皇子と一緒1

 イクサビトの里がある金剛獣ノ岩窟に煤けた緑色の帆の気球艇が降り立つ。
 そのゴンドラから降りてきたのは気球艇の主であるワールウィンド、そして大きな花束を抱えた皇子バルドゥールだ。
 帝国民の移民もある程度の目処がついた所、かねてからの皇子の願いに応じてワールウィンドが案内に立ったのだ。
「殿下、足元にお気をつけ下さい」
「大丈夫だ。しかし外の寒さが嘘のような気温だな」
 ゴンドラから降りた皇子が額に浮いた汗を押さえながら言う。
 対してワールウィンドが答える。
「この洞窟は本来は非常に寒いのですが、石板の守り手であった炎の怪物が住み易いように自らの鱗を洞窟中に振りまいているのです。
 あの赤熱した鉄の盾のような物がその鱗。
 その熱で多少の手傷は負うので、お近づきになりませんよう」
 いくらワールウィンドを名乗り、装束も冒険者のそれであっても、皇子の前では騎士としての振る舞いをやめられないのは致し方あるまい。
「ここのところバタバタしていましたから、さすがの物好き達もまだ狩りに来ていないようですね」
「して、どうやって進むのだ? あの鱗が行く手を阻んでいるように見えるが」
 最初の扉を開いた所で視界に飛び込んで来た鱗を皇子が指差す。
 それを見て、ワールウィンドは脇道にそれた。
「少々お待ち下さい」
 と、戻って来た時には手に氷銀の棒杭を何本か持って来ている。
「殿下はこちらでお待ち下さい」
 そのままワールウィンドは鱗に歩み寄る。
 鱗に最も近づいた時、ワールウィンドを包むように火花が飛び散るのが見えた。
 だがワールウィンドは怯む様子もなく棒杭を鱗に打ち込んで破壊する
「大丈夫か、ローゲル」
「大丈夫です、慣れていますから」
 ワールウィンドは冒険者の顔でサラリと言う。
「殿下、少々窮屈な思いをされると思いますがご容赦下さい」
 と、ワールウィンドが示すのは人がやっと通れるぐらいの穴だ。
「あの冒険者達が行き来が面倒だと開けていった近道です。頭をぶつけられませんよう」
 ワールウィンドが先に立って近道を潜り抜ける。
 皇子に聞こえているのに気がついているのかいないのか、ワールウィンドが小さくぼやく。
「失敗したなあ。先にホムラミズチの始末の依頼を出しておくべきだったなあ……」
 何を呟いているのかと思いながら潜り抜けた視線の先に、先ほど壊した鱗がいくつも重なりあって山になっているのを見つける。
「ローゲル、あれは」
「あれがこの階の熱源です。あれを壊せばこの先の近道を使えるようになるので」
 ワールウィンドは先ほど伐採した氷銀の棒杭を取り出し、当たり前のように歩み寄っていく。
 すると先ほどの鱗一枚とは比べ物にならないような火花がワールウィンドを襲う。
「ローゲル!」
 驚く皇子の前で棒杭を叩きつけられた鱗の山があっさりと崩壊する。
 その瞬間、辺りの気温が急降下した。
 瞬く間に水溜りが凍りついたのだからかなりの冷え込みだ。
「殿下、どうぞこちらへ」
 ワールウィンドに手招かれて皇子が歩み寄る。
 ワールウィンドからは少し髪がこげた匂いがした。
 むき出しになっている腕や肩にも軽い火傷の後が見える。
「本当に大丈夫なのか? 痛むのではないか?」
「これぐらいならすぐに治ります」
 心配する皇子をローゲルははぐらかす。
「これでもかの冒険者達が抜け道を確立してくれたので大分楽になったのです。彼らの地図と近道がなければ相当行ったり来たりすることになります」
「ふむ、冒険者というのはなかなか大変なものなのだな」
 感心する様子の皇子を見守るワールウィンドの視線は父のように優しい。

 もう一つの近道を潜ってイクサビトの里に到着すると、イクサビトの長であるキバガミの歓待を受けた。
「ようこそいらした皇子。たいしたもてなしは出来ないが、どうぞゆるりとして行ってくだされ」
「お気遣いいたみいる。早速だが、どうか花を手向けさせていただきたい。
 我が父、皇帝アルフォズルと、巨人の呪いに倒れたイクサビトの人々に」
 皇子は抱えていた花束を差し出す。
 色とりどりの花束を見て、キバガミは興味深げな表情をする。
「これは見たことのない花ばかりですな」
「巫女殿に手伝っていただき、深霧ノ幽谷で摘んで参った」
「なんとわざわざ。皆も喜びましょう。ではこちらへ」
 キバガミが先に立ち、イクサビトの墓場へ皇子を案内する。
 皇子は一掴みの花だけをのけて、大きな花束はイクサビトの墓に供えた。
「皇子」
 呼ばれて肩越しに振り向くと、キバガミが一本の砲剣を持って立っていた。
 巨体のキバガミが持ってすら大ぶりと感じられるその砲剣は、柄の意匠も見事な物だった。
「これがその墓に入っている人間が持っていた剣だ。我々がその人間を発見した時、ホムラミズチの死体が隣にあった。ホムラミズチと戦い、倒して、そこで力尽きたのであろう」
 と、キバガミは皇子に砲剣を手渡す。
 十年を経た砲剣は既に刃がボロボロだったが、その柄の施された紋章ははっきりと見える。
 その紋章を指先でなぞりながら、皇子が呟く。
「最後に陛下にお会いした時、余はまだ幼く、詳しく陛下の砲剣の姿形まで覚えてはおらぬ。
 だが、この柄の紋章は確かに皇家の紋章」
 そうして、ワールウィンドに視線を向ける。
 ワールウィンドは目を伏して応じる。
「それは間違いなく陛下の砲剣。見間違いようもございません」
「そうか……」
 皇子はキバガミとその背後のイクサビト達に向き直り、深々と腰を折った。
「父を手厚く葬っていただき感謝致します。また、意図しなかったこととは言え、イクサビトに巨人の呪いの苦しみを味合わせてしまった。ここに眠る皇帝アルフォズルに成り代わり、深くお詫び申し上げる」
「いろいろと不幸な行き違いもあったが、これからは皆で協力し合っていければいいですな」
 そこでイクサビトの女性がキバガミに声をかける。
「用意が出来たそうです。ささやかではありますが是非召し上がって行って下され」
「ありがたい」
 皇子は手にしていた砲剣をワールウィンドに預け、一掴みの花束を亡き皇帝の眠る墓の前に捧げる。
「では、参りましょう」
 短い祈りを捧げて顔を上げた皇子をワールウィンドが促す。
 そうして一同広場に戻った。

 広場では大きな鍋がぐつぐつと音を立てており、美味そうな匂いが満ちていた。
 鱗を壊してしまったために冷えきった中で、暖かな鍋物はとてもおいしかった。
 キバガミ秘蔵の酒まで振舞われ、楽しい時を過ごす。
 ――どれぐらいの時が経っただろうか。
 ワールウィンドがふと気がつくと広場に皇子の姿がない。
 もしやと思い墓所を覗くと、皇帝アルフォズルの墓石の前に膝をつく皇子の背中が見えた。
「お父様……」
 密やかな呼びかけに、ワールウィンドは十年前を思い出す。
 幼すぎる時に生き別れになってしまった父帝と二人きりで会話したいことがあるのだろうと、そっと扉を閉めようとした時のことである。
「お父様、ローゲルを僕に下さいっ」
 皇子の口から飛び出したとんでもない言葉に、思わずワールウィンドは扉の取っ手から手を滑らせた。
 そっと閉めるはずだった扉が大きな物音を立てる。
 弾かれたように扉の方に顔を向けた皇子とワールウィンドの目が合ってしまった。
 そんなつもりはなかったのだが結果的にのぞき見していた後ろめたさと、思いもよらなかった皇子の発言でワールウィンドは固まっている。
 そんなワールウィンドの前に皇子が歩み寄る。
「何だローゲル、聞いていたのか。それならちょうどいい」
 皇子は輝くばかりの晴れやかな笑顔で言った。
「お父様にお許しをいただいた。これで今日の目的は果たした」
 皇子の声は聞こえていても言っている内容が飲み込めずに呆然としているワールウィンドの腕を皇子が掴む。
「帰るぞ。これで晴れてローゲルは僕のものだ!」
「え、ちょっと、お待ちを、殿下!?」
 見た目は少女のような姿でも、帝国一の騎士である皇子は万力のような力でワールウィンドを引っ張って行く。
 ズルズルと引きずられて行ったワールウィンドの身にその後何が起こったかのかは、二人以外は誰も知らない。



夕日(2012.09.11)




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