「おい、弥勒」 いくら戸口を叩いても返事がないので、痺れを切らした奈涸が工房の脇から回り込むと、縁側に腰掛けていた弥勒が赤い何かに齧りついたまま首を巡らせた。 「いるなら返事ぐらいしろよ。まだ耳が遠くなるのは早かろうよ」 「ああ」 奈涸の当てこすりに、弥勒は返事なのだか何だか分からないことを言って、齧っていた何かを置いて工房に引っ込んでいく。 奈涸は主の許しも待たずに、縁側に座を占めた。 そして、弥勒の歯型がしっかりついたそれを、まじまじと見る。 赤くつやつやしたそれを、奈涸でもまだ数度しか見たことがない。 まして、この鬼哭村にあるはずがないものである。 しかしよく見ると、居間の影になった部分にまだいくつかごろごろと無造作に転がっている。 思わず、首を傾げた。 と、 「待たせた」 弥勒が左手に桐の小箱を持って工房から戻って来た。 差し出された小箱を受け取り、奈涸は中身を確かめる。 その中には、得意客から修繕を頼まれた簪と、弥勒の新作の簪が二本納められていた。 「修繕の方は、全くの元通りと言う訳にはいかなかったのでな、少し付け足した」 言われて確かめると、元は羽の欠けた蝶があったそこに、もう一回り小さい蝶が、欠けた羽を隠すように載せてあった。 その様子は、最初から二匹の蝶が戯れている意匠だったかのように自然に馴染んでいる。 「この出来なら文句はあるまいさ」 「そうか」 「残りの二本も買い取らせてもらおう」 最初からそのつもりでいた奈涸は、懐から用意していた代金を取り出した。 如月骨董品店は売買共にいつもにこにこ現金払いである。 奈涸はずっしりと重い財布を渡しながら考える。 確かに弥勒の簪は高い。 浪費癖もない弥勒は、実は相当な貯金腹だから、それを購うことも出来なくもなかろうが、だが、わざわざ珍しく高価なものを求めて歩くほどの甲斐性もない男である。 それが面に関するものならまだしも。 徐々に傾げる首の角度を深くする奈涸の前で、金の勘定を終えた弥勒は、再びそれに手を伸ばした。 弥勒が歯を立て、しゃりしゃりと音がする度に、甘酸っぱい香りが広がる。 とうとう、奈涸が尋ねた。 「弥勒、随分いいもの食べてるな」 すると、弥勒は眉一筋動かさずに答えた。 「梅月が置いていった」 皮ごと齧れるから俺でも食べ易いだろうと言ってな、と、弥勒はさほどの感慨もなさそうだった。 「そういうことか」 しかし、ようやく得心がいった奈涸は深くうなずいた。 「林檎なんて随分珍しく高いもの食べてると思ったんだ」 「これは珍しいものなのか?」 不思議そうに尋ね返されて、奈涸は額に手を当てて天を仰いだ。 「林檎と言うのはな、寒い土地でしか採れんものだからな。市中では滅多に見ないし、あってもかなり高いな」 まあ、先生ならいくらでも伝手はあろうし金も出すだろうが――と、呟いて、奈涸がちらりと弥勒を見やると、弥勒はふうんと鼻を鳴らして、またかぶりつくところだった。 その表情に、真実を知ってありがたがる様子は小指の先の一欠けらほどもない。 別に梅月もありがたがって欲しい訳ではなかろうが、恐らくは精一杯の好意の現われにも気づいてはおらぬ様子に、思わず奈涸は同情の溜め息を漏らしたのだった。 |
奈涸×弥勒ではありませぬ。すみません。 ころんだ初期に、外法帖のオフィシャルガイドでしたか、弥勒が林檎を立ち食いしてイラストを見て、ありえないよなあ、と、引っかかっていて、軽い下書きまでしていたのですが、あまりにたいしたことない話なので、一年以上お蔵に入っていたネタをサルベージしてきました。 そのイラストを見た当時はゲームの後、弥勒が旅に出たことを知りませんでした・・・。 だから、もしかしたら東北にでも旅した時のイメージ図なのかも知れませんが、それにしても、服装がゲーム中と全く同じで、林檎が取れる時期に林檎が採れる地方にあの服装で行ったら間違いなく死ぬと思うのですが。 そうでなくても私はゲーム後に弥勒が旅に出たと言うことに半信半疑でいるので・・・あんなうっかり武士に喧嘩売って腕切られちゃうような人が、維新の嵐の時代にそこらをふらふらしていたら碌なことにならないと思うのですが(真顔)。 閑話休題。 旅に出たと言うことを知らなかった私は、てっきり鬼哭村で林檎食べているのだと思い込み、江戸で林檎って手に入ったのかなあ、と、思って、ちょっと調べてみました。インターネットって便利。 で、やっぱり流通が現代ほど発達していない江戸時代、江戸からは遠方でしか取れない林檎は江戸では大変高価なもので、江戸の庶民が口に出来るような食べ物ではなかったようです。 でも、高価でも皆無ではなかったようなので、梅月が持ってきたのかなあ、と、考えてイメージが出来上がってしまった後に、旅に出ていたと言う事実を知ったのでした。 と言うことで、二日遅れでしかもつたないものですが、お誕生日おめでとうございますと言うことで。 お粗末様でした。 |