執着 十



 梅月は、外の結界に踏み入る前からこの結界が二重結界であることには気づいていた。
 例えて言うなら植物の種のような作りで、相当に堅牢だ。
 基本的には創生した者が自ら解かない限り、解けるものではない。
 だからこそ、面倒だと言った。
 本当は、こんな虎穴に入るような真似をせずに、梅月の屋敷にでも行き先を変えるのが一番面倒がなかったのだが、このまま村の傍に結界を放置することは弥勒が、そして桔梗も許すまい。
 よしんば弥勒を自分の屋敷に連れ帰ってこの場を切り抜けても、事態は何も変わらない。
 以前、弥勒が言ったことは全く正しい。
 そして恐らく、だからこそ弥勒は村を出て来たのだ。
 事態を動かすために。
 そうなのかと尋ねたところで、弥勒はいつもの無表情のまま、答えないだろうが。
 だが、弥勒は面にかかわらぬことであれば、理由がなければ指一本動かさぬ男だ。
 動いたからには動くだけの理由があり、そうして確かに事態は動いた。
 梅月も、秋月――御門も、動かざるを得なくなった。
「何にも考えていないような顔をして、全く食えない男だよ、君は」
 梅月は、桔梗を背に庇って立つ弥勒の姿を見ながら密やかに呟いた。
 視覚的には、すぐ近くにいるように見える。
 だが、梅月と弥勒達の間は位相をずらされており、多分、向こうから梅月は見えないし、梅月も薄い紗を通したような風景しか見ることが出来ない。
 音は完全に遮断されている。
 わざわざこちら側からだけ見えるようにしているのだろう、梅月に弥勒達の姿を見せ付けるために。
「随分と手間をかけたことだ」
 梅月はゆるゆるとかぶりを振った。
 そして、弥勒達に背を向けると、きっと顔を上げ、言った。
「いい加減、姿を見せよ。人を招いておきながら、いつまでも放っておくような不調法者の相手をする暇など僕にはない」
 凛と響く梅月の声そのものが力を持つ。
 その力に引き寄せられたように、人影が現れた。
「失礼仕りました。無作法、どうぞお許し下さいませ」
 そう言って深く頭を下げる男は、高麗の士太夫衣装に身を包んでいる。
 表情は見えない。
 伎楽の雑面をつけているからだ。
 雑面とは、紙に人の顔と言うにはあまりに不気味な文様を描いたものだ。
 そしてその紙の面が顔の上にかかってもそよとも動かない。
 それは目の男が、人ではないことを示していた。
 しばらく平伏していた男が、さやさやと衣擦れの音を立てながら体を起こす。
 そして、
「久方ぶりでございます、星見の君。十二神将が一、大陰、御尊顔を拝し奉り、光栄至極にございます」
 と、改めて儀礼に則った完璧な礼をする男を、梅月は冷ややかな瞳で見据えた。
「成程、お前がこの結界の核と言うことか」
「さすがは星見の君、おっしゃる通りにございます」
 再会を懐かしむ大陰に対し、梅月は非情に接したと言うのに、全く気分を害した様子も見せず、大陰は指摘されたからくりに同意した。
 そして、言う
「我が主の命により、星見の君をお迎えに参上仕りました。どうぞ私めと共にお屋敷にお戻り下さいませ。さすれば、彼の者達も傷一つなく開放いたしましょう」
 と、大陰が梅月へ手を差し伸べる。
「さあ、星見の君。御身の在るべき所へ還られませ」
「髪一筋損なうことなくと言うか。もう充分に僕の矜持を傷つけておきながら」
 と、梅月は口元だけを歪めて笑った。
 その手を取れば、問答無用で秋月の屋敷に送還されてしまうことに梅月が気がつかぬはずもない。
「まあ、千年もこの世に在り続けるお前には分からぬことか」
「星見の君?」
「もはや鬼神の誇りも何も忘れ去ったか。土御門の始祖により召喚され、力で捻じ伏せられて膝を折ったその屈辱など千年の過去に打ち捨てて来たからこそ、今もおめおめと御門如きに使役されておるのだろうな」
 梅月の言葉に、感情などないはずの式が、まして今は表情も見えない大陰が凍りついた気配が伝わった。
「思い出したかい」
 がらりと変わって優しい口調で梅月は告げる。
「思い出したなら分かるだろう。今、僕が君達の脅しに屈して同道すれば、どれほど僕の矜持が傷つくことか。もう二度と立ち直れぬかも知れないね。むしろ秋月にとっては心などない、星を詠むだけの人形の方が都合がよいだろうがね」
 口調とは裏腹に梅月が冷たく笑うと、大陰は必死の様子で訴える。
「まさか! 皆様、星見の君の御帰還を日々祈ってらっしゃいまする」
「待っているのは僕の星見の力であって、僕ではなかろう」
 と、梅月はぴしゃりと言った。
「それぐらいのこと、僕が分からぬと思うてか」
「ですが、少なくとも主は御身の御無事をお祈り申し上げております!」
「であればこれからも祈っておれと伝えよ。祈るぐらいは許してやろうよ」
「なれば…」
 と、再び差し伸べられた手を梅月は拒絶する。
「許すのは祈るだけ。御門の祈りなどかかわりなく、僕はこの通り楽しく健やかに暮らしている。それをたかが守り役如きのために曲げて戻れとは無礼千万」
 凍てつく光を双眸に宿して、梅月は宣言した。
「僕はお前達と交渉しに来たのではない。世話になっている村の前の目障りなこの結界を破壊しに来ただけ。さあ、無駄話はここまでだ」
「それでは彼の者達がどうなってもよいとおっしゃいますか」
 梅月を揺さぶろうとする大陰の言葉に、梅月は薄く笑って紗の向こうを指し示した。
「彼らが、どうなると」
「な、何と…」
 梅月が指し示す光景に、大陰が絶句する。
 多勢に無勢、弥勒達が傷つき倒れて行く様を梅月に見せつけ、そうして梅月に秋月に戻ると言わせるつもりだったのだろう。
 だが、現実は逆だった。
 食客達は奈涸一人に次々と斬り倒され、何よりも結界の中で力を得ているはずの式達を、桔梗の符が一つ残らず返してしまう。
「な、何故、主の結界の中であれほど力を揮えるのか!?」
 面で顔を隠したままだと言うのに、驚愕を露にする大陰に、梅月はくつくつと喉の奥で笑いながら問い掛ける。
「分からないかい? 彼女からは懐かしい気配がするだろう? お前達をこの世に縛り付けた男の気配が」
「まさか…そんなはずはございませぬ、千年この世に在る我らが存じ上げぬあの方の血縁がいらっしゃるはずが…」
「まあ、信じるも信じぬも僕の知ったことではないがね、だが、この風景は事実だ」
 梅月が言う。
「僕は仲間として彼らを選び、そうして彼らも僕を仲間として選んでくれた。だから、僕はここに在る」
 梅月は、きっぱりと言う。
 大陰に、と言うよりも、自分自身へ言い聞かせるように。
 その間も外では御門の手の者が倒されて行く。
 多勢に無勢であったはずが、御門側の方が圧倒的に不利だった。
「後は、僕がこの結界を破れば終わりだ」
 言い放つ梅月に、
「しかし、この結界は御身には破れませぬ」
 大陰が応じた。
「ほう、その根拠は」
 何故か楽しげに梅月は喉を鳴らして問う。
「この結界は陰陽二つの力をもて成るもの。故に私めが遣わされて参りました」
 対する大陰は淀みなく口上を述べる。
「外へ広がるは陽、内に縮むが陰。 この内なる結界は陽でございます」
「それで?」
「陽に陽の力を加えても、力を増すだけでございます。陽の巫子たる御身には、この陽の結界を破ることは至難」
「確かに僕は、陽の巫子たる秋月の星見。だが、それは僕が陰気を扱えぬと言うことではない。陰陽の気、共に扱う完璧なる者として秋月が千年かけて作り出したのがこの僕だ」
 梅月は一切の表情を消していた。
 梅月は懐から矢立てと短冊を取り出した。
「そうだね、陽の気が満ちる夏の句を一つ、二つ、どうだい?」
 と、大陰が何かを答えるより早く、
「吟詠!」
 梅月は立て続けに夏の句を吟じた。
 刹那、結界の中に白銀の光が満ちる。
 梅月は言霊で大陽の光を結界の中に召喚してみせたのだ。
「くっ」
 雑面を着けていても尚、射るような光に大陰が目の上に腕を上げた瞬間、
「吟詠!」
 梅月の声が凛と響いた。
 立て続けに術を発動させるその集中力はさすがと言うより他にない。
 白銀の光とは違う熱が、大陰を襲う。
「しま…っ」
 ぽっ、と、音を立てて、雑面が燃え上がる。
「そんな面をつけていれば、それが術具だと誰でも分かるよ」
 梅月は冷厳に言い放った。
「結界が陽であろうと関係ない。その核であり、陰であるお前を倒せばおのずと結界は崩壊する」
 だが、雑面が全てのからくりではない。
 先程大陰自身が認めた通り、内なる陽の結界の核は大陰だ。
 雑面は、内側の陽の結界を核とする陰の結界を支える増幅具に過ぎない。
 そこで梅月はまず大陰の力を増す術具を破壊して力を削いだ上で、本体である大陰も焼き尽くさんと更に炎に力を込めるべく、次の吟詠のために意識を集中する。
 その時。
 どおん、と、どこかで爆発するような大きな音がして、結界が激しく揺れた。
「うわっ」
「ぐあっ」
 精神を集中していた梅月は、激しい揺れに抗しきれずに尻餅をつく。
 だが、それ以上に、自身が結界そのものの核である大陰は、地に倒れ伏した。
 面を焼かれ、露になった人間離れした美貌は本来何の感情も表さぬはずだが、今は焼け爛れ苦しげに歪み、喉元を掻き毟る。
「な、何が…」
 梅月が慌てて紗の向こうを見ると、いつの間にやら九桐と風祭が掃討に加わっていた。
 本来そこにいるはずのない二人の姿を見て、梅月は何が起こったのか理解する。
 梅月が面を焼き払って結界が弱った隙に、無理矢理力技で入り込んできたのだろう。
 いくら障壁が弱まったとは言え、並の者に出来ることではないが、さすがに鬼道衆の幹部二人と言うべきか。
「全く、無茶をしてくれる」
 言霊と大陰にのみ意識を集中していたために全く護身できず、衝撃をもろに食らってしまった梅月は、よろよろと結界に縋って立ち上がった。
 一気に体力の半分を持って行かれてしまったようだ。
 情けなくはあるが、物理的な力に対する耐性がほとんどないのはあまりにも強過ぎる呪力を生まれ持ったが故の宿命だ。
「…洗わなければ使い物にならないね」
 足元に落ちていた泥塗れの筆を拾って、細く溜め息をつく。
 弱り目にたたり目とはこのことだ。
 体力を一気に削られた上に、呪力を安定させる筆がこの場で使用不能になってしまったことは、神将の一角を相手に回してはいくら梅月でも痛い。
 唯一幸いと言えるのは、結界の核である大陰の方がより傷が深いことだ。
 九桐達が結界に加えた攻撃力のほぼ全てが、結界の核である大陰に集中した傷は、けして浅くはないはずだ。
 だと言うのに、
「星見の君、御無事で…」
 一時の衝撃をやり過ごしたのか、大陰は梅月を案じて声をかけた。
 自分は、まだ地面に両手を突いて体を支えていると言うのに。
 つまるところこの世界に在る限り、ただ与えられた命を成し遂げることしか出来ぬ彼らの有り様に、わずかな憐憫を感じる。
 昔の自分なら、そんなことは有り得ないことだった。
 だから、梅月は問い掛ける。
「僕の仲間がまた増えたようだよ。どうだい、この場は引いた方が得策かと思うけれどね」
 実際、手練の九桐と風祭は瞬く間に残っていた刺客をのしてしまい、外の戦闘は終結してしまった。
 しかし、大陰は焼け爛れた首を横に振った。
「いかほど外の連中を倒したところで、この結界を破らぬことには彼等が自由になることは叶いませぬ」
 結界の核はあくまで大陰自身であり、内外共に、今も結界は消えてはいない。
「結界を修復したか」
「御意」
 戦闘は終結しても、彼らが結界の中にある限り、梅月に対しては人質のままだ。
 梅月は薄い唇を噛んで目を伏せた。
 梅月はありとあらゆる力を使役する代わりに、一撃で敵を倒せるような強力な術は持たない。
 そもそも『星見』と言う大きな力を持っていたならば、自ら闘う力までは持てないのが普通だ。
 人の器には、そこまで大きな『場』は持ちえぬのだ。
 だからこそ、秋月を守護する御門と言う家が存在する。
 もっと言うなら『星見』は闘わねばならぬような場に身を置くべきではない。
 だが梅月は、ほぼ百発百中の予見の力を持ちながら、自ら前線に立ち、鬼程度なら一撃で倒すことさえ出来る。
 それだけ強大な力、その力を納める場、力を完璧に制御する技、その全てを兼ね備えているのが梅月である。
 現世において、いや、闇がもっと身近であった遠い過去まで遡ったとしても、梅月が屈指の術師であることは疑いようがない。
 しかし、相手は式神の中でも神将と呼ばれるほどの存在だ。
 本来梅月のような一撃必殺の技を持たない術者が一対一で相対してはならない相手だ。
 それでも、今御門の結界を破呪出来るのは梅月しかいないのだ。
 自らの余力に不安はあるが、そんなことは感じさせない笑顔を作る。
「もう千年もこの世に在るお前達だ。形代を破壊し尽くしたとて今更在るべき世界に戻れもせぬだろうが、復活には時がかさもうな」
 何も答えぬ大陰に、梅月は宣言する。
「自ら引かぬと言うなら、僕が引導を渡すまで」
 『星見』を守る事を至上命題として刷り込まれている大陰は、けして梅月を傷つけられない。
 本能的に多少身を守ることはあっても、本格的な反撃は有り得ない。
 ならば、体力を削がれた今の梅月でもどうにかなるだろう。
 一撃では無理だ。
 せめて三度。
 足りない力はどこからか絞り出すしかない。
 ここで呪力を使い果たしたら、梅月自身も回復するまでしばらく寝込むはめになるだろうが、それを避けてはこの場を切り抜けられない。
 生々しい火傷の跡を引きつらせながら、じっと梅月を見上げる大陰の前で、梅月は覚悟を決める。
 意識を研ぎ澄まし、梅月が言霊を放とうと息を吸ったその瞬間。
「ぎゃあぁぁぁ!」
 大陰の口から断末魔の悲鳴が迸る。
 梅月の背後から白光が放たれ、大陰の輪郭がぼやけた。
 ほぼ同時に、ぱりん、ぱりん、と、玻璃が割れるような音が響き渡った。
 白光が視界を埋め尽くす中、大陰の眉間に鑿が突き立っているように見えたのは、幻か。
 確かめる間もなく、大陰の姿形が白光の中に融けて崩れる。
 突然の出来事で、さすがに呆然と立ち尽くした梅月が我を取り戻したのは、白光が消え去った後だった。
 さやさやと鳴る梢の音に気がつく。
 目の前に落ちている形代は、間違いなく大陰のものだ。
 結界は消えた。
 遮断されていたはずの音が聞こえることがその証拠だ。
 慌てて梅月は周囲を見回した。
 木漏れ日に鮮やかな緑が照り映えている。
 そして梅月の背後で、弥勒が何事もなかったかのように鑿を肩掛けにしまっていた。
 弥勒はあちこちに軽い火傷を負っているが、痛みを感じていないかのように無表情だ。
「弥勒…力を使うなと言ったろう!?」
 悲鳴のような声を上げて詰め寄った梅月に、
「力など使ってない」
 弥勒は常よりわずかに低い声で答えた。
 どうやら梅月に詰め寄られたのが不本意であるらしい。
「面は出してもいない」
 それは事実である。
 だが、
「君の力はそれだけではないと、何度も言っているだろう!」
 どちらかと言うと、その隠された力の方が問題なのだ。
 珍しく声を荒げた梅月を一瞥し、だが、弥勒は面倒くさそうに手で払う仕草をした。
「最善を尽くしたまでだ」
 そして一言。
「行くぞ」
 と、くるりと踵を返した。
 その背を、また別の怒声が追いかけてきた。
「おいっ、一体何したんだよ、弥勒!」
 追いついてきた風祭が詰め寄るが、
「別に」
 弥勒は常と変わらぬ平板な声で応じて、歩みは止めない。
「って、待て、コラ! 別にじゃねえだろ、別にじゃ! きれいさっぱり結界がなくなってんのに!」
 納得いかない風祭が食い下がったが、弥勒はきゃんきゃんと吠える風祭を視線で一撫でして、言い捨てた。
「俺は面打ちしか能がない。それだけだ」
「ざけんな、手前ぇ、弥勒! 待ちやがれ! あんなおっそろしいもん、くっつけてんじゃねぇ!」
 分からないなりに気だけはしっかり感じ取っている風祭は、すたすたと歩き去る弥勒を追いかけて行く。
 あっという間に小さくなって行く二つの後姿を見送りながら、残る四人は思わず溜め息を吐いた。
 九桐がきれいに剃り上げた頭をつるりと撫でて呟く。
「自覚がないってのは、恐ろしいもんですなあ」
 それはこの場にある全員の思いを代弁していた。
 本当に面打ちしか能のない人間ならば、一撃で結界を破壊することなど不可能であることに、多分、弥勒自身が気づいていない。
 弥勒は、面を打つ時にその身に神を降ろす。
 千早ぶる神さえも例外ではない。
「全くねえ」
 桔梗がこめかみを押さえて小さくうなずく。
「まあ、こんなところで立ち話しているのも何ですし、我々も戻るとしましょうか」
 すでに諦めの境地にあるのか、奈涸が肩を竦めながら提案する。
「それもそうだな」
 九桐はうなずいたものの、自分は後始末をしてから戻ると一人残り、梅月達は弥勒の後を追って村へ入った。

十一

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