名前






 よく晴れた海岸線を背景に、大きな二つの人影が歩いていく。
「ねえ、斉木さん」
 背後から呼ばれて、前を歩く斉木はいっそう歩速度を上げた。
「ちょっ…待ってくださいよ。俺の話、聞いてくれたっていいじゃないですか」
 と、追いかけてくる芹沢は、むしろ優雅と言ってもいい足取りで簡単に追いついてくる。
 生粋の体育会系で世間では大男の部類に入る斉木は元々歩くのは早い方だが、それでも斉木さえ見上げる長身の上に並外れた足の長さを誇る芹沢の歩幅は、半端ではない。
 しかし斉木は、だかだかとまっすぐに歩いていく。
 その背中が、全力で拒否の意思を表している。
 すぐに追いつかれると分かっていても突き放そうとするのもその表れだ。
 もっとも、その程度で懲りるような相手ではないのだが。
「斉木さんてばっ」
 芹沢の声には非難よりも、どこか面白がっている雰囲気が漂っている。
 そして、
「待ってくださいよ…まこ…っと」
 問答無用でわき腹めがけて飛んできた振り向きざまの右フックを、芹沢は軽やかなステップでかわして見せる。
「ひどい、俺が何したって言うんですか」
 ひどく傷ついたような声と表情だったが、先ほどのステップを見れば予測していたことは言わずもがな。
 だからこそ、斉木の怒りが増す。
 確信犯相手に手加減など無用だ。
「名前を呼ぶんじゃないって言ってるだろ」
 地を這うほどに低い声ですごむ斉木は普通の神経の持ち主なら震え上がるほどに怖かったが、何しろ相手はまともな神経の持ち主ではない。
「いいじゃないですか、誰もいないんだし」
「そういう問題じゃないって何度言ったら分かるんだ、お前はっ」
 へらりと笑う美形の胸倉を締め上げて、斉木は吐き捨てる。
「癖になるって言ってるんだよっ。それで人前でポロリやらかしたらどうするつもりだっ」
 そうして投げつけるように放り出し、また、斉木は早足で歩き出す。
 いつ頃からだったか斉木はもう思い出せないのだが、芹沢がやたら名前を呼びたがるようになった。
 しかし斉木は、外では勿論、人目をはばかる必要のない自室でも、芹沢に名前を呼ぶことを許さなかったし、自分も名前を呼ぼうとはしなかった。
 その理由が『癖になるから』である。
 そもそも、よほど親しく付き合っている連中以外、接点らしき接点のない斉木と芹沢が親しくしていること自体を訝しく思う者の方が多いのだ。
 それが挙句に名前で呼び合うようなことになったら、怪しまれて当然だ。
 だったら人目のないところだけでいい、と、芹沢は譲歩したのだが、斉木はそういう中途半端は必ず癖になって人前でも出てくるようになるから駄目だ、と、許していないのだ。
 賢明と言える。
 芹沢の方は、隠す気などほとんどないのだから、すぐにいけしゃあしゃあと人前でも名前を呼ぶようになるのが関の山だ。
 そんなことになったら、恐らく芋づる式に自分達の関係がバレてしまう――と、言うのが斉木の主張である。
 一方の芹沢は、バレたらバレたで斉木に変な虫がつかなくていい、ぐらいにしか思っていないのか、いくら斉木が脅そうが宥めすかそうが諦めない。
 ことある毎に持ち出しては、斉木の頭を悩ませ、仕舞いには怒らせる。
 そんな不毛な言い争いを、幾度となく繰り返している。
 芹沢の言い分はこうだ。
『だって、俺達付き合い始めて何年経つと思ってるんですか。いつまでも苗字で呼び合って、他人行儀で寂しいですよ』
 とまあ、根本的に相容れない主張のため、いつまでも平行線を辿っている。
 もっとも芹沢の方は、サッカー以外の場面ではあまり怒ることがない斉木を怒る顔を見て、楽しんでいる気配がないでもないから始末が悪い。
 それでも、今のところ斉木の主張に従っている訳だが。
 とは言え、いつこの不毛な言い争いを吹っかけられるのか、戦々恐々としている斉木としては、あまり気分のいいものではない。
 ましてや、
「大丈夫ですよ、今日だけでいいですから。ねえ、斉木さん、せっかくの誕生日なんだから」
 などと言われては、かちんとくるなと言う方が無理難題だ。
 斉木は肩越しに振り向いて言い捨てる。
「あのな、今日は俺の誕生日なんだぞ。何で誕生日の俺が妥協しなくちゃならないんだ」
 馬鹿馬鹿しい。
 そう言って、また歩き始めた斉木の背後で、芹沢がにんまりと笑う。
 そうして足早に斉木の背後に歩み寄り、肩を抱いて耳元で囁く。
「大丈夫ですよ、後でたっぷりいい思いさせてあげますから」
 その途端。
 小さなモーションから鋭い後ろ蹴りが炸裂する。
 が、芹沢はその動きを見切って、飛び退っている。
 斉木の本気の蹴りは、紙一重の差で芹沢を掠めることもできなかった。
 にやりと笑って言う。
「全く、危ないじゃないですか」
 斉木とて、一線級のプロのサッカー選手だ。
 蹴りのスピードもパワーも並ではない。
 そんな蹴りを簡単に避けられるのは、芹沢だからだ。
 斉木が、天の配剤という奴を疑いたくなる瞬間である。
 どこをとっても一級品の反射神経やら身体能力やら動体視力やら、何もかもがこんな男に与えられていると言う事実。
 それとも何もかも与えられてしまったがために、こんな煮ても焼いても食えない男に育ってしまったのか。
 鶏と卵の問題だ。
 それよりももっと問題なのは、そういう理不尽な男が自分の恋人で、自分も別れたいとは思っていないと言う事実なのだが。
 思わず斉木は、片手で顔の半面を覆って太い溜め息を吐き、歩き出す。
 そんな斉木の苦悩など知らぬげに、芹沢はまるで犬のように後をついてくる。
「ねえ、斉木さん」
「駄目だ」
「あの、俺まだ何も言ってないですよ?」
「黙れ」
「だからね…」
「今日は俺の誕生日なんだから、いいから俺の言うことを聞け」
 聞く耳持たない斉木の言葉に、しかし、芹沢は活路を見出した。
「だったら、俺の誕生日には言うこと聞いてくれますよね」
 が、斉木はちらりと芹沢に視線をやって、そっけなく答えた。
「却下だ」
「そんな、ずるいじゃないですか、自分ばっかり」
「どの口がそれを言うか」
「ねえ……」
 他愛のない言い合いをしながら、二人は早足で歩いて行く。
 並んで歩く、二人分の足跡だけを残して。












そもそも斉木の誕生日辺りに人気のない海辺なんかあるのかと言う(苦笑)。
その辺りはムードで読み流していただけるとありがたく思います。
『DESPERATION』があまりにひどかったので、何か斉木の誕生日用に書ける話はないかと考えた話です。
いつもより斉木が暴力的なのがウチの内海っぽいですが、内海なら一度じゃなくて当たるまで続けると思います。
さほどの山もオチも意味もありません。
あ、意味はあるかな、この二人が何でずっと互いの苗字を呼び合っているのか、その理由ではあります。
たいしたことではないですけれども。
それにしても、書くのが楽なこと楽なこと。
前回とは違う筆のすべりのよさにり我ながらびっくり。
私にしては珍しいことですが、芹斉はこういうラブな話しか似合わないようです。

それでは、こんなところまで読んでくださってありがとうございました。

夕日(2004.07.27)







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