それから伊本くんがシャワーを浴び終わるのを、私はベッドの上で座って待っていた。
替えの下着がないから、また同じものを着るのが不快だったけれど、
ずっとファミレスの硬い椅子に座っていたから、柔らかに沈み込む布団が心地良かった。
「その……」
「あのっ……」
「ん?」
「あ、いいよ、伊本くん、先で」
「いや、ここはレディファーストで」
「じゃ、じゃあ、あのっっ……、さ……、どうして…………、
どうして伊本くんは私が※※※だって分かるの?」
「え?」
「えっと、、私のこと……、どうして、分かるの……」
「だよな」
「え?」
「だよなー……」
「あの、それじゃ分からないんだけど……」
「そんなこと言われたってよ、俺だってどう説明したらいいのか分かんねーんだよ」
「…………、、、」
彼は頻りにばつが悪そうな顔と仕草を繰り返した。
早く知りたいのに。
早く教えて欲しいのに。
一体どうして、私のことが分かるのか―――……、、、
「数日前―――……」
「うん」
「世界が変わってた……」
「え?」
「今日学校へ行った」
「うん」
「俺、せつらに、逢いに行ったよ……」
「うん……」
「せつらだけど、そこにいたのは、せつらじゃ、なかった……」
「え……?」
伊本くんは頭を抱え、髪の毛を掻き毟った
それは本当に苦しんでいるようで―――……。
「みんなは彼女のことをせつらだって思ってたみたいだけど……、
あれはせつらじゃなかった……。
俺、マジ、混乱して―――……、
そしたら偶然……、駅前でお前を見つけたんだ。
信じられなかった。
でもどうしても確かめたくて―――……、
なあ、教えてくれよ―――……、
おまえは、本当に、せつら、なんだよな―――……?」
「うん、わたし※※※だよ」
「せつら……?」
「あは……、私ね、、自分の名前が、どうしても言えないの……、、、
信じられないかも知れないけど、
そういう、魔法みたいなの、かけられたの……」
「魔法……?」
「頭おかしいって、思うよね…………」
「魔法か……、なるほどな…………」
私の言葉に納得したような表情を浮かべ、伊本くんは床に寝転んだ。
「あっ、あの、ベッド、いいよ……」
私が慌ててベッドから立ち上がっても、一向に動く気配がないから、
私は仕方なくもう一度ベッドに座り直した。
彼は私をせつらだと分かっているわけではないのだろうか。
自分の名前を言えない私をおかしく思っているんじゃないだろうか。
床の上に寝転んでしまった彼は一体何を考えて―――……、、、
「※※※、※※※、※※※……、私……、私……、」
どうしても言えない。言えない……、、、
私がせつらだって、言いたいのに。
私がせつらだって、彼に、父に、飛鳥に―――叫びたいのに……、、、
「せつ、って言ってみて」
泣きそうになった私に、ベッドの向こうの床から彼は言った。
「せつ」
私は言われるままに言った。
「つらって言ってみて」
「つら」
「羅城せつ」
「羅城せつ」
「羅城せつら」
「羅城※※※」
「ふむ……、面白いな」
「面白くないよ…」
彼は不意に起き上がった。
「でもさ、魔法なんて言われたら、すっげー納得がいったよ」
「え?」
「うーん、でも、まあそれは、俺の部屋にきてくれないと説明しようがないな―――」
「う」
「おいおい、一緒にラブホに入っておいて今更俺の部屋には入れないとか言う気かよ」
「う」
「俺、せつらのこと好きだよ」
「う……」
それは知っている……。
知っているけれど。
考えてみたら、いつも下ネタばかり言ってくる彼と、ラブホにいるのはとてもやばい状況なんじゃ。
「あのさ……、私、今、伊本くんしか、頼れる人、いない……、けど……、、、
でも、、、その、、、変なこと、しないでね……、、、」
「しねーよ。馬鹿にすんな!」
「あ、ごめん……」
「と、言い切れないのが情けない」
「え?」
「しないつもり。でもあんまり無防備だと理性抑えきれないかもしんない。
それなりに警戒頼む」
「ううっ……」
とはいえ、私にはもう選択肢はない。
彼の家に何らかの手がかりがあるというのなら、行くしかない。
「でもさ、俺、すっげー自信ついた。
ほんと、今はもう、跳ね回って喜びたいくらいすっげー自信ついた」
「え?」
「だって、俺だけ―――、なんだろ……?
本当のせつらの事、気付いたの。
それって俺の気持ちが本物ってことじゃんか」
「うん……、私もう3〜4日一睡もできなくて―――、
ほんとにもう頭がどうにかなりそうで、
あの時、伊本くんが私の名前を呼んでくれなかったら――――――、、、私もう……
自分を※※※だって……、分からなくなってたかも……」
「一睡もしてない、か……。どうりで目の下の隈が凄いと思った。
新しい化粧かと思ったよ」
「そんな化粧無いよ…」
「なんなら、ここで少し休んでいく?
大丈夫、寝てる間に何かしようって気はない」
「ありがと、でも全然眠たくないから―――……」
「そっか、じゃあ早速俺んちいってみるか?」
「うん」
そして私は初めて、同級生の男の子の部屋へと入った。
そこには思わず精神病者と、叫びたくなるような
異常な光景が広がっていた―――……。
第56話:狂気
終わり