夜明け前2
芹沢は困っていた。
困り果てていた。
目の前で女からモーションをかけられている。
女は現在売れっ子のモデル出身のタレントだ。
見てくれは問題なく、別に芹沢の彼女になりたがっている訳でもない。
ただ、噂の芹沢を一度は食っとこう――恐らくそんなところだ。
噂と言うのは、漁色家のくせに、いや、だからこそか、芹沢が美人しか相手にしないと言われていることだ。
それは事実である。
サッカー選手としての実力ばかりでなく、容姿も完璧である芹沢へ粉をかけるには、それなりに自分の容色に自信のある女でなければ無理だからだ。
彼女達にとって芹沢と寝たと言うことは一種のステータスであり、名乗りを上げる女は尽きない。
アクセサリーにされていることは分かっているが、特定の女を作るなんて面倒だと公言して憚らない芹沢にとっても、楽に欲望を解消出来る都合のいい関係で、持ちつ持たれつと言う奴だろう。
要するに、現在のこの状況は据え膳なのである。
それなのに。
芹沢の食指は全く動かないのだ。
今日ばかりではない。
実は、ここ最近ずっとだ。
どんな女に誘われても気が乗らない。
今までこんなことはなかったと言うのに。
今日に至っては、露骨なしなに吐き気さえして来た。
内心ではどうしたことだと頭を抱えながら、表面上は全くの平静を保ち、芹沢は言った。
「先約があるんだ」
そんなものはない。
言い訳だ。
だが、この状況を早く脱出したいばかりに、笑顔まで作って。
「またな」
こんな話、次などない。
口先だと分かっているのに、気が重くなるのは何故だ。
女はまだ食い下がろうとしていたが、芹沢は取り合わずに踵を返す。
座りの悪い気持ちを抱えて、芹沢は歩きながら携帯を取り出した。
こういう時は八つ当たりに呼び出すに限る。
この時間なら、練習も終わって部屋にいるはずだ。
どうせ缶ビールを飲みながら、似合わぬ恋愛ドラマでも見ているのだ。
猫なで声の一つも出せば、すっ飛んで来るのに違いない。
そう決めつけて――今までの事例からしてかなり確度の高い予想でもあったのだが――電話をかけた。
しかし、すぐに繋がった電話口から、芹沢にとって全く予想外の喧騒がBGMとして流れ出し、思わず言葉に詰まってしまった。
『芹沢、どうした?』
わずかに不審気な響きを帯びた低い声で我に返る。
何故か動揺している自分を抑え込んで、芹沢は居丈高な口調で言った。
「俺、――にいるんですけど、今から出て来られますよね」
だが、芹沢の予想は再度裏切られた。
『あ、ごめん』
芹沢は再び固まる。
そして次の瞬間、芹沢の中で何かがぷつりと音を立てて切れた。
『今、部活の飲み会で抜けられないんだ。悪いけど…』
心底すまなそうな声に、酔っ払いの怒鳴り声が重なった。
『斉木ぃ、そんな隅っこで何こそこそしてんだ!?』
『何だ何だ!? 彼女からか!?』
『うるさいな、そんなんじゃないって言ってるだろ!』
電話の向こうで言い返しているが、もはや芹沢の耳には入っていない。
「ああ、そうですか」
『え?』
「お邪魔しましてすみませんでした」
『あ、おい、芹沢!』
まだ何か言っているようだったが、芹沢は型通りの挨拶を告げて、一方的に通話を切った。
謝られようが何だろうが、聞きたくなかった。
断りの言葉など。
そこまで考えて、芹沢は我を疑った。
何で自分はここまでショックを受けているのだろう。
たかが一度、それも、そもそもが自分勝手な誘いを断られたぐらいで。
いや。
もう本当は、こんなことになってしまった理由に薄々感づいてはいるのだ、残念ながら。
やめとけ、やめろ、と、理性が叫んでいる。
あんな誰からも好かれたがる八方美人、関わったら碌なことにならない。
しかも独占欲を多分に含む感情ならば。
そんなことは頭では分かっているのだ、充分に。
だから必死で目をそらし続けていたのだ。
そう分かっているにも関わらず、もはや代償で誤魔化すことすら出来ないこの感情。
そろそろ認めなくてはならないのだろうか。
「参ったな…」
芹沢は整った眉をしかめて呟いた。
何に対しては分からないまま。
芹沢が自分の気持ちに気がつく話。
すみません、ありがちで。
でも私にとって、芹斉における芹沢は、女性の方からのアプローチだけで充分困らなかったので、自分からアプローチしたことない、と言うイメージで固定されてしまっているので…。
この芹沢は初恋が斉木かもしれません。マジで。
そう思いたくなるほど情けない感じですみません…。
夕日(2005.03.05)