まるでジェスチャーゲームのようだ。 言葉は力を持たず、はぐらかされてしまう。 想いを伝える術は、僅かな仕種と熱を孕んだ視線だけ。 それすらも常に傍らに居る事が不可能な身には、滅多に実行出来るものではない。 狡い、と思う。 時々ではあるし、相手は無意識だとは言え。 仕掛けたのは、彼なのだ。 自分ではない。 なのに彼ははぐらかしてばかりいる。 その横顔に笑みを浮かべるだけで、こちらが丸め込まれてしまうのを良いことに。 愚かなのはまんまとはまってしまった自分自身。 退くことが出来ないことは判っている。 進むしかない事は。 ――だが、どうやって?
LOVE´S CHARADE
ドアの開く音がして、芹沢は顔を上げた。 殆ど惰性になっている動作だった。 もう何度繰り返したか判らない。 新たな客が訪れ、失望と共に目を伏せる。 そんな動作を。 約束を交わした訳ではない。 どうしても逢いたい気持ちを押さえきれず手当たり次第に彼の行きそうな場所を聞いて回り、やっと突き止めた店で彼が来るかも知れないのを待っているのだ。 携帯の番号を聞いておけば良かったと後悔したが、先に立たず。 自分の下心ばかりを妙に意識してしまって、言い出す事さえ出来なかった。 莫迦な事をしている。 そういう自覚はある。 らしくないとも思うが、今の自分があらゆる莫迦げた事をやるほど愚かになっている自覚もあるのだった。 「斉木さん!」 その原因となる人が、そこにいた。 もう諦めかけた視線の先に、ドアを開いて現れたのだ。 芹沢は無意識に名を呼んでいた。 「芹沢? 偶然だな」 芹沢を映した瞳が、朗らかに微笑む。 偶然ではない。 会いたくて、待っていた。 女相手ならば幾らでも言える口説き文句を、どうしても口にすることが出来ない。 お久し振りですと、口から出たのはそんなありふれた挨拶の言葉だった。 それでも笑顔を目に出来ただけでも、単純に嬉しい。 「お前、それ何飲んでるんだ?」 芹沢の手元に目をやって、斉木が問う。 シンプルなグラスには、琥珀の液体が浅く揺れている。 「烏龍茶ですよ」 見え透いた嘘を言う。 本当はウイスキーをロックで飲っているのだが、そんなことぐらい斉木はお見通しだろう。 「未成年の癖にそんな強い酒飲んで」 予想通りに小言を言われる。 それが嬉しいのだから、もうどうしようもない。 まるで叱ってもらう為に悪戯をする子供だ。 「それを言うなら、斉木さんだって未成年でしょ」 緩む表情を隠さずに軽口を叩く。 「俺は、お前、大学生だし」 まるで言い訳にならないことを、斉木はもごもごと口の中で言う。 説教好きの癖に、隙だらけだ。 芹沢には斉木のそんなところも好ましい。 「誠」 わざとらしい咳の後、短く斉木の名が呼ばれた。 芹沢は全く気が付いていなかったのだが、斉木は一人ではなかった。 男の連れがいた。 斉木の背後に立っているその男は、斉木と同じくらいの身長で、育ちの良さそうな端正な顔をしていた。 美男の部類に入る顔立ちであり、決して地味なタイプではない。 如何に芹沢の目には斉木しか見えていないのか、判ろうと言うものだ。 「ごめん、ちょっと知り合いに会ったもんだから」 名を呼ばれた斉木は、謝りながら男の背に手をやって自分の隣に並ばせる。 「こいつ、親戚。 仁科春明。 で、こっちが友達の」 言いかけて斉木は芹沢の表情を伺った。 「――友達でいいんだよな?」 友人の後輩と紹介されるのが本当なのだろうが、友達と言ってくれる。 「光栄です」 芹沢は本気で言ったのだが、斉木は小さく笑った。 「この大袈裟な奴は、芹沢」 芹沢は握手などしたくなかったので、目礼で済ませた。 相手も同じ考えらしかったのは幸いだった。 こいつ、胡散臭い奴だと言う印象も、どうやら同じらしい。 「芹沢、一人なら一緒に――」 「誠、約束だったろう」 仁科は、表面は穏やかに、しかし反論を赦さぬ口調で、斉木が芹沢を誘おうとするのを遮った。 斉木は叱られたように首を竦める。 「また今度な。――酒抜きで」 悪戯に笑う。 「楽しみにしています」 芹沢は大人しく引き下がった。 斉木と会えただけでも満足と言うのは、本心ではない。 会えば傍に居たくなるし、音楽を聴くように声を聞き笑う顔を見ていたい。 だが今日は駄目だ。 あの男がそれを許しはしないだろう。 「何なんだ、あいつ」 芹沢は小声で呟いた。 去り際に見せた妙に勝ち誇ったような顔が気に掛かる。 馴れ馴れしく斉木の肩に手を掛け、何もかも判っているんだぞ、とでも言いたげな目つきで芹沢を見たのだ。 気のせいかと初めは思った。 あれだけのやり取りで、自分が斉木をどう思っているか、判る筈はない。 同じ病に罹っているのなら話は別だが。 ――そんな、まさか。 芹沢は即座に自分の思い付きを否定した。 だが、恋する男は嫉妬深い。片恋ならば尚更。 二人はこちらに背を向けて、並んでカウンター席に腰を落ち着けている。 その背中から、芹沢は目が離せなくなってしまった。 疑念が確信に変わるのに、時間は掛からなかった。 仁科の目は斉木のあらゆる表情を逃すまいとするかの如くに離れない。 その目は友人を見詰めるには情熱的過ぎるのだ。 斉木は全く気がついてないようだが、その目は品定めをするように斉木を眺め回し、満足そうにほくそえんでいる。 仁科は見詰めるだけでは物足りなくなったのか、斉木の肩に腕を回した。 そして引き寄せて、耳元で何か囁いたりしている。 斉木と言えば到って無邪気なものだ。 くすぐったそうに耳を隠して、少し怒った風なのが意外にも可愛い。 この意外性が曲者だ。 そんな筈はないと思っていた者が、ふと違う面を露わにする。 その様は見る者の心を大きく揺らす。 心に強く残るのだ。 たまに囚われ過ぎて、恋に落ちる者も居るが。 本人は無意識なのだから、性質が悪いとしか言いようがない。 そして今自分の身に起こっている事も、何も意識していないのだろう。 肩に回した手が、指先だけで背を辿って下りていく。 仁科はその整った顔にまるで挑発するような表情を浮かべ、斉木を見ている。 狙いを定めた漁色家、と言った様子である。 鏡を見ているんじゃないか? 昔の芹沢ならそう言われたかも知れないが、この厄介な恋に取り付かれてからは、修行僧もかくやの禁欲生活を送っている。 強いてそうしている訳ではない。 食指が動かないだけの話である。 かと言って、本命には迂闊に手を出せないのだ。 そんな芹沢にとって、目前で進んでいる事態は無視できなかった。 非常事態だ。 男に性的な興味を持たなかった芹沢が惚れたのだから、他の男にそれがないとどうして言えようか。 そうは思っても見回したところライバルは居ない様だし、気長に行こうとしていた。 ところが、とんだ所にダークホースが居たものだ。 まさか親戚とは。 しばらくは我慢していた。 本当は今すぐ間に割って入って、引っぺがしてやりたいところだ。 その内斉木も気が付くだろう。それにもし実力行使に出てもあいつが誤解だと言い張れば、自分に対する斉木の心証が悪くなってしまう、と自らに言い聞かせながら我慢した。 ――が、仁科の手が斉木の腰に回されたところで、芹沢の忍耐は限界に達した。 椅子を倒すほどの勢いで立ち上がり、競歩選手も青褪めるほどのスピードで斉木の傍らに行くと、その腕を取った。 「芹沢……?」 斉木が不審そうに芹沢を見上げる。 「出ましょう」 短く言うと、腕を引いて立ち上がらせる。 「どうしたんだ、お前?」 何にも判っていないところが、少しだけ歯がゆい。 「おい、誠が嫌がってるだろう」 仁科が引き止めようとする。 が、芹沢は斉木の手を離さなかった。 「走りますよ」 ぽつりと呟くと、斉木が了解する前に本当に走り出した。 レジの前を駆け抜ける際適当に代金を投げるように置いて来たのは、道徳観念が発達している訳ではなくただ店員から追いかけられないようにだ。 ――どれほど走ったろうか。 さすがに苦しくなった芹沢が足を止めると、斉木は勢いよくその手を振り払った。 「何考えてんだ! 芹沢!」 大分改善されたとはいえ、スタミナでは斉木が上である。 先に呼吸を整え、芹沢を怒鳴りつけた。 それがまるで仁科との仲を邪魔したことに怒っているように見えて、芹沢は微妙に捻じ曲がった。 「斉木さん、ほんとに嫌がってるんですか」 「はぁ?」 訳が判らず、斉木は頓狂な声を上げた。 「先刻あいつが言ってました。 誠が嫌がってるって」 口調を真似ると、仁科が斉木を呼び捨てにしていることに今更ながら腹が立つ。 「お前、そんなことに腹立てた訳?」 斉木は呆れた様子である。 「それだけじゃないです」 「何だよ、言ってみろ」 「その前に答えて下さい。 俺の事、嫌いですか」 むきになっているとは思うが、自制が効かない。 斉木は芹沢の真剣な顔を見て、笑い出してしまった。 「斉木さん!」 「悪い。 でもな、お前の事嫌ってたらこんなとこまで付き合わないぞ。 理由も聞かないでぶん殴ってやるところだ」 斉木の表情にはまだ笑いが残っている。 「今日は子供みたいなんだな、芹沢」 嫌いではないと言って貰えたのは良いが子供みたいとも言われ、どうしても芹沢は感情を真っ直に出来ない。 「で、どうして急にあそこから俺を連れ出したんだ?」 斉木はどうやら怒っては居ないらしい。 だが、事が事だけに、芹沢は言い淀んだ。 下手をすると自分の想いまで、悟られる恐れもあった。 常ではない芹沢の様子に、斉木も戸惑っている様子だった。 所在無く周りを見回すとバス停が近くにあり、ベンチが二つ並んでいる。 「あそこに座ろうや」 斉木が指差した。 「向かい合ってるより、話しやすいだろ」 気を使わせていると思うと、芹沢は自分の不甲斐なさが嫌になった。 素直に斉木の提案に従い、冷え切ったベンチに並んで座った。 「さぁ、話してみろ」 斉木が話を促す。 芹沢は腹をくくった。 「あの仁科って奴、ゲイでしょ。 あんたを狙ってますよ」 到って簡潔に言う。 「気付かなかったですか?」 「ああ」 肯定の返事かと芹沢は思ったが、ただの感情発声だったようだ。 「それで俺を連れて逃げたのか」 緊張感のないのんびりとした様子の斉木に、芹沢は焦れた。 「ああって、斉木さん――」 「知ってる」 芹沢の声は斉木に遮られた。 「だから、誘いに乗ったんだ」 芹沢は言葉を失った。 斉木が知っていて誘いに乗ったのなら、自分はとんだ邪魔者である。 失恋、したのだろうか。 しかも告白する前に。 表面だけを見ればそうだろう。 それでも芹沢は諦めたくなかった。 斉木の言い回しは何処か可笑しかった。 韜晦しているようで、彼らしくない。 「あいつの事を好きなんですか」 最悪の事態を予想しながらも、訊かずにはいられない。 「うーん、人間としては嫌いじゃないな。 でも芹沢の訊いてるような意味では……どうなんだろう」 「どうなんだろう、って」 呆気にとられて開いた口が塞がらない。 二枚目も台無しなその顔を、斉木が覗き込んだ。 「お前、変わってるな」 間近でじっと見詰められ、芹沢は慌てた。 ふわりと、斉木から良い香りが香ってきたのだ。 例のシャンプーの甘い香と、斉木自身の体香とが混ざりあって芹沢を陶然とさせる。 まるで媚薬ででもあるかのようだ。 「気持ち悪がるどころか、俺の心配なんかして」 「俺の事はどうでもいいんですよ」 芹沢は何とか持ち直した。 またたびを嗅がされた猫のようになっている場合ではないのだ。 「好きでもないのに、何で誘いに乗ったりするんですか!」 「じゃあ、お前は付き合ってた娘皆と、ちゃんと恋愛してたのか。 随分多彩な女関係だったと聞いてるが?」 切り返しが鮮やかで、芹沢は怯みそうになる。 「だから、俺の事はどうでもいいんだって言ってるでしょう?」 つい、語気が荒くなる。 さすがに斉木も気分を害したらしい。 「そう言うんだったら、こっちの事もどうだっていいだろうが!」 売り言葉に買い言葉。 口調も激しく、投げ付ける様だ。 「俺の決める事だ! お前には――」 関係ない。斉木はそう言うつもりだ。 聞きたくない、芹沢はそう思った。 冷たい、全てを拒否する言葉。 斉木の口から、そんな言葉を聞きたくなかった。 だから先回りした。 「関係ありますよ」 「どういう関係だよ!」 斉木が怒鳴る。 芹沢は負けないくらいに声を張り上げた。 「あんたが好きなんだよ!」 ムードもへったくれも有ったものではない。 それでもこれは、告白なのだ。 嘘も偽りも一片たりともない、真実の気持ち。 それは綺麗でも格好良くもない。 ただ伝わってくれれば、それだけでいい―― 「だから、好きでもない奴に抱かれて欲しくないんだ!」 今度は斉木が言葉を失う番だった。 先までの怒気は消え去り、驚くと言うよりはきょとんとしている。 幼児が哲学用語を聞かされたのと一緒で、意味が通じていないのではないかと、芹沢は疑った。 「正気か?」 やっと口を利いたかと思うと、失礼な事を言う。 「自分でも頭おかしいと思いますよ」 芹沢はやや自棄になって言った。 「でも恋愛って、大なり小なり気違い沙汰でしょう?」 「なんか、お前がそんなこと言うのは、意外だ」 でもそんなものかもな、斉木はそう呟いて口を閉ざした。 何を考えているのか、宙を見据えた瞳は現実を映していないようである。 最終が行ってしまったらしく、バス停には誰も来ない。 行き交うのは車だけで、そのエンジン音が却って沈黙を引き立てる。 その沈黙とは裏腹に、芹沢の心はざわめいていた。 告白した以上は答えが欲しい。しかしそれだけでは済まない予感がするのだ。 「昔やっぱり俺を好きだって言う奴が居てさ、そいつと付き合ってたんだ。 今は別れたけど」 斉木がようやく口を開いた。 何時もと変わらぬ口調なのは、吹っ切ったのか装っているのか判別がつかない。 「それで、まぁ、慣らされたんだな。抱かれる事に」 芹沢にとってはショックを受けるに十分な告白だった。 それなのに斉木は、滑稽な事のように……笑う。 「たまに、抱かれたくなるんだよ。 困った事にな」 「だから、あの男と――?」 「うん」 芹沢は何も言えなかった。 斉木は自分を見ない。 現実を映さない瞳で、誰を見詰めているのか。 忘れてなど居ないのだ、斉木は。 痛かった。心臓が締め付けられて、呼吸もままならない。 こんな、憂いの表情が出来る人だとは思っていなかった。 自分ではない誰かを想っているのにも拘らず、芹沢はそのかお表情に惹き付けられる。 狡い、と芹沢は呟いた。 諦めるべきなのに、こんな顔を見せられては絶対に無理だ。 想いは募っていくばかりで、冷める事を知らない。 手を伸ばせば触れられる、距離。 もし触れたら、何かが変わるのだろうか。 芹沢は手を伸ばして斉木の頬に触れようとした。 指先が、正に触れなんとしたとき、斉木が芹沢に瞳を向け、そして、その手を避けた。 今まで接触を避けたことなどなかったのに。 好きだと言ったからなのか? そう思った瞬間、芹沢の腕は斉木を捕らえていた。 胸を合わせ、隙間もないくらいに抱き締める。 不意を付かれた斉木は、芹沢を突き放すことも出来ない。 辛うじて動く手で拳を作り、その背を何度も殴った。 「離せ! この莫迦野郎!」 「嫌です」 芹沢は全く動じない。 「付き合ってた人って誰なんですか」 「聞いてどうするんだ?!」 「斉木さん、まだそいつの事好きなんでしょう」 斉木の抵抗が止んだ。 図に当たったのだ。 芹沢は嫉妬で胸が焼けるのを感じた。 「俺じゃ駄目ですか」 愚かな行動、愚かな言葉。 彼の恋する者の代わりになれなくとも、せめて…… 「抱きたいんだ、あんたを」 斉木が口を開く。 その色褪せた唇から発せられるのは、多分、拒絶する言葉。 だから芹沢は、その言葉を封じてしまった。 自分の唇で。 初めての口付けは触れただけで、感触も覚えていない。 二度目に触れた唇は乾いて、強張っている。 呼吸さえも止まるほどに、深く、奪う。 舌を差し入れ、縮こまった斉木の舌を捕らえ、絡ませ、強く吸う。 斉木の唇はすぐに柔らかく綻んだ。 これはセックスの一部としてのキスだ。 体液を交換し、もっと深くと切望する。 それを知っているだろうに、斉木は芹沢の口付けに応えた。 受け入れてしまえば彼は大胆で、まるで待ち望んでいたかのようだった。 芹沢は頭が麻痺して何も考えられなくなってしまった。 身体中に快感美が広がる。 たかがキス一つでこんなにも感じてしまう。 もし抱くことが出来たなら、それはどれくらいの幸福を与えてくれるのだろう。 唇が名残惜しげに離れたとき、しかし、斉木は勢いよく芹沢の胸を突き放した。 「この、恥知らずが……っ」 罵る声は、隠し切れず濡れている。 睨みつけられても肝心の瞳が潤んでいて、恐れ入るどころか誘っているようにしか見えな い。 「俺はお前とはしないからな」 色づいた唇で、裏腹なことを言う。 斉木は決して嫌がってはいなかった。 抱いた腕には、そんな気配さえ感じられなかったのだ。 「お前は本気なんだろ?」 斉木の問いかけに芹沢は子供のように頷いた。 「本気です」 じゃあやっぱり駄目だ、と斉木は言いながら立ち上がった。 この場から去るつもりだと気付いて、芹沢は狼狽した。 やはり、通じていないのかと。 芹沢が何故かと問う前に、斉木が言う。 「だって、俺は本気じゃないんだから。 お前に悪い」 残酷なことを、残酷さに隠した優しさで口にする。 期待するなと、諦めろと言いたいのであろう。 「今更――」 芹沢は自嘲気味に言った。 諦められないことは、もう充分に判りきっている。 例え斉木の心が他の者にあると知ったとしても、それは変わりがない。 「諦めませんから」 「おっまえ、物好き」 斉木は呆れたように言って、苦笑した。 少なくとも嫌がられてはいないらしいと思うと、安堵した。 余り押しが強くてしつこいと女に嫌われる、と回りの男達がぼやくのを聞いていた。 生憎と芹沢にはそんな経験がない。 黙って立って居ても視線は集まって来るし、少し図々しい女なら身体の関係になるのも、あっという間だった。 だから――これが初めての恋かも知れない。 途轍もなく不器用になっても仕方がないのだ。 「春明の所に行かなくっちゃ。 あいつ、探してるんだろうな」 斉木の呟きが、芹沢の耳を打つ。 「斉木さん……」 自分でも情けない程の声が出てしまった。 「ばぁか、断ってくるんだよ」 その言葉を聞いて芹沢は、肺が空になるくらいの溜息をついた。 余程ホッとしたのが顔に出たのだろう、斉木は気遣わしげに眉を寄せると僅かにその面を伏せた。 そうされると、上背で勝る芹沢から斉木の表情は全く見えなくなる。 「俺の好きな奴、な」 斉木は顔を上げ、言った。 「もう居ないんだ」 そして艶やかに笑った。 そうとしか言いようのない笑顔だった。 魅入られた芹沢が身動き出来ないでいるうちに、斉木は踵を返し、軽く片手を上げると元来た方へと歩き出した。 芹沢は引き止めることもせずに、その後姿が見えなくなるまで見詰めていた。 残像が消えない。 一生忘れられないだろう、そう思うような微笑だった。 その微笑をさせた男が憎かった。 過去の存在なのに、未だに斉木の心を縛っている男。 その存在を、自分に消すことが出来るのだろうか。 自信などない。 一つだけ確かなことは、今日の出会いで斉木への思いが一層強くなったことだけだった。 ならば採るべき道は、一つしかない。 「諦めませんからね」 芹沢は今日何度目かの台詞を、もう一度呟いた――
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