いつだって君は
斉木は、おもむろに受話器を取り上げる。
その動作の緩慢さから、あまり気が向いていないことがひしひしと伝わってくる。
いつもだったらメールで済ませるのだが、この日ばかりは電話をかけねばなるまい。
それも斉木から自主的に。
向こうも待ち構えているのだろう、くだらないことでも毎日送られて来ていたメールが昨日から途絶えている。
ここでかけなければ一体何をやらかしてくれるか分からない。
いや、碌でもないことになることだけは分かっているので、何としても釘を刺しておかなければならない。
そんな義務感を理由にして、地球の裏側にいる恋人のために早起きをして。
自分だってもう開幕だと言うのに。
内海辺りに知られたら腸が捩切れるほど笑われるのだろうが、要はバレなければいいのである。
電話は2回のコールでつながった。
『――』
明瞭な異国の言葉。
イメージよりも遥かに努力家である彼は、移籍が現実味を帯びて来るとすぐにネイティブの知り合い――当然女だ――を捕まえて語学習得に励み、すでに簡単な日常会話にはさほど支障はきたさなくなっているらしい。
一体天はこいつに何物与えれば気が済むのかと思わないでもない。
そんな考えを振り切って、斉木は言った。
「もしもし」
『斉木さん!』
名乗りもしていないのに即座に返ってきたうれしげな声を聞けば、斉木もいつまでも不機嫌なふりをしてはいられない。
「元気そうだな」
頬を緩めて言った。
「誕生日おめでとう、芹沢」
『ありがとうございます、わざわざ。斉木さんだって開幕直後なのに』
「うん、だから電話で悪いんだけどな」
『いえ、うれしいです』
掛け値なしに喜ぶ気配が伝わってくると、斉木もうれしい。
考えてみれば電話越しとはいえ、芹沢の声を聞くのは一ヶ月ぶりなのだ。
「ああ、毎試合見てるよ。こっちの試合も、後でまとめてビデオ送るから…」
が。
そんなほのぼのとした会話の雲行きが怪しくなって来たのは、やはり芹沢のせいだった。
『ところで斉木さん、今度の…』
いかにもお伺いという気配を感じ取った途端、斉木は皆まで言わせず言った。
「駄目だ」
『斉木さん、俺まだ何も…』
「駄目だったら駄目だ」
斉木はとりつく島もない。
言わせてしまえば強引に押し切ろうとするに違いないのだ。
こちらも強引に強引の上をいくしかない。
斉木とても学習するのだ。
しかしそんな程度で恐れ入るようなかわいげのある相手ではない。
そもそもこの程度で恐れ入るようだったら、今頃二人が恋人同士に納まっていることなどありえない。
斉木の言葉が途切れたところを見計らって、何事もなかったかのように言った。
斉木の思惑など塵芥である。
『今度の休みちょっとそっちに戻りますから』
しかも斉木に口を挟まれないよう早口だ。
そういうくだらないことまで気が回るのだ、この男は。
斉木は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
電話の向こうに見えないのが残念である。
もっとも、見えたところで更に機嫌がよくなるのが関の山だろうが。
何しろ怒られて喜ぶ子供と大差ないのだから。
「だから駄目だって言ってるだろうが…」
声に徒労感さえ滲む。
しかし、
『どうしてですか、斉木さんは俺に会いたくないんですか』
そして、
『まさか浮気なんか…っ』
「切るぞ」
言うに事欠いて何たる言い草か。
電話越しでも盛大にへそを曲げた気配が伝わったのだろう、慌てて芹沢が言う。
『ごめんなさい、ごめんなさい! 切らないで下さいっ』
「だったら馬鹿なこと言ってんじゃない」
『斉木さんを疑ってる訳じゃないですよ。でも、斉木さんは優しいから、勘違い野郎もいるだろうし、って、切らないで下さいねっ』
と、テレビ電話でもないのに斉木の行動を見抜いて先回りをする。
何のことはない、いつものやり取りなのだ。
ある程度想像ついていたことではあるが、離れて暮らすようになって、芹沢は凄まじく嫉妬深くなった。
いや、子供じみた独占欲を隠さなくなったと言うべきか。
斉木はこめかみを押さえて溜め息を吐く。
「こんなゴツいのをどうこうしようなんて物好きはお前ぐらいだよ」
芹沢は、人たらしのくせに何をか言う、と喉まで出かかったが、何とか飲みこんだ。
自覚がないのもほどがある。
笑顔一つで老若男女の別なく散々たらしこんでいるくせに。
何より芹沢がいい例ではないか。
あれだけ何か一つに夢中になると言うことがなかった人間をこれだけ夢中にさせているのだ。
他にも引っ掛かる者が出ないとはどうして言い切れる。
まあ、そういう自覚がないから人たらしなんだと分かっているから、こうして注意を促すのだが、いつも聞き流され、しまいには怒られる。
だがそれは今日の本題ではない。
危うく見失いそうだったが芹沢は立ち返る。
斉木にとっては不幸なことであるが。
『だから帰りますからね。予定空けといて下さいよ』
「だから、駄目だって言ってるだろっ」
『どうしてですか。もう予定入れちゃったんですか』
言い募る芹沢に、斉木は小さく溜め息を吐く。
「あのな、そんな無理して調整不足になって怪我でもしたらどうするつもりだ」
もしもそんなことになったら斉木は悔やんでも悔やみきれないだろう。
何より正論である。普通ならば諭されて黙るところであるが、相手は並の神経の持ち主ではない。
『大丈夫です、絶対そんなことにはなりませんから』
きっぱりと言い切った。
その根拠を問い質したところでまともな答えなど求めるだけ無駄だ。
最初から根拠のない自信に満ち溢れていて、そしてそれは事実なのだから。
斉木は早々に奥の手を使うことにする。
効き目がある分副作用が恐ろしいのだが、そうしなければ芹沢は納まるまい。
斉木は再度こめかみに手を当てて言った。
「俺のせいで無理に帰って来るって言うなら――別れるぞ」
『!!』
息を飲んだ気配が伝わってくる。
多分涙目にもなっているだろう。
手に取るように分かるだけに、突き放しただけで終われないところが、余計に芹沢の不安を煽ってしまうのだと気付いているのかどうか。
「俺の誕生日の頃にはこっちいるだろ。その時は出来るだけ付き合うからさ」
『…絶対ですよぉ』
「分かってるって」
『忘れたらひどいですからねえ』
「…」
忘れなくったってひどいことするだろうがお前は、と、喉まで出かかったが、何とか飲み込む。
斉木もまだいろんなものが惜しかった。
それから二言三言交わし、何とか宥めすかして電話を切る。
「こっちはシーズン中なんだからな、歩けなくなるようなことは勘弁してくれよ」
もうつながっていない電話に向かって呟く。
恐らく無理だろうと考えながら。
自らの未来を思い、斉木は肩を落として大きな溜め息を吐くのだった。
年表に書いてあった余計なこと(芹沢の海外移籍)を見てしまい、真っ青になった次第。
書き始めたのは、Perfect Worldの完結直後だったので、まともにサッカーとがっぷり四つに組むのは避けてしまった結果、バカップル物に。
芹沢の移籍先は特に決めてませんので、お好みの国を当てはめて下さい。
本音では、芹沢にはスペインが合うと思うのですが、スペインは原作でトシが行ってるので…。
スペインを避けるとすると、後はどこでもいいかな、別に、と言う感じ。
本当に芹沢みたいのがいたらどこの国に行ってもそれなりに成功するだろうと思うし。
余談ですが、スペイン語とイタリア語って、そのままで通じ合えるぐらい近い言葉なんだそうです。
それで芹沢と草薙がそれぞれスペイン語とイタリア語で陰険漫才してて、何を言ってるかは分からないけどよくない状態だってことだけは感じ取って青くなる間に挟まれた斉木さん、と言うのも面白そうだなあ、と、妄想もしてたりもしたんですけどね。
残念。
夕日(2005.03.12)
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