夜明け前3 SIDE:斉木






 芹沢が、おかしい。
 いや、元々おかしな奴だったのだが、最近、少々度を越えていると思われることが多くなった。
「俺はね、 あんたなんか大嫌いなんですよ」
 メインディッシュのステーキにナイフを入れようとしていた斉木の手がぴたりと止まる。
 視線を上げると、目の前には魅力的な笑顔を浮かべた男前。
「お前ね」
 斉木は芹沢の言い草を心の中で反芻した後、一つ溜め息をついてナイフとフォークを下ろした。
 一つの曇りもない笑顔に、思わず自分が言葉の解釈を間違っているのかと不安になったが、どう考えても斉木の誤解でも曲解でもない。
 それは確かに芹沢の本音なのだと、人の心に少し鈍いところのある斉木でもすぐに勘づくほど、感情が剥き出しだ。
 さすがにかちんと来て思わず言い返す。
「そんなこと言うなら俺を誘わなきゃいいじゃないか」
「だったら、あんたこそ断ればいいじゃないですか」
 即座に切り返されて、斉木はまた一つ溜め息を吐く。
 この話題はいつでも平行線だ。
 それ以外の話題、例えばサッカーについてならば、極普通に会話できるのだが。
 どうやったらこの気まずい雰囲気を変えられるのかと頭を悩ませながら、斉木は再びナイフとフォークを取り上げて、切り分けたステーキを口に運ぶ。
 本来ならば飛び切り美味いはずの料理も、素直に美味いと言えないのは、雰囲気と斉木の気持ちの問題だろう。
 斉木なりに色々考えたのだが、芹沢の行動の理由がどうしても分からなくて、座りが悪い。
 まず真っ先に新手の嫌がらせなのかと疑った。
 だが、嫌がらせにしてはあまりにも金と手間がかかりすぎている。
 例えば今日つれてこられたのは、予約して最低でも1ヶ月は待たねばならないことで有名な三ツ星レストランである。
 時間があったら食事でもどうかと誘われ、実際予定は入っていなかったので二つ返事でうなずいた後に場所を聞いたらこのレストランの名前を告げられた。
 ドレスコードもあると言われて尻込みし、予約を盾に断ろうとした斉木へ、芹沢は伝手があるから大丈夫だと言い切った。
 そうして、カップルばかりの店内の中、やたらに体格のいい男二人で会食と相成った。
 斉木は、年に数回しか着ないスーツを引っ張り出さざるをえなかったし、とにかく目立つ芹沢へ向けられる女性客の熱い視線と男性客の嫉妬の視線の巻き添えを食い、挙句に芹沢自身にも嫌味を言われ放題なのだから居心地が悪いことこの上ない。
 しかし斉木の被害はその程度のことだ。
 それに引き換え芹沢は、本当に伝手を使ったと言うなら大仕事だ。
 コネを使えば頭も下げなければならない。
 多分、目玉が飛び出るようなコース料金も芹沢がいつものように持つのだろう。
 多少居心地が悪い程度の嫌がらせのためだけに、高い金を払って、頭を下げるなんて割が合わないにもほどがある。

 やはりおかしい、と、さすがの斉木も思う。

 嫌いと言われてはいるが、芹沢は本当に嫌いなものには一瞥もくれない性質であることは分かっている。
 だから多分、本当に斉木と言う存在そのものを嫌われている訳ではないのだろう。
 それでもあの『嫌い』には嘘ではないと斉木は感じる。
 斉木の何が『嫌い』なのか。
 そこでいつも行き詰る。
 そもそも斉木と芹沢のつながりと言えば、ユース時代の仲間、それもたった一年のことだ。
 それでも斉木にとって芹沢はかわいい後輩の一人だが、芹沢の斉木に対する態度は内海に対するそれとは違うので、多分先輩とはまた違うところに置かれているのだと思われる。
 ライバルと言うには現在大学リーグの斉木とJリーグの芹沢では、ステージが大きく引き離されすぎている。
 友達、と言う感じでもない。
 だったら一体何なのだ。
 何か自分は芹沢に恨まれるようなことでもしただろうかと胸に手を当てて考えてみたりもしたのだが、どうしても斉木には心当たりが浮かばなかった。
 それでも声をかけられれば断れない。
 また芹沢は上手いこと斉木の暇な時に声をかけてくるのだ。
 芹沢ほどではないが、斉木もけして暇人ではない。
 あいつは運がいいよな、などと斉木は思っている。
 無論芹沢の努力の賜物だとは思いも寄らない。
 そんなことをうだうだ考えている内に、いつの間にかメインディッシュも終わっていた。
 食後のデザートはバーラウンジで、と、ウェイターに案内されて、見事な夜景が一望出来る窓際の席を示される。
 バーラウンジは食事中よりは砕けた雰囲気が漂っているが、カップル客の密着度も上がっており、独り身の目には毒だ。
 夜景をずっと眺めていられるほど、斉木は気の長い方ではない。
 連れは男から見ても充分に目の保養になりうるレベルの容姿だが、所詮は男である。
 サッカー中の一挙一動ならばともかく、ただ男の容貌に見惚れる趣味は夜景以上にない。
 結局目のやり場に困って、斉木はポケットから煙草を取り出した。
 口の端にくわえて火をつける。
 途端、強い視線を感じて顔を上げると、まともに芹沢と目が合ってしまった。
「どうした?」
「斉木さんて煙草吸いましたっけ?」
「ああ、たまにふかすだけだけどな」
 まっすぐに見つめられて、斉木は照れ笑いを浮かべて言った。
「あんまり人前では吸わないようにしてるんだけど…あ、お前が嫌なら止めとくよ」
 と、斉木は灰皿を引き寄せる。
「別に、俺は構いませんけど」
 言いながら、芹沢の視線は煙草に引き寄せられている。
 嫌なんだろうと判断して、斉木は火をつけたばかりの煙草を灰皿に押し付けて消した。
「ごめん、火つける前にちゃんと聞かなくて」
「本当に構わなかったんですけどね」
 芹沢はそっぽを向きながら言った。
「ただ、どうして急に、と、思って」
「あー、何か周りはカップルばっかりじゃん。俺達場違いだよなー、とか、思ったら妙に落ち着かなくなっちゃってさ」
 斉木は彫刻のように整った芹沢の横顔をまじまじと見る。
 これが女だったら、自慢して歩けるレベルの美人だろう、と、ぼんやりと考える。
 もしくは自分の代わりに女が座っていれば、何の違和感もなく普通の、いや、かなりリッチなデートだ。
 その瞬間。
「あ」
 斉木が急に声を上げた。
 何事かと芹沢が見ると、斉木は固まっている。
 芹沢は整った眉をしかめた。
「どうしたんですか」
 芹沢がいぶかしげな視線と声を投げつけてようやく、斉木が我に返る。
「あ、いや、何でも…」
 語尾は口の中に消えた。
 何か言いたげな微妙な表情をしている。
 芹沢はむっとする。
「あんた、そんな態度で何でもないと信じられると思ってるんですか?」
 切り口上の詰問だったが、図星を刺されて斉木は目をそらした。
 斉木は一つの可能性に思い至ってしまったのだ。
 ただ、可能性と言っても限りなくゼロに近く、本当だったら心の中で一笑に付して終わるはずだった。
 しかしあまりにも突拍子もないことを思いついてしまって、うっかり声を出してしまったのは失敗だった。
 芹沢が鋭い不審の目を向けている。
「あ、えーと…」
「何ですか、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
「あー、あのさ、そんなことはないだろうとは思うんだけどさ…」
 言いよどむ斉木の前で、芹沢は神経質そうに指先でテーブルを叩く。
 イラついた時の芹沢の癖だ。
 限界を悟った斉木は両手を握り締め、覚悟を決めて口を開いた。
「あの、な。もしかしてお前、俺のことが好きだったり…」
「な、何馬鹿なこと言ってんですかっ。そんなことあるはずが――!」
 芹沢は、斉木に皆まで言わせず叫んで、そしてそのまま絶句した。
 バーラウンジの静かなざわめきを叩き壊す声に非難の視線が集中する。
 視線は、無遠慮な声の主があの芹沢だと気づいた途端好奇のそれに変わり、更に芹沢の連れが男だと分かると一斉に興味を失った。
 恐らく斉木個人を判別出来るほどディープなサッカーファンはいないだろうが、それでも斉木の体格を見ればサッカー選手なのだろうと察しをつけることは出来たのだろう。
 斉木が女だったら立派な明日のゴシップネタだったのだろうが。
「だ、だよなー、ごめん、変なこと言って」
 斉木は照れくさそうに、だが明らかに安堵の息を吐く。
「俺もそんなはずあるかとは思ったんだけどさ。だとするともしかして今日はデートの下見か?」
 芹沢はモデルだ女優だとド派手な恋愛遍歴の持ち主である。
 男、それも斉木のような見間違いようもないゴツイ男を恋愛の対象に選ぶとはとても思われない。
 しかしここのところ芹沢に連れて行かれたシチュエーションはデートとしか思えなくて、怖い考えに至ってしまった。
 いざ答えを聞いてしまえば、聞いてよかったと斉木は思う。
 万に一つもない可能性だったとしても、可能性が残る限り不安に思っていたに違いない。
 無表情で冷たい視線を投げかける芹沢の前で、斉木は、ぱん、と手を合わせて頭を下げた。
「ホント悪かったな。今言ったことは忘れてくれよ」
 そう言って。
 迷いが解消された斉木は晴れやかな表情で食後のコーヒーを口に運んだ。















最悪だ!
前回、あの斉木がどうやって気がつくのか、と言うリクエストを受けて考えました。
少なくとも長編と同じにしたら意味がないので、違うシチュエーションと言うとどんなもんだろうかと。
そこで『必死のシグナルに気がついて、「お前、もしかして俺のことが好きなのか?」』と言うテーマで構想していたはずなのに…。
いやもうこれ、どういう風に持って行ったらカプになるのかと。
ヘタレ攻めと天然受けのカプは好きなんですが、書くのは大変なんですね…。
この続きを書くにしても『夜明け前』はこれで最後にします。
長々引っ張りすぎました。
時間がない中の思いつきざかざか書きで失礼しました。



夕日(2005.06.11)

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