歩きながら、九桐が言う。
 梅月は内心でどきりとしながら、面には出さずに問い返す。
「弥勒は、何と?」
「俺のような者のところに嫁に来る相手がかわいそうだ、と、言って、全く取り合いませんでしたよ」
「それは、本人の弁が正しいかと」
 思わず、梅月は溜め息を吐く。
 呆れと安堵が半分ずつだ。
「まあ、そうなんですがね」
 九桐は更に苦笑いを深くして、辿り着いた勝手口から厨に声をかける。
「おい、誰か手の空いている者はいないか」
「九桐様」
 奥からすぐに中年の飯炊き女が一人出て来る。
「いかがなさいましたか?」
「弥勒が工房で倒れたそうで、少し世話を手伝ってやってくれんか」
「すみません、僕は何も出来ないもので」
 申し訳なさそうに頭を軽く下げると、隣で九桐がそうでしょうなあ、と、呟いた。
 日常生活における坊ちゃん育ちの役に立たなさ加減はよく知っている。
 梅月が館に真っ直ぐ来たのは間違いではない。
「はあ、よろしゅうございますよ。まだ夕餉の支度までは時間がありますし」
「よろしく頼む。では、梅月殿、この辺で」
 と、九桐は話がついたと見るや、歩き出す。
「お手数をおかけしました」
 歩き去る後姿に梅月は軽く頭を下げる。
「それで旦那様、どうなんでしょう、何か持って行かなくてはいけませんかね」
 飯炊き女に問われて、梅月は苦笑する。
「いえ、僕は本当に分からないので」
「ああ、そうですか、それじゃちょっとお伺いして、足りないものがあったら取りに来ましょうかね」
 と、性分なのか早口でまくしたてて、飯炊き女は先に立って歩き出す。
 梅月は慌ててその後を追った。




















 「あらあら、本当に何もありませんわねえ」
 飯炊き女は、工房の中を一通り見回した後、呆れ返ってそう言った。
 食料は勿論、水瓶の水まで大分少なくなっていたそうだ。
 その上、梅月が本当に何も出来ないことを理解して、使命感に燃えてしまったらしい。
 残り少なかった水を火にかけてから、水汲みに行って水瓶を満たし、帰ってくると汗だくになっている弥勒の体を沸かした湯で清める。
 それでも全く目を覚まさないと見るや、
「今日は目を覚まさないかもしれませんわねえ」
 と、今度は梅月の身を案じ始める。
「夕餉はどうなさいますか。お布団もこれっきりないようですし、一緒にこちらに運ばせましょうか」
「あ、ああ、そうだね」
 邪魔にならないようただ縁側に座って眺めていただけの梅月は、勢いに飲まれてうなずいた。
「本当に旦那様がいらしている時でよかったですねえ。具合が悪い時は、近くにどなたかいた方が安心しますからねえ」
 などと、他意なく言われては、そんなかわいげのある男ではないけれどね、と、梅月も心の中だけで呟くのが精一杯だ。
 実際、具合を悪くする度に人手を恋しがるぐらいなら、とっくの昔に嫁を貰っていることだろう。
 しかしそんな梅月の内心を知る由もない女は、工房の掃除まで終わらせてから、梅月に指示を出す。
「旦那様、額の手拭いをたまにたまに水に浸して交換して差し上げて下さいまし。あんまりにも汗をかく様子でしたら、体の方も拭き清めて。お薬の方は何か召し上がってからでないとお体によくないですから、目を覚まされてからですよ」
 早口にまくしたてられて、梅月は黙ってうなずくしか出来ない。
 どうやら梅月がこの工房に泊まって行くことに決定しているようだ。
「それじゃあまた、夕餉をお持ちしますんで」
 ふと気がついて、せかせかと戻ろうとする飯炊き女を梅月が呼び止める。
「ああ、ちょっと」
「はい? 何でございましょう?」
「よかったらお食べなさい」
 と、梅月は袂に入れたままになっていた菓子の包みを差し出す。
 元々弥勒に食べさせようと思って持ってきた物だから、当の弥勒が意識もなく寝入っているのではもう必要のないものだった。
 生菓子だったので日持ちがしないのだ。
「あらあら、申し訳ありませんねえ、旦那様。ありがたく頂戴します」
 思わぬ駄賃に飯炊き女は満面の笑みで包みを受取り、館へ帰って行く。
 その姿をしばらく見送って、それからこんこんと眠る弥勒を見て、梅月は溜め息を吐いた。




















 弥勒は目を覚まさない。
 あまりに目を覚まさないので、実は死んでいるのではないかと冷や冷やするが、息が途切れることはなかった。
 梅月はひたすら額の手拭いを濡らしては固く絞って交換する。
 ただ、徐々に苦しそうな呼吸が安定してくるのは分かって、少しだけ安堵する。
 館から夕餉と布団が差し入れられた時も、まだ弥勒は眠り続けていた。
「旦那様、いかがですか?」
「駄目だね、全然目を覚まさないよ」
 昼間の飯炊き女に尋ねられて、梅月はゆるゆると首を横に振った。
 すると、飯炊き女は寝ている弥勒の額に手を当て、言った。
「それでも昼間よりは大分下がっていらっしゃいますよ。この分なら一晩ぐっすり寝れば、きっとよくなりましょう」
「そうかい」
「旦那様もとりあえずお召し上がり下さい。食器はまた明日の朝に下げに参りますので」
 そう言って差し出されたのは、一汁二菜の梅月からすると随分質素な食事であるが、隠れ里のような鬼哭村では、それでも立派な食事なのだろう。
 飯炊き女と布団を運んできた下働きの若者が帰った後に、ありがたくいただくこととする。
「まあ、たまにはこういうこともよいがね」
 梅月は呟く。
「早く目を覚ましたまえ。客を退屈させるものではないよ」
 思わず憎まれ口を叩いて、梅月は苦笑する。
 違うのだ。
 早く目を覚まして、自分を安心させて欲しいだけだ。
 梅月は溜め息をついて箸を置き、手拭いを換えるために桶に新しい水を汲みに行った。




















 翌朝。
「旦那様、おはようございます」
 昨日の飯炊き女の声で、梅月は目を覚ました。
 元々、梅月もどちらかと言えば宵っ張りの方だ。
 まだ眠たげな顔で目をこすっている梅月の前で、飯炊き女はさっさと雨戸を開け、弥勒の顔を覗き込む。
 日の高さからするに、まだかなり早い時間だが、遠くからは子供達のはしゃぐ声も聞こえてくる。
 鬼哭村の朝は、相当に早いらしい。
「ああ、もうすっかり顔色もよくなられましたね」
 飯炊き女はそう言うと、昨夜の食器を一まとめにして、朝餉を梅月に差し出す。
「旦那様はこちらをどうぞ」
「ああ・・・悪いね・・・」
 やっと布団から抜け出した梅月は、寝間着代わりにした襦袢を整えながら言った。
「その前に顔を洗いたいな・・・」
「はいはい」
 我が物顔でわがままを言う梅月に、飯炊き女は嫌な顔一つせず、桶に水を汲み直して梅月に示す。
「どうぞ」
「ありがとう・・・」
 顔を洗って、ようやく目が覚めた梅月の前で、飯炊き女はかまどの方へ降りて行く。
「どうするんだい?」
「いえ、弥勒さんもきっとお昼までにはお目覚めになると思うんで、お粥でも作っておこうかと」
「いや、気が利くねえ」
「ありがとうございます、旦那様」
 実際、骨折りを気にせず働く女に、清々しさすら覚える。
 菓子折り一つでは足りなかったかもしれない。
 次に来る時は土産の一つも持ってこようと考えながら、用意された朝餉に手をつける。
 一汁一菜の質素な食事だったが、普段なら寝ている時間に起こされた梅月には丁度いい。
「ごちそうさま」
 と、箸を置いた時に、かまどの方から女が戻って来る。
「おいしかったよ」
「あら、お口にあいましたか。ようございました」
 女は空いた食器を片づけながら、言う。
「お粥も出来ましたんでね、目が覚めたら食べさせてやって下さいませ。それと九桐様から、お薬を預かってまいりました」
 と、女は懐から小さな包みを取り出す。
「何から何まですまないね」
「いいえ、お気になさらないで下さいまし。弥勒さんは特別な方ですし」
 言われて、気づく。
 いくらこの村の者であれ、直接激戦の直中にあれた者は数が限られる。
 その限られた一人である弥勒は、今はもうその必要もないとは言え、いまだ特別な存在なのだ。
 あまりにも危うくて放っておけない、と言う事情もあるだろうが。
「旦那様?」
「ああ、すまないね、何か?」
 己の思考に埋もれかかっていた梅月は、声をかけられて慌てて意識を引き戻す。
「私はこれで戻りますんで、後はどうぞよろしくお願いいたします」
 洗ってまとめた食器を傍らに置いた飯炊き女は、すでにあがりがまちに腰掛けていた。
「分かった。出来る限りはしておくよ」
「はい、それでは失礼します」
 と、飯炊き女が出て行ってから、梅月はちゃぶ台に頬杖を突いて、まだ眠りから覚めない弥勒を見やった。
 梅月でさえ、弥勒ほど生きることに淡白な者を知らない。
 真那のような幼い者でさえ、生き延びるためには何でもすると言うのに。
 無論、その理由を知ってはいるが、それでいいはずはない。
 少なくとも、梅月にとっては。
「困るのだよ、瞬く間に消えられては」
 暗い瞳で呟く。
 喜びを知らないままでいさせたりはしないと決意しても、今はまだ空回りするばかりだが、いつかはきっと。
 とは言え、一体どうしたらいいものやら、考え込んでいると。弥勒の瞼が震えた。
「う・・・」
 小さくうめいて起き上がろうとする弥勒の背に、梅月は畳んであった掛け布団を当ててやる。
「どうだい、体は」
「・・・梅月?」
 少し考え込む風に見えた弥勒に、梅月は溜め息を吐きながら言う。
「昨日、僕の前で倒れたのを覚えていないかい」
「・・・すまん」
 弥勒の答えは、覚えているともいないとも取れるものだったが、悪いことをしたとは思っているようである。
「体が悪いなら、倒れる前に休みたまえ。丸一日寝込むようなことをする前に」
 そんなことでは本当に面が打てなくなるよ、と、小言を言う梅月に、弥勒はいつもよりも更に焦点の定まらない目をしてぼそりと呟く。
「よくあることだ・・・」
 一人で朝寝て起きたらまた朝だったことはよくある、と、当然のこととしか捕えていない弥勒に、梅月はもう一度深い溜め息を吐く。
「だから問題なんだよ」
 どうしたら君は分かってくれるんだろうね、と、無駄と知りながら梅月は言った。
 その答えは、梅月が見つけるしかない。
 弥勒自身には、探す気すらないのだから。
「ところで、お粥が作ってあるが食べるかい」
 弥勒がゆっくりと梅月を見やった。
 病み上がりの弥勒の表情はいつにも増して無表情だったが、
「安心したまえ、館に人手を頼んで作っていただいたものだ。僕に料理など出来るはずもなかろう」
 梅月は憮然として答える。
 するとようやく弥勒がこくりとうなずいた。
 それを見て、梅月は少し表情を緩める。
「どうやら、僕にも君の考えていることが少しは分かるようになったようだね」
 弥勒が何も考えていない訳ではないことは既に分かっている。
 ただ、考えていることをほとんど口にしないので、相手が理解しようと努めなければならない。
 もっとも相手が努力したとしても、あまりにも感情的な感覚が抜け落ちていて、理解不能な部分も多いのだけれども。
 とにかく、梅月はたたきに降りて、釜の蓋を開ける。粥は少し冷め始めていたが、充分に暖かい。それを用意してあった丼に危なっかしい手付きでよそって運ぶ。
 冷め切っていたとしても、梅月にはそうするしかなかったのだが。
「おや、大丈夫なのかい?」
 丼を運んでくると、弥勒がちゃぶ台の前に座っていた。
 面倒くさそうに視線を上げて、答える。
「横になったままでは食えん」
 左手に匙を持ってしまうと、弥勒の右腕では体を支えられない。
 なるほど、と、梅月は思ったが、思わずからかってしまった。
「だったら僕が食べさせてあげるよ」
 それには即座に返ってきた。
「いらん」
「本当につれないな、君は」
「匙を寄越せ」
 丼はちゃぶ台に置いても木匙を持ったままの梅月に、弥勒が言った。
 腹が空いていない訳ではないらしい。
 仕方なく匙を渡すと、弥勒はゆっくりと食べ始める。
 弥勒は粥を半分ほど食べたところで匙を置いた。
 少なくとも丸一日は何も食べておらず、しかも高熱で弱った体では仕方ない。
 梅月は次に包みを差し出す。
「九桐殿からいただいた薬だ。それを飲んでもう一度寝たまえ」
 包みを開けると粉薬だった。
 弥勒が問う。
「・・・飲むものは?」
「水でいいかい」
 梅月にかまどで湯を沸かせと言うのは、無理な相談だ。
 それを理解しているのか何も言わずにうなずいた弥勒に、梅月は水瓶から湯呑みに水を汲んで来た。
 その水で薬を飲み下した弥勒に、梅月は告げる。
「今日は面を打ってはいけないよ」
「何故、君にそんなことを言われねばならん」
 途端、きっとにらまれる。
 だが、梅月は譲らなかった。
「また痩せてしまって。体を壊してはその先に差し障りがあるだろう。今日はゆっくり休みなさい」
「心配ない」
 関係ないとばかりにそっぽを向いた弥勒に、梅月は悪戯を仕掛ける。
 どん、と、弥勒の体を押し倒し、組み敷く。
「あんまり聞き分けのないことを言っていると、しばらく足に力が入らないようにするよ」
 その意味は明白だ。
 弥勒は少し考える素振りを見せた。
 足に力が入らなければ、面を打つことは出来ない。
 このまま梅月のいいようにされてはいつ作りかけの面に取り掛かれるか分からない。
 作りかけのままにするのは、嫌だ。
 多分、そう考えたのだろう。
「・・・・・・今日は休む」
 渋々ではあったが弥勒はうなずいた。
「最初から素直に言うことを聞いて欲しいものだね」
 梅月はすぐに弥勒を解放した。
 基本的に脅しだったから、言うことさえ聞いてくれれば、無理強いはしない。
「全く、九桐殿の言う通り、嫁を貰った方が・・・」
「貰えると思うか」
 梅月の言葉じりを引っ手繰って、きっぱりと言う。
 その意味を完全に理解できる梅月は、妥協案を提案する。
「ならば、人を雇うと言うのはどうだい」
「そこまでするほどではない」
 取りつく島もない態度に、梅月は今日何度目かの溜め息を吐いた。
 最初から物事のものさしが違っているのだ。
 説得するのは至難の技だ。
「だから僕の屋敷に来ればいいのに」
 思わず本音を漏らす。
 それは弥勒の体が心配だからと言う訳ばかりではないが。
 出来ることなら弥勒を手元に置いておきたいのだ、梅月は。
 手元に置いて、けして逃げられないように檻に閉じ込めて。
 そうしたら、秋月の家でも生きていけるような気がする。
 しかし、
「ここがいい」
 弥勒は言下に答えた。
 分かっていたことだ。
 そうして、答えを知っているのに梅月は問いを投げる。
「こんなに不便で何もないのに?」
「市中はうるさい」
 弥勒が答えてくれる、そのことが嬉しくて。
「難儀なことだねえ」
 言葉とは裏腹に微笑む梅月の前で、弥勒は布団に潜り込む。
 言われた通り、今日一日はおとなしくしているつもりのようだ。
「ああ、僕は今日も泊まっていくからね、夕餉は二人分頼むよ」
「・・・俺におとなしくしていろと言ったのは君だろう」
「だって、僕が帰ってしまったら、君はすぐに面打ちに取り掛かってしまうだろう?」
 弾劾する弥勒へ楽しげに答えると、小さな舌打ちの音が聞こえた。
 図星だったようだ。
「聞こえているよ、弥勒」
「寝る」
 思うがままに面が打てず、布団に包まって不貞寝してしまった弥勒を見て、梅月は声を立てて笑った。










『道程』と『決別の時』『定めの時』と立て続けに書いて、氷点下の世界に「萌えなんだから! 萌えっぽい話を書こうよ、自分!」と言い聞かせて書いた話です。ついでに、あんまりにも梅月が倖薄い感じなので、もう少し報いてやりたいと思ったのです。今までよりは梅月が分かり易く報われているかと・・・。
テーマは「飲まず食わずで倒れた弥勒を梅月が看病」でしたが、実際は梅月あんまり看病はしていません(笑)。作中で書いた通り、出来ないと思うんですよ。お坊ちゃんだから。
てか、本当は『道程』で、弥勒が怪我するシーンがありますけど、元々はこのネタでした。看病されて、「本当に、このままでは君は死んでしまうよ」と言う梅月に本心を吐露する弥勒――と言うシーンだったのですが、正に、布団を引っ張り出して横にさせた後、梅月が何も出来なくてギャグになってしまい、『道程』の全体的な雰囲気にそぐわないので、差し替えました。
で、差し替えたネタをリサイクル(笑)。自分に優しい話(違)。
でも、新たに登場した名もない飯炊きのおばちゃんが大活躍し過ぎて、「これは本当に萌え話なんだろうか」と言う疑問は持ちましたが。しかも自分、弥勒萌えなのに、弥勒半ば以上意識なく寝込んでいます(痛)。 まあ、起きていたってろくに話さないんで、似たようなものですが。
最後、弥勒が抵抗していますが、面が打ち終えていたら、素直に言うこと聞いていたと思います。途中だから嫌がっていただけ。ウチの弥勒は、本当に面打ちに絡むこと以外、何もこだわっていないので。
梅月がすごく心広く感じられる今日この頃です(苦笑)。



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