夜明け前2 SIDE:斉木






 「ビール、ピッチャー二つ追加ー」
「後、生レモンサワーと生グレープフルーツサワー一つずつ!」
「俺、焼酎お湯割り、梅つけてね」
 次々と注文が飛び交う。
 今日は一部リーグに所属する大学との練習試合帰りの打ち上げだ。
 格上のチームに対して充分に快勝と言える試合だった。
 この調子なら、一部リーグへの昇格もあながち夢とは言えない好調が続いている。
 しかも明日は全休日とあっては、誰もがセーブするつもりもなく、飲みたい物を追加していく。
 体格のいい集団は、飲むも食べるも桁違いだ。
 こんな客が大挙して押し寄せて来た日には、店の方は足が出る。
 おかげ様で接客もそこはかとなく冷たいが、そんなことは微塵も気にならないほど、全員が陽気である。
 個室貸切――隔離とも言う――なので、遠慮もいらない。
「おい、誰だよ、もう日本酒なんか頼んでんのはー」
「あ、俺、俺」
 と、手を挙げたのは斉木だ。
「あ〜ら、主将〜、今日はいきなり全開ね〜」
 隣にいた副主将が、しなだれかかりながら裏声で絡んでくる。
「気持ち悪い」
「って」
 答えて斉木は手刀をくれるが、勿論目が笑っている。
「今日ぐらい気持ちよく飲みたいんだ、カマはあっち行け」
「ああ〜ん、ひっど〜い」
 と、斉木がしっしと追い払う手つきをし、更にくねくねと気持ちの悪いしなを作ると、見守っていた部員達がどっと笑った。
 充分に笑いを取ったことに満足したのか、副主将はオカマキャラを捨てて銚子を持ち上げる。
「主将、お疲れっした。ささっ、ぐいっと」
「悪いな」
 斉木は猪口の酒を一気に飲み干して、ビールのピッチャーを取り上げる。
「返杯だ」
「お、どうも」
 そんな調子で主将と副主将が和んでいるのだから、他の部員達は勿論無礼講である。
 大いに飲み、食い、笑い、賑やかを通り越して騒がしい。
 文字通りのドンちゃん騒ぎを目を細めて眺めながら、斉木はかなりのハイペースで猪口を傾けている。
 そこへ、すでにソフトドリンクに走っていたマネージャーが、新しく来た銚子を運んで来てくれた。
「これ、斉木のだろ」
 うっかりしていると酔った虎達に無理矢理飲まされるので、その防衛策として彼のような酒に弱い者は斉木の近くにいたがる。
 いくら体育会系の中にあっては比較的穏やかな気性――あくまで体育会系内の比較であり、世間一般で通用する規準ではない――だとは言え、主将の目の前で暴走する部員はほとんどいない。
 斉木は普段穏やかな分、怒らせると怖いのだと皆身に染みて知っている。
 斉木自身も相当飲む方だが、人に無理に勧めないし、人格が変わるようなこともないので安心なのだ。
 今もかなりのハイペースで銚子を空にしているが、日に焼けた肌が多少赤くなっているのが分かる程度で、それ以外は特に変わったところがない。
「斉木って酒強いよな」
「鍛えられたんだよ」
 苦笑しつつ、斉木は手を止めない。
「ああ、内海?」
 一部リーグに所属する名門大学でレギュラーを張る内海は、大学サッカーの世界ではいろいろな意味で有名人であるが、東翔大サッカー部の関係者にとっては、斉木の悪友であるだけにかなり身近な人物である。
「あいつはジュニアの頃から酒豪だったから」
 斉木は立派な笊だが、内海は笊を越えて枠だ。
 酒だけでなく、食べる量も半端ではないので、内海の胃袋はブラックホールに繋がっているのではないかと、もっぱらの噂である。
 マネージャーは一緒に飲んだことのある一人なので、その噂に否やを唱える気にはなれないのだが、しかし、
「その年で酒豪って…」
 呆れて思わず遠い目をするマネージャーの前で、斉木がぱっとジャージのポケットを押さえた。
 ポケットから震える携帯を取り出して表示を確認すると、
「ごめん」
 と、マネージャーの前を横切って、貸切の部屋の隅へ移動する。
「もしもし」
 通話ボタンを押した斉木は、喧騒でよく聞こえないのか、空いている耳を塞いて壁に向かう。
 何事か相手の話を聞いているようであったが、わずかに眉を寄せる。
「あ、ごめん。今、部活の飲み会で抜けられないんだ。悪いけど…」
 が、何か思いついたのか、口を開きかけた途端、
「斉木ぃ、そんな隅っこで何こそこそしてんだ!?」
「何だ何だ!? 彼女からか!?」
 出来上がり箍が外れかかっている部員達が斉木に絡み始める。
「うるさいな、そんなんじゃないって言ってるだろ!…って、あっ」
 斉木が小さく叫ぶ。
 そうして携帯を折り畳んでポケットにしまうと、一番近くにいた二人の耳を引っ張った。
「お前らのせいだ、切られたじゃないか!」
「いてっ」
「いたたたっ、ごめんなさい、もうしませんっ」
 軽くではあるが耳を引っ張られた二人は即座に白旗を挙げた。
 残りの連中はすぐには手の届かないところまで退避済みである。
 口先だけの詫びではあるが、そもそも斉木も大して怒っていた訳ではなく、すぐに手を離した。
「まあ、いいけどさ、芹沢だから」
 そして斉木はあっさりと電話の相手をばらした。
 隠すようなことではなかった。
「ちぇっ、何だ、つまんねえ」
 副主将が残念そうに指を鳴らす。
 Jリーグで活躍する芹沢も、東翔大サッカー部の連中にとってはけして遠い人物ではない。
 それは全て斉木のおかげと言うべきか、せいと言うべきか。
 高校時代にはユース代表に名を連ね、今は二部リーグ所属ながらユニバ代表に選ばれる程のサッカーの実力を持ち、その上豊かな社交性を持つ斉木の知り合いは、名の知れた連中だけでも両手両足の指では足りない。
 もっとも、斉木の交友関係の中でも芹沢はかなり特異であると言っていい。
 マネージャーは首を傾げる。
「また芹沢?」
「あんな大怪我したのは初めてだから、あいつもさすがに落ち込んでるみたいだな」
 しかし斉木はこともなげに言った。
「でもさ、大概あいつも変わってるよな。内海の方が直系の先輩なのにさ」
「あの内海が他人の愚痴をおとなしく聞いてやると思うか?」
 よほど深刻な時ならばともかく、内海は他人の愚痴など一蹴して終わりだし、自分自身も愚痴を吐くような無様な真似はしたがらない。
 内海は他人に厳しく、自分にはそれ以上に厳しい。
 芹沢はそんな内海をやたらに恐れない数少ない一人であるが、相手を見る頭はある。
「それって、舐められてんじゃね? 斉木」
「あのいかにも傲岸不遜な奴が落ち込んでしおらしくなってると、かわいいもんだぞ」
 歯に衣着せぬマネージャーの物言いにも、斉木は動じない。
 斉木の目には、本人が望んだ節も多分に見受けられるのだが、芹沢が常に肩肘張って頑張っているようにしか見えないのだ。
 いつもクールで努力などまるでしていないかのような、そんなマスコミの作り上げたイメージを守るために。
 本人は隠しているつもりのようだが、鬱屈を溜め込んでいるのも分かる。
 とてもそうは見えないが、芹沢はまだ二十歳にさえ届いていないのだから、何もかも上手く消化していけるはずもない。
 そんな芹沢が痛々しくて、頼られれば斉木は手を差し伸べずにはいられない。
 ただ、実力に比例してプライドも天井知らずなので、芹沢の方から頼ってこない時は、極力干渉しないように気をつけているが。
 度を過ぎたお節介は相手をスポイルするだけだ、と、悪友達からそれこそ耳にタコが出来るほど諭されては、さすがの斉木も自重を覚えるのだ。
「でも、今日は何か本気で落ち込んでるっぽかったから、ここに呼んでやろうと思ったのに」
 自分から手出しはしないが、向こうから頼ってきたなら力になってやりたい。
 斉木は本気でそう思っている。
 だから、ぱーっと騒げば少しは気も晴れるのではと、斉木は思ったのだが、それを言い出す前に芹沢の方から通話を切られてしまった。
 自分から切ると言うことは、まだどん底ではなかったのだろうか。
 そうであるならいいと思う。
 この会がお開きになったら詫びのついでに様子を見る電話をかけてみよう。
 今、かけ直したら――例え外に出ても絶対邪魔される。
「全くあいつら、ホントに彼女からの電話だったらどうしてくれるつもりだったんだ」
 斉木は銚子を傾けて、それがすでに空だと気づくと、店員を呼んで冷酒を追加注文する。
「ま、今はいないんだけどさ」
 と、斉木は何事でもなさげに言った。
 斉木は気づいていない。
 マネージャーが微妙な表情をしてそっと目をそらしたことを。
 そして、
「斉木は面倒見がいいから」
 そう言った後に、小さな溜め息を吐いたことも、斉木は全く気づいていないのである。















『夜明け前2』の、斉木視点です。
全く気づいていません。
ここまで気づいていないことを知ったら、それこそ芹沢どん底に落ちそうです。
今、「あんたのせいだよ!」と、斉木の胸倉掴んで振り回している芹沢の後ろ姿が幻視出来ました(笑)。
すみません、擦れ違い愛が好きです。
あ、このシリーズは、本編とは繋がっていませんので、よろしくご承知おき下さい。



夕日(2005.03.31)

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