達人
練習が始まる前のことである。
「神谷ってさ」
部室で着替えながら、久保が唐突に言い出した。
そのあごには、派手に湿布が貼られていて、さすがに男前度が幾分落ちている。
不良に絡まれている美奈子――実は、久保はまだ名前は知らなかったが――を助けたのは、昨日の話である。
「ケンカ強いんだな」
その言葉に、その場に居合わせた大塚と赤堀が久保を見る。
神谷は日直で遅れていて、ここにはいない。
久保は特に大変なことを話していると言う自覚もなく、湿布をなでながらいった。
「だってさ、俺は最初に一発くらって気ぃ失っちゃったのにさ、どうもそれ以上殴られたり蹴られたりした気配ないし、庇った女の子は完全無傷だったし、神谷自身も目立った傷なかったし。相手は二人で一人どころか足手まとい二人付きだったのに、すごいよな」
本気で感心しているかのような口ぶりに、大塚が低い声で言った。
「まあ、二人ぐらいなら、アイツは朝飯前だろ」
その後に、けっと吐き出した。
驚いて久保が大塚を見る。
すると、当の大塚は怒っているような苛立っているような表情で、隣りの赤堀は、珍しく明らかに困ったような顔をしていた。
「何…?」
久保が整った眉をひそめると。
そっぽを向いてしまった大塚に代わって、赤堀が困った顔のまま、言った。
「それが、僕らが聞いてた神谷についての悪い噂、ってヤツの一つでさ」
「何だよ、それ」
久保の眉がつりあがる。