サボテン











 「うっわ、いけねえ、遅刻、遅刻っ」
 バタバタと走り回る気配で、斉木は目を覚ました。
「ん…何…?」
 既に日は高くなっているようだが、昨夜と言うか今朝まで、散々貪られた体はまだだるく、頭も霞がかっていて、何が起こっているのか起き抜けの斉木はすぐに把握できない。
「あ、すいませんっ、起こしちゃいました」
 と、言いながら、芹沢はクローゼットから黒いシャツを取り出して、せっかちな仕草で袖を通す。
 黒いシャツに黒の皮パンツは、コーディネートを考えたくない時の芹沢の定番ファッションだ。
「ん…芹沢…?」
 斉木は拳の甲で目をこする。
 まだ寝ぼけているのか、妙に仕草が子供っぽい。
 いつもの芹沢なら、鼻の下を伸ばしているところだが。
「あの、俺、仕事に遅刻しそうなんで。鍵は閉めて出ますから、斉木さんはもう少し寝てていいですよ。あ、帰りは、ちょっと何時になるか分からないから、飯は俺の分、考えなくていいですから…」
 ざっと髪を梳かしながら思いつくことからしゃべる芹沢に、斉木はこっくりとうなずく。
「うん…」
 芹沢は簡単にシャツのボタンを閉めて――他の人間がやればただだらしないだけだが、芹沢なら悩殺モノだ――、寝室を飛び出す。
 が、すぐに戻って来て、まだベッドの上に起き上がったままぼーっとしている斉木の顎をすくう。
「行ってきます」
 素面の時にやったらぶっ飛ばされること確実な、触れるだけのキス。
 芹沢的には非常に惜しいが、もう時間がないと言うか、間違いなく遅刻のところを駆け戻って来たので諦めるより他にない。
「じゃ、寝てて下さいね」
 言い置いて、芹沢はバタバタと駆け出していく。
 遠くでバタン、ガチャリと、ドアと鍵が閉まる音が聞こえる。
 その音が合図であったように、斉木はもう一度シーツの海に逆戻りした。


















 斉木が本格的に覚醒したのは、昼過ぎのことである。
「うー、太陽が黄色い…」
 思わずうめく。
「ヤりすぎだって言ってるんだよ、あいつはもう…」
 他人が聞けばどっちもどっちと言う愚痴を呟いて、斉木はベッドから抜け出す。
「で、何だっけ、仕事だって?」
 シャワーを浴びて身繕いをした後に、斉木はリビングに置いてある共用のPCを立ち上げ、予定表を開く。
 忙しいお互いの予定を把握するためのものだが、オフの今は、書き込まれている予定は圧倒的に芹沢の予定の方が多い。
「テレビ収録? 相変わらず派手だなぁ」
 我知らず苦笑が口元に広がる。
 サッカー選手は芸能人とほぼ同じ扱いなのだが、それでも斉木ぐらいだと、テレビの仕事と言えばせいぜい深夜のサッカーニュースに呼ばれるぐらいだが、芹沢の場合は違う。
 下手なモデルも俳優も真っ青な見てくれはもちろん、頭の回転が速く雑学に長け、気の利いたことが言える芹沢は、ごく普通のトーク番組などからオファーが当たり前のようにかかる。CMも数本を抱え、過去にはチョイ役でいいからドラマも、などと言う、斉木にしてみれば気が狂ったとしか思えないようなオファーもあったそうである。さすがにそれは、丁重にお断りしたらしいが。黙って立っていれば済んでしまうこともあるCMと違って、スポーツ選手に演技させようと言うその考えが斉木には理解できないが、芹沢の人気を示す逸話ではある。
 Jリーグ全体の人気が下がっていることもあり、CMさえもオファーのある選手は数少ないのに。
 それはさておき。
 確か、時間が分からない、と言っていた気がするから、多分、今日の収録とやらはそういうスポーツニュース以外の番組なのだろう。
 ニュースであれば、時間はきっちり決まっているからだ。
 ふと、窓から射す日が陰った。
 窓の外に視線を投げると、通りかかった雲が太陽を隠している。
 斉木は目を細める。すぐに雲は通り過ぎて、眩しい陽光がまた一人でデスクに向かっている斉木の影を濃く描き出す。
 何となく、息が漏れる。
 予定表を閉じて、PCの電源を落とし、斉木はポソリと呟く。
「じゃあ、今日は俺一人か」
 まだ起きてから何も食べていないが、一人かと思うとわざわざ何か作るのも面倒くさい。
「何か、食べて来るか…」
 斉木にとっては起き抜けだが、時間は昼を回っている。
 どんな店でも開いているだろう。
 しかし一人だと思うと、特に食べたいものも思いつかない。
「まあ、出れば何かあるだろ」
 そして、斉木はポケットに財布と携帯だけねじ込んで部屋を出た。














 適当に昼飯を食べながら、誰か捕まらないかとあちこちに電話をかけまくったが、何故かこういう日に限って、知りあい皆が忙しい。普段はただの飲み会だと言っても芹沢がついてきたがるので、旧交を温めるにはまたとないチャンスなのだが。
「ま、こういう日もあるよな」
 結局全てが空振りで、仕方なく部屋に戻って主夫に専念することにする。
「んー、今日は全部乾きそうだなー」
 二人で暮らしていて、何が大変かと言うと洗濯である。洗濯物の種類も多い上に、一つ一つがバカデカイので、思わず乾燥機付きの洗濯機を買ってしまったぐらいだ。
 だが、今日は天気がいいから、洗濯も2度回し3度回ししても、全て乾いてくれるだろう。
 パン、と、皺を伸ばしながら最後の洗濯物を干し終えた後、何となくいい気分で斉木は掃除に取りかかる。
 元々、芹沢がマメな性質で、普段から掃除を欠かさないのでそれほど散らかっていることはないのだが、思わずドアの隙間とか、風呂場のタイル目路とか、普段はそれほど手をかけられない部分を夢中になって掃除する。
「うーん、清々しいなあ」
 と、掃除も一段落した時には、もう夕暮れ時だ。
 起き出した時間が遅かったから仕方がない。
 乾いていた洗濯物を取り込み、畳んでしまう。
 元々きれいな室内であったが、更にピカピカに磨き上げた室内を、斉木は腰に手を当て仁王立ちで見回す。
「何か、充実」
 思わず、主夫の充実感を噛み締めてしまう斉木である。
 オフといえども公式戦がないだけで、練習を全くしないと言う訳ではない。
 一応斉木にも、芹沢に比べたらちょっとした小遣い稼ぎのようなものだが、芸能関係の仕事もある。
 何やかやで、毎日を忙しく過ごしている斉木にとって、ここまで何をするでもない時間と言うのはなかなかない。
 もっとも、一人でいる時間が少ないのは、本人の社交性があだになっているきらいもあるが、当人には全く自覚がないから、極一部にとって困りものである。









 斉木は、ぴかぴかになったリビングで一人悦に入ってコーヒーを飲んでいた。
「さて、夕飯は何にしよっかな」
 その時である。
 尻のポケットにねじ込んだままだった携帯が震え、流行りの着メロを音高く奏でた。
「はいはい」
 と、答えながら引っ張り出した携帯の着信を見て、思わず斉木は嫌な予感に捕らわれる。
 『繭子』と、表示されたその番号は、芹沢の元彼女――と言うと、彼女は「子守りをしていただけよ」と憤慨するのだが――で、現在も芹沢の事務所と契約しているスタイリストだ。ちなみに、登録名は、何が面白いのか本人に携帯を取り上げられて登録されてしまったものだ。
 居留守を使おうかとも考えたのだが。
 多分、無駄な努力になると思い至り、諦めて通話ボタンを押す。
「もしもし」
『もしもし、誠ちゃん?』
 繭子は斉木の現物を見る前、『まこと』と言う名前で女だと誤解していたせいか、未だに斉木をちゃん付けで呼ぶ。
 斉木がいくら頼んでも止めてくれないので、もう諦めの境地である。
 例え、思わず鳥肌が立ってしまったとしても。
 ああ言えばこう言うの典型で、言えば3倍は返ってくるのだから。
「はいはい、何ですか」
 さっさと話を終わらせてしまいたくて、斉木はあからさまに嫌々、先を促す。
 そんな斉木の態度を分かっているくせに、歯牙にもかけてくれないので困りものだったりする。
『あのね、これからこっち来ない? ・・・局にいるんだけど』
「それは・・・」
『そ、これから芹沢君、収録なの』
 語尾にハートマークがついているような声だった。
 思わず斉木は眉間を押さえた。
「嫌だ・・・って言ったら?」
『また電話するわ』
 絶対に見ろ、と言うことらしい。
 斉木は頭を抱えた。
 さっきまでのささやかな幸せなど、とうにお空の彼方だ。
「・・・分かりました。行きます・・・」
『じゃ、ロビーで待っているから』
 弾んだ声でそう告げて、電話はブツッと切れた。
 斉木は肺の中の空気を全て絞り出すような勢いで、溜め息を吐く。
 本当に、斉木の望みなど、ささやかなものなのに。
 どうしてこう、放っておいてくれないんだろう、と、心底思う。
 知らぬは本人ばかりなり。
 そりゃあ、面白いからだ、と、多分異口同音に言われることは間違いない。






















 「遅かったわね」
「これでも急いだんですよ」
 開口一番詰られて、斉木は男らしい眉を顰めて応じた。
 実際、これ以上は無理と言うぐらい急いで来たのだが、そんな理屈が通じるような相手ではない。
「まあ、いいわ」
 ちっともよくない、とは、斉木の心の中だけの呟きだ。
 しかし、そんな斉木の内心を知ってか知らずか、繭子はさっさと歩き始める。
「もうとっくに始まっちゃってるから、行きましょ」
 そう言って、受付で繭子が斉木の分の入場カードを貰い、渡される。
 本来であれば、そのカードではスタジオまでは入れないのだが、今回は繭子の顔で無事通り過ぎる。
 繭子は結構スタイリストとしては有能で有名、らしい。
 芹沢の元彼女達と言うのは、半分ぐらいがそういうやり手だ。
 で、またそういうやり手の女とは、未だにビジネス上つながりのある相手が非常に多く、斉木も顔をあわせることが多い。
 その度に、斉木は寿命が縮まる思いをしている訳だが、やり手の女達は間違いなくさばさばと割り切っている。
 もっとも、その中でも繭子はかなり特殊だが。
 わざわざ斉木にまでちょっかいをかけてくる女は他にいない。
 ちなみに、残りの半分は上に超がつくような美人ばかりだが、そういうアクセサリー代わりの女達とはきれいさっぱり切れたから、と言うのが芹沢の言い分だ。
 女にとっては明らかに敵だが、男にとっても敵としか言いようのない発言だ。
 もっとも、芹沢は二言目には「女はみんな俺の味方だから」と言うのだが。
 後腐れの悪い女とは付き合ったことないし、とも。
 芹沢に言わせると、向こうにとっても自分はアクセサリーみたいなもんだ、と言うが、その真偽のほどは斉木には知る由もない。
 唯一の『彼氏』である斉木としては、そう言う元彼女達と対面する羽目になる度に、心臓に悪いことも事実だが、同時にとても、とても複雑な気分になる。
 何しろ斉木は、自分の容姿はそう取りたてて言うほどのものではないと分かっているし、サッカー選手としても、芹沢や神谷のような、サッカーを知らない一般人でも知っているほど名の通った方ではないし、現実に実力も比べるべくもない。
 一体何がどうしてこんなことになったのか、斉木の方が聞きたくなる時がある。
 その心の隙間に入り込んでくる疑念。
 いや、多分、それはずっと心の中にあるものを、無理矢理理性でねじ伏せて見ないようにしているだけだと、斉木は心の片隅で理解している。
 彼女達は、本当に『元』彼女なのかと。
 芹沢が自身のことを見栄えの良いアクセサリーだったと言っても、本当にそう思われていたのかどうかは分からないだろう。
 芹沢は性格的に、少し独善的な部分があるのは否めない事実である。
 もちろん、そんな疑念をうっかり漏らしたら、それは盛大に否定してくれることは間違いないし、そこで説得されていない気配を微塵でも見せたら、その晩――では済まないかもしれない――は眠る間も与えられないほど酷い目に遭わされることは間違いない。
 しかし。
 それでも。
 不安に思う心を、止めることなど出来ない。
「・・・ねえ、誠ちゃん?」
 にっこりと、繭子に笑いかけられる。
 こんなにも堂々と、『元』彼女達に振る舞われたら。
「はい?」
「クリスマスは、どうするの?」
「いや、全然決まってませんよ」
 まだ、天皇杯がどうなるか分からないし、と、斉木は言う。
 芹沢の方はまずベスト4ぐらいまでは確実な線であろうし、斉木のチームも、それなりに勝ち進むだろう。
 天皇杯に勝ち進んでしまうと、クリスマスはおろか、暮れも正月もないのが日本のJリーガー達である。
 かと言って、早々に負けて良いはずもなく。
「Jリーガーって大変よね。野球選手に比べてオフはすごい短いし、その短いオフだって、半分ぐらい合宿だ何だで潰されちゃうし」
「ま、分かっててなってるんで、仕方ないですけれどね」
「もう、誠ちゃんはホント真面目ねー。芹沢君なら間違いなくここぞとばかりに愚痴るのにー」
 ころころと笑う繭子に、斉木は必死で笑い返そうとするが、口元が妙な形に引きつっただけだった。
 そうでなくてもナーバスになっているところへ、よりにもよって斉木をナーバスにさせている相手が、ナーバスになっている要因を話題に載せるのだから、いくら斉木が随分丸くなったと言っても、あからさまにキレなかっただけでも上等と言うべきだろう。
 そんな斉木の内心を知ってか知らずか、繭子は悠然と笑って、スタジオの扉に手をかける。
「中では静かにね」
 と、断ってから、繭子はスタジオ内に滑り込み、斉木もその後に続いた。
「あ、ほら、芹沢君、あそこ」
「・・・分かってます」
 繭子の言葉に斉木はうなずく。
 出かけた時とは違うスーツを身に纏った芹沢は、司会者席とは反対側の最前列に座っている。
 端にいるにも関わらず、やたら目立って見えるのは斉木の贔屓目ばかりではないだろう。
 髪をかきあげながら背もたれに体を預け、嫌味なほどに長い足を組み替える。
 意識してやっている訳ではなさそうだが、シャレにならないほど様になる。
 その隣に座っているのは、モデル出身の最近女優デビューを果たしたタレントだ。
 確か身長が170センチぐらいある、日本人離れしたスタイルがウリだ。
 そのタレントが、雑談にしか思えない――確かに本番中らしいのだが――トークの中で発言を始めた。
「私、実は芹沢選手の大ファンなんですよー」
「へー、じゃ、どんな所が好きなのよ」 
「だって、どこを取ってもかっこいいじゃないですか。サッカーだけでなくて、ルックスもー」
「あー、まあ、そうよねー。じゃ、何、もしもおつきあい出来るとしたら、彼女に立候補しちゃうの」
「もう、速攻ですよー」
「どうよ、芹沢君は」
 斉木はびくりと体を強張らせる。
 司会者に話題を振られた芹沢は、特に笑顔を作るでなく、かと言って不機嫌な様子も見せず、言った。
「光栄です」
「えー、じゃあ、カップル成立じゃん?」
 と、煽る司会者には、芹沢は何も答えず。
「まあ、災難ね」
 くすくすと繭子も笑っている。
「あの娘、流行ってる相手にはすぐ粉かけるのよね」
 分かっている。
 その場限りの言葉遊びに過ぎないことは。
 だから芹沢は必要最低限のことしかしゃべっていない。
 司会に振られなければ、何も言わなかっただろう。
 そんなことは分かっていたけれど。
 なまじっか天国から地獄に突き落とされて、散々揺さぶられていた斉木の神経は、一気にメーターを振り切った。
 破滅の方向に。
「すみません、気分悪いんで帰ります」
 震える声ででも言い残したのは、よく出来た方と言えるだろう。
「誠ちゃん」
 繭子の声には答えず、斉木は先ほど入って来たばかりの扉から駆け出して行く。
 とにかくこの場を離れたかった。
 分厚い扉が閉まる直前に、「休憩入りまーす」と言うADの声が聞こえたが、もうそんなものは聞きたくもなかった。


















 ふと気がついた時には、斉木は自宅マンションに戻っていた。
 途中の記憶がない。
 事故にあわなくて幸いである。
 車から降りる前に、少し考えた。
 このまま帰れば、遅かれ早かれ芹沢と顔を合わせることになる。
 自分は何もなかったような顔を出来るだろうか。
 だが、もしも自分が自宅にいなかったとしたら。
 その考えに、斉木は震えた。
 自分は芹沢を試そうとしている。
 探しに来るのか、来ないのか。
 そんなこと、出来るはずがない。
 それで万が一にも来なかったら、今の自分ではどうなってしまうか分からない。
 しばらく考え込んだ後、斉木は黙って車を降り、自宅へ向かった。
 大体こんな不安定な状態では、実家にも戻れないし、友達のところに転がり込もうにも、多分、一目見て最初から入れてもらえないような気がする。
 付き合いの長い連中は、みんな口を揃えて、自分は表情に感情が出易いと言うから、きっと何かあったと知って関わり合いにはなりたがらないに違いない。
 そして実際、これは斉木自身が乗り越えなくてはいけない問題なのだ。
 誰にも助けてもらえない。
 芹沢にさえ。
 芹沢は、何もないのだと、他に女なんかいないと今まで通り繰り返すだろう。
 その言葉を信じられるのか否かは、斉木の気持ち一つでしかない。
「ただいま」
 誰もいない部屋に戻って、リビングのテレビを点けてソファに身を沈める。
 勿論、テレビの内容など何も頭には入って来ない。
 ただ、沈黙が怖くて、つけただけだ。
 クッションを胸に抱えて、考える。
 芹沢の言葉を信じるのか、否か。
 斉木としては、信じるしかないし、信じたい。
 我知らずクッションを抱き締める腕に力が入る。
 それこそ芹沢は選り取り見取りだったと言うのに、選りにも選ってこんなゴツイ男を選んだのが、伊達や酔狂だなどとは思いたくない。
 それでも、やはり芹沢は立っているだけで人目を寄せてしまう存在で。
 ルックスは完璧、ファッションセンスも一分の隙なく、サッカーは日本で指折りの存在、世界ですら、通用するはずだ。
 しかも芹沢には多分、やろうと思って出来ないことはないのだと言うことを、一緒に暮らしている斉木はいやと言うほど知っていた。
 世の中には、そういう存在があるのだ。稀、ではあるが。
 それは女も引き寄せられてくるだろう。
 仕方がないことなのだ。
 だが頭では分かっていても、今日のように芹沢に群がる女達の姿を見てしまえば、こんなにも心が乱れてしまう。
 不安と、そして、嫉妬と。
 人目があってさえ、堂々と芹沢にしなだれかかれる、彼女達が斉木は羨ましくて仕方ないのだ。
 仕事の上だけだと分かっていても、自分以外の誰かに芹沢が笑顔を振り撒くのが、悔しくて。
 そう言えば、芹沢は堂々と思うようにすればいいじゃないかと言うだろうが、世間的にそんなこと出来るはずがなく。
 斉木の性格上も、無理な相談だ。
 何しろ、微かな接点しかない二人だ。
 恋人どころかかなり親しい友人としてすら、どうしてと不思議がられる二人なのだ。
 でも、せめて芹沢には――言えるはずもない。
 そんなことをぐるぐると考えている自分に気がついて。
「も、やだ・・・」
 斉木はクッションに顔を埋めた。
 これでは嫉妬に狂うその辺の女と同じだ。
 みっともなくて、とてもではないが芹沢と顔を合わせられない。
 とりあえず一晩、気持ちが落ち着いてまた何事もなかったかのような顔が出来るようになるまで、どこかホテルにでも避難しよう、と、そう思った瞬間だ。
 ガチャガチャとせわしげに玄関の鍵を回す音がした。
 慌てて顔を上げると、窓の外は真っ暗だった。
 随分長い間、自分の世界にはまり込んでいたらしい。
 それすらも自己嫌悪を深くする要因になったが、今はそれどころではない。
 バン、と、玄関のドアが開いた瞬間、聞き慣れた声が斉木の名を呼ぶ。
「斉木さん!」
 斉木は体を強張らせた。
 予定外の事態に、思考がストップして、声も出なくなる。
 その間に、芹沢が斉木の正面に回り込んできた。
 慌てて斉木は俯いて顔を背け、芹沢から表情が見えないようにする。
 さぞ、醜い顔をしているだろうから。
「斉木さ・・・」
 何か言いかけた芹沢の言葉を遮って、斉木は告げた。
「しばらく口を利きたくない」
 声の震えを誤魔化そうとしたら、自分でも驚くほど抑揚がない口調になった。
 それ以上は何も言えない。
 これ以上何か言ったら、芹沢に八つ当たりをしてしまうのが分かっていたから。
 頼むから、放って置いてくれ、と、心の中だけで懇願する。
「斉木さん!?」
「しつこくするなら、出て行く」
 本当はその方がいいのだろう。
 ある意味時間と言うのは万能で、今、どれほど不安でも、少し時間を置けばまた何事もなかったかのように振る舞えるようになる。
 しかし、珍しく芹沢がおとなしく引き下がってしまい、斉木は出て行く機会を失った。
「分かりました・・・」
 それも仕方がないことだ。
 あの口振りではまるで芹沢が何か悪いことをしたから、斉木が出て行くのだとしか聞こえない。
 そんな言い方をされたら、芹沢だって不愉快なはずだ。
 そんな些細なことまで、実は芹沢に頼り切っている自分に気がついて、斉木は愕然とする。
 芹沢が黙ってリビングを出て行った後、
「畜生・・・」
 斉木は両手で頭を抱えて、震えていた。




















 その夜、斉木は寝室から掛け布団を持ち出して、リビングのソファに陣取った。
 リビングのソファは、ガタイがいい二人でゆっくり座れるぐらいだったが、それでもさすがに横になると斉木でも足が出る。
 だが、今はどれほど広くとも一つのベッドで寝るのは辛かった。
 間近で芹沢の顔を見たら、一方的に詰ってしまいそうな気がする。
 そんなこと、していいはずがなくて。
 床にごろ寝でもいいから少し離れて、とにかく時間が欲しかった。
 もう一度、醜い自分を心の奥底にしまい込んで鍵をかけられるだけの時間が。
 だが、頼むから今はそっとしておいて欲しいと言う斉木の祈りは、通じなかった。
 風呂から上がって来た芹沢に、名前を呼ばれる。
「斉木さん!」
 斉木は慌ててソファに横になる。
 芹沢がソファに近寄ってくる気配がしたので、斉木は背もたれの方に寝返りを打って、頭から掛け布団を被る。
 見られたくなかった。一人相撲でわたわたしているみっともない自分を。
 なのに。
 芹沢の手が、掛け布団の上から肩に置かれる。
 そして、耳元で囁かれる。
「斉木さん・・・」
 斉木の体がぴくりと揺れた。
 駄目だと分かっているのに、覚え込まされた体は簡単に反応する。
「お願いだから、俺の話を聞いて下さい・・・」
 同時に、芹沢の長い腕が斉木の腰に回る。
 斉木がその感触に身震いすると、芹沢は更に抱き寄せようとしていた。
 その瞬間、斉木の目の奥が熱くなる。
「うっ・・・」
 振り向き様の斉木の肘が直撃して、芹沢がうめいてうずくまる。
 見れば芹沢は左の鎖骨の辺りを押さえている。
 そのつむじを見ながら、斉木の口から言葉が溢れ出る。
「ふざけるな」
「さ、斉木さん・・・?」
「俺なんかいつでも体で誤魔化せると思ってるんだろ」
 斉木自身にも止めようがなかった。
「違う!」
 芹沢が叫んだ。
 そのことでかっと頭に血が昇った。
「だったら今のは何だよ!」
 斉木は、芹沢が口を挟む暇もないほど早口にまくしたてる。
「ちょっとよくさせとけば俺が黙ると思ったんだろ! ふざけんなよ、俺をそこらの女と同じにすんな!」
 売り言葉に買い言葉。対する芹沢もキレた。
「どっちがふざけてんだ! いつ俺があんたをそこらの女扱いしたって言うんだ!」
 痛みを忘れたように立ち上がり、芹沢は右手を斉木の胸倉に伸ばしてくるが、斉木はその手を叩き落とす。
「しただろうが、たった今!」
「してねえよ!」
「した!」
 もう子供の口喧嘩レベルだが、本人達は至って真剣だ。
 すでに堪忍袋の尾を切らせていた芹沢が、先に踏み込んだ。
「あんた、そんなに俺が他の女に粉かけられたのが気に入らないのかよ!」
「当たり前だ! 粉かけられてへらへらしやがって!」
「仕事なんだから仕方ないだろ! 大体そんなのぶっちぎって帰って来たのに、言い訳も聞かなかったのはあんただろ!」
「聞いたってしょうがないんだから聞く必要ないだろ!」
「そんなに俺が信じられないのか!!」
 芹沢の言葉に、それまで怒鳴り散らしていた斉木が目を見開いて、そのまま表情が凍りついた。
 その表情を見て、芹沢は苦虫を噛み潰した。
 ヤバいところを踏んでしまったことにようやく気がついたのだ。
 しかし、一度言ってしまった言葉は取り返せない。
 凍りついている斉木を促す。
「・・・何とか言えよ」
 芹沢の声にねじを巻かれた人形のように、斉木はぎこちない動きで右手で目元を覆って俯いた。
「違・・・お前じゃない・・・」
 斉木の呟きに、芹沢の眉が急角度を描く。
「何が、俺じゃないって?」
「信じられないのは、お前じゃない・・・お前じゃないんだ・・・」
 芹沢は不思議なものを見る目つきで斉木を見た。
 相変わらず斉木は俯いて目元を隠しているので、その表情は全く読めない。
「斉木さん?」
「信じられないのは・・・・・・・・・俺だ。俺自身なんだ」
 どれだけ芹沢が心配ないと言ってくれても、どれだけ抱き締めてくれても、斉木は『いつか』を考えてしまう。
 芹沢に売り込みをかける女はひきもきらなくて、いつか芹沢も心変わりをしてしまうのではないかと。
 男同士の恋愛は、やはり制約が多くて、不便なことだらけだ。
 お互いを繋ぐものは、たった一つ、お互いの気持ちだけ。
 それでももう斉木は芹沢以外を選べないけれど。
 だけど、芹沢は?
 そんなこと、怖くて聞けない。
 芹沢を斉木に縛りつけるものなど、何もないのだから。
 そうして芹沢の気持ちを試そうとする自分自身の気持ちが、斉木は信じられないのだ。
 試して、芹沢から言葉を引き出しても、信じきることも出来ないくせに。
「俺はもうお前以外、選べない・・・でも、俺はお前を信じきれないんだ・・・」
 血を吐く思いで斉木は言葉を紡ぐ。
 醜く卑しい自分を芹沢の前で露呈することは恐ろしいが、かと言って堪えることも出来ない。
 目がぐるぐると回る。
 自身さえ制御できなくなって、倒れそうになる。
「あんた、ほんっとに人の言うこと聞いてないね」
 苦笑する気配と共に、倒れかかった斉木を芹沢が抱き留めていた。
 斉木にとってさえ広い胸に安心感を覚えたのもつかの間、慌てて腕を突っ張って離れようとする。
「は、離せ」
「いやですよ、せっかくあんたが本音を吐いてくれたって言うのに」
 斉木の抵抗は、それ以上の力で押し止められる。
「不安になったら、俺にぶつけていいんですよ。俺は全部受け止めて見せるから」
 きっぱりと芹沢は言った。
「そりゃまあ、俺はあんたに比べたら断然ガキだから、もしかしたら今は受け止めきれてないのかもしれないけど、絶対受け止めきれるようになって見せますよ」
「でも・・・それでお前を傷つけたら・・・」
 自分勝手な思いで、一番大切な存在を傷つけられないと、斉木は首を横に振る。
 しかし、
「あんたにつけられる傷なら、大歓迎ですよ」
 芹沢は笑って言った。
「そもそも俺の身から出た錆であんたを不安にさせているところもある訳だし。しょうがないんですよ、一人じゃないんだから」
 俺だって、あんたに自分の不安をぶつけてるし、と、芹沢は語を継ぐ。
「俺なんていっつも不安でしょうがないんですよ。ちょっと目を離した隙に、あんたを横から掻っ攫われないか、ってね」
 いともあっさりと自分の弱みすら晒してみせる芹沢が、斉木には眩しかった。
 弱みさえ見せられるのは、やはり自分に自信があるからで――
「違う」
 まるで心を読んだかのような声に驚いて斉木が振り仰ぐと、芹沢と目が合った。
「斉木さんだから言うんだ。斉木さんにだけ、俺の全部を知っていて欲しいから」
 そう言って、斉木もほとんど見たことのないような笑顔を浮かべた。
 まるで誉められた子供が喜んで浮かべるような、無邪気とさえ言えるような笑顔を。
「嬉しいですよ、斉木さんがそんなに嫉妬してくれてるって分かって」
「芹沢・・・」
 顔に火が点いたように熱い。
 抱き締める力が強すぎて息が苦しいから、顔が熱いのだと斉木は自分に言い訳をする。
 そんな斉木に、芹沢は目を細めて囁く。
「かわいいなあ」
「お前・・・ほんっと、バカ」
 それを俺に言うか、と、斉木は抗議の意味を込めて芹沢の胸を軽く拳で叩く。










 棘だらけのサボテンは、抱き締めるとちょっとちくちくするけれど、根気よく一本一本抜いていけば、いつかはきっと丸坊主。
 そうしたら、遠慮なく壊れるほどに抱き締めて。


















どらみ様リク、『斉木のやきもち』でした。
や、何でこんなややこしい話になっちゃったんだか・・・。

リクをいただいて最初に思いついたのが、「テレビを見ていたら番組中で芹沢が女優に粉かけられてて『番組中に熱愛宣言!?』とかテロップ入れられ、激怒する斉木とコソコソ逃げようとする芹沢」と言う図で、結構チョロい話のはずだったんですが、思うに書き出しから間違ってしまったようで、途中で手が止まったり、妙に難産しました。
原因は多分、斉木が嫉妬する相手で想像できるのが女ばっかりだったせいだと思います。・・・もしかして、斉木、男なら自分が一番だと言う自信がある? とか、思って、ちょっとやな奴かも・・・と、思ったのが、道違えの始まりかと・・・。
ここしばらく、斉木の正の部分を書いていたので、久しぶり・・・『OUR LOVE』以来ですか、斉木の負の部分、はっきり言ってしまえば「ダメな斉木」を書きたくなったんです。やー、結構ダメダメだった時期があると思うんですよ。斉木はいろいろとコンプレックスが強いタイプに思えますし。時期的には斉木がプロになって1年半ぐらいでしょう。
『DAWN』の頃になってしまうと完全に大人になりきっちゃっているのですが、その前にはどっちかって言うと斉木の方が芹沢よりフラフラしていた気がしてます。そういうフラフラしていた期間があって、それを乗り越えているからこそ、斉木は強い大人の男になれて、その間芹沢が支え続けていたんだと思うので。
なまじいろんな物が見えるだけに、最終的に負のベクトルが内に内に向かっていく斉木にとっては、芹沢のように傍若無人なほどに振り回してくれる存在は、ある意味で救いになるのではないかと思っています。
芹沢と斉木には、一年ぐらいのスパンではやっぱりどっちかが支えているような期間があると思うのですが、トータルで見た時には、どっちか一方だけが支え続けているのではなく、五分五分の関係であって欲しいと思っています。
勿論、芹沢と斉木ではタイプが全然違うので、支え方も全然違うはずですから、見た目にはそうは見えにくいかもしれませんが(苦笑)。
あ、この話の時期は、12月の上旬、チャンピオンシップと天皇杯の合間を縫って、年末年始番組の撮り溜め中と言う、苦しい設定です(爆)。元々は、その番組を二人で見ている予定だっから年末年始時期だったんですね・・・。

ええとそんな訳で、一応リク物のはずですが、リクエスト権をお持ちの方はダメ出しOKですので、どらみ様、これじゃヤダ、と言う時はどうぞご遠慮なく言いつけて下さい。
それでは、この辺で。

夕日







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