風邪のひき方






 神谷篤司は、はっきりきっぱり健康優良児である。
 子供の時から病院いらず、サッカー関係で外科と整形外科にはお世話になっているが、それだけだ。
 めったのことでは風邪もひかず、何年かに一度風邪をひこうものなら、鬼の霍乱と周囲の方が大騒ぎになる始末だ。
 そんな神谷が、昼休みに二段弁当を食べながら呟いた。
「なー、どうしたら風邪ってひける?」
 それを聞いて、差し向かいの大塚と赤堀は、弁当を食べる手を止め、顔を見合わせた。
「何だよ、いきなり」
 大塚が太い眉を寄せる。
 すると神谷は、
「だから、風邪ひきてえんだけどさ、今日中に」
 と、言う。しかも真顔だ。
 大塚は正直に言った。
「全然何言いてえのか分かんねえよ」
「だから、明日は水泳大会じゃねえか」
 神谷の口調がイライラし始める。
 『瞬間湯沸かし器』と言われる神谷気の短さを重々承知している大塚や赤堀ですら、その真意が分からないのだから仕方がない。
 眉間に縦皺を寄せ、神谷は言い捨てる。
「めんどくせえから出たくねえんだよ」
 その言葉は端的すぎて、ほとんどの人間には分からないだろうが、大塚と赤堀はいろいろな事実を繋ぎ合わせてようやく理解した。
 理解した途端、溜め息の二重奏になる。
「この、ひらめき人間が…」
「もう少し分かりやすく説明してくれるとありがたいんだけどね」
 言っても無駄だと思いながら告げた言葉に、神谷は眉尻を上げただけで答えた。
 神谷の鉄面皮ぶりと言葉の足りなさは、大塚や赤堀をして困惑させることが少なくはない。
 まして、サッカー部以外の人間には誤解を振り撒きながら歩いていることは間違いない。
 だから、クラスメイトもいつも遠巻きにしているのだが、ことがスポーツ絡みになると別だった。
 根本的に運動神経のいい神谷は、スポーツなら何をやらせてもトップクラスである。
 集団競技では周りとの兼ね合いがあるのでそう簡単にはいかないが、個人競技の場合、下手をするとその部活に所属している者よりもいい数字を叩き出すことがある。
 水泳も、そんな神谷がトップクラスの数字を叩き出せるスポーツの一つだ。
 怪我をし難いことと、体力作りなどのためにたまにサッカー部でもプールに行ったりするせいもあるかもしれないが、少なくともクラスの男子の中で、クロールは神谷が一番、しかも圧倒的に早い。
 それで、クラス対抗の水泳大会の選手に嫌もおうもなく登録されてしまったのだ。
 しかも、200メートル自由形と、リレーと、両方に。
 もちろん、サッカー以外に傾ける情熱を持ち合わせていない神谷は抵抗したのだが、一つ頭の抜けたタイムに、ほぼクラス全員に頼み込まれる形になっては、さすがの神谷も抗しきれなかった。
 ちなみに、赤堀は背泳にエントリーされており、大塚は補欠だ。神谷ほどではないが、やはり他のクラスメートと比べれば、この二人も相当運動神経はいい。
 その水泳大会が、明日に迫っているのだ。
 水泳大会の練習は、サッカー部を盾に全てブッチしていた神谷だが、大塚も赤堀もとっくに年貢を納めたものだと思っていたのだ。
 だが、本人は今の今まで逃れる術を考えていたらしい。
 そして思いついた方法が『風邪をひくこと』だったのだ。
「ったく、相変わらず突拍子もないことを思いつくな、お前は」
 大塚が、呆れたように言う。
「そんな自由自在に風邪がひけるもんか。大体、お前、風邪なんてひいたことないじゃん」
「だから、どうやったらひけるのか聞いてんだろうがよ」
 顔に不機嫌です、と書いて凄む神谷はかなり怖いが、相手が大塚と赤堀では通用しない。
「ことある毎に風邪をひいちゃう人が聞いたら怒りそうだね」
「んなの知るかよ」
 神谷はあくまで真顔だ。
「あー、もうめんどくせえ。出たくねえ。風邪さえひきゃあ出ないで済むと思ったのによ」
 不機嫌に吐き捨てて、大きな弁当箱にぎっちり詰まった弁当を空にしていく。
 その様を見ながら、赤堀と大塚はひそひそと囁きあった。
「…とても風邪なんかひきそうにないね」
「いい加減に諦めろよ」





 もちろん、神谷自身も分かってはいるのだ。
 風邪など年単位でひいていない。
 かなりの無茶食いをしても腹も壊さない体は、サッカーをしていく上では本当に助かるが、こんな時には自分の頑丈さが少々恨めしい。
「あー、もう、何とか風邪ひけねえかな」
 と、神谷は風呂場でシャワーを浴びながら呟く。
 もう後は寝るばかりだと言うのに、往生際の悪い男である。
 その瞬間。
「おおっ」
 ざあざあとシャワーを頭から神谷はポン、と、手を叩いた。
「ここで水を浴びて寝れば風邪ひけるかも」
 さすがはひらめき人間である。
 一体どこから涌いてくるのか分からないが、思い立ったが吉日。
 神谷はたった今ひらめいたことを実行に移す。
 シャワーを水にして、頭から被る。
「おおっ、冷てっ」
 今まで暖まっていた体が急激に冷やされる。
 風邪をひけそうな気がする。
「おっし、これで!」
 神谷は明日の水泳大会をサボる自分を夢見て、両の拳を握り締めたのだった。





 そして翌日――

 「ヨーイ」
 ドン、と言う空砲の音と同時に、飛び込み台から一斉にプールに飛び込む。
 その中でも目に見えてきれいな飛び込みを見せたのは神谷である。
 ほとんど水飛沫も上げずに水中に消えた神谷が、5メートルライン辺りで水面に現れた時には既に、頭一つ分抜け出している。
 そのまま完成したフォームで水をかきだすと、周囲との差はドンドン開いていく。
 他のクラスの選手の中には水泳部員がいるはずなのだが、ものともしない。
 鮮やかに水を切り泳ぐその様は、知らない人間が見たら、多分神谷を水泳部員だと思うことだろう。
 実際のところ、水泳は授業以外で教わったことはないらしいが。
 最後の回転ターンを切ったその時には、神谷と2位の選手の間は、もう3メートルの差が開いていた。
 水泳部員とは言え、既に同学年の人間はほとんど部活を引退した後で体力が落ちていることもあるが、それだけの差とはとても思えない。
「ゴール!」
 ブッチギリの1位でタッチした神谷は、そのままプールサイドに上がった。
 全身から水を滴らせる神谷の頭の上に、スポーツタオルが投げかけられる。
「調子いいじゃん」
 タオルを投げかけられた先を見ると、やはり水着姿の大塚がプールサイド手招いている。
「今のタイムだと、多分神谷が1位だね」
 すでに自分の出番は終わっている赤堀が、髪を拭きながら言う。
 大塚は、腕組みをして苦笑した。
「水泳部の連中、泣くよなぁ」
 神谷はプールサイドに足跡をつけながら、大塚の隣に来て、腰を据える。
 濡れて顔に貼りつく髪を頭に撫でつける。
「別にうれしかねえよ、俺も」
 そして顔だけ拭きながら憎まれ口を叩いた。どうせすぐにリレーに出なければならないので、その他は乾くに任せている。
 その時、放送が入った。
『ただ今の男子200メートル自由形の結果を発表します。1位、3Eの神谷篤司君、2位――』
 結果は赤堀の言う通りだった。
「風邪ひき計画はどうしたんだよ」
 大塚がにやにやと笑いながら神谷に問う。
 すると、神谷は不機嫌な顔で応じた。
「やったよ」
「何、腹でも出して寝たのか」
「昨日、風呂からあがる時に水を被ってから出たんだよ」
 楽しげに問う大塚に、神谷は答えた。
「せっかく風邪ひけるかと思ったのによ、何か、いつもより快調って感じだぜ、ちくしょう」
 あくまで神谷は真顔である。
 しかし、それを聞いた大塚は思わず天を仰ぎ、赤堀はいつもと変わらない表情であったが、鋭く指摘する。
「神谷…多分それ健康増進してるよ?」
「あ? そうなのか?」

 ――神谷の頑丈さは天然物であった。





夕日(2005.08.14再)






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