忘れ得ぬ郷土の味 其の三
土曜の夜、就寝直前に、嶋が叫んだ。
「明日こそ行くべよ!」
見れば嶋は至極真面目な顔で、握り拳まで震わせている。
寮の狭いベッドの上で、後は布団を被って眠るだけ、と言う体勢に入っていたヴィリーが、ビクリと動きを止めた。
「な…、どうシタ、嶋」
「ヴィリー、明日は出かけるかんな。そのつもりでな」
「そのつもり…ッテ、一番朝遅イのハ、嶋ダロウ」
さすがに覚えてしまったツッコミを入れると、嶋はバカバカしいほど胸を張った。
「安心するべ、俺は遊びに関しては5時前男だ」
朝の5時前から起きて騒ぐ――迷惑この上ない男である。
「別に、明日は休みだ、嶋が朝飯食べ損なったって、かまねえべ」
そうあくびをしながら言ったのは、東である。
ちなみに、現在の同室者はこの三人だ。キャプテンの特権を生かして、東は四人部屋を嶋と二人で占有していたのだが、それをこれ幸いと、学校側がヴィリーを押し付けたのである。
それでも、四人部屋を四人で使っている連中に比べると広いので、サッカー部の集会に使われている。
いいのか悪いのか分からない。
それはさておき、嶋は主語も目的語も省略してしゃべったので、ヴィリーには何のことか全く話が見えていない。
しかし東にはちゃんと通じているようで、また小さくあくびをして、布団に潜り込みながら言った。
「まあ、どのみち食いに行くんだから、腹すいてたほうがいいかもしんねえし」
東も、中途半端な事だけ言い残して、あっと言う間に寝息を立て始める。
「食ウ?」
「おうよ。もう、これを知らずに群馬県民とは名乗れねえってモンを食わせてやんべ」
ビシッと親指まで立てながらの力強い嶋の言葉に、ヴィリーはどんよりと暗くなる。
一体今まで、それでどれだけヒドイ目に合わせられたことか。
涙で枕も浮かぼうものだ。
しかし、嶋はそんなヴィリーの様子もお構いなしだ。
「絶対うまいかんな。期待していいんべ」
その、弾んだ声に。
期待するのハ嶋だけダロウ、と言うツッコミを、ヴィリーはようやく飲み込んだ。
で、翌日。
まごうことなき5時前男に朝っぱらから叩き起こされ――本人はそんなことはしていないと言うが、大きな音を立てて出入りをしたり引出しを開けたりしていれば、嫌が応でも同室者は目を覚ましてしまう――、時間を潰すネタもなかったので、開店とともにその店に入った。
「ここは老舗なんだべ。俺はここが一番好き」
と、嶋は自信満々である。
そして。
「おねーさん、焼き饅頭6本」
と、店のおばさんに声をかける。
「はいよ」
元気な返事から程なくして、寿司屋で出てくるような大きな湯呑のお茶と、それが出てきた。
味噌の焦げる香ばしい香りが食欲を誘う。
「さ、あったかい内に食うんべ」
と、東と嶋は迷わず串に手を伸ばす。
そう、皿の上に載っていたのは、巨大な串団子だった。
一つ一つの玉が直径5センチはあるだろうか。
それが3個、串に刺さっているのである。
「ア、アノ…」
「ん?」
「あったかい内のがうまいから早く食えよ」
と、地元民の二人は、慣れた手つきで串から饅頭を外している。
真似してヴィリーも箸を使って串から外そうと試みるが、さすがに微妙な力加減がうまくいかなくて、箸が空しく空を滑る。
「そのまま齧っちまえば?」
箸で食べながら東に言われて、素直にヴィリーはギブアップした。
嶋は猛然と串から外した饅頭をがっついている。
しかし。
串をつかんだものの、ヴィリーはためらう。
だって、普通の串団子の3倍ぐらいデカイのだ。
団子のように中身が詰まっていたら、朝っぱらから2本も片付けるのは辛い、と思う。
「ヴィリー?」
「どしたん?」
「ウ、ウン…」
東と嶋に重ねて問われて、ヴィリーは覚悟を決めて見た目巨大な串団子にかぶりついた。
「どうだ? うまいんべ」
上機嫌の嶋に問われても、無言でヴィリーは二口目にトライだ。
………
「ウ…」
「ヴィリー?」
東が少し心配そうに眉をひそめる。
「うまイジャナイカッ」
ヴィリーは驚きを隠せない表情で叫んだ。
「だからそう言ったんべ」
何だと言う表情になって、嶋は最後の饅頭を口に運んだ。
嶋にとって、それは当然のことだったが、今まで散々痛い目に合わされてきたヴィリーの不信感は、相当なものがあったのだ。
しかし、その不信感を覆して余りあるぐらい、その『焼き饅頭』はうまかった。
中身はむしろさくさくしていて、甘辛い味噌の焼け具合も絶品である。
一目で食べ切れるかと不安になった串2本を、あっという間に食べきってしまった。
その食べっぷりを満足げに見ていた嶋が、茶を啜りながら言う。
「俺はもう一本頼むけど、二人は?」
「あ、俺も」
「私モ」
「じゃ、おねーさん3本追加」
「お世辞言ってもオマケはつかないよー」
「やだなー、そんなんじゃねーべ」
と、下心を見抜かれた嶋は、わずかな動揺を声ににじませる。
そんなこんなで追加した焼き饅頭も、腹っぺらしの若者の胃袋に消えた。
「どうだった、ヴィリー」
「うまカッタ」
「聞くまでもねえべよ」
満足げに笑うヴィリーに、東もつられて笑う。
嶋は、大きくうなずいて、
「焼き饅頭は群馬だけの伝統的なおやつでな、県内でも7軒しかねーべよ」
と、ウンチクを垂れ始める。
だが、本当においしかったからよしとしよう、と、ヴィリーは思うのだ。
朝からおいしいものを食べ、今日はいいことがあるかもしれない――。
店から出ると、抜けるような青空が広がっていた。
ヴィリーは無性に幸せを感じた。