合宿 ――2月――
「あの二人、おっせーなー、相変わらず」
「お二方はギリギリにしか来ないんじゃないですか、いつも通り」
空港のロビーで腕時計を覗き込みながらイライラと呟く中島に、飄々と安東が告げる。
「て言うか、中島さん、怖いですよー。おかげで他のお客さんの視線が痛いじゃないですか、そうでなくても僕達目立つのに」
「だからあの二人が必要なんじゃん」
と、中島は大げさに肩を竦めて見せた。
ジャストサイズのスーツとあいまって、舞台俳優のように芝居がかって見える。
クラブとして移動する時には、選手は全員揃いのオフィシャルスーツの着用が義務付けられている。
一般人とは明らかに体の造りが違うプロサッカー選手が集団で揃いのスーツを着ている様は壮観である。
はっきり言うと、迫力ありすぎで非常に胡散臭い。
その結果、皆触れてはいけない雰囲気で遠巻きにされるのだが、やはりあまり気分のいいものではない。
こんな時、一般人にも顔が売れている斉木と芹沢がいるのは、他の選手達にとっては非常に助かるのだ。
その二人のどちらかに気づけば、この集団がサッカー選手だと皆理解してくれるからだ。
特に芹沢は群を抜く長身でより目立つので、目印として丁度良い。
ただし、芹沢自身は気づかれると野次馬が飛躍的に増えるのでうっとうしいことこの上ない。
いくら慣れているとは言っても、パンダのようにジロジロ見られているのはあまり気分のよくないものだ。
とは言え、誰かの影に隠れることも出来ない長身はいかんともしがたい。
だから芹沢は、隠れる場所のない空港での待ち合わせには、絶対チェックインギリギリにしか来ないのだ。
一次合宿を行う宮崎へ出発する今日も、チェックイン一時間前の待ち合わせ時間に現れる気配すらない。
絶対的エースの芹沢でなければぶっ飛ばされているところだ。
そして。
「あ、来たかな」
安東が小首を傾げて呟いた。
まだ姿は見えないが、遠くで黄色い悲鳴が聞こえたのだ。
安東の隣で両眼共視力二.〇が自慢の中島が目を細めて悲鳴のした方を見つめる。
「ああ、来た来た。……あー、いつもよりは早めだな」
腕時計を確認するとチェックインの十五分前である。
ほどなくして、斉木と芹沢が現れた。
その周りには一定の距離を置いてたくさんの女性客がついてきており、芹沢が足を止めた途端、携帯カメラのシャッター音が辺りに響く。
「おっそいすよ、二人共」
「悪い」
いつも通り斉木が謝るが、芹沢は実に不機嫌な顔で中島の肩を叩く。
「中島、後よろしく」
「えーと、いい加減、俺をマネージャー代わりにするの止めてもらえません?」
中島は叩かれた肩を嫌味たらしく払いながら言う。
しかしそれで動じるような神経の持ち合わせは芹沢にはない。
「仕方ないだろ、お前より面の皮が厚い奴がいないんだから」
無礼にもほどがある物言いに、当の中島が抗議する。
「うっわ、ひどい言われよう」
「焼肉三回で手を打て」
「毎度あり〜」
あっさりと解決である。
お互い分かった上での軽口の応酬だが、新入団の選手達はそんなことは知らないので芹沢と中島のやり取りに心配そうな視線を向けてしまうのも仕方あるまい。
「あの二人はいつもあんな感じだから気にしなくていいよ」
斉木が苦笑しながらとりなして歩くのも、毎年年初の恒例行事だ。
その脇を通り過ぎた中島が、ギャラリーの整理を始める。
「はーい、すみません、そろそろチェックインなんで〜」
「斉木さん、あいつが相手してくれてる間に荷物預けてきましょう」
「ああ、そうだな」
いつものことではあるが慌しく荷物を預け、そのままチェックインする。
そうして一路、宮崎へ。
十二時頃ホテルに入った一行は軽く朝食を済ませ、午後の練習に備える。
一次キャンプは主に一年戦える体を作るためのフィジカルトレーニングが中心である。
とは言え、午前中に移動しているので、初日はランニングの後、軽いフィジカルトレーニングがメインだ。
最後の仕上げに軽いボール回しを行って初日を打ち上げる。
「やっぱりボール蹴るのは楽しいですねっ」
斉木と同じグループになった安東が満面の笑みで話しかけてくる。
オフの間はしっかり休養を取ることも大切であると、自主トレも制限されていた。
久しぶりのボールの感触に、皆自然と心が沸き立っているのが表情で見て取れる。
「そうだな」
斉木はポンと安東の頭を叩いて言った。
オフの間は旅行に行ったり、シーズン中はなかなか飲めない酒を飲んだり、思い思いに休暇を楽しむ。
だが、やはりサッカーが出来る喜びに勝るものはないのだと思い知らされる。
しかし。
「まあ、明日からは地獄だけどな…」
斉木が遠い目をする。
安東もまた、
「そうですねえ」
遠い目をして笑った。
二人共、去年までの一次キャンプを思い出しているのに違いなかった。
一年を通じて戦い抜く基礎を作るためにはそれが必要なのだと重々承知はしているが、それでも生かさず殺さずのレベルで追い込まれるフィジカルトレーニングは常日頃鍛えたプロサッカー選手でも辛いものだ。
思い出しただけで乾いた笑いが出て来るが、しかしそれは明日から現実のものとなる。
そんな、少し虚ろな目をした二人を見つめる視線が一つ――
「隣、いいですか」
よいかと確認はするが、返事を聞く前に芹沢は座席に着いた。
しかし、
「駄目だ」
と、すかさず斉木が席を立った。
「俺とお前がくっついてたら、若いのが入って来れないだろ」
「え、俺、若くないんすか」
同じテーブルについていた中島が混ぜっ返すが、
「皆が皆、お前みたいにナイロンザイル並の神経はしてないだろ」
「ひどい」
斉木は自分のトレイを持って、若手ばかりのテーブルへ移動する。
分かり易く芹沢を避ける斉木へ、芹沢が恨みがましい視線を投げつけるが振り向きもしない。
これから十日間、長い合宿になりそうだった。
キャンプの目的の一つに、選手間のコミュニケーションをより密にすることがある。
それ故に、選手達は五、六人に一部屋が割り当てられている。
各部屋のメンバーは、ベテラン、中堅、若手が均等に割り振られており、ベテランに属する斉木と芹沢は当然ながら別室である。
定宿のホテル周辺はサッカーに打ち込む以外に何もない環境である。
周囲には遊び場どころかコンビニすらない。
もっとも、遊び場があったところで出かける体力的な余裕などありはしないのだが。
しかし、夜は長い。
結果、各部屋でゲーム大会が開催されることになる。
「あ、あれ?」
その若手選手は、コントローラーを握り締めたまま、呆然とテレビ画面を見つめる。
あまりにもあっさりと勝敗は決した。
芹沢の完敗である。
「……もしかして芹沢さん、ゲーム弱いんですか?」
「見ての通りだ」
憮然とした表情で言う芹沢に、同室者達がどよめいた。
「まさか芹沢さんにそんな弱点がっっ」
「普段全然やらないからな」
ふてくされてコントローラーを投げ出す姿まで様になるのはある意味反則だ。
「でも、家にはゲーム機あるんでしょ? 斉木さんは結構強いもん」
芹沢と斉木が同居しているのは周知の事実だ。
若手は続けて言った。
「去年斉木さんと同部屋になった時は、斉木さんにはどうしても勝てなかったんですよね」
その選手に、別に悪意はないことは分かっている。
それでも、思わず芹沢の眉が吊り上る。
だが、その真意を悟られぬよう、声に出して言う。
「悪かったな、弱くて」
「悪いなんて言ってないじゃないですか。むしろ芹沢さんにも弱点があってちょっとほっとする」
「な、芹沢さん、完璧超人すぎるんですもん。まあ、それで弱点がゲーム弱いぐらいしかないってのもどうかと思うけど」
などと口々に言うのだが。
「弱い、弱い、連呼すんな」
余計なことを突っ込まれないのは助かるが、あまりいい気はしないのは当然のことだ。
さっきとは別の意味で鼻白むが、そんな芹沢の内心の葛藤を知らぬ選手達は逆に喜ぶ。
「ああっ、芹沢さんがすねてる」
「ちょっと芹沢さんの存在が身近に」
「……もういい」
芹沢はこめかみを押さえて呟いた。
――そうして、合宿所の夜はふけていく。
二日目から、午前午後の二部練習が始まった。
フィジカルトレーニング中心の二部練は、相当負荷が高い。
三日目の朝にはどんな若手でも布団から起き上がるのに一瞬動きが止まるほどだ。
斉木のようなベテラン組は起き上がるだけで一苦労という有様だ。
皆爆睡して、夢も見ない。
生かさず殺さずのフィジカルトレーニングがよく出来ていると言うことだ。
「斉木さん、おはようございます」
「ん、おはよ」
いつもの食堂で芹沢は斉木を探して近寄っていく。
応じた斉木はボロボロとトングの先からレタスをこぼした。
「きつそうですね」
「ったく『閻魔の澤田』のトレーニングは半端ないね」
斉木はトングを戻して重い右手を振った。
澤田というのはフィジカルコーチの名前だ。
ニコニコと常に笑顔ながら、課すトレーニングは妥協を許さないので選手達に恐れられている。
「取りましょうか」
「……余裕あるな」
「やせ我慢ですよ」
言いながら、手早く自分と斉木の皿に野菜を盛ってサラダを作る。
無論、芹沢は同席を申し出るつもりだった。
しかし、斉木は芹沢が何かを言うよりも早く、
「助かった。じゃあ、また練習でな」
と、斉木はヒラヒラと手を振って、今年新入団した選手が集まる席に割り込んで行った。
練習で、と言うことは、朝食の間は声をかけるなと言外に言っているのだ。
斉木の考えていることは明白で、チーム内でのコミュニケーションを深める優先度は、十二分に知っている芹沢よりも他の選手達の方がはるかに高く、また、二人の関係について何かの拍子でボロが出ることを避けるためでもある。
特にチーム内のコミュニケーションに関しては、主将である斉木にしてみれば当然の判断ではあるだろう。
それは芹沢も重々承知してはいる。
だがしかし、ここまであっさりスルーされて面白いはずもない。
初日に空港に着いて以来、こんな感じでずっと右から左へ流されているのだ。
いくら何でももう少し相手をしてくれてもいいのではないか、と芹沢は思う。
そんなことを考えてむくれていると、
「あのお、芹沢さん、邪魔なんすけど」
背後から中島の声がした。
「後ろつかえてるんで、もう生野菜取らないならどいてもらえません?」
振り向くと、中島を先頭として数人並んでしまっている。
「あ、悪い」
芹沢は慌ててその場を離れ、斉木とは離れた窓際の席に陣取る。
あえて斉木が見えない席を選ぶ。
そうでなければ、視線を外せなくなってしまうと思うから。
そんな一日を繰り返し、一次合宿も半ばの五日目の夜。
勝てないテレビゲームにも嫌気が差して、芹沢はそっと部屋を抜け出した。
とは言え、ホテルの中も隅々まで行き尽くし、何が出来る訳でもない。
少し考えた後、ウィンドブレーカーの上着を持って外へ出た。
「さすがに寒いな」
いくら南国宮崎とは言え、二月上旬の夜ともなれば気温はそう高くない。
ウィンドブレーカーを羽織って、ホテルの周りをブラブラと散歩を始める。
「あーあ、きっついよなあ」
風呂まで入った後に好き好んで外まで出てくる選手はいない。
皆トレーニングで絞り上げられて体力的な余裕がないこともある。
安心して、芹沢は愚痴をこぼす。
「別に、いちゃつこうとか思ってる訳じゃないんだから、あそこまで露骨にスルーしなくったっていいだろうよ」
芹沢も分かってはいる。
斉木は二人の関係を知られることを一番に恐れている。
その上にチーム合宿ともなれば斉木の行動は十分理解の範疇だ。
だが、頭で分かってはいても、心は別だ。
斉木との距離を感じてしまうと心穏やかではいられないのだ。
ある意味で、芹沢は斉木以上に失うことを恐れている。
と。
「仕方ないだろ、これでも一応主将なんだから」
背後からよく通る声がして、芹沢は思わず飛び上がった。
「さ、斉木さん!?」
「やっぱ気がついてなかったか」
さすがにお前も疲れてるんだな、さすが澤田さん、と、斉木は妙な関心をしている。
「いつの間にこんなところに」
「最初から」
慌てる芹沢の問いに、斉木はあっさりと答える。
「トイレ行こうと思って廊下に出たら、お前が外に出て行くのが見えたんで」
「だったら声かけて下さいよ、人が悪い」
「声かけられる雰囲気じゃなかったぞ、お前」
斉木は軽く肩を竦めた。
そして、芹沢の目を正面から見据えて、言った。
「後五日だ。我慢しろ」
直球である。
だから、芹沢も直球で返した。
「このまま残り五日は長すぎます」
その言葉に、斉木は軽い頭痛を感じて指先で眉間を押さえる。
「代表なら一ヶ月ぐらい離れてても平気なくせに」
それは、芹沢の逆鱗に触れた。
早口に、それでも声は抑えて反論する。
「全然平気じゃないですよ。平気じゃないけど、物理的に離れてるんだから仕方ないじゃないですか、諦めもしますよ。でもね、こんな近くにいるのに触れないどころかろくに口を利いてくれないなんて、正直拷問ですよ」
「しょうがないじゃないか、俺達も近いけど、他の奴等だって近いし。て言うか、毎年のことなんだから慣れろよ」
「慣れたって無理」
触りたいもんは触りたいし、独り占めしたいもんはしたいし。
「せめて夢にぐらい出てきてくれればいいのに」
真顔で乙女なことを言い出す芹沢に、斉木は深いため息をつく。
「お前、夢なんか見る余裕あんの? 俺なんか毎日夢も見ないぐらい泥だけどな」
「だって、合宿中は夢でぐらいしかいちゃつけないじゃないですか」
あくまで芹沢は真顔である。
間違いなく本気の表情だ。
斉木のはっきりと頭が痛くなった。
過去の傾向からして、このまま分かれたらいよいよ機嫌を損ねるだろう。
大エースである芹沢は、チームの雰囲気を大きく左右する。
そうでなくても苦しいフィジカルトレーニングの最中に、空気を悪くされては堪らない。
斉木は解決方法を考える。
思いついた案は、個人的に非常に気が乗らなかったが、他に何も思いつかないのだからしょうがない。
斉木は頭をかきながら芹沢に言った。
「あっち向け」
「何で」
すっかりすねている芹沢は即座に口答えしたが、斉木は有無を言わさぬ口調で畳み掛ける。
「いいからあっち向け」
芹沢はいかにも渋々と言った風情で従った。
それはそれで説教したくなる態度であったが、そこまで突っ込んでいるとまた話がややこしくなるため、斉木は見なかったことにした。
そして、斉木は何度も周囲を見回し、誰もいないことを確認してから。
芹沢の頭をつかんで自分の方を無理矢理向かせる。
「痛っ、何す…」
不満たらたらな口を、唇で塞ぐ。
唇と唇が触れ合うだけの、掠めるようなキス。
「な…っ」
さすがに予想外だったのか鳩が豆鉄砲食らったような表情の芹沢に、斉木は不機嫌な口調で言う。
「夢を見るおまじないだ」
その口調とは裏腹に、斉木が耳まで赤くなっているのが芹沢には分かった。
「これで後五日、我慢しろ」
途端、芹沢の機嫌が目に見えてよくなる。
への字だった口元が完全に緩んで、いかにも上機嫌だ。
現金な奴、と言う斉木の呟きは口の中で消える。
斉木にしてみればそういうところがかわいいと言えばかわいいので、今更どうこう言っても仕方のないところである。
「斉木さんにしては上出来」
芹沢が、にんまりと笑って言う。
「うるさい、とっとと部屋帰れ」
言いながら、斉木は芹沢の尻を蹴飛ばす。
「はいはい、分かりましたよ」
「はい、は一つ!」
「はいはい、じゃあ、おやすみなさい」
芹沢は上機嫌で立ち去って行く。
「あいつ、俺の言葉聞いちゃいないな」
斉木は頭を抱える。
「まだ二次キャンプが丸々残ってんのに…どうしたもんかね」
斉木は腕を組んでため息をつく。
その悩みは、深い。
今回もイベントで配布していた本の再録です。
前回更新分を「2月」であげていたのですが、こちらが本当の2月です。
前回分は「3月」に修正しました。
今後は気をつけます。
夕日(2010.11.01再録)