見えないオシャレ(はあと)・2
「ただいま」
「こんばんは」
ガラッと玄関が開く音ともに、兄とその親友の声が、自室にいた実花の耳に届いた。
――また来たの!?
と、思う実花の予想に違わず、久保君、いらっしゃい、などと応対する母の声が聞こえてくる。
程なくして、実花の部屋の前を二人分の足音が通過して、そして、隣の兄の部屋に入っていった。
思わず、実花はため息をつく。
今晩も悩まされることになるのだ。
――あの音に。
実花の兄――言わずと知れた神谷である。
中学までは紆余曲折あってぱっとしない選手であった。
しかし、高校に入ってすぐの夏の大会でようやく、注目されるようになった。
あくまで、天才久保のパートナーとしてではあったが。
妹の実花から見ても、神谷は月に届くかと思われるプライドの持ち主である。
正当に実力が評価されていないと腐っていた神谷は、少しなりとも注目されるようになった大会後、いよいよ気合が入りまくっていた。
実花は、神谷の、神谷と久保の夢を知っている。
それはことあるごとに、まるで熱に浮かされているかのように口走っていれば、嫌がおうにも耳に入ってくる。
本当に何もないところから、自分達のサッカーで天下を取ると言う、野望と言おうか、無謀と言うべきかの壮大な夢は、実花から見ても魅力的であり、また、久保がいれば絶対に出来ると言う、神谷の言葉も、嘘ではないと思う。
だが、自分が一番だと言って憚らなかった兄が、まるで崇拝するような視線を久保に向けるようになったのは、かなり意外だった。
そんな風に、神谷が変わるとは、実花も思ってもいなかったのだ。
しかしそれも、むべなるかな。
久保は確かに、文字通りの天才だった。
ただの天才ではなく、スター性すら、備えている。
違う、のだ。
存在の次元が。
実花ですら分かることに、神谷が分からないはずがない。
神谷にも、才能は十分に備わっていたのだから。
それは身内の贔屓目ではない。
ようやくその存在を意識されるようになった神谷は、これからどんどん無視し得ない存在になっていくだろう。
それは、確実な未来だ。
だから。
神谷が気合が入るのもうなずける。
だがしかし。
こうも頻繁にあの音に悩まされるのは、実花としては非常に困るのだ。
音だけではない。
振動までも伝わってくる。
気が散って、仕方がない。
その音に気がついてから、机を壁から離してみたり、いろいろやってみたのだが、やはりダメだった。
デカい男が二人も揃ってゴチャゴチャやってくれた日には、かなりの振動が発生する。
まして、どちらにも抑える気はないのだ。
はあ、と、実花がため息をついた瞬間、
「うんっ、うんっ」
と、押し殺したような神谷の声が聞こえてきた。
その声にあわせるように、ギシギシとベッドが軋む音がする。
実花の部屋の床も、少々振動していた。
「ああっ、もうっ! また始まったわね!」
実花がわめいても、隣室から聞こえてくる声はやまない。
――平常心、平常心。
実花は自分に言い聞かせる。
しかし、神谷の声が止んでほっとしたのもつかの間、
「もうへたんの。この間より早いぞ」
とか言う久保の声がして、するとまたすぐに、声と振動が始まるのだ。