My Sweet Heart
芹沢が欧州に移籍してから、斉木は再び一人暮らしを始めた。
芹沢の移籍に合わせて斉木も引っ越すことにしたことには芹沢は文句を垂れまくりだったが、一人では広すぎて取り回しが悪かったのだから仕方がない。
それでも芹沢が帰国した時には泊っていける程度の広さはあるので、一人暮らしとしてはかなりゆとりのある作りの部屋だ。
そのリビングには、でかいテレビが鎮座している。
サッカーの試合を見るためにこればかりは譲れず、二人で住んでいた部屋から持ってきたものだ。
しかしそのテレビ、食事の準備をしている現在は適当なバラエティ番組が映っている。
さみしがり屋気質の斉木は、一人でいる時は見ていなくても大体テレビをつけっ放しにしてしまう。
キッチンで料理をしている現在もいつもの通り、何をつけているという自覚もなかった。
が。
「え?」
耳が聞き覚えのある単語を拾って肩越しに振り返る。
テレビの画面一杯に、芹沢のアップが映っていた。
「は?」
思わず手が止まる。
だが、すぐに我に返って火を止める。
そのまま料理を放り出して斉木はリビングに戻る。
それはランキング情報のコーナーだった。
『これが凄いんです。カレンダーのアイドル部門でサッカー日本代表の芹沢直茂選手のカレンダーが何と3位につけてるんです!』
もったいつけた司会の言葉に驚いたような声が編集で被せられている。
「ああ、これね……」
斉木は少し遠い目をする。
芹沢が単独のカレンダーを出すのは去年に引き続き2年目だ。
夏に帰国した時も、このカレンダー用の撮影のために随分時間をかけていた。
芹沢本人は相当うんざりしていたようだが、そもそも日本代表全体のカレンダーならいざ知らず、男子選手単独のカレンダーなど前代未聞であったため、様様な販促企画が打ち出された。
それは私服のプライベート風のショットであったり、予約特典の直筆サイン入りのポストカードプレゼントであったりした。
それらが功を奏したのか、海外移籍をしてしまったため、生で触れるチャンスが極端に減った女性ファンが軒並み購入したのかは分からないが、去年は男性芸能人のジャンルで上位の売り上げを記録し、ヒーヒー言いながら予約特典のサインを入れるのを斉木は見ていた。
今年はもう直筆サインは入れなかったのだが、それでも更に去年よりも売り上げを伸ばし、アイドル全体で三位の予約が入っていると言うのだ。
「もー、サッカー選手がユニフォーム着てなくて飛ぶように売れるってどういうことだよ」
斉木は画面でめくられるカレンダーのグラビアを見ながら呟いた。
実は斉木もカレンダーの中身はこれが初見である。
芹沢と斉木は同じ事務所に所属している。
そこで事務所でサンプルを貰おうとしたらもうないと言われたのだ。
「ごめんねー、営業行く先々でみんな欲しいって言うから在庫尽きちゃったのよ」
手を合わせるマネージャーに、
「ああまあ、それじゃ仕方ないね」
と、斉木は言うしかなかった。
ただ芹沢の人気がすごいと言うだけの話であって、別にマネージャーが悪い訳ではない。
むしろマネージャーとしては営業の繋ぎにカレンダーを配って来るのが仕事であって、貰い手がなくて余るよりは断然いいだろう。
そんな訳で斉木は今の今まで芹沢のカレンダーの中身を知らなかったのだが、まさかテレビを通じて見ることになるとは。
「て言うか三位。相変わらずすごい人気だね」
斉木は感嘆のため息をつく。
実際、並べられた男性芸能人達のカレンダーと比べて遜色がない、むしろ目を引く容姿だと思うのは、恋人の贔屓目ではないだろう。
テレビの中では、芹沢がいかに人気かを説明するために、女性向け雑誌の特集等を持ち出して来ている。
その中で取り出されたポスターを見て、斉木は思わずのけ反った。
『すごいでしょー、このポスターが付録についた雑誌は完売したそうです』
と、アシスタントが広げているのは、上半身裸でベッドに寝ているかのようなグラビアだ。
斉木は眩暈を覚えて眉間を抑えた。
ここまで来ると斉木の理解の範疇外だ。
「俺、本当にこんなのと付き合ってるんだよなあ」
それは勿論、斉木の心変わりを意味するものではない。
文字通りより取り見取りだろうに、芹沢がこのごついのを何故選ぶのか、と言ういつもの疑問だ。
例え斉木が返信をサボっても芹沢からのメールは毎日欠かしたことはないし、週一でかかって来るスカイプだって、斉木の生活に合わされていて、芹沢がとても斉木に気を使っているのは理解している。
だが、芹沢と斉木では住む世界が違いすぎて、たまに夢なのではないかと思えてくることがあるのも事実だ。
そんなことは、芹沢には言わないけれど。
言えば盛大に否定されるだろうし、傷つくことも分かっている。
斉木は芹沢を傷つけたくはないし、それに、捨てられたくないと思っているのは自分の方だ。
芹沢のご機嫌を損ねるようなことはとてもではないが口には出来ない。
まして、遠く地球の裏側に離れてしまった今。
距離が気持ちを変えさせることはよくあることだ。
そこで斉木は大きく息を吐いた。
このまま思い悩んでもドツボにはまるだけだと知っている。
斉木は考えることを止めた。
テレビの番組も、もう次のコーナーに移っている。
「カレンダーねえ」
斉木は今年の芹沢のカレンダーがかかっている壁へ視線を向けた。
その瞬間、スカイプが着信を示す。
発信元は芹沢だった。
「もしもし」
『もしもし、斉木さん?』
「ああ」
斉木は今見ていたテレビ番組の内容を頭の中から追い出した。
そうしなければ挙動不審に陥りそうだったし、そんな斉木の様子を芹沢はすぐに見抜くのだ。
『クリスマス休暇に入ったら即帰りますから、和食食わせて下さいよ』
スーパーに行けば日本の調味料も手に入るし、日本食レストランもあるのだが、それでもやはり違うと言って、帰国すると芹沢は和食三昧なのだ。
斉木はいつものように苦笑して答える。
「和食なんて俺は大したもん作れないの知ってるだろ。せいぜい肉じゃがとかそんなもんで」
『そういうのこそが食べたいんですよ、俺は。何なら材料買い出ししておいてくれれば俺が作りますから。特に味噌買っておいて下さい。醤油も酒もあるんですけど、味噌だけはこっちで手に入らないんですよ』
「分かった。適当に見つくろっておくよ」
そんな、いつも通りの他愛ない会話を交わして通話を切る。
切ってから、斉木は少し考えて、PCの画面に向かった。
「ただいま、斉木さん!」
斉木のマンションに現れた芹沢は、扉を開けた斉木を見るなり盛大に抱き締めた。
「はいはい、待て」
対する斉木は、芹沢の腕を振りほどきながら犬でも躾けるように言う。
毎度毎度の光景ではあるが、ファンの女達が見たら百年の恋も一瞬で冷めてしまうのではないかと斉木が余計な心配をしてしまうほど、鼻の下を伸ばすのは止めた方がいいのではないかと思うのだ。
「せめて玄関を閉めてからにしろ」
「分かりました。ほら、玄関閉めましたよ、いいでしょう……って」
芹沢が玄関を閉めている間に斉木はリビングまで退避している。
「ちょっと冷たくありませんか? 半年ぶりなんですよ!?」
「半年ぶりだろうが何だろうが弁えるのが当然だ。大体お前、代表戦で帰って来たから三ヶ月も経ってないだろ」
「弁えてますよ。いいじゃないですか、手ぐらい握らせて下さいよ」
子供のような駄々を捏ねる芹沢に、斉木はこれ見よがしに耳を塞ぐ。
「あ、ひどい。傷ついた。傷つきましたよ、俺は」
芹沢が海外移籍をして離れている期間が長くなったせいか、芹沢のスキンシップ要求は以前とは比べ物にならないほど激しくなっていた。
斉木が抑えなければなし崩しで何をされるか分かったものではないのだ。
斉木がまず守りに入るのは他ならぬ芹沢のせいだと本人が気づいているのかどうか。
気づいてないだろうなと斉木は思っている。
「もう照れ屋なんだから」
とか斉木を総毛立たせつつリビングに入って来た芹沢は、すぐに壁にかけられた自分のカレンダーに気がついた。
「あ、わざわざ持ってきたんですか、マネ。気がきく……」
感心と一人何かを納得している芹沢へ斉木が告げる。
「違う。俺が自分で買ったんだ
「え!?」
何故か心底驚いた表情をされて、斉木は臍を曲げる。
「何でそんな驚かれるんだよ。何なら外す……」
「待って待って、どうしてそうなるんですか」
本当に壁からカレンダーを外そうとする斉木の右腕を芹沢が掴む。
「だって、せっかく買ったのにそんな嫌そうに」
「違いますって! 嬉しいですよ、斉木さんが飾っててくれるのが勿論一番嬉しいです。でも、斉木さんが自分で買ってくれるなんて思ってなかったから驚いただけです」
「そりゃサンプル貰えたら買わなかったけどさ」
ふと斉木が芹沢から視線を外す。
「だって、嫌じゃないか。俺が知らないお前を他のみんなは見てるなんてさ」
斉木の言葉に、芹沢は表情を失う。
驚き過ぎるとどんな顔をしていいのか分からなくなるもんなんだな、と、ぼんやりと思う。
しかしそれも、横を向いた斉木の顔が赤くなっていることに気づいた瞬間に吹き飛ぶ。
芹沢は満面の笑みを浮かべて斉木を抱き締めた。
「斉木さん、かわいい」
「うわっ」
芹沢の力強い腕に収まってしまった後では抵抗も出来ず、やたら整った顔をどアップで見るはめになって心臓に悪いと斉木は思う。
だが、それも一瞬のことだ。
芹沢の右腕が斉木の後頭部に回って、斉木は芹沢の肩に頭を預ける格好になる。
「斉木さん、浮気なんかしないで下さいね。斉木さんはかわいいからホント心配」
芹沢の言葉に斉木は苦笑する。
「そんなもんするか、馬鹿。こんなゴツいのどうこうしようなんてお前だけだ」
斉木は芹沢の肩に頭を預けたまま、呟く。
「…お前こそ、浮気なんかするなよ?」
「する訳ないでしょ。斉木さん以外は誰でもジャガイモと一緒」
「酷い言い様だな」
「しょうがないでしょ、だって俺は斉木さんが好きなんだから」
芹沢がうなじを支えて斉木を上向かせる。
芹沢の黒目がちの瞳にまっすぐに見つめられて、斉木は眩しいものでも見たように目を細める。
そして二人、ゆっくりと唇を重ねた。
Merry Merry Christmas!