over beat





 爽やかな初夏の日差しで、琥珀色のアイスティーを注いだグラスがキラキラと輝く。
 流行りの湾岸のショッピングモールは、どこもかしこもカップルで賑わい、華やかな雰囲気に満ち溢れている。
 オープンテラスのレストランのランチは、長蛇の列を作ることもしばしばだったが、行列を嫌う連れは、しっかり予約を入れていた。
 それは、デートスポットと言うものを嫌う、斉木を逃がさないためでもある。
 もっとも、斉木もデートスポットが嫌いな訳ではない。大男二人で、人目の多い場所にわざわざ悪目立ちしに行きたくないだけなのだ。
 その斉木は現在、爽やかな日差しには似合わぬ苦虫を噛み潰したような表情で、そわそわと落ち着かないそぶりであった。
「どうしたんですか、斉木さん」
 向かいで周囲のカップルの視線を集めまくっている男は、そんなことは意にかいさぬとばかりに、満面の笑顔で言った。
「口にあわなかったですか?」
 そういう訳ではないと百も承知で、芹沢は尋ねる。
「……そうじゃない」
 斉木は、地を這うほどに低い声で応じた。
「俺は早くここを出たい…」
 正直に、告げる。
 だが、
「食後の一服させて下さいよ」
 と、芹沢は涼しい顔でアイスコーヒーのグラスを引き寄せる。
「でね、斉木さん」
 しかし引き寄せただけで一向に口をつけようとはせずに、芹沢はくすりと笑って言った。
「いくら小さくなろうったって、あんた元々デカイんだから、無理ですよ」
 と、我知らず背を丸め、出来るだけ小さくなろうとしていた斉木をからかう。
 慌てて背筋を伸ばしながら、斉木の表情は芹沢のそれと反比例して暗くなる。
「だから…」
 太い息を吐いて、呟く。
「頼むから帰らせてくれ…」
 さすがに泣く訳にはいかないが、正直、斉木は泣けるものなら泣きたい気分だった。
 そうでなくても深夜のネオンサインのように目立つ芹沢が、こんな最強デートスポットに素顔で現われ、挙げ句、その連れがこれまた大男の斉木とあっては、悪目立ちするなと言う方が無理である。
 一体何をしに来たのか、相手は一体何なのかと、好奇心に満ちた詮索の視線を投げつけられて、斉木の胃は、さっきからストレスのあまり痛み出している。
 ここ一番の試合に出るよりも、心臓に悪い。
 斉木としては、買い物をすると言うならさっさと済ませて、こんな衆人環視の環境からはとっとと退散したい。
 しかし芹沢は、自分といる斉木を見せびらかせたくて、わざわざこんなところまで斉木を連れ出したのだから、斉木の願いなど端から叶う可能性はなかったのである。
 それが分かっているからこそ、斉木の胃は痛みを増す。
 また、そんな芹沢に最終的に従ってしまう自覚もあるからこそ。
 はぁ、と、斉木は深々と溜め息をついた。
 まあ、いつものことなのだが。

 そんな状態で、斉木は自分のことで一杯一杯だったため、周囲の気配が変わったことに気がつかなかった。
 ざわざわとしただけではなく、遠くで悲鳴のような声もあがっていたが、この世の不幸を一身に背負ったような気分の斉木には、そちらに意識を向ける余裕がなかった。
 もう少し周囲に気をやっていれば、向かいに座る芹沢の眉が、急角度を描いたことにも気づけたはずだった。
 だが次の瞬間、そんな自分の怠惰を恨むはめになる。
「おひさ」
「うわあっ」
 どこかに身を隠してしまいたい衝動を押さえるのに必死な時に、背後からいきなり肩を叩かれて、斉木は口から心臓が飛び出しそうなぐらい驚いた。
 思わず制限なしで大声を出してしまい、慌てて口を押さえる。
 それから、恐る恐る肩越しに振り返る。
「何て声出すんだよ」
 と、信じられないほど整った指で耳を押さえたその顔に、斉木は思わず腰を引いた。
 ガタンとぶつかったテーブルが揺れ、慌てて芹沢が押さえる。
「な、何でお前…」
 しかし、斉木はそれにも構わず、細身の長身を震える指で指す。
「こんなところにいるんだよ、草薙!?」
 名前を呼ばれて、にやりと口元を笑いに歪め、芝居がかった仕草でサングラスを外したその顔は、間違いなく草薙京悟だった。
「よお、斉木」
 草薙が素顔を露にした瞬間、ざわめきが絶叫に変わった。
 先程の斉木の大声など吹っ飛ぶほどの、黄色い悲鳴が辺りに響き渡る。
 斉木は思わず耳を塞いだが、騒ぎの元凶である当の本人は涼しい顔でのたまった。
「ふーん、ホントだったんだ」
「ホントって、何が…」
「二人でラブラブおデート中ってワケね」
 その言葉に、斉木の顔がさあっと青ざめた。
「や、やめろよっ、こんなところでっ」
「いいじゃん、ホントのことだろ」
 対する草薙は、にやにやと笑いながら応じる。
 斉木をからかって遊んでいるのは明らかだった。
 そこへ、
「分かってんなら、さっさとどっか行ってくれませんか」
 と、吹雪をまとった声が割り込んできて、斉木は震え上がった。
 恐る恐る振り向くと、芹沢が顔に不愉快だと書いて、凄んでいた。
 怒りで自慢の長髪が逆立ちそうだ。
 斉木は唇を震わせたが、悲鳴は出なかった。
 本当の恐怖の前には、声など出ないものである。
「何でここに来たのか知りませんけど、邪魔しないで下さい」
 芹沢は、先輩に当たる草薙に対して、恐れ気もなく言い放つ。
「目障りなんですよ、アンタは」
 すると、草薙も冷たい視線を芹沢に投げつけて、言い捨てる。
「弱い犬ほどよく吠えるって、知ってるか」
 芹沢は、薄い唇を真一文字に引き結んだ。
 弱冠二十歳ながら、不動の日本代表FWである芹沢に、そこまで言い放つ人間は少ない。
 その、少ない人間の内の一人が、この草薙である。
 芹沢が無言のまま、きっと草薙を睨んだ。
 受けて立つ草薙も、かすかに背をそらし、目を眇める。

 ――視線と視線がぶつかり合い、火花を散らす。

 その間に挟まれて、斉木はあまりの重圧のために気死しそうになっていた。










 実は。
 芹沢と草薙の相性は、最悪だった。
 どちらも洋風と和風の違いはあれど、モデル並みの容姿を持ち、性格は傲岸不遜とも言えるほど、プライドが高く気も強く、またそれを支えるサッカーの実力もある。
 当然、女にも同じぐらいもてる。
 今現在、日本人プロサッカー選手の中では、女性の人気を二分しているのが、この芹沢と草薙だ。
 キャラが被っている上に、お互い妥協が出来る性格ではなく、かつ、お互いのサッカー選手としての実力を認めざるを得ないだけに、余計に腹が立つらしい。
 似たもの同士でうまくいくケースもあるが、芹沢と草薙に限って言えば、磁石の同じ極同士が反発するように反目しあっている。端から見ればどれほどの眼福ものでも、本人達は目も合わせたくないほど嫌いぬいている。
 しかも、きっかけも理由もなく、ただ何もかもが気に入らない、と言うだけで初めて会ったその時から角つきあわせているのだから、融和の可能性は限りなく低かった。










 しかし、お互い犬猿の仲と言う自覚があるためか、基本的に必要以上の接触をしないように心がけている節があり、いきなりこんな嵐のような状態に陥ることはほとんどないのだが、今日は草薙が最初からその存在を無視したり、芹沢の逆鱗を逆撫でしまくっている。
 よほど機嫌が悪いのだろう、と言うことは、中学の時から付き合いのある斉木には何となく察しがついていたが、間に挟まれる格好になってしまった今、自分がいる時は勘弁して欲しいと、心の底から思う。
 しかも、場所も悪すぎる。
 勘弁してくれと斉木が思っても、無理からぬ話ではある。
 とにかく、この場を何とか納めなくてはならない。
 当人達に納める気はさらさらなさそうなので、斉木が仲裁するしかないのだろう。
 芹沢は、後で宥めるとして、手っ取り早いのは草薙にこの場から退場してもらうことであろう。
 とにかく接触しなければ、何の問題もないのだ。
「草薙…」
 縋る思いで背後に立つ草薙を見上げた斉木に、草薙が視線を落とす。
 ――目だけで笑う。
 それだけでも大変な威力だった。
 思わず斉木は眩しいものを見たように、まばたきをしてしまう。
「俺も、甘かったってことか」
 草薙が、面白そうに呟く
「は? 何が?」
 突然の呟きに、斉木は何を言い出したのか全く理解できなかった。
 それは、芹沢も同じだ。
 整った眉をひそめる。
「で、何しに来たんだよ、こんなところに」
 斉木は何とか御退場願えるように話を持っていこうとする。
「あ、俺さぁ、昨日本命に振られちゃって、寂しいワケよ」
 草薙は舞台俳優のように肩を竦めて見せる。
「お前が振られた?」
 聞いて、斉木は驚いた。
「草薙振るなんて、根性の入った女だな」
 が。
「バカ、女が俺を振れるワケないだろ」
 草薙は言下に言って、
「こっちだよ」
 と、右手の親指を立てた。
 その意味するところは明らかで。
「…お前がぁ? んな、女に困ってる訳でもあるまいし…」
 自分のことを棚に上げ、斉木は思わずのけぞった。
「そういう問題じゃないのは、斉木が一番よく分かってんじゃねえの」
 少しだけ、痛い笑みを浮かべる。
 その笑みに、斉木は目を伏せた。
「ごめん…」
 斉木だって女に困ったことなどない。
 それでも、誰かを愛すると言うことは、男だとか女だとか、性別だけで決められないと言うことを身をもって思い知ったはずなのだが、まだ斉木の思考は世間の一般常識に大部分囚われたままであり、自分達以外に一般常識の枠を外す、と言う考え自体が思い浮かばない。
 そんな思考の硬直化を指摘されて、斉木は思わず恥じる。
 人のこと言えた義理かと言われたら、返す言葉など斉木にはない。
「別に、斉木が謝るようなこっちゃねえよ。横から掻っ攫われることなんか考えてもみなかった俺が悪ぃんだし」
 そんな斉木に、草薙はあっさりと言ってのけた。
 そこで、気になった。
 黙っておけばいいものを、ここで口を滑らせてしまうのが斉木である。
「誰だよ、相手? …あ、言いたくなかったら別に言わなくてもいいけど」
 口に出してしまった言葉は取り返せない。
 慌てて言いつくろう斉木に、草薙はこともなげに言った。
「順司に決まってんだろ。ブラジルの田舎者に掻っ攫われるなんて、俺も焼きが回ったよ」
「え…えーっ?」
 岩上の生真面目な顔を思い出し、斉木は思わず叫んだ。
 それに、ブラジルの田舎者と言うことは、横から掻っ攫ったのは光岡と言うことか。
 ちょっと前に会った時は、そんな気配もなかったのに。
 世の中、斉木が思っているよりもずっと、男を好きになる男と言うのは多いのだろうか。
 しかも、男だけの三角関係とは。
 幸い、頭の中でぐるぐる考えていただけなので、お前に言われる筋合いはない、と、突っ込まれることはなかったが。
 斉木が草薙とばかり話すので、隣で芹沢がキリキリしていることには、斉木は気づいていなかった。
 一つのことに夢中になると、他のことに注意が向かなくなりすぎるのは斉木の悪い癖の一つなのだが、斉木本人にあまり自覚がないので困りものである。
 草薙は、一人感慨に耽ってしまった斉木を前にして、ヒステリー寸前の芹沢に向かって、人の悪い笑みを見せた。
 そして、
「まっさかねえ、あの斉木がこんなに化けるなんてなあ」
 と、考え込んでいた斉木の顎に手をかけて、自分の方に仰向けさせた。
「絶対斉木は色っぽくならないタイプだと思ったんだけど、こんな色気、どこに隠してたんだよ」
 と、あまりの事態に斉木が固まっている間に、ニヤニヤ笑う草薙に肩まで押さえられて身動きが取れなくなる。
 どんなに細身に見えても、相手はイタリアで活躍する日本代表の正GKだ。
 ツボを押え込まれたら、いかな斉木でも振り払うことは難しい。
「ってことで斉木、俺と付き合わない?」
 とんでもないことを、言った。
 そして、斉木が何か言うより先に、芹沢が椅子を蹴倒して立ち上がっていた。
「貴様…っ、その手を離せ!」
 芹沢が試合中にもめったに見せないような激情のまま怒鳴りつけたが、草薙は意に介してくれなかった。
「みっともないねえ」
 介さないどころか、挑発している。
 斉木はいっそ死ねたらどんなに楽かと、思わず思考が逃避してしまう。
 しかし、そんなことをしている場合ではなかった。
「や、やめ…」
 どこかに逃げ出したい衝動を抑えこみ、180センチ近い斉木をして、更にデカイ二人の間に割って入ろうとするが。
「冗談じゃない! 俺のなんだ! 離せ!!」
 引き離そうと上げた斉木の左手首を、芹沢がつかみ引き寄せようとする。
 だが、素早く芹沢の手を払って、草薙が斉木を抱きこんだ。
 ――ひーーーっっ。
 斉木は口をパクパクさせるが、言葉が出てこない。頭の中は真っ白だ。
「ちょっと彼氏にちょっかい出されたからって、醜態晒してんなよ。なあ、こんな青いのより俺のがお買い得だと思わねえ? 斉木」
 凍りついた斉木の耳元で、クスクスと笑う。
「俺だったらさ、こんな所有欲バリバリで束縛しないし、でも、斉木が来いってったら、試合じゃなければイタリアから日帰りする甲斐性もあるし? どう、乗り換えねえ?」
 逃げよう、と、斉木は思った。
 もうすでに手遅れとの話もあるが、それでも時間が経てば経つほど状況が悪化の一途を辿ることは間違いない。
 凄まじく派手な存在に挟まれた自分の顔など、多分誰の記憶にも残ってはいるまい。
 この場さえ立ち去ってしまえば、忘却の彼方だ。
 知り合いが聞けば、それが自分だとは明らかだが、後のからかいよりも今の安寧である。
 ということで、何とか草薙の腕を外そうとした矢先、ギリギリと音が聞こえるほど歯ぎしりをしていた芹沢が、ビシィッと草薙を指差して、とんでもないことを言い出した。
「決闘だ!」
「け、決闘!?」
 思わず斉木の声が裏返るが、当の草薙は楽しそうに短く口笛を吹いて、尋ねる。
「何で」
「アンタと俺ならPK勝負しかないだろうがっ」
 バン! と、芹沢はテーブルを叩いた。本当は草薙を殴りたかったのだろうが、八つ当たりされたテーブルが不憫である。
「いいけど、どこで?」
「どっか借りる」
 と、芹沢は携帯を取り出し、矢継ぎ早に電話をかけ始める。
「決まった」
 と、告げるまで、ものの5分もかかってない。
 芹沢の顔の広さを物語る。
 多分、草薙が探したとしても、同じぐらいしかかからないだろうが。
「ふーん、ま、いっか」
 普通の人間だったらトラウマになりそうな切りつけるような視線に晒されながら、草薙は楽しそうに喉の奥で笑う。
「じゃ、決着つくまで、お姫様は俺の手の内な」
 と、逃げ出そうとしていた斉木を、更にがっちりと捕まえる。
「な…!」
 芹沢と斉木と同時に叫んだが、
「あったりまえだろ? 囚われのお姫様を取り返すために決闘申し込んだんじゃねえの」
 だったら斉木は俺が連れて行かなきゃおかしいだろう、と、言い放つ草薙に、
「斉木さんはアンタなんかに捕われてないだろうが!」
「草薙、気色の悪いこと言うな!」
 頭の血管が切れそうな勢いで二人が全く別方向から噛み付いたが、
「まあまあ」
 草薙は、斉木だけを宥める。
「言葉の綾だって」
 そして、芹沢はまるっきり無視して、斉木を抱えたまま歩き出す。
「じゃ、行こか」
 抱えられたままなので斉木も歩かざるをえなかったが、歩きにくいことこの上ない。
 斉木と草薙では、身長も違う上に、頭身のバランスが全く違う。
 結果、コンパスの長さが大幅に違うので、歩幅が合わないのだ。
 世間一般では斉木も充分に大男の範疇なのだが、そんな斉木が1歩半必要なコンパスの持ち主に左右を固められると、思わず自分の身長が縮んだような錯覚に陥る斉木である。
 そう、草薙と張るコンパスの持ち主である芹沢が、追いついてきて挟まれてしまったのだ。
「貴様、いつか殺す」
 ぼそりと、芹沢が言う。
 その声には、本物の殺意が宿っていた。
「できるもんならな」
 思わず斉木も震え上がるほど凶悪な気配が漂っていたが、草薙は薄笑いで応じるばかりだ。
 何となく、斉木には草薙の本心が読めた気がした。
 だが、頭に血が昇った芹沢の前で口に出すのははばかられる。
 火に油を注いで、身長190センチを越える男が二人、取っ組み合いなど始めようものなら、周辺が壊滅状態に陥ることは間違いない。
「………勘弁してくれよなあ」
 思わず漏らした呟きに、
「何か言ったか?」
「何か言いました?」
 ほぼ同時に聞き咎められ、
「何にも!」
 慌てて否定したものの、落ちた肩を元には戻せない斉木であった。










 結局、草薙の車に乗る羽目になった斉木は、目的地で、芹沢のこれ以上もないほど刺々しい視線に迎えられることとなった。
 その殺人的な視線に、よおとも何とも声をかけられずに、斉木は固まるしかない。
 そんな斉木の態度が、更に芹沢を硬化させている自覚が斉木にないのは、お互いにとっての不幸である。
「ここって…」
「世の中には有名人が大好きな馬鹿な金持ちが結構いるってこと」
 斉木の疑問に答えたのは、草薙である。
 彼らがいるのは、明らかに個人所有のグラウンドで、テニスコートやら野球のグラウンドやらに混じって、ミニサッカー用のコートも切られている。
「アンタも知りあいだろうとは思ってたけどね」
 と、芹沢は恰好のいい革靴で、ミニサッカー用のボールを蹴り上げた。
「お前なんかと同列に見なされるのは、業腹だけどな」
 草薙は、ダッシュボードから持ってきたグローブをつけながら言った。
「それはこっちのセリフだ」
 芹沢はリフティングをしながら答える。
 運動には適しているはずもないファッション性の高い革靴での動きだとは思えない。
 服だって、それでミニサッカーをやったなどと聞いたらデザイナーが聞いたら泣いて怒りそうな海外デザイナーズブランドの高い服だ。
 しかし、それは草薙も一緒だ。
 二人とも、普通の日本人の体格だったら着られてしまうようなスタイルで、何事もないかのようにコートに入る。
「ゴールもボールも小さいけど、ハンデはお互い様だ。PK一回勝負でいいな」
 足元のボールを革靴のソールで押さえて、芹沢が言う。
「おや、一回でいいのか? 三回ぐらいなら付き合ってやってもいいぜえ」
 心底小馬鹿にしたように草薙がのたまう。
「一回で充分だ!」
 ブチッと、切れた音が聞こえたような気が、斉木はした。
 これ以上、ややこしい話にはなって欲しくない一心で叫ぶ。
「芹沢! 落ち着け!」
「…ざっけんな!」
 相当カッカしているのであろう、普段のかっこつけからは想像できない罵声と共に、芹沢はペナルティエリアからボールを蹴る。
 芹沢の蹴ったボールは、草薙の正面足元へ飛ぶ。
「行け!」
 低い弾道のボールは、途中で突然ホップした。
 急角度に進路を変えるPKなど、普段の芹沢ならお手の物だが、今は恰好が違う。
 革靴であんな球を蹴るなど人間業ではないが、人並み外れたパワーと高さとテクニックの全てを兼ね備えているのが芹沢だ。
 だが、草薙は動かなかった。
「馬鹿が」
 低く呟いて。
「あ!」
 斉木も気がついた。
 ホップしたボールは通常のサッカーのゴールなら充分枠内だったが、今回はミニサッカーのゴールだ。
 ホップしたボールはゴールバーをわずかに越え、ゴールの向こう側に落ちる。
「嘘…」
 芹沢は茫然自失である。
 もちろん、ミニサッカーのゴールのサイズは計算済みで、その枠内目一杯を使って蹴ったつもりだったろう。
 だが、動き辛い革靴が悪かったのか、それとも血が昇った頭出の計算が狂ったのか、PKは失敗だ。
 しかも、草薙は実は一歩も動いていない。ゴール前に立って見送っただけだ。
 完全に芹沢の自滅である。
「俺の勝ちだな」
 ニッコリと、草薙は悪魔の笑顔を浮かべ、宣言する。
「じゃ、そーゆうことで、斉木は貰って行くから」
 と、やはり蒼白になった斉木の腕を取り、草薙はすたすたと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、草薙!」
 斉木の声はほとんど悲鳴である。
「だって、あいつが言い出したことだぜ、全部」
 応じる草薙は足を止めようとはしない。
「でも…!」
 斉木は草薙の手を引き剥がそうとするが、どれほど細身に見えても代表正GKを勤める草薙の握力は半端なものではなく、意思に反して引きずられて行く。
「自分でPK勝負って言って、しかも一回勝負って自分で決めて。それで失敗したんだから、自分のケツは自分で拭わないとな」
 返す言葉もない内容だが、
「だけど俺は!」
「いーから、いーから」
「よくない!」
「大丈夫だって、俺は上手いから」
「やめてくれぇ!」
「斉木さん!」
 天上天下唯我独尊を実践する草薙に、結局斉木は引き摺られ、そして自業自得を嘆く芹沢が、一人取り残される。
「あああ…」
 がっくりとグラウンドに両手、両膝をついた芹沢の背中を、夕日が赤く染めていた。














 「…ホントにもう、どうしてくれるんだよ」
「まあまあ。たまには痛い目見させないとよくないぜ。甘やかし過ぎるとつけ上がるからな」
「余計なお世話だ!」
 思わず大きな声を出してしまった斉木の口を、草薙は指一本で押さえる。
「こーゆうところで大声出すもんじゃねえよ?」
 思わず腰を引いてしまった斉木を、きれいな顔にあまり品のよろしくないニヤニヤ笑いを浮かべながら見ている。
 からかわれているのだと言うことは、百も承知の斉木は、海より深い溜め息を吐いた。
「最初からこんなとこにつれてくんな…」
 今、二人がいるのは草薙が日本での定宿としているシティホテルのショットバーである。
 そんなところに大男が二人並んでグラスを傾けている様子は、実はいつもとあまり変わらないことに気がついて、斉木は深い深いため息をついた。
 あまりにも行動パターンが似すぎている二人である。仲も悪くなろうものだが、そりに自分を巻き込んで欲しくない。
 しかも、今回は理由が理由だ。
「もー、八つ当たりは止めてくれよ、草薙…」
 斉木はグラス片手に額に手をあてて、うめく。
「バレてた?」
 草薙は、悪びれもせず赤い舌を出した。
 普通だったら子供っぽい仕草だが、草薙がやれば悩殺ものである。
「バレいでか」
 斉木は吐き捨てる。
「お前が俺なんか興味ないのは分かってる」
 と、草薙が一瞬の沈黙の後、応じた。
「…それは間違いだな」
 その声音に思わず草薙を見て、斉木は驚いた。
 草薙は、真面目な顔で告げる。
「乗り換えねえ? って言ったのは、本気だったんだけどな」
「は?」
「昔はともかく、今の斉木ならあのクソガキのもんにしとくのはちょっと勿体無いと思ってるのは、ホントだぜ」
「はい?」
 思わず斉木の声が裏返る。
 何を寝言を目を開けたまま言っているのか。
 多分、そんな思いが表情にそのまま出ていたのだろう。
 草薙は薄い唇を苦笑の形に歪めて、言う。
「ホントはただ芹沢に本命が出来たって聞いて、からかって憂さ晴らしするつもりできたんだけど、斉木見てちょっと気が変わった」
 そう言って、長い腕を斉木の肩に回す。
 斉木も逃げようとしたのだが、草薙の方が早かった。
「もっかい聞くけど、俺に乗り換える気ねえ?」
 耳元で囁かれる。
 並みの人間だったら、多分男でもくらりといってしまいそうな強烈な艶のある声で。
 だが、そんな草薙の行動に、斉木は。
 ――本当に芹沢に似てる。
 そう思ってしまったことが、答えだった。
「できるか、そんなこと」
 きっぱりと斉木は言った。
 自分の心の中はもう芹沢の居場所しかなくて、誰を見ても芹沢の面影を探してしまうのだ。
 男らしい眉を寄せ、不機嫌を隠そうともしないその表情は、まだ奥に残ったままの少年ぽさを露呈している。
「俺だって、そんなやわな覚悟であいつを選んだ訳じゃないんだ」
 むくれてぷいと横を向く仕草も、常からは想像も出来ないほど子供っぽい。
 その落差が、見る者の心を揺さぶることを、斉木は一生気がつかないだろう。
 恐らく、誰も教えはしないだろうから。
 草薙はニヤリと笑う。
「お前、自分が結構ヤバいこと、気がついてないだろ」
「何が」
「んー、気がついてないならいい」
「言えよ、気になるだろ」
「色っぽくなったってこと」
 草薙はすらっと言ってのけるが、斉木にしてみればからかわれているとしか思えない言葉で。
「お前に聞いた俺がバカだった…」
 またため息をついて、氷の解けかかったグラスを呷った。
 その横顔を、草薙は見る。
 昼間は大分嫌がっていたようだが、結局のところは相思相愛の幸せカップルと言うことだ。
 ――まあ、ちょっとぐらい苦労しろよ、芹沢。
 草薙にしては珍しく、忠告はしてやったのだ。斉木がまともに受け取らなかっただけで。
「つまんねえ」
「何?」
「どうしてよりにもよってこの俺様が気に入った奴ばっか誰かのもんになっちまうんだか。信じらんねえ」
 あまりに草薙らしすぎる嘆きに、斉木は苦笑するしかない。
「そのうち見つかるさ」
 思わずいつものおせっかいを発揮して、斉木は言う。
「たった一つが」
「お前は見つけた訳?」
「そうだ」
「はっ、信じられねえな。あんなクソガキに人生預けちまうなんてさ」
 草薙は全力で吐き出す。
「俺にとってのたった一つなんだから、誰かのお墨付きなんて、要らないんだ」
 斉木は微かに笑って答えた。
 草薙は肩透かしを食らって、居心地が悪い。
「自信満々。うっわ、俺、バカみてえ」
 精一杯茶化して、場を取り繕う。
「からかいに来たのに、何のろけられてんだよ、俺」
 身震いする草薙に、斉木は根本的な疑問を思い出す。
「て言うか、どうしてお前が俺達のこと知ってるんだ」
「神谷に聞いた」
 あっさりと答えられて、今度は斉木が頭を抱える番だった。
「神谷まで? 勘弁してくれ…」
 確かに神谷と草薙はかなり仲がよかったが。
 思わず涙目になってしまう斉木である。
「この俺様がこんなに不幸せだって言うのに、あのクソガキが幸せ一杯だって聞いちゃ、嫌がらせの一つもしたくなるぜ」
「…そんなこと思うのは、絶対草薙だけだと思う…」
 返す返すも、芹沢をクソガキなどと言える人間は、両手の指で充分な程度だろう。
「ったり前。俺は特別なの」
 てらいもなく言い切る草薙は、だが、とてつもなくらしい。
「…心配なんか、することなかったみたいだな」
 斉木は微かに笑った。
「ふーん、心配してくれてたんだ」
 草薙は、そっか、と、呟いた。
 その言い方に何となくひっかかりを覚えたのは、斉木の気のせいではなかった――気のせいであって欲しかったのだが。
「じゃあ、お礼しなくちゃな」
「…何を…」
「とりあえず、飯」
 と、草薙は有無を言わせず席を立つ。
「今日は奢ってやるから」
「…飯、食ったら帰るぞ、俺は」
 背中がぞわぞわする。
 とても嫌な予感がしていた。
 こころの底から気のせいであって欲しいと思っていたのだが。
「もちろん、泊まってけよ。大丈夫、俺の部屋、ベッドもう一つ空いてるから」
「か、帰る!」
 斉木は会計も忘れて逃げ出そうとした。
 が。
「斉木、恋愛を長く続けるには適度な波風が大切なんだぜ?」
 がっしりと肩をつかまれ、背後から囁かれる。
「お礼に適度な波風を立ててあげよう」
 そう言う声が笑っていた。
 とてつもなくイジワルなそれだ。
「いい! 遠慮する!」
 斉木はそれこそ全力で抵抗したが。
「そんな、遠慮なんて斉木らしくないぞ。さ、俺は腹減ってんだ。さっさと行くぞ」
 草薙は構わず暴れる斉木を連行する。
「勘弁してくれぇ!」
 斉木の悲鳴は周囲の客の視線を集めただけで、ものの役には立たなかった。










 カ、チャ。
 鍵をそうっと回す微かな音がした後、立派な玄関のドアが音もせずに開いた。
「まだ寝てる、よな」
 開けたドアの向こうから、こっそりと室内の気配を探って、斉木はほっと胸を撫で下ろした。
 室内からは人の気配はしない。
 何しろまだ夜が明けたばかりだ。
 芹沢は寝ているのだろう。
 始発が動き出す時間になって、草薙はようやく斉木を解放してくれたのだ。
 それまで、隙を見てはちょっかいをかけてくる草薙を避けるために、斉木のは一睡も出来ず、体力も神経も結構ボロボロだ。
 それでも斉木は取るものもとりあえず帰ってきた訳だが、まだかなり早い時間である。
 あんまり早い時間なので、自分のアパートに一度戻ることも考えたのだが、自滅するほど頭に血が昇っていた芹沢が心配で、結局芹沢のマンションに直行してしまった。
 別に寝ていても、目が覚めるまで待っていればいい。
 それで何事もなければ、そのままここで寝させてもらってもいい。
 一睡もしていない斉木は、あくびを噛み殺しながら、寝室手前のリビングへ足音を忍ばせて行く。
 が、リビングに足を踏み入れようとした瞬間、斉木は思わず飛び退った。
 真っ暗な室内で、猫の眼が輝いたような気がした。
「随分お早いお帰りで」
 勿論猫の目ではなく、芹沢である。
 芹沢の目は明らかに据わっており、声はとてつもなく不機嫌だった。
 気配は全くなかったが。
「お、起きてたのか…っっ」
 斉木は全身から冷や汗が噴出すのを感じていた。
 ジリジリとあとじさる。
「当たり前でしょ。あんたが何か連絡寄越すかと思って待ってれば、一言もなしに朝帰りですか」
 いいご身分で、と、吐き捨てる芹沢は、いつものローソファから立ち上がったと見た瞬間、電光石火の早業で、あとじさっていた斉木を壁際に追い詰めた。
「こ、怖いぞ、芹沢!」
 思わず頭を両腕で庇った斉木だったが、その両腕を芹沢は簡単に壁に磔にする。
「当たり前でしょうが! 何やってたんですか、あんたは、連絡もなくこんな時間まで!!」
 がーっと、捲くし立てる芹沢の目には殺意すら浮かんで見える。
 思わず俯いて目をそらしてしまった斉木の顎をつかんで、芹沢は無理矢理視線を自分に向かせる。
「何にもしてない! 話してただけだ!」
 芹沢の意図を察して、斉木は事実を吐いたが、
「何も? あの人がそんなつつましいことできる訳?」
「草薙だろうが何だろうが、俺がさせる訳ないだろ!」
 斉木にしてみれば、赤面ものの告白である。
 実際、草薙は冗談なのか本気なのか斉木には分からなかったが、ちょっかいはかけられた。
 だが、斉木は許さなかったのだ。
 いくら草薙の力が強かろうが体がでかかろうが、斉木だって男なのだ。本気で抵抗すれば、好き勝手はさせない。
「お前、俺のこと信じられないのか!?」
 身の危険を感じ、斉木はそうそうに切り札を切った。
 しかし、
「悪いけど信じらんない」
 芹沢は、暗い瞳で言下に答えたのだ。
「あんた、すぐに情にほだされるから」
「芹沢!」
 あまりの言われように、斉木も切れかけた。
 必死で操を立てた自分は一体何だったんだ、と、思ってしまった斉木は、今自分がかなり恥ずかしいことを考えている自覚はない。
「まあ、体に聞けば分かることだけどね」
 くっ、と、芹沢は喉の奥で笑った。
 とても、とても凶悪な笑みだった。
 斉木の全身が総毛立つほどに。
「芹沢、やめ…!」
 斉木の悲鳴は途中で遮られた。
 芹沢の唇が、斉木の呼吸をも奪う。
「……今日はゆっくりお仕置きしてあげるから」
 ようやく唇を解放されて、必死で呼吸する斉木の耳元に、芹沢が囁く。
 芹沢の本気に、斉木は声を荒げた。
「お、お前が悪いんだろ! お前が自滅なんかするから!」
 自分の身を守るために仕方がなかった。
 このままいいようにさせてしまったら、監禁状態再び、である。
 だが、斉木はまんまと芹沢の逆鱗を思い切り掻き毟ってしまったのだ。
「だったら! あんただって逃げ帰ってくるなりなんなりすればよかったのにしなかったんじゃないか!!」
 あんただって出来ることをしなかったんだからおあいこだと言われて、返す言葉を失ってしまう斉木が甘いのだろう。
 その甘さが、斉木のいいところであり悪いこところでもある。
「ちょ、芹沢、待てっ、芹…っっ!」
 斉木はその場に引き倒されて思い切り後頭部を打つ。
 さすがに目が回ったその隙に、
「明日、足腰立つと思わないで下さいね」
 囁かれ、引き抜かれた自分のベルトで両の手首を戒められる。
「俺は無実だーっっ」
 全身から冷や汗を流し、叫んだが。





 手遅れであったことは、言うまでもない。




























けい様のリク「三角関係」です。
いやー、何だかすごくキラキラしい図です。右に芹沢、左に草薙、そりゃあ、誰も斉木なんか見やしないでしょう(笑)。しかも両サイド190センチ超と言う長身のため、間に挟まれ谷間になってしまった斉木は、多分小さく華奢に見えることでしょう。178センチあると言うのに。恐ろしい。
でも、斉木にちょっかいかけてあの芹沢に殺されずに済みそうなキャラって、草薙ぐらいしか思いつかなかったんですよね…。
芹斉ワールドにおける内海や加納って、あくまで斉木を親友としか捕えていませんし。
ただ、草薙ってのがまた斉木との縁がないんですよね、原作では。
一応斉木も久保が現れなければ加納と比較されるような選手だった訳ですから、きっとジュニアの選抜とかで面識あると想像はされる訳ですが。
んで、アクロバットをやらかしました、私…。
「CRAZY PARADISE」様のさち様の光岩と繋げることで、草薙の出てくる余地を無理矢理(…)作りました。
さちさん、ごめんなさい、私にはあの草薙で精一杯です…色気のない草薙でごめんなさいぃぃ…。
まあ、元々あれなんですけどね。さちさんのお書きになっている光岩って、実は芹斉の「HOT FASHION」がそもそもの始まりだったりして、実は密接なつながりがあるんですよ…もう、知らない方の方が多いと思いますが(ってバラしたらマズイですか?(汗))。
と言うことで、草薙との関係が気になる方はCRAZY PARADISE様をご訪問ください。
私の腕が追いついて行けなくて、えらい変質してしまっているんですが。
すみません(T_T)。

芹斉強化月間継続中(2002年8月現在)と言うこともあり、私にしてはすごいペースで芹斉を書いている訳ですが、萌えパワーが持続しているうちに何とかしようと、頑張ってみました。
芹斉を書く時はそれなりにムード作りが自分に必要なので、仕事の関係上、しばらく戻って来られないこともありますし。
そして、芹斉の気分を盛り上げていると言うのに、山本正之のシングル「いけいけ池袋」とか見つけてしまう自分が鬱です(笑)。聞いてしまったらもう戻れないと分かっていたので、聞かずに頑張ってます(苦笑)。

何となく、もうちょっと芹斉書きたい気がするので、もう少し頑張ってみます。なるべく早く、次の芹斉でお会いできればいいなと思っております。それでは。


夕日