曖昧な関係
――完全に誤解されてしまった。
芹沢は一人頭を抱える。
いや、誤解と言っては斉木に酷だろう。
芹沢がはっきりと言ってしまったのだから。
そんな訳ない、と。
『もしかしてお前、俺のことが好きだったり…』
どうして斉木がそこに辿り着いたのかは分からない。
それは紛れもない、だが、斉木が一生気づくことはないだろうと思っていた真実である。
斉木は基本的にどっぷり常識に浸かった人物だが、時たま、芹沢ですら突拍子もないと思うようなことを言い出したりする。
そんな意外性は、確かに芹沢が斉木に惹かれる要因の一つであるが、今回に関して言えば、芹沢にとって痛恨の一撃となってしまった。
思い込んでいたのだ。
斉木は、芹沢に――男に好きだと言われても到底受け入れてはくれまい、と。
いや、受け入れられないだけならまだしも、拒絶され、絶縁されたりしたら目も当てられない。
だから斉木を好きだと言う思いは、一生黙っているしかないのだと思っていた。
後輩の一人でいれば、端から見ればデートとしか見えないシチュエーションにつき合わせて、ささやかな自己満足を得ることも出来る。
そんな後ろ向きな態度は自分らしくないと、恐らく誰よりも芹沢自身が思っているが、怖くて仕方ないのだ。
斉木を失うことが。
あの日向のような笑顔を見ることも叶わなくなったら。
そんなことはきっと耐えられない。
それほど長くない人生であるが、数多の恋愛遍歴を重ねて来たはずだった。
でも、今までそんなことを思った女はいなかった。
女なら。
斉木は男で、多分、女が好きだ。
いくら芹沢が奔放な性質であろうとも、後ろ向きになっても仕方あるまい。
芹沢がどれだけ憎まれ口を叩いても、けして斉木は席を立とうとはしなかった。
それもかわいい後輩であったればこそ。
同性に恋愛感情を抱いているのだと言って嫌われるぐらいなら、後輩のままでいい。
そう思い始めた矢先に、初めて斉木が煙草を吸うところを見た。
煙草をくわえる唇を見て、キスしたいと思ってしまった。
表面を取り繕って自分に言い聞かせても、結局本心は唯一つなのだと思い知らされてショックを受けていたところへ、当の斉木から図星を刺されたものだから、ついむきになって否定してしまった。
斉木は、あっさりと信じた。
そもそも言いにくそうにしていたことを無理矢理言わせたのは芹沢だ。
やはり誰に当たることも出来ない自業自得の自爆である。
唯一よかったことと言えば、デートの下見なのだと勘違いしてくれたおかげで、以前よりも更に誘いに応じてくれるようになったことだろうか。
それは芹沢にとって、苦い事態でもあったのだが。
「まあ下見じゃしょうがないだろうけどさ」
斉木は勧められるがままに芹沢と並んで木陰のベンチに座る。
「男二人でこういうところは寒いと思うぞ」
もっと大人数ならともかく、と、斉木は苦笑いする。
今日訪れたのは森林公園だ。
木陰にちらほらカップルや団体客の姿も見えるが、基本的に親子連れが多い。
あちらこちらで甲高い子供の歓声が響いてうるさい。
緑は確かにきれいだが、湿気も高くてただ歩いているだけでも汗が浮く。
無論、芹沢の趣味ではない。
「でも、あんたは好きでしょ、こういうとこ」
「俺の好みはこの際どうでもいいだろうがよ。ま、結構好きなのは当たりだけど」
あくまでデートの下見だと信じている斉木はさらりと流して、スポーツドリンクのミニペットボトルを取り出した。
芹沢はサングラスを外して汗を拭い、被っていたキャップで顔を扇ぐ。
その様子を見た斉木が、飲んでいたペットボトルを差し出した。
「飲むか?」
なまじっかマメで気がつくだけに性質が悪いのだ。
芹沢は礼を言って一口飲んだ後、にやりと笑ってペットボトルを返した。
「これで斉木さん、俺と間接キスですね」
ささやかな意趣返しである。
芹沢は表情をなくしてサングラスをかける。
斉木は一瞬何を言われたのか分からないような顔をして、それから弾かれたように笑って、芹沢の背中を叩いた。
「お前やっぱり面白いよなー。何か子供みたいだ」
「あんたに言われたくないですよ」
キャップを被り直しながら、芹沢は言った。
子供みたいに無邪気で残酷なあんたに、と喉まで出かかったが、飲み込む。
何故だと問われても答えられないのだから、言うべきではない。
そこで会話が途切れ、二人とも黙り込む。
芹沢はサングラス越しに斉木を盗み見る。
シンプルな白いTシャツは鍛え上げた斉木の体躯を強調している。
どこからどう見ても立派なゴツい男の体だが、芹沢は並んで座っていれば、肩を抱き寄せたいと思う。
あんな冗談でしかない間接キスなどではなく、ちゃんとしたキスをしたいと思っている。
キス以上のことさえ、したいと思っている。
けして斉木には伝わらない、伝えてはいけない思いである。
知らないからこそ、斉木は芹沢に対して警戒感の欠片もなく、飲みかけのペットボトルを差し出してくれるのだ。
遠くはないが、近いというには微妙な距離。
そう言う曖昧な関係の継続を望んだのは芹沢自身だが、こうやって近づけば、もっと近づきたいという思いを抑えるので精一杯だ。
「ところでさ」
沈黙を破ったのは斉木だった。
「どんな子なんだよ」
「どんな子?」
「彼女」
芹沢が一瞬何のことか分からなかったのも無理はない。
そんな相手は存在しないのだから。
「そんなこと、あんたには関係ないでしょ」
「いいじゃないかよ。下見に付き合ってるんだからさ、ちょっとぐらい教えろよ」
ない袖は振れないだけなのだが、斉木の疑問も無理もない。
「つか、いないんですよ。いないんだから言えようもないってことで」
芹沢はにっこり笑って拒絶する。
すると斉木は、ぽんと手を打って搦め手から攻めて来た。
「分かった。じゃあ、好みのタイプは?」
どうあっても聞き出したいらしい。
どうやって捌いたらよいのかと一瞬眉を寄せたが、
「そうですね」
ふと思いついて芹沢は、口元に笑みを刻んで言った。
「背が高くて、髪形はショートカットで少し癖なんかかかってるといいですね。意思が強くてマメで世話好きで、そのくせ自分のことは鈍いぐらいのタイプが好きです」
芹沢は明らかに男だと分かる描写だけを避けて、斉木のことを告げる。
勘のよい者なら気づいたかも知れない。
しかし、斉木は気づかない。
「えらい具体的だな。やっぱり本命がいるんだろ」
「いませんよ、そんな女」
男なら、目の前に。
そう言えてしまったらどれだけ楽か。
だが、楽にはなるが、苦しみの始まりでもあるだろう。
芹沢は頭を一つ振る。
その耳に、聞き慣れたボールを蹴る音と子供の歓声が届いた。
話題を転換するにはよい潮であった。
「どっかでサッカーやってるみたいですね」
芹沢の誘導にあっさりと斉木は乗った。
「見に行くか?」
「見たいのは斉木さんでしょ」
言いながら、二人揃ってベンチから立ち上がる。
「見るのは構いませんけど、飛び入り参加なんかしないで下さいよ」
「い、いいじゃないか、それぐらい」
図星を指されたのだろう、斉木はわずかに目を逸らした。
「俺はやりませんよ」
「分かってるよ、お前だってばれたら大騒ぎだ」
ふと、斉木が思いついたように顔をあげた。
「あ、でも、今度機会があったら相手してくれよ。簡単な一対一でいいからさ」
サングラスをしているのにもかかわらず、芹沢をまっすぐに見つめる曇りのない視線が眩しいと感じる。
芹沢はシニカルな笑みを口元に刻んで答えた。
「高くつきますよ」
「げ、金取るのか。冷たいな。俺とお前の仲じゃないか」
「一体どんな仲ですか」
軽口の応酬に斉木が笑う。
その無邪気な笑顔が痛い。
もしも芹沢が言ったら、斉木はどうするのだろう。
欲しいのは、斉木自身なのだと言ったら。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
まだ、決意は出来ていない。
「…さ、行きましょうか」
苦い思いまでも飲み下し、芹沢は斉木を促して歩き出した。
『夜明け前』の続きです。一区切りつくまでミニシリーズ化しようと思ってます。
長編とは全く違う話にしたいと思ったのでテーマは「目指せBL」で(笑)。
でも、大体の構成とあらすじを考えたら、やっぱりそこはかとなくゲイ小説の雰囲気が漂っているので玉砕する予感。
そもそも長編の前の話のつもりで書いていたせいで、芹沢のキャラが長編と被っているので、その意味でも玉砕する予感。
長編との一番の違いは、斉木さんがノンケであることです(真顔)。天然産なのは変わりませんが…。
何だこりゃあ、と、言われる可能性が大の気もするんですが、それほど長くはならないと思うので、お付き合い願えれば幸いです。
夕日(2005.06.22)