愛さずにはいられない
「それでは殿下、私はこれを届けて参ります」
最終確認をした書類を封筒に納めて、ローゲルが席を立つ。
そうして、辺境伯として執務室のデスクに座るバルドゥールへ一礼し、踵を返す。
そのままローゲルが執務室を退出しようとしたところ、突然、背後から突き飛ばされる。
不意打ちを食らったローゲルは脇にあったソファに倒れ込んだ。
その上に、音もなく忍び寄っていたバルドゥールがのしかかる。
気づいた時には仰向けにされ、ローゲルの足の間にはバルドゥールの膝が入り込んでおり、足を閉じることすら許されない状態であった。
ローゲルは半ば呆れつつ、だが表情には出さずに訴える。
「ええと、書類を届けに行きたいのでどいていただけませんか、殿下」
胸の前に封筒を抱えたまま見上げるローゲルを組み敷いて、バルドゥールは男ぶりのよい笑顔をを浮かべて嘯いた。
「おとなしくしておれ」
「ああ…」
ローゲルから封筒を取り上げ脇に放る仕草さえ様になる、バルドゥールはどこからどう見ても男前だ。
タルシスに来て食生活が豊かになったおかげか、それとも単に成長期が遅く来るタイプだったのか、見た目の麗しさはそのままにあれよあれよと言う間に立派な美丈夫に育ったバルドゥールに比べ、冒険者家業を引退し年相応に筋肉も落ちてきているローゲルが抗ったところで時間稼ぎ程度に過ぎない。
だが、無駄な抵抗と分かっていても、一言物申さずにはいられない。
「お戯れが過ぎます、殿下。執務中でしょう」
「そうだ、執務中だ。だから人払いはせいぜい一時間が限度だ」
それを聞いて、ローゲルは不本意そうに眉を下げる。
「片手間とはさすがに傷つきますね」
「何だ、ローゲル。時間をかけてかわいがって欲しいのか?」
「そういうことではありません、て、本当に悪ふざけはおやめ下さい」
足の間に入れ込んだ膝で股間を刺激されてローゲルが抗議する。
そんなローゲルのあごをすくって上向かせ、バルドゥールが告げる。
「お前が悪いのだ。仕事の時しか余の前に顔を出さぬではないか。忙しくて余の方からなかなか会いに行けぬのを知っているくせに」
ローゲルとバルドゥールの視線が合う。
バルドゥールの表情は真剣だ。
しかし、どこかその男ぶりに似つかわしくない子供が駄々を捏ねているような雰囲気が漂っている。
ローゲルは苦笑して、バルドゥールの頬に右手を伸ばす。
初老を迎えて肉が落ち、皺も出始めた、己の手が否応なく視界に入る。
「こんな老いぼれを抱いても仕方ありませんでしょう」
それを聞いて、今度はバルドゥールが大きくため息をつく。
「何度も言わせるな。僕はローゲルがいい。年だとか何だとかそんなことはどうでもいい、他の誰かでは駄目なのだ」
バルドゥールが幼さを隠しもせずに告げる。
それは、ローゲルにだけ見せる顔だ。
どれだけ男前に育とうと、変わらぬバルドゥールの一面。
言われたローゲルは役者のように大仰に肩を竦める。
「全く、困った方だ。正直、早く身を固めていただいて、御子の顔を見せて安心させていただきたいのですが」
バルドゥールの言い分など聞く耳持たぬ物言いに、さすがにむっとして言い返そうとした矢先、ローゲルがバルドゥールの胸元を掴んで囁く。
「今はこれで勘弁して下さい」
そうして体を伸ばし、バルドゥールの唇に触れるだけのキスをする。
不意を打たれて驚くバルドゥールの隙をついて、ローゲルはまるで現役のような身のこなしでソファの上から逃れ出る。
乱れた衣服を整え、何事もなかったかのように放り投げられた封筒を拾い上げる。
「ローゲル」
「また今夜、参ります」
それだけを言い残して、ローゲルは執務室を退出する。
「……敵わぬな」
バルドゥールはソファに座り直し、天を仰いだ。