忘れ得ぬ郷土の味 其の一






 何かの拍子で、元ユース代表メンバーで集まることとなった。
 そんな時、集会場になるのは加納のマンションである。
 何しろ一人暮しのマンションで、手ごろな広さがある。
 その上、期待のルーキーとして騒がれ莫大な契約金を手にしながら、サッカー以外にとりたてて金を使う趣味のない加納は、常に腹を減らした貧乏学生にとっては格好のたかり相手であった。
 そんな訳で大挙して加納のマンションに押しかけ、勝手に特上寿司の出前を頼んだり、やりたい放題である。
 止める向きもない訳ではないのだが、小声の良心など大勢の無法の前には何の役にも立たない。
 もっとも、出前の代金まで支払いながら文句の一つも言わない家主の態度も多々、問題はあるのであろうが。
 何とも言わないが、加納自身、こんな状況を楽しんでいるフシがある。
 おかげで、特上寿司を一人一人前では飽き足らず、巻き物まで好き勝手頼む有り様だ。
 「ずっと前から思ってたんだけどさ」
 空になった寿司桶を脇にのけて、巻き物に手を出した嶋が、誰ともなく呟いた。
「こっちの鉄火巻って、ヘンだよな」
「ヘン?」
「あ、俺も思ってた」
 と、一同首を傾げる中で、東だけが嶋の言葉に同意した。
 テーブルの上に山積みになっている鉄火巻は、なんのことはないマグロの巻き物だ。
 別に傷んでいるような味もしない。
 更に首を傾げる中、内海が悪態をつく。
「おう、まずいぞ、この寿司は。って言うか、寿司じゃねえよ、こんなの」
 海の幸に恵まれた清水生まれの内海ならではの言葉である。
 もっとも、悪態をつきながら手と口は止まらないのだが。
「そうじゃなくてさ」
 東が苦笑する。
「何で鉄火巻の具がマグロなんだよ」
 口元にお弁当をつけたまま、まじめな顔で嶋が言った。
「は?」
 その言葉に。
 東と嶋を除く、全員の手が止まる。
 しかし、更に一同を唖然とさせるセリフが飛び出した。
「鉄火巻ったら、具はかんぴょうだろ」
「マグロも悪かないけどさ、やっぱかんぴょうだよな」
「はあぁぁぁ?」
 ほぼ全員が二の句が告げないでいる中、海の幸に恵まれた県代表として斉木と内海が反撃に出た。
「な、何言ってんだよ、東、嶋」
「鉄火巻の具はマグロに決まってんだろ!?」
「何で」
 ところが、東と嶋は心底不思議そうな顔をするばかりだ。
 その表情は演技ではない。
「何で…って…」
「だって、鉄火丼は何がメインだよ」
「マグロだな」
 思わず斉木は言葉を失ってしまったが、内海は憤懣やる方ない面持ちで、突飛なことを言い出した二人に質問を投げつける。
「鉄火丼てのは、赤身のマグロが鉄火に似てるから鉄火って言うんだろ?」
「それぐらい、俺らでも知ってるよ」
 東は食後のお茶を啜りながら苦笑した。
「でも、それとこれとは関係ないだろ」
 相変わらず口元にお弁当をつけたまま、嶋が割って入る。
 と、内海がキレた。
 ドン、と、テーブルに拳を叩きつけて、怒鳴りつける。
「何で! 関係ないんだよ! 鉄火巻は鉄火に似たマグロを巻いてあるから鉄火巻なんだろうが!」
 そうだそうだと皆がうなずく中、さっと東と嶋の顔が青ざめる。
「何だって…?」
「何か反論あるなら言ってみろよ」
「だって、子供の頃から鉄火巻って言って、出てくるのはかんぴょう巻だったんだぜ、俺達」
 東が嶋に同意を求めると、嶋も大きくうなずいた。
「そ。かんぴょうを甘辛く煮締めたヤツ」
 確かに、見た目は似ていなくもない。
 しかし、内海は呆れたように溜息をついた。
「だから、かんぴょう巻はかんぴょう巻だろうよ。鉄火丼にはかんぴょうのってないだろうが」
「さすがに丼一杯にかんぴょうのってたら、やかもな」
「だから。俺の説明、どっか筋通ってないとこ、あるかよ」
「……ない、な」
 しばらく考えた末、東が呟いた。
「え…えぇぇぇっ?」
 その隣で嶋が頭を抱える。
「子供の頃から鉄火巻の具はかんぴょうだと信じてきた俺の今までの人生は何だったんだ!?」
 そこまで言うことでもないだろう、と、誰かがなだめようとしたが、まるでこの世の終わりが訪れたかのような二人の耳には届かない。
「そんなバカなっ。俺は信じない、信じないぞぉっっ」
「鉄火巻の具が、かんぴょうじゃなくて、マグロだったなんてっ。俺の約二十年を返してくれっっ」
 ちょっと待った、オイ、と言う、周囲の制止の声など気にも留めず、生まれも育ちも海なし県の東と嶋はお互いの人生を嘆きあう。
 そして。

「どうするよ、ヴィリーに鉄火巻の具はかんぴょうだって教えこんだって言うのにっ」

 嶋の言葉で全員が脱力した。
 どうやら、ヴィリーは派な群馬県民になって帰国した模様である。





夕日(2005.08.20再)






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