ドッペルゲンガー






 体育会系の合宿、それも全員が高校生ぐらいの合宿は、全てが戦争である。
 もちろん、基本的に最上級生が神様で、最下級生は貧民と言う身分制度は存在する。
 いくら実力があって、フィールドでは上級生を押しのけたとしても、生活に関しては良きにつけあしにつけある身分制度が存在する。
 しかし、その身分制度を横に眺めても、また激しい生存競争がある。
 トロトロしていれば、食事は食いっぱぐれるし、入浴出来る時間は短くなる。



 だが、世の中には、憎めない奴と言おうか、世渡り上手な連中が存在する。
 多少、また時と場合によってとんでもないことをしでかしたとしても、「ま、しょうがない」と、周囲に言ってもらえる人種だ。
 そのような連中は、横の関係の生存競争もうまくすり抜けるし、上下の関係すら越えてしまうこともある。
 何を持ってそんなにうまくやっていけるのかは、世渡り下手な連中にしてみれば永遠の謎であり、世渡り上手な本人達にも良く分かっていない場合も多い。





 そして。
 この全日本ユース合宿において、1年の中で世渡り上手の筆頭と言えば馬堀と言うことで、全員意見が一致するだろうと思われる。
 その馬堀でさえ、海千山千の最上級生達の間に割ってはいるのは至難の技であった。
 その辺りは経験不足と言う奴だ。掛川には3年生が存在しない。馬堀にとって、その学年と渡り合うのは、この合宿が始めてなのだ。
 そして、馬堀自身も今回は顔を売る程度に納めておいた方が得策とも判断していた。
 だから風呂なども、最終組に組み入れられておとなしくしていた。
 最終組の時間が来る前に、風呂場に誰もいなくなっても、だ。
 バカバカしいとは思うのだが、日本の体育会系高校生と言うものはその辺細かい人間もいるのだと、この合宿で思い知った馬堀である。
 人数が多い合宿で、風呂場の使用を順番分けにすること自体はどうとも思わないが、誰もいないにも関わらず、後ろの組が前の組の時間には入ってはいけない、と言うのはどう考えても合理的ではないと馬堀は思うのだが、今回だけはおとなしくしていようと決めたので、イヤイヤながらも従っていたのだった。
 サッカーの実力で完全に上回る自信がつくまでは、はっきりきっぱり敵に回すのは得策ではない。
 「掛川ですらバカバカしいと思ってたのにねえ」
 風呂道具を小脇に抱え、馬堀は呟く。
 部の基本を作り上げたのが帰国子女の久保だったせいか――大塚や矢野辺りは、帰国子女がどうだこうだではなく、ただの変わり者だったと言うが――掛川はまだまだリベラルだったのだ。




 ぼやく馬堀の視界を、大きな人影がかすめた。
 反射的に顔を上げると、ユースのジャージを着た長髪の大柄な男が歩いてくる。
 さすがに高校生の集団なので、ユースでも180センチを越えている人間は限られる。
 そして、前髪があごに届くほどの長髪と言うと、二人しかいない。
 その両方の条件を兼ね備えているのは、芹沢だけだ。
 馬堀と芹沢は、似た者同士で意気投合した結果、かなり仲がいい。
 だから、この時も馬堀は気軽に声をかけた。
「あれ、もう風呂入ってきたのか?」
 相手はやはり、風呂道具を小脇に抱えていて、しかも髪が湿っているようだったから、馬堀はにこやかに笑いながら手など挙げて言ったのだが。


 ギロリ。


 濡れた前髪の向こうから思いもよらずにらまれて、馬堀は固まった。
 相手は、固まる馬堀には目もくれず、そのまま歩き去ってしまう。
 にらまれることには正直、神谷や大塚で慣れているし、本来、ちょっとやそっとで動じるようなかわいい性格はしていないのだが、下手をすれば前述の二人をも越えるほど凶悪な視線で、不意をつかれたのが痛かった。
「へ…?」
「なーに、通り道の真ん中で邪魔だぜ」
 ドン、と、背中を叩かれて、馬堀はようやく我に返る。
 そこには、不思議そうな顔をした芹沢が立っていた。
「どうしたんだよ、そんな埴輪みたいな恰好で」
 言われて、馬堀は慌てて挙げたままだった右手を下げた。
 そして、マジマジと芹沢を見上げる。
「何、俺の顔に何かついてる?」
「いや、そうじゃなくて、今、風呂から上がって来たんじゃねえの…?」
「何言ってんの。ようやく順番だろ」
 と、やはり風呂道具を抱えた芹沢の髪は、言葉通りに完全に乾いた状態だった。
「だって、今、髪が長くてデカイのが通り過ぎて、絶対芹沢だと思ったから声かけたら突然にらまれて…でも、あのタッパは嶋さんじゃないし…」
 ブツブツと呟く馬堀に、芹沢が言った。
「ああ、今、加納さんとすれ違ったぜ、俺」
「いや、だから、芹沢だと思うほど髪が長くて。まさか、ドッペルゲンガー?」





 言い募る馬堀に、気障な仕草で前髪をかきあげながら、芹沢が呆れたように言った。
「だから、加納さんはオールバックじゃねえか。あれはすげえ長くねえと、あんなにきれいに撫で付けらんねーよ」










――そういうことである。




夕日(2005.11.04再)






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