中断期 ――6月――






 「あ、芹沢さん」
 練習後のミーティングも終わり、さて帰ろうかとクラブハウスを出ようとしたところで、スタッフに呼び止められて振り返る。
「はい、これ」
 と、輝く笑顔で渡されたのは、肉、だった。
「凄いですよ〜、グラム二千円もするブランド牛だって」
 ぽん、とよく冷えた包みを渡される。
 隣に立っていた斉木が、怪訝そうな顔をして芹沢を見上げる。
 だが、芹沢自身も訳が分からなかった。
 何でクラブハウスの冷蔵庫から生肉が出てくるのか。
 そして、それが何故自分の元にやってくるのか。
「えーと、何で俺に肉?」
 芹沢は素直に尋ねた。
 いくらブランド牛だろうがなんだろうが、出所の分からない食材を口に入れないのは、プロとして初歩の心構えである。
 すると、スタッフの方が驚いた顔をする。
「え…あれ、芹沢さん、覚えてない?」
「何を」
「先々月、サイトの投票で月間MVP貰ったじゃないすか」
「あ…あれか…」
 芹沢達が所属しているクラブは、昨年からあるJAのスポンサードを受けている。
 そして、今年から新たな企画として、クラブの公式サイトでサポーターから月間MVPの投票を募り、MVPに選ばれるとJAからその月に収穫された農産物一万円分が選手に贈られ、投票したサポーターにも抽選で当たるというコーナーが出来たのだ。
 しかし、農産物であるが故、贈呈時期は収穫時期による。
 また、勝利者賞の米の運送時期に合わせられたりもして、受賞したら即貰えると言う性質のものではなかった。
 芹沢は先々月のMVPに選ばれていたのだが、受賞して以来今まで話がなかったため、すっかり忘れていたと言う訳だ。
 ようやく思い出すと同時に、芹沢は周囲に輝くハイエナ達の視線にも気づいた。
 思わずこめかみを押さえる。
 だが、スタッフは全く気がつかない様子で、ニコニコと笑いながら言う。
「いやー、芹沢さんは肉でよかったですよねー。長沢なんて一万円分のアスパラガスですよー。アスパラガスだけで段ボール十箱」
 と、指さす先には、段ボール箱に囲まれて捨てられた子犬のような視線を向ける長沢が立っている。
 とてもではないが一人、二人で食べられるような量ではない。
 基本的に食材の差し入れ、ましてスポンサーからの差し入れはありがたいものであるが、物には限度がある。
「えーと、斉木さん、芹沢さん、アスパラガスいりませんか…?」
 少し虚ろな笑みを浮かべて、長沢が救いを求めてくる。
「そりゃあ、いくら何でもみんなで分けるしか…」
 と、さすがの芹沢が常識的な言葉を吐き出した途端、息を潜めていたハイエナ達が動き出した。
「ですよねー、みんなで分けないと食べきれないですよねー」
 満面の笑みを浮かべてしゃしゃり出て来たのは、怖いもの知らずの中島である。
「でー、俺思うんですけどー、肉があって、食べきれないほどの野菜がある訳じゃないですかー。しかも、明日の試合が終わったら中断期間じゃないですかー。もうこれは天の啓示かなーって」
 ね、と、小首を傾げて見上げる中島を、芹沢は凍える声で切って捨てた。
「野郎がかわい子ぶっても気色悪いだけだ。特にお前は」
 勿論、芹沢は中島の言いたいことは嫌と言うほど分かっているし、中島は単にハイエナ達の代表者だと言うことも分かっている。
 要するに言葉遊びなので、空気が悪くなることもない。
 そんなことは中島も重々承知で、恐れ入った様子は一切ない。
「えー、じゃあ、ギャルにかわいいと人気の哲平君にお願いしてもらおう」
 哲平、と、ドアの向こうで聞き耳を立てていたハイエナ達の中から、今年の高卒ルーキー安東を手招きする。
 名指しで呼ばれてオズオズとやって来た少年は、しかし、キラキラとした目にはっきりと「肉食いたい」と浮かべて、言った。
「芹沢さん、ごちそうさまです」
 何のひねりもない、直球である。
 あまりにも直球すぎて、一瞬周囲が凍りつた。
 だがすぐに爆笑の嵐が巻き起こる。
 苦虫を噛み潰す芹沢の隣で、斉木も体を二つに折って笑っている。
 肩を震わせ、涙さえ浮かべているかも知れない笑いようだ。
「斉木さん…」
 目元を手で覆って呻く芹沢の肩を、斉木は笑いながら叩く。
「お前の負けだよ」
「はいはい、分かりましたよ。やるぞ、バーベキュー」
 芹沢の言葉に、目の前の中島や安東だけでなく、ドアの向こうからも歓声が上がる。
「明後日、クラブハウスでやるから、道具は準備しといて」
 中島とハイタッチをしている件のスタッフ――勿論共犯者である――へ芹沢が命じる。
 そして、芹沢はまだ笑っている斉木へ言った。
「肉は俺が持ちますから、斉木さんが野菜ね」
 グラム二千円もする肉一万円分では足りるはずがない。
 若い選手がゴロゴロいるのだ、肉だけで数万円の出費は覚悟せねばならない。
「え、だって野菜あるじゃん」
 他人事と笑っていたのに巻き込まれた斉木は、アスパラガスのダンボールを指差して口を尖らせる。
 その表情をかわいいなと思いながら、それでも芹沢は引かなかった。
「アスパラガスだけ食えってんですか」
 この場合、一番金を出す芹沢が王様である。
 芹沢が嫌と言えば全ては終わってしまう。
 その空気を読んだ中島が援護する。
「哲平、斉木さんにもお願いを」
「ああ、分かった、分かった。野菜は俺が持つから。余計なことはやらんでいい」
 飢えた瞳を向けられて、斉木は手をひらひらさせて苦笑する。
「これ、明後日までクラブハウスの冷蔵庫に入れといて」
 と、芹沢は手の中にあった包みをスタッフに渡すと、仁王立ちで宣言する。
「それと、明日負けたら中止だからな」
 その言葉に、一斉にエーイングが発生する。
 しかし芹沢が聞く耳などもつはずがない。
「勝ちゃいいんだよ、勝ちゃ。お通夜のバーベキューなんかごめんだ、分かったな!?」
「ウッス!」
 勝ちたくない者などいない。
 その後のご褒美も約束されているなら尚更だ。
 帰って来た力強い声に満足げに一つうなずいて、芹沢は斉木へ視線を向けた。
「じゃ、斉木さん、帰りましょうか」
「ああ」
 斉木も笑顔で応じる。
 どうせ口ではあんなことを言っても、負けたら負けたで何か理由をつけて用意をするんだろうと見切っているが、口には出さない。
 言えば芹沢は意地になるのが目に見えている。
 いつまで経っても変わらないところだ。
「何笑ってるんですか」
「別に。お先」
「お疲れ様っす!」
「あ、待って下さいよ、まだ靴…」
 格好のいい靴を履くのに手間取っている芹沢を尻目に、斉木は元気な声を背中で聞いてクラブハウスを出た。





 そして当日。
 幸いにも前日の試合で勝利を得、スタッフは勿論、選手も総出の和やかな準備風景である。
「うおお、人参の皮剥き間に合わねえええ」
「もう、洗ってあれば皮付きでもいいんじゃね?」
 不穏な会話がかわされるその隣で、安東が目を真っ赤にしている。
「中島さん、玉葱、何個切ったら終わるんですか…?」
「肉のためだ耐えろしかし俺はドリンクの準備をせねばならないのでさらばだ」
 危なっかしい手つきで包丁を操る安東に、中島は棒読みのセリフを残して立ち去る。
「中島さん、ひどい」
 安東は去り行く中島の背中を恨めしげに見つめ、盛大に鼻をすすった。
 ……実に和やかな風景である。
 そんなこともありつつも、着々と準備は進む。
「ご飯炊けましたー!」
「炭どこ行った、炭!」
「飲み物はこの辺に置いといて!」
「火つけるぞー!」
 炭に火が入り、バーベキューの準備は完了である。
 性格上、若手選手達と一緒になって野菜の下ごしらえをしていた斉木の目の前に、銀色のトングが差し出される。
 見上げると、えらく高いところに芹沢の顔がある。
 逆光で表情は見えなかったが、いたずら小僧の顔をしているのだろうと、斉木は直感する。
 しかして曰く、
「斉木さん、今日の焼き奉行お願いしますね」
 銀色のトングが太陽の光を浴びて輝く。
 肉奉行を引き受けたら、食べる暇どころか休む間もなくなってしまう。
 それに、夏の日差しの中、火の熱をまともに受ける焼き奉行はかなり体力も消耗するので、普通は斉木のようなベテランには回ってこないものだ。
「何で俺が…」
「どうせ気になってやり始めるんだから、それなら最初からやって下さいよ」
 芹沢は、反射的に口ごたえする斉木の語尾をひったくると同時に、右手にトングを押しつけて、左手には缶ビールを握らせる。
「そろそろ始まりますから」
 見回すと、皆の手から手に缶ビールが渡っている。
 未成年の選手達はもちろんジュースだ。
「乾杯!」
 クラブ社長の音頭による乾杯が終わるや否や、二十歳前後の選手達が斉木の前に並べられた2枚の網の周囲に群がる。
 その視線は、網の上で焼かれる肉にしか向いていない。
 腹を減らした若者達にかかっては、肉は網に乗せる傍からなくなっていく。
「あっ、ちょっと待て待て、それまだ焼けてない、こっちにしろ!」
 何だかんだと言いつつ、焼き奉行に没頭する斉木は口煩く注意をする。
「お前等、肉だけじゃなくてちゃんと野菜も食えよ」
 普段ならちゃんと返事が返って来るのだが、今日は皆無言である。
 常に口の中に物が入っているからだ。
 斉木は肉を焼く手は止めずに、軽く肩を竦めた。
 自分も昔は何よりまず肉だったな、と、思うと同時に、口元に苦笑が浮かぶ。
 そんなことを考える辺り、自分も年を取ったと言うことなのだろう。
 しかしそんな感慨も長続きはしない。
「斉木さん、これいいっすか?」
 目の前の肉を箸で指されて、斉木は真顔で言う。
「焼けてるけど、箸で物を指すな」
「あ、すんません」
 ぺこりと頭を下げる選手の隣に、しゃしゃり出る影がある。
「斉木さん、風紀委員みたい〜」
 既に酔っているらしく、語尾が怪しくなっている中島である。
 ただ、この男の場合、単に素の可能性も否めないが。
「ええい、うるさい。そんなことを言ってると肉やらんぞ、中島」
「ええ〜、そんな殺生な〜」
 とか言いながら、中島も手近な肉の面倒を見て、手近にいる若手の皿に放り込む。
「ほれ、食え食え。一杯食って大きくなれよ〜」
「お前ね、そんなに焼き奉行やりたいなら長沢と代わってやれよ」
 と、斉木は隣で内臓系を焼いているクラブのミスター貧乏籤をちらと肩越しに見やる。
 だが、中島はへらへらと笑いながら言った。
「嫌です〜、俺、気が向いたらやるだけだも〜ん」
「…お前なあ」
 蛙の面に水を体現する後輩に、斉木は呆れた声を出す。
 一つ大きな息をついて、脇に用意してあった紙皿を一枚取ると、今目の前で焼けている肉を山盛りにして中島に突きつけた。
「あ、俺が食っていいんすか?」
「違う」
 どこまでも調子がよい中島に、斉木は眉を跳ね上げる。
「これはスタッフ用。お前、暇なんだろ。ちょっとパシって来い」
 と、斉木はバーベキュー会場の端の方に集まっているスタッフ達を視線で示す。
 その中に一際目立つ長身が紛れているが、あえて意識から追い出す。
 スタッフ達は、選手を優先させるために遠慮して肉を焼く鉄板には近寄らないようにしているのだ。
 芹沢が十分な量を手配したので最終的に肉を食いっぱぐれることはないだろうが、若手の胃袋を満足させるためにはまだしばらく時間がかかる。
 それまでのつなぎである。
 本当ならばチームを支えるために普段から身を粉にして働いてくれるスタッフ達を最優先したいところであるが、そういうスタッフ達であればこそ、こういう時も控えめなのだ。
 斉木は声には出さないが、中島は悟ったようである。
 斉木から素直に皿を受け取って背を向ける。
「はいはい、分かりました〜」
「はい、は一度!」
「も〜、斉木さん、まるでオカンですよ〜」
「うるさい、早く行って来い! あ、帰って来なくてもいいぞ」
「ひどい〜、あ、長沢、俺の分焼いといてね〜」
「馬鹿者、早いもん勝ちだ」
 斉木は額に浮いた汗を拭いながら、軽口を叩く。
 その口元には笑みが浮かんでいる。
 気持ちのよい初夏の日である。





 「いいんですか、芹沢さん」
 スタッフの一人に心配そうに声をかけられ、芹沢は人影疎らな二枚目の鉄板で人参を焼きながら応じる。
「これ、ちゃんと皮剥いてないじゃん…で、何が?」
「肉食わないで野菜ばっかで」
 心配顔のスタッフへ芹沢はあっさりと言った。
「どうせ残るもん、皆と後から行けばいいよ」
 火の通った皮つきの人参をかじりながらしゃべる姿さえ嫌味なほど様になる。
 数少ない女性スタッフの視線を一身に集めているが、芹沢は慣れっこなので気にも留めずに、背後の人だかりに視線を投げる。
「どっちにしろ、今は若い奴らががっついちゃってて近寄れないし」
 と、
「そこへ華麗に出前参上〜」
 肉山盛りの紙皿を手にした中島が割り込んで来た。
「何、お前にしては気がきくじゃん」
「ちゃいます〜。斉木さんからスタッフのみんなに一先ずってことで」
 中島は芹沢を追い払いながら、近くにいたスタッフに紙皿を渡す。
「ったく、あの人はホント異状に気が利くね」
「いや全く」
 はははと笑う芹沢と中島に、スタッフが声をかける。
「あの、芹沢さんも…」
「ああ、俺はいいから、皆食べて」
「それを芹沢さんが食べたら、斉木さんはむしろ怒ると思う〜」
「だろうな」
 芹沢は苦笑する。
 気が利かないと怒り狂う斉木の表情が目に見えるようだ。
「それじゃ、俺もみんなのために焼きそばでも作ろうか」
 肉を食う前に腹一杯にしてしまうのは何なので、麺は少なめだ。
 その様子を見ていた女性スタッフが、ショックを受けた様子で呟いた。
「えっ、芹沢さん、焼きそばなんか作るんですか…」
「俺は何でも出来るぞ」
「そーゆー意味じゃないと思うんだ、芹沢さん」
 手馴れた手つきで適当に野菜を炒める芹沢へ、ぼそりと中島が言う。
 クールビューティーのイメージと庶民的な焼きそばは、芹沢に夢を見ていたらあまり相性はよろしくない。
「後、それホントのこと過ぎて笑えませんから」
「中島、お前本当は全然酔ってないだろ」
「バレたか」
「最初からな」
「芹沢さんはホントつまんないなー」
 斉木さんならお付き合いしてくれるのに、と、中島がぼやく。
 もちろん、それは芹沢の逆鱗だ。
「中島、そこの水取れ」
 芹沢の顔には、こき使ってやる、と書いてある。
「おっと、出前はそろそろ退散…」
「させるか」
 不穏な空気を感じ取り、逃げ出そうとする中島の襟首を掴む。
「いつもお世話になってるスタッフのためなら何てことないよな?」
 芹沢は、女なら卒倒しそうな営業スマイルを浮かべる。
 が、この表情を男に向ける時は危険信号である。
 それを知っている中島は掴まれているプラクティスシャツを脱いで脱出しようとするが、今度は猫を扱うように首根っこをがっちりと掴む。
「いいから水持って来い。焼きそば蒸すから」
「分かりました、逃げないから離して下さいよ」
「本当だな」
「芹沢さんに蹴られたら俺死ぬもん」
「よく分かってるな」
 芹沢はにっこりと笑って中島を開放する。
 開放された中島は何か口の中でぶつぶつ言いながらも、水のペットボトルを持って来て、焼きそばの周りに水を注す。
「後、その人参皮剥いてないんだ。剥いとけ」
「へいへい」
 中島は言いつけ通りに人参の皮を剥き始める。
「もう誰だよ、手抜きした奴はー」
「焼きそば出来たよ。肉にありつくまでのつなぎにどうぞ」
 中島に対する時とは全く違う笑顔で、スタッフ達を手招きする。
「芹沢さん、俺にも…」
「働かざる者食うべからず」
「ひどいっ」
 ほとんどと言うか、かなりコントである。
 とは言え、よくあることなのでスタッフ達も苦笑で済ませる。
 実に平和である。
 




 ようやく網の前の行列が切れたので、首にかけたタオルで汗を拭いながら、斉木は腕時計を確認する。
 開始から一時間半が経過している。
 さすがに飢えた若手達の胃袋も焼肉を堪能し、スタッフにも大体行き渡ったはずだ。
 斉木は一つ伸びをしてから、隣の長沢に声をかける。
「長沢、もうそろそろいいよ。自分の分食え」
「いえ、俺はいいっす。斉木さんこそ…」
 生真面目に首を横に振る長沢の語尾をひったくったのは、斉木ではなかった。
「大丈夫、後は全部斉木さんが焼いてくれる」
「芹沢…」
 割り込んできたのは芹沢である。
 暑い夏の日差しの中でも全く崩れぬ涼やかな姿に、斉木の眉が上がる。
「お前、遊んでたんじゃあるまいな」
「ちゃんと焼きそば奉行やってましたよ。若いのが移動して来てからは、中島に任せましたけど」
 と、芹沢が親指で指し示す先には、先ほどまで網の回りにたかっていた若手達が中島を取り囲んでいるのが見える。
 中島が必死の形相で焼きそばを焼いているようだが、肉を焼くより手間がかかるので、餌を求める雛鳥よろしくたかる若手相手に悪戦苦闘しているようである。
 そんな様子を見て、芹沢はにこにこと笑っている。
 その表情から斉木は、何かは分からないが中島が芹沢の逆鱗に触れてしまったのだと察する。
 こういう時の芹沢は、何を言っても聞かない。
「…ま、たまにはあいつも働かせないとな」
 斉木は自分に言い聞かせるように呟く。
 その様子を横目で見ながら、芹沢は長沢へ言う。 
「てことで、長沢、俺もいるし心配しないで自分の分、食べろ」
「はい、分かりました。じゃあ、今焼けてるのはお二人の分で」
「じゃ、これ、お前の分な」
 と、斉木と長沢は、それぞれに焼き上がっていた分を紙皿に盛って交換する。
 長沢は斉木から紙皿を受け取って、軽く一礼してからジャーの方に歩いて行く。
「ホント、あいつの融通の利かな過ぎるとこ、どうにかなりませんかね」
「ありゃあ、性格だからなあ。難しいだろ」
 長沢の背中を見送りながらしみじみと呟く芹沢に答えて、それから、斉木は軽く吹き出した。
「何笑ってるんですか」
「いや、お前も年取ったんだなと思って。チームメイトの性格まで心配するようになって」
「そういう時は大人になったとか言うんでしょ。言うに事欠いて年取ったとか何ですか」
 と、全く大人とは思えない拗ねた口調で芹沢が言うので、斉木は笑いをこらえるので必死だ。
「そんな笑ってると、これあげませんよ」
 そう言って、芹沢は大きめのタッパーの蓋を開けた。
 中身は賞品のブランド牛だ。
「お前、それ出してなかったのか」
「もちろん。こんな高い肉、肉が腹一杯食べられりゃ何でもいい若手には食わせられませんよ。まあ、あいつらに出したのもそんな安物じゃありませんでしたけど」
 言いながら、さっさと芹沢は肉を網に並べる。
「斉木さん、奉行よろしくお願いしますね」
「何だとぉ? 俺に食わせない気か」
「そんなことは言ってませんよ」
 と、芹沢は火が通った肉を一枚取り、満面の笑みを浮かべて、言った。
「食べさせてあげますからはい、あーんして」
 斉木は気が遠くなった。
 背中は総毛だっているが、火を扱っているために放り出せない。
 そこまで分かっていて、芹沢はこの時を待っていたのに決まっているのだ。
「お前…ふざけんのもいい加減にしろよ…」
 斉木は必死で言葉を絞り出す。
 口元が怒りでひくついているのを自覚する。
 しかし芹沢はどこ吹く風だ。
「いいじゃないですか。今回は結構出費したし、これぐらいの役得は許して下さいよ」
 へらりとのたまわれ、トングを投げつけそうになったが、何とかこらえる。
「ほら、早くしないと肉が焼けすぎちゃいますよ」
 いい肉なので、焼きすぎて固くなってしまってはもったいないと言う思いが頭をよぎる。
 そして、芹沢がここまで計算ずくで来ているからには、斉木にはもはや退路はないことも。
「…食えばいいんだろ、食えばっ」
 半ば自棄になって、斉木は芹沢が差し出した肉に食いつく。
 美味い肉のはずなのに、素直に美味いと言えないのが悔しい。
 しかし、そんな斉木の思いは芹沢以外は知らない。
 焼きそばを焼く鉄板の方から、口笛が響いた。
「きゃー、らぶらぶ〜!」
 何も知らない若手選手達が囃し立てる。
 体育会系育ちだと、このような悪ふざけは結構あることなので、彼らに悪気はないかろうし、ましてや疑いなどこれっぽっちも抱いていまい。
 頭では分かっているのだが、やましい心当たりがある斉木は涙目である。
 だが、芹沢がそんなことを気にするはずもなく。
「はい、次どうぞ」
 にこにこと笑いながら次の肉を勧めてくる。
 俺様につける薬などあるはずもなく、斉木は天を仰ぐ。
 空は、抜けるように青い。





 そんな一日であった。















相変わらずイベントで配布していた本の再録です。
「はい、あーん(はあと)」が書きたかった訳です。
この程度の悪ふざけは体育会系では珍しくないというのも本当です。




夕日(2010.12.12再録)

よろしかったら押してやって下さい。



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