出会いは、最悪だった。 ――birth―― 中二の時、内海は初めて少年サッカーの県選抜メンバーとなった。 実は本人が、一番意外だと思っていたのではないか。 恐らく抜擢と言ってよかっただろう。 確かに地元では負ける気はしなかったが、さすがはサッカー王国静岡である。 内海などよりはるかに名の知れた選手など、掃いて捨てるほどいた。 体も小さくて、最上級生でもない自分など、呼ばれるはずがないと内海ははなから思い込んでいたのだ。 学校を通じて選抜メンバーに抜擢されたことを知らされた時は、本気で驚いた。 新聞に自分の名前が載っているのを見ても、まだ半分ぐらい信じられなかった。 だから。 選抜メンバーの初顔合わせの会場で、内海は壁の花と化していたのだ。 別に、内海自身に気後れはない。 だが、県選抜の常連どもはすでに顔見知り同士の者が多く、どうしても仲よしグループが出来上がってしまう。 もちろん、初参加の者は内海に限らず大概が壁の花と化していた。 割り込めない雰囲気と言うものは、発している本人達の思う以上に、周囲にとって高いハードルになる。 その上に、内海自身の問題もある。 気後れはなかった。 だが、コンプレックスはあった。 ――背が、低かったのだ、内海は。 今もスポーツ選手としては背の高い方ではないが、当時は同年代の平均よりも更に、低かった。 ありていに言ってしまえば、チビだった。 骨は太かったし、手足もでかいからその内大きくなると慰められる度に反発していたが、その実、このまま伸びなかったらどうしようと言う不安は、誰より内海本人が一番大きかったはずだ。 体格が全てではないが、最後は体格がものを言う。 例えば、中一から選抜メンバーの加納などは、内海と同学年でありながら、すでに高校生並みの体格の持ち主だ。 その長身を生かしたパワープレーは、静岡県内だけでなく、全国から注目を集めている。 内海は、自分の体格的な不利をよく知っていた。だから、技術的な練習は、それこそ人一倍こなした。 だから、テクニックだけなら加納は元より、上級生にだって負ける気はなかったが、それでも、テクニックとスピードだけでは埋められぬ溝があることも、すでに思い知っていた。 どんなに小回りが利こうとも、軽自動車が最後には大型車にぶっちぎられてしまうのと同じ原理だ。 内海一人だけでいる分には、等身のバランスがよかったおかげでさほど小さくは見えないのだが、県選抜チームなどと言うスポーツエリートの集団ともなれば、体格も大概平均以上だ。そんな中にあると、自分の身長の低さを見せつけられている気がして、内海は居たたまれなかった。 いや、ムカついていたと言うべきだろうか。 更に更に、内海にはもう一つの大きな欠点があった。 いや、それは多分、欠点だと思っているのは内海だけであって、他人にとっては羨ましいこと以外の何物でもなかったのだが。 内海は、自分の顔が大嫌いだった。 まだ幼さが残る分、美少女で通ってしまうほど整った顔は、内海にそれなりにおいしい思いを味あわせてくれたが、それ以上に辛酸を舐めさせられることが多かった。 なまじっか整った顔だけに、同じことをしても、平凡な顔立ちの人間よりも、周囲が大袈裟に受け取ってしまうのだ。 プラス方向だけでなく、マイナスにまで。 別に、内海自身は無視をしたつもりなどなかったが、突然『ちょっと顔がきれいだからっていい気になって無視をした』などと言う言いがかりをつけられたのは、たかが齢14才にして両手両足の指でも足りなかった。 まして、サッカーにおいては、舐められることはあっても、一目置いてもらえることなどなかった。 内海は努力した。 敵にも、味方にも舐められぬように、人の3倍ぐらいの努力をせずにはいられなかった。 だから。 内海は、自分の容姿が大嫌いだった。 例えば、あの加納の容姿と交換してくれると言うのなら、内海は迷わず交換するだろう。 それぐらいには、嫌いだったのだ。 もちろん、誰も信じてはくれなかったけど。 他人の芝は青く見える典型である。 その辺りの諸々があって、内海は輪の中に入る気にもならず、壁の花に甘んじていたのだ。 内海はけして非社交的な性格ではなかったけれど、見下ろされ、見下されるのはイヤだった。 見下されたらどうしよう、と、思ってしまう自分がイヤだった。 そんな内海の背後から突然、妙に間の抜けた声が投げかけられた。 「うっわ、女の子…」 直撃、である。 内海のアキレス腱を知っているのかのような一言だ。 ブチブチブチッ、と、内海の中で、かろうじてとどまっていた何かがまとめて切れた。 そうでなくても当社比3倍ぐらいカリカリしていた内海は、迷わなかった。 「ざけんなっ!!」 ゴクッッ! と、鈍い音が、怒声と共に響き渡った。 「誰が女だ、誰が!」 ボコッ!! と、内海は更に倒れ掛かってきた相手の腹を容赦なく蹴り上げた。 「う…」 腹を押さえて倒れる相手を、内海は一歩下がって避けた。 ゴン、と、倒れた瞬間音がした。地面に頭をぶつけたものらしい。 かなり、ひどい仕打ちである。 先手必勝。 実は見た目からは想像つかないほどに――その見た目のせいなのだが――ケンカしなれた内海の人生訓ではある。 「そこ! 何してる!?」 音を聞きつけたコーチが駆けつけてきた。 そして、内海と、内海の前に倒れた少年を見て、顔色を変えた。 「お前!」 がっと、腕をつかまれる。 反射で睨み返したのも悪かったかもしれない。 「誰か、この子を救護室へ! お前はこっちへ来い!」 そして、内海は騒然とする集合場所から連れ出された。 「おとなしくしていろ、いいな!」 別室に放り込まれ、目の前で乱暴にドアが閉められる。 仕方なく内海は、部屋の隅のベンチに腰を下ろした。 後は、なるようにしかならないだろう。 それにしても、今回は過剰反応だったな、と、我ながら思う。。 それだけ、内海はイライラしていたのだろう。 選抜メンバーの中で、居場所を見つけられない自分に。 恐らく、自分は今回の選抜からは除名されるだろう。 正直なところ。 妙にすっきりした気分だった。 納得いかないまま、ただ選抜メンバーに名前を連ねて、ベンチを暖めているだけより、自分のチームでまた1年、みっちり経験を積んだ方がよいように思えた。 モチベーションもないまま、漫然と時間を過ごしても、何の役にも立ちやしないのだ。 腹を括ると、何だか笑いが込み上げてきた。 いくら振り向きざまの一撃だったとは言え、あそこまでまともに食らう奴も珍しい。 顔は、覚えていないが。 一瞬のことだったため、顔を確認する暇もなかった。 ――さすがに一言謝って帰んねえと、目覚めが悪ぃよなあ。 笑いながら、内海はそんなことを考える。 その時、ドアのノブが回った。 まだ笑いが納まらず、くつくつ笑っている内海を、この部屋に連れてきたコーチが、怪訝な目で見る。 「何を、笑っているんだ」 「だから言ったじゃないですか」 そのコーチの背後から、少年の声が訴える。 「ちょっとふざけててぶつかっちゃっただけですよ。そうでもなけりゃ、そんな笑ってる訳ないです」 コーチが押し出されるように前に出ると、声の主が横から顔をのぞかせた。 「そうだよなあ。俺のあごと、お前の頭がぶつかっただけだよな」 そういう少年の左のあごが腫れ上がっている。 腫れの割には普通の顔をしているので、思わず内海はコイツ神経通ってねえんじゃねえかとまじまじと見ると、少年が目配せをしてきた。 話を合わせろというのだろう。 内海は迷った。 名前も知らない相手の言いなりになるのは、少々業腹に思えた。 だが。 殴られた相手がそれをなかったことにしようと言っているのだ。 ここで暴力沙汰を起こしたと言うレッテルを貼られれば、少なくとも中学の間は、内海が選抜に選ばれることはないだろう。 今、選抜メンバーからの離脱を望んだからと言って、将来の可能性まで潰すのは、確かにあまり利口なやり方とは言いかねる。 ついさっきまではそれでいいと思い、仕方がないことだと思っていたけれど。 もしも、可能性が残されるなら。 弱みがあるのは、内海である。 「はい」 内海はしおらしい表情を作って、うなずいた。 「お騒がせして、すみませんでした」 「これから気をつけます」 少年も頭を下げた。 すると、コーチは太い息を吐いて、納得した模様だ。 「本当に、遊びじゃないんだからな。気を引き締めろ」 「はい」 二人仲良く深く頭を下げて返事をすると、コーチは出ていってしまった。 ドアが閉じるまで頭を下げていた内海は、閉じた途端、ばね仕掛けのように体を起こした。 そして、まだ頭を下げている少年を問いただす。 「おい、お前、どういうつもりだよ」 「…弁護してやったのに、随分な言い草だな」 頭を上げながら言う少年の声は、コーチを相手にしていた時より幾分低かった。 こちらが地なのだろう。 「俺は頼んでねえよ」 「そーゆう言い方するかな、かわいくないなあ」 そう言って、少年は左あごを押さえた。 「イテテテテ…」 「何だ、痛むのか」 「何だって、お前がやったんだろ」 「お前、選抜に選ばれるような選手のくせに、まともに食らう方が悪い」 呆れたように内海が言うと、 「…選抜に選ばれるような奴に不意打ちされたら、誰だって直撃されるに決まってる」 と、少年は切り返してきた。 一瞬、内海が絶句すると、少年はにやりと笑った。 「だろ?」 内海は、少年を正面から睨み付ける。 しかし、見上げる格好になって、またコンプレックスを刺激される。 「…礼は言わないぞ」 精一杯、ドスを利かせて言うと、 「いいよ、別に。言って欲しくて誤魔化した訳じゃない」 少年は、微かに視線を逸らせて呟いた。 「じゃ、何で」 俺なんか庇って何かいいことあるのかよ、と、内海が詰め寄ると、少年は視線だけを内海に向けて、言った。 「せっかく数少ない同い年の選手なんだから、よしみを通じてから分かれたいじゃん」 「は?」 思わず、声が出た。 選抜メンバーは確かにチームとして存在するが、メンバーはチームメイトであると同時にハイレベルな競争相手でもある。 それなのに、こんな呑気なことを口に出来るコイツは、よほどのお人好しか、よほど自分に自信があるかのどちらかだ。 思わず、 「名前は?」 内海が警戒心も露に尋ねると、今度は少年が 「は?」 と、間抜けな声を出した。 「は、じゃねえよっ。俺と知り合いになりたいんだろうが、お前はっ」 カリカリと内海が怒鳴ると、少年はようやく得心がいった顔をした。 「俺は斉木誠。菊水の」 その名前に、内海は聞き覚えがあった。 どうやら、よほど自分に自信があるタイプらしいな、と、内海は結論づけた。 菊水の斉木と言えば、自分達の学年では唯一、あの加納のライバルになりうるだろうと言われている選手だ。 だが――。 「インパクトのねー顔…」 内海は、正直な感想を漏らしてしまった。 「何だよ、それぇっ!?」 斉木は、心の底から嫌そうな顔をしていた。 「ひっでえこと言うなあ」 そりゃ、そんなハンサムじゃないかもしれないけど、でも、結構かっこいいって言われてるんだぞ、とか何とか、斉木は口の中でブツブツ呟いているが、内海の知ったことではない。 「あ、悪ぃ、ホントのこと言っちゃった」 本当は。 顔立ちがどうこうでなく、内海は、斉木の雰囲気を指していた。 オーラとも言えるだろうか。 あの加納に対抗できる選手として、斉木の名前を聞いていたが、実際にこうして間近で見てみて、同じだと思ってしまったのだ。 自分と、同じ。 加納のような、有無を言わせぬ迫力――インパクト――が、斉木にはないと、内海は感じたのだ。 きっといつか、今は自信満々のコイツも、知ることになるのだろう、と、内海は思う。 けして自分は、超一流にはなれないことを。 一流にはなれるかもしれない。 だがけして、超一流にはなれない。 それは、ほんの一握りだけの人間に与えられる、モノ。 無論、一流にだって、普通はなれない。 しかし、一流と超一流は、全く違う。 住む世界が、違っているのだ、最初から。 加納を初めて見た時、内海はそう思った。 でも、今、斉木を前にして、内海はそうは思わない。 その思いが、思わず言葉になった。 だが、斉木には言わない。 同情したのではなく、内海自身にもこの時は言葉にはならなかった。 ただ、違うのだと、そう、思っただけだ。v 本人が言葉にも出来ない思いが相手に伝わるはずもなく。 「ホンットにひどいこと言うなー」 斉木は男らしい眉を寄せて、言う。 「こんなに顔はかわい…」 しかし最後まで言うことは出来なかった。 ブン、と、問答無用の内海の拳が空を切る。 一歩下がって内海の手も足も届かない安全圏に逃げてから、斉木は言った。 「怒るなよ、ホントのことだろー?」 「いーや、俺は怒る」 内海がきっぱり言い切ると、斉木は苦笑いした。 「すごいな、ホントに」 その情けないほどの笑顔と、無邪気な感嘆の言葉に。 内海は、どうしてか怒りが萎えていくのを感じた。 今まで一度だって、かわいいと言った相手をヘコまさずに気が晴れたことなど、なかったのに。 ――ああ。 内心で、うなずいた。 ――コイツは、性格が、才能なんだ。 たまにいる、こういう奴。 いつでも人の輪の中心にいる奴。 そう言う奴は、必ず一つの共通点を持っている。 憎めないのだ。 けして心の底からは。 誰からも憎まれないから、人と人とを繋ぐことが出来る。 それは、ある意味でどんな天才よりも大切な存在かもしれない。 内海は、握り拳を下ろした。 太い息を吐きながら呟く。 「はぁ、もういい…」 「何が?」 全然分かっていない斉木は首を捻るが、その姿を見て、内海は確信した。 自分はきっと、コイツを憎めない。 だから、釘を刺した。 「…今度、女みたいだとか、かわいいなんて言ったら、その時はボコるからな」 「分かった、分かった。そんなに怖い目でにらむなよ…」 斉木は、慌てたように両手を振った。よほど痛かったのだろう。 「絶対だぞ、分かったな」 と、内海は右手を差し出した。 突然の行動に、斉木は一瞬けげんな顔をしたが、すぐに理解して、内海の手を握り返した。 「これからよろしく」 「内海秋彦だ」 そして内海は、ニヤリと笑って言った。 「でも、仲良しこよしなんか、しねーけどな」 「ホントにひねくれてんなぁ、お前」 斉木は握手をしたまま、肩を竦めた。 これが、彼らの出会いだった。 すみませーん、遅れました。 本当は内海の誕生日にアップする予定だったわけですが、難航。 内容的にというよりは、単に時間の問題ですが。 内容はー…すみません、内海と斉木の出会いでっち上げネタです(汗)。 こういうのもアリだと思ってもらえたら、いいなと思うのですが…。 こんな二人の関係が、孤高の川本編のベースになっていきます。 夕日でした。 |