「一時に迎えに行きますから、この日は部活も休んでくださいね」
 最初にそう言われたのは、随分と前のことだった。










You’re My Only Shinin’ Star










 「お前、そうそう休めるはずがないだろ」
 斉木は、頭を抱えて言ったものだ。
 それはそうだろう。斉木は仮にもキャプテンだ。よほど体調が悪いなどの正当な理由でもない限り、率先して部活を休むことなど、斉木の性格上出来るはずがない。
 すると芹沢はまるで舞台俳優のように、整った顔を盛大にしかめ、肩を竦めて見せた。
「バカなんですよねえ、ホント、アンタは」
 さも当然のように言われて――いつものことではあるのだが――カチンと来る。
 斉木にも年上の矜持がある。
 ところがそんなものは小指の爪の先ほども認めないような口調で言われては、立場と言うものがない。
 思わずにらんだ斉木へ、芹沢は鮮やかに、理不尽な王様のように笑って言った。
「一日ぐらい、俺にくれたっていいでしょう」
 一日ぐらいじゃ済まないだろうと、つまらないツッコミが頭に浮かんだが、言葉にはならない。
 本当にいつものことではある。
 それを、『惚れた弱み』と言うのだという自覚は、斉木にもある。
 何しろ、渋々であろうと何だろうと、斉は今、言われた通りに部活を休み、ノコノコと芹沢が指定したアパートの駐車場へ歩いていたのだから。


















 「俺は仮にもキャプテンなんだぞ」
 スケジュールを押さえようとした芹沢に、斉木は男らしい眉をしかめて言った。
 そんなことは、言われなくても分かっている。分かっているから、言っているのだ。
 思わず。
 溜息が出た。
「バカなんですよねえ、ホント」
 言った言葉はどうしようもなく本音だったが、斉木はいよいよ何か言いたげな渋面を浮かべた。
 何か言いたいのなら、言えばいい。
 だが斉木は、いつも何も言わない。
 きっかけは与えてくれるけど、そのものズバリの答えは言わない。
 いつだってそうだ。
 けれど、例えばサッカーなら答えの探しようもあるが、人の気持ちなんて答えを探せるものではないのに。
 ――ホント、分かってないんだよなあ。
 内心で溜息をつく。
 たまに、あきらめようかと思わないでもないけれど。
 ――――――分かっていないくせに、必ず芹沢が欲しいものをくれるのだ、斉木は。
「一日ぐらい、俺にくれたっていいでしょ」
 そう言えば、斉木が断らないのを知っていて、芹沢はダメを押した。
 しかし、斉木は苦虫を噛み潰した表情を変えもせず、うなずくことすらしなかった。
 そして今。
 アパートの階段を降りてくる斉木の姿を確認して、心の中で胸を撫で下ろしながら、芹沢は車の窓を開けた。




















 「待たせたか」
「全然」
 その割に芹沢は不機嫌な気配を隠しもせず、斉木が助手席に乗った途端、車をスタートさせた。
 それは、衝撃も何もない静かな発進だった。
 その静けさとは裏腹に、芹沢の気配は張り詰めていた。
 何を言っても聞き入れなさそうな芹沢の雰囲気に、斉木は半ばあきらめて黙っていたが、高速の料金所を通り抜けるに至って、抗議せずにはいられなかった。
 ――もっとも、当の昔に手遅れではあるのだが。
「おい、どこへ…」
「ひみつ」
 手遅れだと分かっていながら抗議する斉木の先回りをして、芹沢が口元を歪めて笑った。

 そして斉木は。
 そっぽを向いて不機嫌だと示す以外、何も出来はしなかった。


















 イライラするだろうと想像していた。
 イライラしているのも分かっていた。

 斉木は、どちらかと言うと神経質なタチだと、芹沢は思っている。
 ただ本人、それを自覚していて、わざとおおらかさを装っているところがある、と。
 それは見た目の男らしさとあいまってかなり成功していたが、自らで把握できない事態に直面すると、地の少年のような部分が見え隠れし始めるように思える。
 正直、斉木ににらまれるのはいつだって綱渡りの気分だ。
 だが、恐らくは斉木自身さえも忘れてしまうほど完璧な装いが自分の前だけで綻ぶことに対して、同時に優越感を感じずにはいられない。
 斉木は誰にでも心を砕き、けして理不尽には振舞わないが、こんな風に無防備に生の感情をさらすのは自分の前だけだと、芹沢は自負している。
 盗み見ると、まるでかんしゃくを起こした子供のような、他に人目があればまずお目にかかれない表情が、窓ガラスに映っている。
 多分、斉木は芹沢にその顔を見られているとは、気づいてもいないだろう。

 文句のつけようのない大人の男と、きかんきの強い少年が同居しているのが、斉木誠と言う人なのだ。










 芹沢は、何も言わずに東名から首都高に乗り換えた。
 そのころには、斉木もすっかりあきらめてしまったようだった。
「随分と、おとなしいんですね」
 窓ガラスの退屈な顔へ芹沢がからかいの口調で言う。
「いい男が台無しですよ」
 途端、斉木はケッ、と、吐き出した。
「何ですか、その『ケッ』は」
「いちいち白々しいんだよ、お前は」
 斉木は、フィールドで見せるような鋭いまなざしを投げつけた。
 思わず、芹沢はぞくりとする。
 それはけして不快なものではない。
「俺が喚こうが騒ごうが、何も答える気なんかないくせに」
「まあ、そうなんですけど」
 芹沢は今日の為に数ヶ月計画を練っていたのだ。簡単に白状してしまっては面白くない。
「ったく、お前、人の迷惑考えろよな」
 説教じみた斉木の口調に、反射的に言葉が出てきた。
「仕方ないじゃないですか。アンタ、何にも分かってないんだから」
「だからっ、何がだよ。はっきり言えよ、お前はっ」
「考えてみたらどうです?」
 癇癪玉を破裂させた斉木への言葉は、芹沢自身が驚くほど冷たくて。
「少し考えれば、すぐに分かることなんですけどね」
 芹沢の背中には冷や汗が流れていた。
 が、斉木は、うっ、と、言葉に詰まって、にらんだけだった。
 どうやら、芹沢は寸前で地雷を回避できたらしい。
 芹沢は精一杯の去勢を張って言った。
「まあ、そのうち分かりますよ」


















 「そのうち分かりますよ」
 そう言って口をつぐんだ芹沢の横顔は、何の感情も表していなかった。
 だが。
 斉木は心の中だけで叫ぶ。
 ――何を企んでるんだっっ。
 どう考えてもろくなことではない。
 どれぐらいろくでもないかは、まだ想像もつかないが。

 そして結局。

 首都高から一般道に出る頃には、斉木はあきらめにがんじがらめにされていた。
 少なくとも、約束通りにノコノコついてきた辺りからすでに手遅れなのだ。
 今更グダグダ言っても始まらない。
 しかし不安は募るばかりだ。
 出来れば、派手なことはなるべく差し控えて欲しい。
 でも、それはムリな相談だろう。
 何しろ存在そのものが派手なのだ、芹沢と言う男は。

 今になっても、斉木はたまに思う。
 こんな、女でも男でも選り取りみどりだろう男が、どうして自分なんかにこだわるのか。
 斉木は、それほどの価値を自分自身に見出していない。
 ただの気まぐれではない、と、思いたい。
 信じたい。
 斉木はもうとっくに、引き返せないところまで来てしまっている。




 そんなことを斉木がつらつら考えているうちに、芹沢はとある地下駐車場に車を止めた。
「着きましたよ」
「ここは…?」
「ちょっとだけ歩いてください」
 斉木の問いには答えず、芹沢は車を降りるとさっさと歩き出した。
 斉木は慌てて後を追った。


















 地下の駐車場に車を置いて、芹沢は最終目的地に足を進めた。
 後ろは確認しなかったが、ちゃんと着いてくる気配は感じている。
 いつだって、芹沢は斉木の微かな気配も漏らさぬよう、気を張り詰めているのだ。
 少し距離のある通路を通り抜けると、日本らしくない景色が目の前に広がった。
 何でも、ヨーロッパの街並みを再現したとか何とか、ガイドブックには書いてある。
 問答無用のデートスポットの一つだ。
 もっとも、そんなことは芹沢にはどうでもいいことだったけれど。
「せ、芹…」
「あんま、大きな声で名前呼ばないで下さいよ」
「あ、すまん……じゃ、なくてっ」
 斉木はそうでなくても大きい声を更に大きくして、詰め寄ってきた。
「俺がこーいうとこ嫌いなの、知ってるだろ!?」
「知ってますけど、ここが一番都合がよかったもんで」
 芹沢は本当のことを素直に言った。
「都合?」
「そう」
 眉をひそめる斉木の手をつかんだ途端に振り払われそうになって、力一杯握り締める。
「はな…」
「じゃ、行きましょうか」
 斉木の手を握ったまま、芹沢は第一の目的地へと歩き始めた。








 芹沢に引きずりこまれたのは、敷地内に併設されたデパートの、あるブランドショップだった。
「この人なんですけど」
 と、芹沢は応対に出た店員に斉木を引き渡してくれた。
 店員は表情も変えずに斉木を荷物のように受け取って、芹沢に一礼する。
「かしこまりました」
 そして。
 いきなり芹沢が息がかかるほどに顔を近づけてきた。
 思わず斉木が首を竦めると、首を抱きかかえられる。
 見返す芹沢の表情は、室内でも離さないサングラスに遮られて分からなかった。
「やめろ」
 押し返そうとしても、先手を取られるとびくともしない。
 何故だろう、斉木は苦しさを感じていた。
「ちょっと用事を済ませてきますから。おとなしくしててくださいよ」
「芹沢っ」
 言いたいことだけ言って、芹沢は靴音を響かせて颯爽と歩き去った。
 全ては、芹沢の思惑通りなんだろう。
 一人残された斉木は、ショップの奥で全身を事細かに採寸された。

 ――面白くない。

 おとなしく採寸されながら、斉木は心の中だけで吐き捨てた。
 芹沢は、何の迷いもなく斉木を置いていってしまった。
 アイツが、一日よこせと言って、こんなところまで連れてきたくせに。
 斉木が抵抗するとも思ってもいないのだろう、芹沢は。
 そして。
 実際、おとなしく芹沢の言う通りにしている自分自身が、斉木には何よりも面白くなかった。




 採寸が終わっても、芹沢は戻ってこなかった。
 斉木の相手をしていた店員は、採寸が終わるとお待ち下さいと事務的に言って店のプライベートに引っ込んでしまった。
 斉木は、ショップの片隅で途方に暮れるしかなかったのである。
 どれぐらいそうしていただろう。
「斉木さん」
 悠然と歩いてきた芹沢は、急いだ様子もなかった。
「お待たせしました」
「全くだ」
 斉木の声は雷雲を孕んでいる。視線は、普通の神経の持ち主であれば金縛りぐらいにはあっただろうが、幸か不幸か芹沢の神経は並ではなかった。
「まだ時間がありますから、美術館でも行きましょうか」
 芹沢は晴れやかな声で言って、また斉木の手を取ろうとする。
 が、今度は、斉木が早かった。
 有無を言わさず手を払う。
「冷たいですねえ」
「自業自得だ」
「まあ…。こっちです」
 芹沢は肩を竦めて歩き出した。

 ビジネスビルの脇の、薄暗い通路を通り抜けて、二人は敷地内の美術館に入った。
 現代美術を展示するそこで、何となしに時間を潰す。
 芹沢はどうか知らないが、斉木にとっては、目の前の価値があると言われる少女のイラストも、見た目そのものでしかない。
 しかし芹沢も、時計ばかりを気にしていた。
 何でこんなところに来てしまったのだろうと、漠然と絵を眺めながら斉木は思う。
「…そろそろ、行きましょうか」
「何を気にしてる」
「………ひみつ」
 口を割ろうとしない芹沢を、斉木は追いかける。
「いい加減にしろ! せ…」
 再び薄暗いビルの谷間に差しかかったとき、斉木はようやく芹沢を捕まえた。
 だが、その名前を呼ぶより先に、芹沢は斉木を抱きこみ、唇を重ねた。
 あまりの事態に斉木は一瞬白くなったが、次の瞬間には芹沢の向う脛を蹴り飛ばしていた。
 さすがに、芹沢が言葉もなくうずくまる。言うまでもなくサッカー選手の足は凶器である。骨が折れずにすんだのは、芹沢だからであろう。
「てめ…っ、何、しやがる…っっ」
 斉木は拳で口をぬぐいながら、芹沢をねめつける。
 うずくまったまま、芹沢は仁王立ちの斉木を見上げて、うそぶく。
「そんな、あっちこっちでみんなやってるじゃないですか」
 確かに。
 芹沢の言う通りではある。
 物陰で見えていないと思っているのか、それとも見られたいのか。
 よく見なくても、そこかしこで恋人達が口付けを交わしている姿が見て取れた。
 だが、それは全て男女のカップルだ。
 それに、絶対に芹沢ほどの有名人はいないと断言できる。
 いくらサングラスで顔を隠しているとは言え、こんなところを誰かに見られたら、スキャンダルどころの騒ぎでは絶対に済まない。

 斉木が、いわゆるデートスポットと言う場所を嫌うのは。
 誰に見られるか分からないからだ。


 誰かに見られることによって、芹沢を失うのが怖いからだ。


 だから。
 こんなにも気を使っているのに。
 どうしてコイツは気づかない。

 感情が高ぶりすぎて、不覚にも視界が歪んだ。

 「仕方ないでしょう」
 今にも泣き出しそうな顔は、芹沢からは逆光になって見えないはずだが。
「だって、スリルがあった方が盛り上がるじゃないですか」
 それにしたって、それはあんまりな言葉で。
 思わず涙もひっこんだ。
 代わりに。
「ざけてんじゃねえぞ」
 思いきり恫喝した。
 さすがに、芹沢も肩を竦めて口を閉ざした。
 パンパンと埃を払いながら立ち上がり、だって、とか、何とか呟いている。
「何か言ったか?」
「いいえ、何にも」
 更に斉木が詰め寄ると、芹沢は時計に逃げ道を求めた。
「あ、マズイ。斉木さん、時間なくなっちゃったんで、急いでもらえますか」
「時間て、何…」
「いいから、いいから」
 斉木の疑問には答えず、芹沢は腕をつかんで歩き出し、斉木はまた引きずられる羽目になるのだ。


















 再び、斉木は先刻のショップに連れ戻された。
 すると、先ほどの店員が即座に出てくる。
「どうだった?」
「ほとんどお直しの必要はありませんでした」
「そうだろうな」
 得意げな芹沢に、斉木が不安な表情を浮かべる。
「何だ…?」
「アンタのサイズ、俺は全部把握してるってこと」
「な…っ」
 その、意味を察して、斉木の顔が赤くなる。
「こちらです」
 店員は、何事もなかったかのような顔をして、二人を店の奥へいざなう。
「さ、早く行きましょ」

 ショップの奥に用意されていたのは、2着のスーツとワイシャツ、ネクタイ、更には靴に靴下まで、要するに頭から足先まで、全て揃えられていた。
「こちらが芹沢様です。そしてこちらがお連れ様の方です」
 と、店員に服を押しつけられ、呆然としている斉木の肩を上機嫌の芹沢が叩いた。
「時間がないんで、早く着替えてくださいよ」
「芹沢、お前、はめたな!?」
 血相を変えている斉木に、芹沢はにやりと笑って更衣室に消える。
 そうして、逆らえる斉木ではないのだ。


















 「ああ、やっぱ似合いますね」
 先に着替えていた芹沢は、着替えた斉木を見るなり、言った。
 対する斉木は、苦虫を噛み潰したような顔をして言う。
「バカか、お前は」
「バカってなんですか、バカって」
「バカだからバカって言ってんだよ」
「…ま、いいですけどね。ホント、時間ないんで行きますよ」
 絡む斉木に、あっさりと芹沢は身を引いた。
 本当に急いでいるらしい。

 そして、彼らは某三ツ星レストランの入り口に立つこととなったのだ。
 予約がしてあったらしく、芹沢の名前を確認すると、すぐに席へ案内された。
 席につくと、ワインのオーダーをしたが、ワインメニュー以外は出てこない。
 料理は、予約済みということか。
 さほど詳しくない人間にも上質と分かる、だが、値段を考えると悪酔いしそうなワインを呷って、斉木はセットした前髪をぐしゃりと崩しながら、苦々しく呟いた。
「芹沢…」
「何ですか?」
 芹沢は気障な仕草でワイングラスを傾けながら――更にそれが似合うのだからどうしようもないのだが――、ふわりと微笑って尋ねる。
 その、ヨーロッパ風の建築物と微かな違和感すらない、完璧に整った顔から視線をそらして、斉木は呆れたように吐き捨てる。
「お前……マイフェアレディをやるには、俺はゴツすぎるとは思わんか」
「あ…ああ、確かに似てるかもしれないですねえ」
 と、芹沢は、言われて初めて気がついたように応じた。
「さすがに、そんなつもりはなかったんですけど」
 苦笑が、空気を揺らす。
 見ていなくても分かった。
「こんないい男を更に育てるなんて、そんな恐れ多い」
 ふざけているとしか思えない言葉に、斉木は胸が苦しくなる。
 オードブルを半分も手をつけない内に、斉木はフォークを置いた。
「斉木さん?」
「気分が悪い」
「斉木…」
「黙れ」
 ギンとにらみすえられて、芹沢は肩を竦めた。
「斉木さんがそう言うなら黙りますけどね、食事は楽しく会話しながらの方がおいしいと思うんですよ」
「不愉快だと言ってる」
 斉木は取りつく島もない口調で、芹沢の減らない口をふさいだ。

 そのままデザートまで、まるで無言の行のような食事が続いた。
 さすがに三ツ星レストランであり、どれもすばらしい料理だったはずだが、味など木には分からなかった。
 斉木は思う。

 ――どうして、いつもこう言うことになるんだろう。

 確かに、自分達は付き合っているはずだった。
 なのにいつも、いつも自分達の気持ちはすれ違ってしまう。
 自分は、芹沢と一緒に歩んでいければ、それでいいのに――――。
 それ以上のことなど、何も、望んでいないのに。
 何も。
 こんな、高い食事も、そのためだけに買い与えられた服も、何もいらない。


 ――欲しいものは、ただ一つ。


 なのに。
 白磁のコーヒーカップを静かに置くと、芹沢はにやりと笑って言うのだ。
「さあ、行きましょうか」
「帰るのか」
 帰してくれるのか、と、心の中で呟く。
 ゆっくり寝たかった。
 一人になって。
 何も考えずに――。
 しかし。
「何、言ってるんですか」
 芹沢はカードで支払いを済ませてから、スーツのポケットからそれを取り出した。
 チャリ、と、済んだ音が、地下道に響く。
「そこのホテルに、部屋取ってありますから」
 指先でキーを弄びながら、芹沢は得意げにのたまったのだ。

 我慢の限界だった。

 斉木は、キレた。
「もう…ごめんだっ」
「斉…」
「俺は帰る!」
 斉木は宣言と同時に踵を返していた。
 冗談じゃない。
 どうしていつも俺がこんな目にっ。
 一応、自力で帰れる程度の金は持っている。
 もう電車はないかもしれないが、ビジネスホテルでも何でも泊まって、朝一番で帰る方がはるかにマシだ。
 このまま、芹沢と過ごすぐらいなら。
 頭の中で怒りの言葉を撒き散らす斉木は、ズカズカと駅の方向へ歩いていく。
「斉木さん!?」
 背後から追いかけてくる芹沢には目もくれない。
「ちょっと、どうしたんですか!?」
 何を言われても無視して歩き続ける斉木に業を煮やして、芹沢は正面に回りこんで、その歩みを止めさせた。
「どけ」
「おかしいですよ、アンタ。何を怒ってるんですか」
 芹沢は、本当に何も分かっていない表情で斉木を責める。
 許しがたい、ことだった。
「どけって言ってんだよ」
 再び芹沢の向う脛を蹴飛ばそうとしたが、芹沢は今度は難なく避けた。2度も同じ手は食わないと言うことらしい。
「何が気に入らないんですか!?」
 芹沢は、斉木を横から抱きすくめた。
「ば…、離せ!!」
 斉木の声は悲鳴に近かった。こんな公衆の往来で、ゴツくてガタイのいい男二人でやるべきことではない。
 だが、芹沢は更に腕に力をこめながら、斉木には理解できないことを尋ねてくる。
「アンタ、もしかして、本当に分かってないんですか?」
「何をだ!」
 斉木は、必死で涙をこらえた。こんなところで泣いて、誰かに見られたくはない。
 目の前の芹沢にさえ。
 ところが、芹沢は本気で驚いているようだった。
 心外と、くっきりと顔に書いて、言う。
「そう言うことなら、ホントに帰せない」
 芹沢は斉木の耳元で囁いた。
「このまま離すなんて、出来ないですよ」
「俺に命令する気か」
「とんでもない。お願いです」
 芹沢の声が甘さを帯びる。
「斉木さん、俺と一緒に来て下さい。説明しますから、ちゃんと」
 真摯な言葉の響きに、斉木は顔をうつむけた。
 自分はいつからこんなに弱くなってしまったのだろう。
「離せ」
 斉木は、自分を抱き締める逞しい腕に、そっと手を置いた。
 芹沢の声には、力がある。
 その力に、自分は逆らえやしないのだ――。
「斉木さん?」
「ちゃんと、行くから…離せ」
「斉木さん!」
 芹沢の声が弾む。
 斉木は、泣き笑いの表情に顔を歪ませた。


















 本日、三度目の驚愕である。

 二人の今晩の宿は、スィートルームと言うヤツだった。
 まず入った部屋はリビングで、また別に寝室がついている。
 リビングのテーブルの上には、巨大と言っていい真紅のバラの花束が載っていた。
 まさか、これはサービスではあるまい。
 と言うのも、一輪一輪がかなり大ぶりで、これがもしかしたら『1本1万円』と言うヤツだろうか、と、その手のことには疎い斉木でさえ思わず考えてしまうほど立派な花束だからだ。
 一体、今日、芹沢はいくら使ったのだろう。
 金額を想像しただけで、めまいのしてくる斉木である。
「俺には関係ないけどな」
「何がです?」
 いきなり背後から声をかけられて慌てて振り向くと、芹沢の顔が大写しになった。
 思わず身を引いて、斉木はそっぽを向く。
「先に風呂入るぞ」
 視線を避けるように髪をかきあげ、片手で乱暴にネクタイを外す。
 先刻脱ぎ捨てた上着の上にネクタイを放り投げて、これまた冗談のように広いシャワールームへと足を向けた。
 歩きながら、ワイシャツのボタンを外す。
 が。
「ダメですよ…」
 その言葉を聞いたときには、斉木は芹沢の腕の中にいた。
 抗議するために顔を仰向けた瞬間、熱い唇が覆い被さってくる。
 何度も角度を変えて、繰り返される口付けに、斉木の膝が折れ、柔らかなソファの上に倒れこむ。
「バ…」
「後ちょっと、待ってください…」
 斉木が押し返そうとしても、芹沢は怖い顔をして呟くばかりで。
「芹沢っ」
「ホントに、ちょっとでいいんで」
 それでも抵抗する斉木に、芹沢は非常事態を勝手に宣言してくれた。
「行くって言うなら、何してでも足止めします」
 ワイシャツの中に滑り込んできた指に斉木が身じろいだ瞬間、肩口に芹沢が顔を埋めてくる。
「もう少しだけ…」
「やめ…っ」
 斉木は本気で泣きそうになりながら、必死の抵抗を示した。
「ホントにっ、何…で!?」
「マジで分かってなかったんですねえ」
 芹沢は手を休めないまま、呆れたような声を出した。
 その時。
 高い電子音が、「Happy Birthday」を奏で始めた。
 斉木の携帯ではない。
 だとしたら芹沢のだが、それにしては妙に貧相な単音の安っぽいメロディだった。
「芹沢、電話っ」
「あ、ああ、いいんですよ、アレは」
 しかし芹沢は、ほんの一瞬だけ音のする方に視線を投げただけで、すぐに斉木に向き直る。
「ほっとくなよっ」
 斉木は知っている。今も、芹沢を誘う女は数知れないことに。
 芹沢の追っかけには、一般人は元より、芸能人だとかのかなりの有名人だっている。
 仕事の都合上、携帯のナンバーだっていろんな人間に知られているはすだ。
 こんな夜中の非常識な時間に電話をかけてくるような輩は、どう考えたって堅気じゃない人種だろう。何の誘いか知らないが、こんな時にかけてくるなと思う。
 でも、本当はそんなことはどうでもよくて。
「こんな時に…電源ぐらい切っとけっ」
 と、本気でワイシャツを脱がしにかかっていた芹沢の手が止まった。
「斉木さん…」
 この状態ではかっこがつかないことは百も承知ながら、斉木は精一杯芹沢をにらむ。
 もっとも、潤んだ瞳でにらまれたところで、恐れ入るような神経の持ち主ではないが。
 実際、口にしたのは緊張感のかけらもない言葉だ。
「もしかして、妬いてる?」
 その言葉に、カッと顔がほてった。
 それを隠すために、斉木は声を張り上げた。
「うるさいっ、誰が妬くかっ!」
「そうなんですか?」
 芹沢は笑いながら斉木の抵抗を抑え込み、耳元で囁いた。
「そこで素直にうなずいてくれると俺、すっごいうれしいんですけど、そう言う素直じゃないとこもかわいくて好きだから、どうしようもないですよね」
「な…っ」
 斉木は二の句が継げない。
 正直、鳥肌モノだ。
 その時、流れ続けていたメロディが、突然に途絶えた。
 芹沢が、屈託なく笑って、言った。
「あれね、アラームなんですよ。だから、気にしなくていいんです」
「……」
 斉木は絶句した。だが、それは一瞬のことである。
「お前! 何だってそんな!?」
「だから、人の誕生日はきっちり覚えているような人が、まさか自分の誕生日を忘れてるなんて、思ってもみなかったんですよ」
 それでこっちもはぐらかされてるって思ってて、ついさっきまでいじけてたんですよ、と、芹沢は拗ねて見せた。
「さっきのタイマーが7月27日の午前0時ちょうど」
「あ…」
 斉木は、ふいを突かれて気抜けした表情になる。
 そんな斉木の首に腕を回して、やんわりと抱きしめながら芹沢は言った。
「HAPPY BIRTHDAY。誰よりも先に言いたかったんです」
 甘い声で囁かれて、斉木は渋面になった。
 しかし、肩の力はがくっと抜けた。
「それで朝から、こんなとこまで連れ出して、服揃えて、三ツ星レストラン行って、こんな部屋まで取った訳か? たったそれだけのために?」
 バカか、お前は、と、呟く斉木に負けず劣らず、芹沢も不機嫌な表情になる。
「バカとは何ですか、バカとは。必死で考えて、何ヶ月も前から計画立ててたのに」
 スーツだってレストランだって、最低でも1ヶ月は前には予約しなきゃならないんですからね、と、芹沢は長い髪をかきあげながら、整った顔をしかめた。
「でも…」
「だから、俺にとっては重大事なんです。シーズン中の練習までほっぽりだしてきてるんですよ」
「だからバカだって言ってるんだ」
 斉木は、溜息をつく。
「それならそうと、お前こそ素直に言えばよかったんだ。そうしたら、あんな訳の分からないことには…」
 もう一度、肺の中を空っぽにするような溜息をついて、それから、斉木は苦笑した。
 訳も分からず一人でイラついて、ナーバスになっていた自分は、端から見たら道化以外の何者でもなかった訳だ。
 笑わずにはいられない。
「気づくはずないだろ? 一日ずれてたんだぞ。そのくせ、あんな大金かけて…」
「誕生日のプレゼントだから、奮発したんですよ。飲んだワインもアンタの生まれ年のを探してもらったし」
「芝居がかったことしやがって」
「特別な日にアンタを独占できるもんなら、安いもんです」
 斉木は、声を立てて笑った。
 晴れやかに。
「ホンット、バカだな」
「また、バカって言う」
 芹沢は大きな目で上目遣いににらんだ。
 そうしていると、いつもの完璧な美貌が崩れて、年相応に見えることを知っているのは、斉木だけだろう。
「しょうがないだろ、ホントのことなんだから」
 抗議の声を上げた芹沢の額を突ついて、斉木は言った。
「どうしようもないバカだよ、お前も、俺も」
 そして、斉木は芹沢の体を押し退けようとする。
「何…」
「気が抜けた。シャワー浴びてさっぱりしたい」
 と、いつもの調子を取り戻した斉木は何気なく言ったのだが、ソファから立ち上がろうとした瞬間、強い力で引き戻された。
「何する!?」
 芹沢の腕の中に抱き込まれてしまっては、暴れようにも自由が利かない。
 圧倒的に有利な体勢に持ち込んで、余裕の笑みを浮かべながら、芹沢が言う。
「そんな色っぽい格好見せつけておいて、お預けなんてヒドイですよ」
 当の本人、全く失念していたが。
 斉木は、ワイシャツを半分脱がされて、逞しい胸をはだけたままだった。
 慌てて肩を引き上げようとする手を、背後から芹沢がつかんだ。
「誰にも、今日は誕生日おめでとうなんて言わせませんよ」
「せ、芹沢…?」
「この部屋、明日まで取ってありますから」
 甘い声とは裏腹の嫌な予感に、斉木の背中を冷たいものが流れる。
「夜はまだまだ長いですからね」
「せ…」
 斉木が何か言うより早く、芹沢の唇が斉木の口をふさぐ。




 夏の夜は、熱い――。








 ――結局。

 誕生日をはさんで約一週間ほど、斉木は行方不明になった。
 部員達は、さりげなく多い女性ファンをさばくためにかなりの労力を要し、当然の代償として、斉木に行方不明の理由を問い詰めたが、その間の出来事について、斉木は硬く硬く口を閉ざし続けていると言う。










































あー、うー、スミマセーン、ダサダサですぅ。
何か、うわっ滑りしてていやだなあ(T_T)。
甘くないっすよねえ、きっと。
でもっ。私にとっては、十分甘い…と言うか、ホントのこと言うと、すでに吐いてる(爆)。
多分、書いていた時間より、悶絶していた時間の方が長い自信あるし…。
くそう、この万年新婚さん((c)さちさん)どもめ(T_T)。




まあ、それ以外にも、いろいろ後悔はありまして。
何となく途中で文章が変わったような…と、お思いの方、あなたは鋭いです。
その通り。最初は一人称で書いていたんですね。
それが途中から三人称に変わったのは、一人称だと、思いのほうが先に立って話が進まなかったから。
そんなこと分かっていたはずなのに…修行足りないっすね。




あ、そうそう、今回二人がうろついていたのは恵比寿ガーデンプレイスのつもり。壁紙も、似た風景だったので選びました。
一時あの辺り、うろちょろしてた時期があって、割と土地勘あるもんですから。
大分前のことなんで、もうちょっと変わっているかもしれないけど、建物の配置は変わらないですからね。
でも、タイユバンに入ったことないし、ウェスティンに泊まったことないので(ましてやスィートなんて、絶対ムリである)、その辺りは描写が妙にすっきりしているんですわ(苦笑)。
ちなみに、スィートなのは、そうじゃないとゆっくり寝られないからでしょう。
デカイから…。




それと、さちさんに許可取ってから、実は付け足したことが。
しまった、バラの花束忘れたぜ! って、アップの直前思ったので。
まあ、幸せらしいです…ここのせりさいは
でも、もうちょっとでそんなのんきなこと言ってられなくなるはずだけど。
ね、さちさん!(笑)




ま、何とか書き上げました。
次はお笑いやりたいと思います(宣言)。
だって、ホントは「マイフェアレディ云々」のセリフが書きたくて、そのシチューエーションを作り出すためだけに誕生日にしたんだもん。ついでにホントはせりへの誕生日のプレゼントだったんだけど、思いついたのが誕生日の3日後で、一年待てなかっただけなんだもん(T_T)。それがこんなにおおがかりになっちゃってもう(爆)。


夕日







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