――君の声は、いつでも僕に届く――
Voice
「練習中なんだから、球くらいとんできますよ。ボーッとしてる方が悪いんです」
西ドイツから日本に戻って来てから、俺にそんなことを言った奴は、そいつが始めてだった。
俺は、孤独だった。
西ドイツにいた時は、日本人は俺だけな訳だから、仕方がないと思っていた。
けれど、日本に帰って来てからは、みんな『天才』だとか、『帰国子女』だからと、俺を自分達とは違う枠にはめたがった。
そう、事によると、俺は西ドイツにいた時よりも遥かに、俺は孤独だったかも知れない。
みんな、俺を褒めそやしはしたけれど、俺との間には一線を引いていたから。
それでもせめて、楽しいサッカーが出来ればよかったのだろうけど。
そんなところはなかった。
俺にとって、楽しいサッカーの出来るところは。
『ここじゃサッカーは出来ないよ』
西ドイツに行く前に、出会った少年が言った言葉を思い出した。
そう、楽しいどころじゃない。サッカーじゃないのだ。あんな、誰かのいいなりになって、ただボールを蹴るだけなら。
“プレー”の出来る少年はどこにもいなかったのだ。
それでも、サッカーそのものをやめることも出来なくて、最終的に、学校の部活と、家から一番近いクラブを両天秤にかけて決めかねていた時。
ぶち当たった手荒い挨拶。
彼――神谷も、俺に同類の匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。俺が一目で、神谷を同類だと信じたように。
神谷は監督にちやほやされているのが気に入らなかっただけだと笑うけど。
神谷は、俺が日本で初めて見た、“プレー”が出来る人間だった。
そして何より。
俺は孤独だった。そして神谷も孤独だった。
孤独な者同士、引き合うのは当然だった。
――声が、聞こえる。君の声だけは――
俺は、運が良かったのだろう。
しばらくクラブで見ている内に、みんなプレーが出来ないのではなく、最初からプレーすることを教えられていないのだと分かった。
けれど神谷は、教えられなくても知っていた。知っているから、よりよいプレーを求めたけれど、それが、他の人間、特に監督やコーチには、逆らっているようにしか見えない。そんな人間に教えられていたら、みんなプレーが出来るようにはならない。
そして、神谷は出会った時にはもう、心に深手を負っていた。
神谷が深手を負った時期を、西ドイツで過ごせた俺は、すこぶる幸運だったのだ。西ドイツでは、最初こそ人種的な壁もあったけれど、サッカーの実力を認めてくれたら、後はもう何もなかった。より良いプレーを求めて争うこともあったけれど、否定などされなかった。
だけど神谷は、何を言っても叩き潰されてきた。叩き潰されないようにと踏ん張れば、また更に強烈に叩き潰される。
その繰り返しで、意固地にならない方がどうかしている。
みんな、それすらも分からず、神谷だけを非難していた。
俺も、あの時期を日本で過ごしていたら、きっと神谷と同じことになっていたに違いない。
俺の見る限り、神谷と俺のやっていることに、そう大差はなかった。
けれど、俺がやれば『天才のすばらしいプレー』で、神谷がやれば『スタンドプレー』と言われた。
あげく、俺に神谷の悪口を吹き込んで、何とか引き離そう、引き離そうとした。
それが、どれだけ俺達を傷つけているかも気がつかずに。
孤独が故に引き合い、自分の半身と信じられるパートナーの悪口を言われて、どうして傷つかずにいられるだろう。
だけどどれだけそう訴えても、『久保は心が広いから優しい』などと言われてしまう。
とんでもない。
俺は、心がすこぶる狭い人間だ。だって、もう他の奴とコンビを組む気などなかったし、プレーの出来ない連中を、ムリに使おうとなど思っていなかったから。プレーが出来ないのは敵も同じことで、そんな連中相手なら、神谷と俺だけでどうにか出来てしまうから。神谷がマークされれば、自分で強引に突破した方が成功率が高い。だったら、計算できないチームメイトは、俺にとって数合わせでしかなかった。
俺がそばにいれば、いつかは神谷への評価も変えられると、信じていた。
でも、俺がそばにいるから、いよいよ神谷への風当たりがキツくなるのだと気がつくまでに、そう時間はかからなかった。
「追い出されたのさ――」
自分の思い上がりを、気づかされた。
「俺のやり方が奴の信条に合わないんだと」
神谷はかすかに笑ってさえいた。
「たいしたことねーよ、それだけのことさ…」
その言葉が、胸に突き刺さった。
神谷は、笑わなければ言えなかったのだ。
そして、神谷に笑わせてしまったのは、俺だった。
俺さえいなければ、神谷が斉木とあんな形で接触することはなかっただろう。
そうしたら、神谷は笑うことはなかったのだ。
――あんなに痛々しい顔で。
神谷は、気がついていただろうか。自分の表情に。
気がついてくれだだろうか。神谷の心が血を流すなら、俺の心も、同じく血を流すことに。
――君の声は、どんな時も、どんな所でも、僕に届く――
自分の存在が、神谷を追いつめていると、気がついた。
それでも俺は、神谷の手を離せなかった。
神谷の手を離せば、楽しいサッカーはもう出来ないと知っていたから。
ユースで大会得点王になったことが、計らずもそれを証明してくれた。
誰も俺のパスを受けてくれないのなら、自分で持ち込むしかない。
それは、クラブだろうが、ユースだろうが、同じだ。
カットされると分かる位置に、パスなど出せない。そもそもそれすら分からない連中を、走らせようとは思わなかった。
神谷といることで癒された俺の孤独は、ユースで神谷と引き離されて、再び疼き出した。
――だから。
「なあ、神谷――」
俺は神谷の手を離せなかった。
俺にとって、信頼できる仲間は、結局、神谷しかいなかったから。
神谷の言葉は、いつだって分かりやすかった。みんなは分からないと言ったけれど、俺には分かった。
俺達の間には、説明などいらなかった。
「お前、サッカー好きか?」
神谷を見る俺の目を、神谷はまっすぐ見返してきた。
こびも、おもねりも、迷いも、戸惑いもなく。
ただ、まっすぐに。
「ああ――」
そんな神谷の目が好きだった。そんな風に俺を見てくれるのは、神谷だけだった。
「それだけなら、誰にも負けねェ――」
俺のバカみたいな言葉に、神谷は答えてくれた。
その言葉に、孤独に疼いていた俺の心が暖められた――。
――俺の声は、君に届くだろうか…?
『ゴオォォール!』
割れるような歓声の中、聞こえたのは、神谷の声。
「いくらあんだけ走ったからって、倒れるのはオーバーだせ――」
言葉とは裏腹に、引きつった神谷の顔だけがようやく、霞んで見えた。
「全く――、信じらんね――奴だぜ」
ばれてしまったのだろうか。
神谷にも、言えなかったこと。
俺は、神谷に救われたのに、神谷を裏切った。
でも、まだ言えない。今は試合中だ。他のメンバーも聞いている。もう、神谷以外は見えないけれど。
分かるよな、お前には。
お前だけは。
「神谷…後は頼むぜ…」
引きつった神谷の顔が凍りつく。
ああ…、分かったんだな…。
なら、いい。
もちろん、最後まで頑張るけれど。出来たら、ちゃんと伝えたいと思うけど。
もしも、間に合わなくても。
神谷だけが、フィールドをかけている。
そこに俺がいないなんて、まだ信じられない。
だけど、どんなに離れていても、神谷の声は聞こえる。
『ありがとう、ございました…』
それは、俺が言いたかった言葉。
――ごめん、そして、ありがとう…。
聞こえたかな…、神谷に。
――君の声は、僕に届く。
『久保』
いつでも、どこにいても。
『今分かったよ、オレ――。これがお前が…オレ達が求めていた、掛川のサッカーなんだ』
君の声だけは、不思議な力で、僕に届く。
『サッカー好きか――?』
だから、心配しないで。
伝えて。
君の思い――。
ライオン時代もかなり初期のリク小説でした。
これも私のシュート物の根本を現した小説だと思っています。
シュート物と言うか、久保の。
『孤高の川』に影を落としている久保は、この久保ですね。
本当はもっと細かいことを書き込もうとしていたのですが、
そうするとかなり長く時間がかか理想だったため、リクであることを考えて、
最低限だけを残したので、私には珍しい一人称で至らぬ部分が多々ありますが、あえてそのまま再掲。
本当は、これを完全版として書きたいと思っているのですが、
時間がかかることと、この久保の心情に寄り添うと相当神経を磨耗しそうなので躊躇したまま云年。
まあ、それと、これの完全版を書いちゃうと、私のシュートへの煩悩が昇華されてしまい、
シュートでの活動は停止することになるだろうと言う予想も躊躇の大きな理由なんですが。
どうなるかは神のみぞ知ると言う話で。
夕日(2006.11.12再)