T-shirt ――3月――






 「これでよし」
 芹沢が呟く。
 明日からU‐20の合宿が始まる。
 今回は事前合宿から直接スイス遠征へ行くので半月に及ぶ長期の合宿となるが、もはや年代別代表では常連である芹沢は準備も慣れたものだ。
 そもそも持っていく物もさほど多くはない。
 ジャージや練習着はアンダーウェアやストッキングに至るまで代表の物が支給されるし、今回は移動用のスーツもない。
 むしろ代表のサプライヤー以外の物は身につけられないので持っていくだけ無駄だ。
 私物で持ち込むのは下着などの着替えと日用品、暇つぶしの携帯ゲーム機ぐらいで、がさばるのは予備のスパイクぐらいだ。
「さてと」
 愛用のキャリーバックのファスナーを閉じて、立ち上がる。
 明日の午前中は合宿所まで新幹線移動で朝も早い。
 早々に寝てしまおうと、ベッドの布団に手をかけたその時だ。
 テレビの上で充電中の携帯が震えた。
 最初はワンギリだろうと気にも留めなかったが、二回目のコールが鳴った。
 時間は夜の十一時。
 しかし、今日この時間にわざわざ電話をかけてくる心当たりがなかったのでそのまま無視を決め込んだ。
 一応、家族と男の知り合いにしか教えていないプライベート用の携帯だが、数字総当りで紛れ込んでくるいたずら電話は残念ながらゼロではない。
 設定通りに五回のコールの後、留守電の設定になり、すぐに切れた様子だ。
 やはりいたずら電話か、さして危急の用事ではなかったのかと布団をめくったその時、再び携帯が鳴った。
「誰だよ、こんな時間に」
 いかにも不機嫌そうに大股で二歩。
 テレビの上で自己主張を続ける携帯を手に取り、発信元を確認する。
 ディスプレイには『斉木』の文字。
 芹沢は舌打ちをして、通話ボタンを押した。
「何の用ですか、こんな時間に」
 不機嫌そのままに、芹沢は言い放った。
 すると一瞬の沈黙の後、怒声が届いた。
『お前、挨拶一つもまともに出来んのかーっ! 』
「あんた、声でかいんだから怒鳴らなくったって聞こえてますよ! 」
 耳を劈く大声に、携帯を耳から離して芹沢も怒鳴り返す。
「こんな時間に電話かけてくる方が悪いんでしょ! 俺は明日早いんです! 切りますよ!」
 すると、電話の向こうからは慌てた気配が伝わって来た。
 芹沢は切ると言ったら切る。
 特に男の知り合いには容赦ないのを斉木はよく知っている。
『ちょ、ちょっと待て、すぐに用事は終わるから』
 宥めるような声音に、芹沢は斜めになっていた機嫌を直した。
 プロの選手にとって体調管理は当たり前のことである。
 体調管理の基本は、何よりも規則正しい生活習慣だ。
 とは言え、夜の十一時なら普段はまだ起きており、斉木はそのことを知っている。
 それであの言い草なのだから、本来斉木が怒るのはもっともなのだが、芹沢自身、斉木だと分かっていたから最初から倣岸不遜な物言いだったので、そのことは棚の上に放り投げている。
 誰よりも細かいことに口うるさい先輩ではあるが、その一方で一度懐に入れた人間には激甘なのも斉木と言う人間であると、芹沢もまたよく理解している。
 その甘さに、どれだけ自分がつけこんでいるのかと言う芹沢の自覚は、危ういが。
「で、何の用です? 本当に朝早いんで、手短にお願いします」
『つれないねえ』
鼻を木でくくったような物言いに、苦笑した気配が伝わってくる。
「斉木さん、いつも回りくどいから。で?」
『じゃあ単刀直入に。ネスタのTシャツ買って来て。後で金払うからさ』
「は?」
 文字通り単刀直入に告げられて、芹沢は首を傾げた。
 斉木がネスタを好きなのは知っているが、何故ここでネスタなのか理解出来ない。
「何でネスタ」
『手短に言えって言ったのお前だろぉ』
 素直に問い返すと、ブーイングが返って来た。
『明日からの合宿、最後はスイス行くんだろ? その途中で、ミランの試合観戦が日程に組み込まれてるって聞いたんだけど』
「よく知ってますね、そんなこと」
 斉木の言うことは事実だった。
 少しでもレベルの高いサッカーに触れるため、と言うお題目で、ただ遠征をして大会に参加するだけでなく、日程が合うミラン戦の観戦が遠征日程に組み込まれていたのだ。
 その分スケジュールは厳しくなるが、世界を目指す選手達に否やなどあるはずもなく、芹沢にしても結構楽しみにしていたのだ。
 しかし、そんなことを何故斉木が知っているのか。
『そら、蛇の道は蛇って奴で。って言うか、誰から聞いたか覚えてないんだけど』
 斉木も年代別代表の常連組だ。
 選手同士の横のネットワークは強く、何かの話に出たのだろう。
『でも、今日になってその話を聞いたからさー、明日じゃもう合宿始まっちゃうから悪いと思って』
「どっちかって言うと、明日の夕飯後ぐらいに電話してきてくれた方がありがたかったですけどね。つか、メールでいいでしょ、メールで」
 別に合宿中だからと言って、携帯を取り上げられたりする訳でもないし、斉木なら代表合宿のスケジュールも大体把握しているはずだ。
『メールとかだと無視されそう』
「…俺、そこまで薄情じゃないですよ?」
 あんまりな物言いに拗ねて見せる。
 だが、
『あ、買って来てくれるの? ありがと』
 斉木の心は既にネスタのTシャツに飛んでいるらしく、全く気にする様子が感じられない。
 芹沢は苦笑する。
 本来であれば芹沢にとって、体育会系根性丸出しで先輩風を吹かせたがる斉木はかなり苦手な部類に入るはずなのだが、時に自分よりもはるかに子供っぽい行動に出たりするところが何となく憎めないのだ。
 いや、ありていに言うと少しかわいいと思っている。
 内海辺りと比べると隙だらけだ。
「はいはい、分かりましたよ、買ってきますよ」
 とは言え、習い性で憎まれ口を叩く。
 そんな物言いを許してくれるのも斉木ぐらいなものだ。
 内海相手にこんな言い方をしたら、問答無用で鉄拳制裁が待っている。
『ありがと、恩に着る』
「勿論高くつきますよ」
『じゃあ、ついでにミランのタオマフもよろしく』
 芹沢の言葉を聞いているのかいないのか、斉木の注文が増えた。
 多分聞いてないな、と、思いながら時計を見ると、結構な時間が過ぎていた。
「あー、斉木さん、悪いんですけど、そろそろ本当に時間が」
『あ、悪いな。これで切るわ』
「そうして下さい」
『じゃあ、よろしくな』
 と、言うや否や通話が切れた。
「ったく、人の話聞いてないな、あれは」
 芹沢はもう一度苦笑して、携帯を置く。
「仕方ないか、斉木さんだし」
 と、斉木本人が聞いたら激しく抗議しそうなことを呟いて、芹沢は眠りについた。










 その三週間後。
「あ、芹沢だ」
「何、そのお化けでも見たような言い方」
 既に顔なじみとなった同い年の斉木の後輩へ軽口を叩くと、打てば響くように返ってくる。
「化けもんには違いないないだろ、スイス遠征、一人で点取りまくってさあ」
 彼の言う通り、スイス遠征における日本代表U‐20の戦績は全敗だったが、芹沢自身は三戦連発だった。
 けして独りよがりなプレーをした訳ではない。
 むしろ腰が引けている味方を鼓舞しながらチームを引っ張ったのだが、どうしてもチームのエンジンのかかりが遅く、残念な結果で終わってしまった。
「点だけ取ってもな」
「そんなこと言えるのお前だけ」
 芹沢はサッカー部の部室へ足を向ける。
 相手もよく理解しており、芹沢を先導するように歩き、
「斉木キャプテン、お客さん」
 と、部室のドアを開けてくれた。
「サンキュ」
 芹沢が小さく手を上げて礼を言うと、彼はじゃあなとグラウンドの方へ歩いて行った。
 自主練行く途中にわざわざ送ってくれたのだろう。
 一応仮にも芹沢は部外者なので、関係者が一緒にいることで余計なすったもんだに巻き込まれずに済むのはありがたい。
 部室の中では、斉木と男マネがノートを前に置いて真面目な表情をしていた。
 時期的に、予算の話でもしていたのだろう。
「お取り込み中、すみません。少し大丈夫ですか」
「お、何だ、芹沢か」
「何だはないでしょ、何だは。頼まれた物持って来たのに」
 と、踵を返してUターンするそぶりを見せると、途端、斉木の態度が変わった。
「ごめん、ごめん、俺が悪かった。謝るからネスタのTシャツ」
 とは言え、斉木の声音はそこまで深刻なものではなく、寄越せとばかりに右手が突き出される。
 無論、芹沢も本気ではない。
 すぐに戻って手にしていたバッグをテーブルの上に置いた。
「それがですね、ネスタのTシャツはなかったんですよ。カカなら何種類もあったんですけど」
「ええー」
 芹沢の言葉に、斉木は心底がっかりした声を出す。
「お前が気がつかなかっただけじゃないの?」
「失礼な。ちゃんと売り子に聞いたけど、売り切れだって言ってましたよ」
「芹沢、もしかしてイタリア語しゃべれるの?」
「イタリア語はさすがに。でも英語が通じる売り子がいたから」
 当たり前のように言う芹沢に、斉木は肩を竦めた。
「あー、まあ、それじゃあ仕方ないなあ」
 その隣りで、男マネが呆れたように呟く。
「……て言うか、斉木、代表合宿で遠征してる奴に何頼んでんの……」
 そのささやかな非難は斉木の耳には届かなかったようだ。
 芹沢もあまり気にはしていない。
 芹沢にとってはさほど難度の高いことではなかったからだ。
「そういう訳で」
 芹沢はバッグの中から二つの包みを出す。
「代わりにミランのTシャツ買って来ました。これで我慢して下さい」
 それと頼まれていたタオマフがこっち、と、包みを斉木に手渡す。
「サンキュ」
 言いながら、迷わず斉木は封を切ってTシャツを取り出す。
「でも、これはこれでかっこよくっていいな」
 と、袖を通す。
「どうよ」
 貰ったTシャツを着て自慢げに尋ねる斉木に、男マネが肩を竦める。
「どうよって言われても」
 Tシャツそのものはありきたりなチームグッズであり、わざわざ欧州へ行って買って来たと言うプレミアはあるものの、今時インターネットで何でも買える世の中だ。
 しかしその隣で、芹沢はさらっと言った。
「似合いますよ、斉木さんは赤似合うから」
「ん? そうか」
 褒められて斉木は非常にご機嫌である。
 男マネは胡乱な視線を営業スマイル全開の芹沢に向ける。
「さすがと言うか……」
 いろいろと問題を指摘される芹沢であるが、体育会系らしからぬスマートなコミュニケーション能力は本物だ。
 しかし、今回は芹沢には考えがあった。
 芹沢が男に営業スマイルを向ける時は、必ず何か思うところがあるのだ。
 バッグの中から取り出したのは、斉木が今着ているのと同じTシャツだ。
「さすが向こうは俺でも余裕で入るサイズが普通に売ってましたよ」
 と、手早く芹沢もTシャツを着て言う。
「お揃いですよ、どうです?」
 にっこりと笑顔で小首を傾げるその仕草が完璧であるだけに嫌味くさい。
「ええー、お前と?」
 斉木は少し嫌そうな顔をした。 
 予想通りの反応に、芹沢はいつもの営業スマイルではなく、素で笑った。
「……もしかして芹沢、怒ってた?」
「別に怒ってませんよ」
 ようやく思い当たったとばかりに上目遣いに問うて来る斉木に、芹沢はくっくと喉の奥で笑う。
「まあ、ちょっとした悪戯で」
 実際、斉木の表情がくるくる変わるのを見ていると何となく心が浮き立つ。
 言ってみれば好きな子いじめみたいなものだ。
 まだ怒っているのではないかと心配げな顔をしている斉木に、芹沢はとびきりの笑顔を向ける。
「ま、安心して下さい。俺はせいぜい部屋着かパジャマぐらいにしかしませんから。このTシャツ、背中のデザインダサいし」
「ひどっ」
 笑顔でひどいことを言い放つ芹沢に、斉木の顔色が変わる。
「俺はこれ気に入ったのにっ」
 先輩風を吹かす割に、感情がすぐに表情へ出る人だよなあ、と、芹沢は思う。
 そして芹沢も、素直な感想を述べた。
「ホント、斉木さんてかわいいですよね」
「はあぁ?」
 あまりに予想外の言葉を聞いて固まる斉木と男マネを尻目に、芹沢はTシャツを脱いで部室のドアに手をかける。
「お邪魔しました。またその内」
 満足げな表情で芹沢が立ち去った後も、斉木達はしばらく凍りついたままだった。















大変ご無沙汰しております。
今回はイベントで配布していた本の再録です。
この話は、いつもの芹斉とは時間軸が違います。
原作の年齢設定で有名だけどグッズが出ていないような渋い選手を調べるのがめんど(ry
とは言え、違いはそれだけで後はいつものと言えばいつものです。
お付き合いする前の話ですね。
年代別代表で欧州遠征に行く選手にお土産を頼む、と言うところは実はモデルがあるので、その年齢を芹沢に当てたらそういう時期になってしまいました。
次の予定はまだ分かりませんが、ゆるゆる復活出来たらなと思っております。



夕日(2010.10.24再録)

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