「俺が、どうしたよ」
 部室のドアが開いて、当の神谷が現れた。
 3人は思わず、一歩引いた。
「何だ、よくねえ話か」
 ぼそりと、神谷は言い当てた。神谷は、他人のことには素晴らしく勘がいい。自分自身に関してはとことん鈍感なのだが。
 3人が何も言わないのを見て取って、神谷は自分のロッカーを乱暴に開けて、着替え始めた。
 気まずい空気が流れた。
 何とか間を取り持とうとする久保が口を開く前に、大塚が挑むように言った。
「そうだ、悪い噂だ。ちょうどいい、気になってたんだ、答えろよ」
 大きい目をギョロリと剥く大塚を横目で一瞥して、神谷が応じる。
「言って、みろよ」
「毎日、ケンカの呼出状もらってるって、本当か」
「毎日はねえよ。まだ、たまにあるけど」
「ちょっと待って。もしかして、現在進行形?」
 神谷の言い回しに、久保が慌てて割って入った。中学時代の話ではなかったのか。確かに出会ったばかりの神谷は、大塚達の話もそう不思議ではない気配を漂わせていたけれど、今は、自分がほぼ行動を共にしている。それでも全く気づかなかったと言うのに――。
「ケンカは売られてるけど、買ってはいねえから心配すんな」
 俺だって、連帯責任ぐらいは分かってる、と、神谷は何事でもないかのように呟いた。
「それってよ、2、30人と大立ち回りしたって話と関係あんじゃねえか」
「ああ、箔づけってヤツ?」
「そうそう」
 2、30人も一人でのした神谷に勝ったと言うことなら、相当の箔がつくだろうから、と、大塚が言うと神谷は、
「2、30人? んなバカなことしたことねえよ」
 と、呆れた口調で言った。
 その、言葉に。
「何だ、もしかしてただの尾ひれがついた噂?」
 と、久保が安堵の溜息をつくと、大塚も赤堀も納得の表情を浮かべた。
 やはり、いくら何でも二桁は多すぎる。
 緊張した空気が一気に緩んだ。
「やっぱ、噂は信用ならねえなあ」
 と、突っかかった大塚も苦笑する。
 が。
「その場に何十人いようが、上から強そうなヤツ4、5人もぶっ潰せばもう他はやる気なくして終わりだ。いちいち全員ぶっ潰す必要なんかねーよ」
 んな、めんどくせえ、と、ロッカーのドアを閉めながら、着替え終わった神谷は笑って言った。その表情はむしろ朗らかでさえあるが、逆に妙な迫力を増している。
 そして、ざざっと引いた気配に、3人を見る。
「どうした?」
「な、何でもないよっ、なあ!?」
 血の気の引いた久保に同意を求められ、大塚と赤堀がぶんぶんと音がしそうな勢いで縦に首を振る。
 それから恐る恐る、神谷に久保が問う。
「ちなみに、さっきの話、体験談?」
「ああ、まあな。もうやんねえから心配すんな」
 神谷は疑われていると思ったのか、細い目を更に眇めて言った。その目つきは確かに迫力がある。
 さっきの話に信憑性を感じてしまうぐらいには。
 ピキリ、と、音を立てて空気が凍りついた。
「ま、いいじゃねえか、さっさと練習始めようぜ」
 と、神谷自身が話題をあっさり切り替えて、部室の外へ出て行く。神谷は全く、自分の発言が投げつけた波紋に気がついていない。
 バタン、と、部室のドアが閉まってししばらくしてから、残された三人は、ようやく呪縛から解き放たれた。
「達人…」
 アイツとだけはケンカはすまいと、心に誓う一同であった。





夕日(2011.01.15再)






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