「潰す気かっ! 木偶の坊!」 いきなり怒鳴られて、斉木は慌てて身体を起こした。 わざとやった訳ではない。 両手を挙げて伸びをしたらバランスを失って、背後に居た内海に寄り掛かってしまっただけだ。 大体そんなに怒るくらいなら、何でこんなに側に居るのだ。 折角のオフなのだから、木偶の坊なんかの所に居ないで小さくて可愛い女の子と過ごせばいい。 そう言いたいところだが、後が怖くて言い出せたものではない。 ――一ヶ月程前のことだ。 何人目かの彼女と別れた内海が、憂鬱な顔をして斉木を訪れた。 「まぁ、元気出せよ。お前ほどの男なら、すぐ好い女が見つかるよ」 斉木は義務感にかられて慰めたのだが、内海は「そんなことは判ってるんだよ」と言う。 斉木は少しばかりむっとした。 振られて落ち込んだのではないのなら、一体何をしに来たのだ。 「俺も趣味悪いと思うよ、本当」 内海が溜息と共に恐ろしいことを呟いた。 「俺、お前が好きみたいなんだよなぁ」 斉木は耳を疑った。 今でも疑い続けている。 告白(あれを告白と言うのならば、だが)されてから何度も顔を会わせているが、内海の様子は以前となんら変わる所がない。 以前の悪友のまま。 斉木としてはどう反応すればいいのか判らなかった。 答えを要求されているわけでもないのである。 斉木の気持ちなどどうでもいいなら、あんなことを言わないで欲しかったと思う。 内海がどういうつもりか判らないから、斉木は宙ぶらりんのままなのだ。 性質の悪い悪戯かもしれない。 何しろ内海は、斉木を苛めるのが一番楽しいと公言するような男である。 斉木が慎重になるのも無理はない。 先刻も、ちょっと寄り掛かっただけで「潰す気か!」は無いだろうと斉木は思うのだ。 一人思い悩む斉木をよそに、内海は読んでいた雑誌を放り出し大きくあくびをした。 「眠くなったから寝る」 あくびを引き摺った声で内海が言う。 勝手に寝りゃあいいだろ、と言おうとした斉木は口を開けたまま閉めることが出来なくなった。 内海が、斉木の膝に頭を乗せて横になってしまったからだ。 その挙句頭をごろごろと落ちつかなげに動かして、 「硬い! ごつい! 寝心地が悪い!」 とのたまった。 「煩い! 男の足が柔らくてたまるか!」 呆気にとられていた斉木は、我に帰って怒鳴った。 「膝枕して欲しいんなら、ママか彼女にしてもらえばいいだろ!」 斉木の怒鳴り声は内海にとってはそよ風みたいなものだろう。 目を閉じたまま鷹揚に言った。 「仕方ないから、この膝で我慢してやるよ」 「何が我慢だ。 大体サッカー選手の足を何だと――」 斉木は言い募ろうとしたが、内海が「枕は口を利かないぞ!」などと言うので本当に物が言えなくなった。 寝入ったら頭を落っことしてやる。 密かに決意したが、実行できる斉木ではない。 斉木は内海に弱い。 甘いと言うべきか、からかわれようが苛められようが本気では怒れない。 幾ら振り回されても、すぐに赦してしまう。 「これって何々だろうなぁ」 斉木は内海を起こさぬよう小声で呟いた。 何だかんだと文句を言っていたわりに、内海はよく眠っている。 こうやって目を閉じていると、整って繊細な顔立ちが強調される。 内海はそんな自分の顔が嫌いだった。 可愛いだの女顔だの言おうものなら、鍛え上げた眼光で一睨みする。 大抵の人間ならそれだけで沈黙するほどの威力だ。 (それでも黙らない場合は鉄拳制裁が下される) 内海には内緒だが斉木はその恐ろしい瞳が好きなのだ。 内海の瞳は髪と同色の、陽光を透かせる薄い茶色である。 長い睫毛に縁取られた眦の切れ上がった目は、強い意思を感じさせるし、何より美しい。 時々忙と見とれる事があるくらいだった。 勿論そんなこと、口が裂けたって言わないが。 そよ、と風が内海の素直な髪を揺らす。 その一房を掬い取ると、柔らかく指に絡み付いた。 本当に綺麗だと、斉木は思う。 自分がこうなりたいとは思わないけれど、見ているのは大好きなのだ。 斉木は面喰いだとよく言われるが、長年この人形めいた容貌の持ち主と付き合っていたのだから目が肥えるのも仕方ない。 『そうだ、みんな内海が悪い』 斉木は決め付けた。 面喰いと言われるのも本気で女性に惚れ込めないのも、内海の所為だ。 子供みたいな論理の飛躍だが、元々内海との付き合いは大いに子供っぽい部分を残しているのは確かである。 内海のあれも、子供の友情が延長した挙句に変形したのではないか。 斉木の思考はかなり遠回りした上に、とんでもない地点に着地しようとした。 が、それを赦す内海ではない。 ふと気付くと、眠っているとばかり思っていた内海が、目を開いていた。 二つの透き通った琥珀が、斉木の瞳を覗き込んでいる。 斉木は赤面した。 頬が熱い。 「お前って本当、俺の事好きだよな」 当然の様に言われ、斉木の顔は更に赤くなった。 「誰が誰を好きだって? 寝言は寝て言えよ!」 自分でも何故赤面するか判らない。 反射的に怒鳴り返した。 「ふーん」 「な、何だよ」 内海は身を起こして、ぐっと斉木に詰め寄った。 「お前にゃ告白は無理だろうからと、頷くだけでいいように気を使ってやった俺の優しさを無にするんだな」 「っ、ふざけんじゃ――」 言い返そうとする斉木の肩に内海の腕が回された。 優しく。 余りにも優しい触れ方に、斉木はすっかり油断した。 気が付いたときには床に転がされ、逃げられないように押さえ込まれていた。 内海は斉木より細身だが、力の使いどころを知っている。 逃げられないことは判っていた。 だがそれは、本当に肉体の拘束だけのことなのか? 子供同士の戯れにも似た抱擁。 違うのは内海の力の強さだけだ。 斉木はその可能性に身体を竦ませる。 「しよう」 斉木の緊張を知らぬげに、内海はあっさりとそれを口にした。 |