六月は嫌いだ。
斉木はそう思う。
梅雨と言うのがいけない。
じめじめと湿気ていて気分まで暗くなってしまう。
サッカーだって思う存分出来なくなる。
嫌な事が起きるのは大抵六月だ。
 今日も、そうなるのだろうか?
斉木は美しく手入れされた庭を忙と眺めながらそう思った。
斉木家の庭は広い。 庭園と言った方が良い位なのであるが、造園を趣味の一つに持つ母の指示によって四つに区切られ、それぞれが春夏秋冬に見合うように造られている。
今斉木が眺めているのは春の庭だ。
樹齢百年はあろうかと言う桜は元からそこに在り、斉木家を見守って来た。
今は花期を終え緑の葉が萌えている。
空気も霞むほどの満開の花を咲かせていた時期の華やかさが嘘の様に重厚な佇まいを見せていた。
『桜の下には死体が埋まっている』
斉木はふとそんな一節を思い出した。  坂口安悟だったろうか。
あの桜の下に、斉木も埋めたものがある。
想い出を、埋めたのだ。
 満開の桜の下、降りしきる霧雨と散り掛かる花びらを全身に纏いながら、彼は立ち尽くしていた。
花の化身のように。
そして言ったのだ。
『好きだ』と。  
『誠が欲しい』と――
 背後に足音を感じて振り向くと、家政婦の山本がいた。
声を掛けるのを躊躇うような風情に、斉木は安心させるような微笑を返した。
「あいつら、来たの?」
斉木から声を掛けると、山本は明らかにホッとしたようだ。
「先程お見えになられて、菖蒲の池の方にご案内しました」
「ありがとう」
礼を言うと斉木は踵を返して友の待つ場所へと向かった。
 内海が花見をしようと言ったのが戯れなのは判っていたが、斉木は敢えて花見の席をしつら設えた。
今見ごろの花は一般には紫陽花と言った所だが、斉木家には池を縁取る菖蒲ヶ原がある。
斉木はそちらを選んだ。  紫紺の花弁と、すっきりとした姿が斉木の好みなのだ。
花々の中(みやび)の真似事でもすれば少しは気も紛れるかも知れぬ、そう案じたのである。
内海が芹沢を伴って訪れると言う。
逃げるなと言うからには、逃げたくなるような話があるのだろう。
心当たりは有り過ぎる程だ。
ただ内海が関わってくるのが判らない。
余程興をそそらない限りは、他人の揉め事など避けて通る人間の筈だ。
少なくとも同性間の恋愛沙汰など、一顧だにしないだろう。
芹沢にしても斉木との事が上手く行かないからと言って、内海に相談するとも思えない。
いや、そう思える程自分は芹沢を知らない、と斉木は思い直した。
それは芹沢も同じ筈だ。
その芹沢が自分に惚れたなど、何かの勘違いとしか考えられない――
 池の周囲は紫の花に彩られ、微かに香気が漂っている。
夏には蓮が水面を飾るのだが、印象の強さでは今が勝る。
その景色が最も映える場所に毛氈を敷き螺鈿の卓と座布団を置いたのが、今宵の宴の席であった。
 そこには既に三つの人影があり、その中の一つが斉木を見るなり文句を言ってきた。
「遅いぞ、斉木! 客を待たせるんじゃない!」
内海である。
「うるさい、何処に客が居るんだよ!」
内海流の挨拶に慣れている斉木は、すぐに憎まれ口を返してやる。
そうしながらも、強い視線が向けられているのに気付いていた。
彼は笑顔を作ってその視線の主に瞳を向けた。
「そう言や、ここに客が居たな。 加納と、芹沢が」
自然に笑えているか、斉木には自信が無い。
誤魔化すように言葉を継いだ。
「よく来たな。 久し振りだ」
加納は一つ頷いただけで挨拶に代えた。
寡黙な性格は相変わらずのようだ。
「ご迷惑じゃなかったですか」
芹沢が言う。
やはりぎこちない態度だったろうかと、斉木はうろたえた。
「そんなことはない」
否定する声が力んでしまう。
それを聞いた芹沢は、斉木に気を使わせてしまったかと心配になる。
「ああ、鬱陶しい!」
いきなり内海が声を上げた。
「手前等二人の世界造ってんじゃねぇぞ! 酒だ、酒!
さっさとつまみ出しやがれ!」
平手で卓を叩きながら内海が不機嫌に言う。
「誰が二人の世界を造ってんだよ」
「うるせぇよ。 早くしろ」
内海は斉木の反論など軽く流してしまう。
軽い息を一つ吐くと斉木は料理に掛けられた覆いを外した。
卓の上に美味しそうな料理が現れる。
「モツの煮込み、鰤の昆布巻き、鰈の唐揚げ、刺身サラダに鶏の竜田揚げ……旨そうじゃねぇか」
途端に機嫌が良くなるのだから内海も現金なものだ。
「腕上げたんじゃねぇの、斉木」
「そりゃあ、口の奢った友人のお陰でな」
「誰だ、その友人てのは。 そいつに感謝しなくちゃならん」
斉木程度の嫌味では内海には全く効き目がないのである。
「これ、斉木さんが作ったんですか?」
「そうだぜぇ。 料理は斉木の数少ない取り得の一つだ」
芹沢の驚きの声に応じたのは、斉木ではなく内海だ。
上機嫌なのは、それだけ友の作る料理を気に入っているからだろうが、自慢されているようで芹沢は気に入らない。
「数少ないって何だよ」
不服そうに抗議する斉木でさえ、互いの親密さを証明しているように芹沢には見えた。
それは嫉妬である。
情けない事にその感情は、斉木に会うお膳立てをしてくれた先輩にさえ向かってしまう。
以前、もしかすると今も、斉木の心を占める者が誰か判らないだけに、誰も彼もが疑わしく見えてしまうのだ。
そんな芹沢が今の斉木の話し振りを聞いて、まるで内海の為に料理の腕を上げたように受け取っても仕様がないだろう。
「何で料理を? 趣味なんですか」
斉木は芹沢の心情などまるで判っていない。
小首を傾げつつ芹沢の問いに応じる。
「俺の母親が忙しい人で、あんまり子供に構ってくれなかったんだよ。
それで山本さん、昔から家に居てくれる家政婦さんだけど、山本さんにくっついて手伝ってるうちになんとなく」
斉木の答えに、芹沢は改めて周りを見回した。
 広い。
自宅などと言うのが非常識な程だ。
裕福だが孤独だったのだろうか、斉木は。
 土を踏む音がして、一同の視線がそちらに向いた。
ふくよかな女性が大きな盆を持ちこちらに向かっている所であった。
「お邪魔しますね」
にこやかに言いながら盆を卓の上に置いた。
「ごめんね、山本さん」
「いいえ、皆さんお元気そうで、お会い出来て嬉しゅうございます」
内海と加納は旧知なのだ。
加納が珍しく笑う形に表情筋を動かした。
今しがた置かれた盆は加納のリクエストででもあったのだろうか。
斉木が加納の前に盆を押しやった。
「もしかしてそれは――」
内海が大袈裟に身を仰け反らせる。
覆いの下から現れたのはワンホール丸ごとの大きなケーキだった。
「殺人ケーキかよ」
内海がうめいた。
彼の甘い物嫌いは仲間内では有名だ。
「あっち行けよ、臭うだろうが」
追い払うように手をひらひらさせる。
「失礼だぞ、内海」
加納が嗜めるように言う。
当の山本はただにこやかに微笑んでいるだけで、気を悪くした風ではない。
それはさながら息子を見守る母親のような笑顔だ。
ああ、と芹沢は一人で息を吐いた。  この人は孤独ではなかったのだ、と。
しかしこの場でそんな事に気を揉んでいるのは自分一人で、外の者には周知の事実なのである。
疎外感を味わわずにはいられなかった。
「山本さん、今日はもういいから休んでよ。 折角親父達も居ないんだし、羽を伸ばして」
斉木が孝行息子らしく声を掛ける。
「そんな訳には――」
「後片付けはこいつらにさせるから」
「そうそう、お任せ下さい」
内海が請合った。
嫌に簡単に応じる、と芹沢が意外に思っていると、いきなり肩を叩かれ「こいつが全部やりますから」と続けられてしまった。
「俺ですか?」
思わず情けない声になる。
「皆で、だ!」
斉木が声のボリュームを上げた。
内海がわざとらしく耳を塞いで見せる。
 山本が小さく声を立てて笑った。
「じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きますね」
斉木の気遣いを受け入れつつも、自分が居ると気兼ねなく騒げないだろうと、一礼を残し去っていく。
 その後姿を見送って、それではとばかりに内海が酒の瓶を卓の上に置いた。
「酒造りでは最南端、何度もコンクールで金賞に輝いた酒だぞ。
お前らには勿体無いかも知れんが、たまには本当に旨い酒を味わってみろ」
そう言いながらも、自分の前には別の瓶が置かれている。
斉木の視線を辿った内海は、その些か小ぶりな瓶を引き寄せて言う。
「これは俺専用」
「誰も取りゃしないよ。 お前がそんなちょっとで足りるのかと思ってさ」
「何を失礼な。 人をうわばみみたいに言うな」
言いながら瓶から直接手酌をする姿は、どう見ても未成年には見えない。
飲み慣れたおやじ――斉木は心中で呟いた。
口に出すような恐ろしいことは、迂闊な所のある斉木でも流石にしない。
 一人先に杯に口をつける内海に習い、冷酒器に内海お勧めの日本酒を移す。
それを芹沢に向かって片手で持ち上げ、杯を出すように促す。
「ほら」
この前会った時は「酒抜き」だと言っていた筈だが……それを軽口として口にする余裕は、芹沢にはない。
礼を言いつつ杯を受けた。
実際これからのことを思うと、素面(しらふ)ではいられなかった。
斉木も同じ思いらしい。
加納に酒を勧めた後、自分の杯をなみなみと満たした。
「うん、旨い」
斉木が思わず感想を漏らすと、内海が満足そうに頷いている。
「そうだろ?」
「でも少し軽すぎませんか。 確かに透き通って混じり気無しって感じだけど、その分弱いような」
芹沢の意見は内海によって遮られてしまった。
横合いから薄い頬の肉を思い切り引っ張られたのだ。 二枚目も形無しである。
「生意気な口はこの口かな?」
「何すんですか!」
頬を擦りながら抗議する芹沢には目もくれず、内海の視線は加納に向かう。
「ここにはケーキで飲んでる奴が居るし」
「結構いけるんだ。 お前もどうだ?」
「恐ろしいことを言うな!」
本気で嫌そうである。
「大体プロの癖にそんな糖質バリバリのモン食ってもいいのかよ。 ウェイトコントロールはどうした」
「やっている。 こう言ったものを口にするのは、ごくたまにだ」
言いながら、フォークを口に運ぶ。
日本酒にケーキと言う組み合わせだけでなく、それをきこしめしているのがおやじと渾名される加納であるという事実が眩暈ものなのだ。
「そのケーキに付いてはお前にも責任があるだろ、内海」
斉木が悪戯っ子のような顔で言う。
内海は鼻を鳴らしただけで返事をしない。 
応じたのは加納だった。
「このケーキはバレンタインデーに斉木がプレゼントしてくれたんだ」
「バレンタインデーってなんですか?」
芹沢の声が不穏な調子を帯びる。
「変な意味じゃないぞ」
慌てて斉木が訳を話し出した。
こいつが、と加納を指差し、「甘いものが好きなのに貰うのはビターとかチョコレートじゃなかったりで、詰まらんって言うもんだから、内海が生意気だって言ってさ」
架空の女の子を装って、このケーキをプレゼントしたのだ。
抹茶味のスポンジに小倉餡とホイップクリームをサンドし、周りを水羊羹でコーティング、更にホイップクリームを絞り飾りは一口最中という、斬新なケーキである。
考案したのは内海で、コンセプトは食べたら死ぬ殺人ケーキ。
ところが加納はいたくお気に召し、「このケーキを作ってくれた女の子に会いたい」と言い出したのだ。
これにはさすがの内海も降参して、正直に悪事の告白をした。
真実を知った加納は大して残念そうではなかったから、もしかして始めから悪事に気が付いて知らぬ振りを装っていたのかもしれない。
それ以来斉木は内海の悪事に加担した負い目もあって、加納の為に殺人ケーキを度々作る羽目になった。
「と、言う訳だ」
「はぁ」
いい年をして、いや、その時は今より幼かったかもしれないが、どうも悪ガキ三人組がそのまま身体だけ大きくなったようだ。
芹沢としては返事の仕様が無い。
「他にも二十倍汁粉というのがある――」
判り難いが嬉しそう言う加納に、芹沢は危うく二十倍汁粉の味を想像しそうになって、慌てて打ち消さねばならなかった。
「どうだ、俺達の絆の深さが判ったか!」
唐突に内海が口を挟んだ。
「今の話で、どうやって?」
そう言いたくなるのも仕方あるまい。 
が、少しばかり据わってきた内海の目に、芹沢はそれ以上言うのを止めた。
瓶の中身は半分程しか減っていない。
内海はこれぐらいの酒量では酔わないはずであったが……
斉木(こいつ)と付き合うって言うんなら、俺達の絆を判ってもらわないとな」
口調には酔いを感じさせないものの、言っている内容は怪しい。
「何言ってるんだ――」
危険を感じた斉木が、横目で加納を伺いながら内海を止めようとする。
映画に誘ったうえですっぽかし、代わりという名目で芹沢を寄越すなど、どう考えても内海は芹沢の気持ちを知っているとしか思えない。
だが加納は何も知らないだろう。
隠し事をするつもりはないが、出来るなら知られたくないというのが斉木の本音だった。
 しかし、内海はそんな斉木の臆病を知らぬ振りでどんどん話を進めていく。
「前の奴はよく判ってたぞ。 俺んとこに挨拶に来たぐらいだからな」
一瞬の沈黙。
その後二つの声が重なった。
「誰ですか?! それは!」
「あいつ、お前に会いに行ったのか?!」
叫んだ後、一方は悔いるように口を閉ざし、もう一方は内海に詰め寄って更に言葉を継いだ。
「知ってたならなんで教えてくれなかったんですか!」
「斉木が言わないものを、何で俺が言えるよ」
怒りを露わにする芹沢にも、内海は全く動じない。
正論をさらりと言い流した。
「斉木が言わないって事は、まだ吹っ切れてないって事だ。
お前、望み薄いんじゃねぇ?」
「判ってますよ、そんなこと!」
『俺の好きな奴、もう居ないんだ』
そう言ったときのあの斉木の微笑で判ってしまったのだ。
判りたくなど、なかったが。
「判ってんならいいんだよ。 それと斉木」
「何だよ」
「お前の好きな奴が男だったって事は、加納にも話してある」
「な――」
斉木は怒りの余り言葉を失った。
「何の権利があって、って言いたいのか?」
「判ってるなら理由を聞かせてもらおうか」
低い声で言ったが、内海は恐れ入るどころか瞳に好戦的な色を浮かべて問い返した。
「聞くがな、お前は何で人に知られたくないんだ?   そいつに惚れてたことを恥じだと思ってるのか?」
「そんなこと思ったこともない。 だがわざわざ言って回るようなことでもないだろうが。
相手が女の子でも、俺は言い触らしたりはしない」
「じゃああれか、負い目を持ってる訳だ。 そいつに」
虚を突かれた斉木は、反論することも出来ずに黙り込んだ。
 図星か、と呟いて内海は杯を口に運んだ。
「負い目、ってなんですか」
芹沢は訊かずにはいられなかった。
内海が一同を集めたのも、その為である筈だ。
芹沢が斉木に訊けないことを、ワンクッション置いて訊かせる為。
「そいつが言うにはな。  斉木が自分を好きで居てくれるのはよく判っている。
でも斉木は、同情で付き合ってると思われてると思っているらしい、と」
鬱陶しげに頭を一つ振る。
惚気(のろけ)かと思ったが、本当だった訳だ」
「――一体どういう事なんですか」
「さぁな、それ以上のことは俺は知らん。  と言うより、知りたくもない」
素っ気無い内海の言い様に、斉木は先刻からの疑問を口にした。
「何でお前がここまで関わるんだよ」
「俺だって関わりたくねぇよ。  けど、あいつに頼まれたんだ」
記憶を辿るように内海は視線を遠くに投げやった。
「斉木が、自分への負い目の所為で人を好きになれなくなっていたら、もし誰かを好きになっているのに認められないで居るのなら、背を押してやって欲しい――ってな」
――脳裡に鮮やかに蘇る、彼。
斉木は眼に熱いものが溢れそうになって、瞼を閉じた。
まだ覚えている。
忘れられるものではない。
彼の声、仕種、自分を見つめるときの視線の熱さを。
ちょっとした癖や、笑う表情、自分にだけ見せる酷薄な瞳。
そう、あれは確かに酷薄な瞳であった。
他者に見せたことは無いであろう。
自分の持って生まれた運命、とでも言うべきものに向けられたのか。
それとも、どうしても自分からは想いを認めることが出来ないでいた、斉木に向けられたのか……
それは結局謎のままに残された。
だからこそ斉木は、未だに振り切れないでいるのだ。
謎に、絡め取られたまま。
 視線を感じて、斉木は目を開いた。
誰のものかは判っていた。  問いたげに、気遣うように、そして少しばかりの苛立ちを含んだ瞳は雄弁極まりない。
この視線を、自分は受け入れる資格があるのだろうか。
「まぁた、要らない事考えてんじゃないだろうな」
内海が不機嫌丸出しに言う。
「俺は早くけりをつけたいんだよ! 芹沢に惚れてるかどうか、はっきりしやがれ!」
「そんな単純なものじゃないだろう!」
負けじと斉木が言い返すも、内海には全く効いていない。
「お前が一人でややこしくしてるだけだろうが!」
という一言で斉木を口篭らせると、今度は後輩に矛先を向け、
「お前もうだうだやってんじゃねぇよ。 惚れてんならもっと強引に行け!」
「無茶言わないで下さいよ」
芹沢の返答はごく常識的だ。
内海は数秒間考えた挙句、非常識なことを言い出した。
「じゃあ、俺が恋人になってやろう!」
言うなり、斉木に襲い掛かった。
「冗談は止めろ! 内海!」
斉木は大声で怒鳴り、必死でガードする。
芹沢がそれを手伝って、物も言わずに内海を斉木から引き剥がした。
「何考えてんですか!」
「うるせぇな。 騒ぐんじゃねぇよ、みっともない」
内海はテーブルに突っ伏して言う。
酔った様に見えるのだが、恐ろしい事に彼が酔った所を見た者は今までに存在せず、酔った振りをしていると芹沢が思ったとしても無理はない。
「酔った振りしても駄目ですよ!」
芹沢の剣幕は、襲われた当の本人の斉木でさえおろおろする程の物だった。
「斉木」
一人動じていない加納が、短く名を呼ぶ。
先程内海が飲んでいた瓶を斉木の前に押しやった。
「これが、何なんだ?」
手に取ってラベルを見ると、日本酒とばかり思っていたのが焼酎と明記されている。
しかし焼酎五合ぐらいでも内海は酔わない。
「よく見ろ」
促されて更によく読むと、そこにはこう記されていた。
焼酎原酒  アルコール度 40度
「流石の俺も、ちょっと気分が良くなったかな」
「ちょっとじゃないだろ!」
心配そうに突っ込む斉木を見て、芹沢も内海の様子は振りではなく本当に酔っているらしいと気付いた。
『ざる』の上を行く『枠』と評される先輩を知っているだけに、以外の感を禁じえない。
「大丈夫、大丈夫」
酔った当人に太鼓判を押されても、と予想外の事態に斉木が困惑していると、
「こんな時の為に旦那を連れて来たんだぜ」
加納に目をやると、丁度ケーキを食べ終わった所であった。
両手を合わせご馳走様でした、と言うとすっくと立ち上がる。
「加納――?」
斉木が見守る中、加納は内海に肩を貸して引き摺りあげるようにして立ち上がった。
しかし身長差があり過ぎる。
内海は邪険に加納の腕を振り払った。
「自分で歩けんだよ! お前のすべきことは、タクシーを呼んで俺様を送り届けることだ! 途中で寝るかもしれないからな!」
何を偉そうに、とは加納は言わなかった。
同行を承諾したときから覚悟していたのだろうか。
黙然と命令を実行する。
「帰るのか?」
斉木が声を掛けた。
「ああ、後は二人で話してくれ。 俺はこういうことはよく判らん」
加納の手の中で唯でさえ小さく見える携帯が更に小さく畳まれた。
内海は既にその場を離れようとしている。
歩く姿は"ぶらぶら"という感じであるのに、酔っているのではなく散歩中の肉食獣といった風情なのは流石と言うべきか。
その背中を見やってから、加納は言った。
「内海じゃないが、芹沢と付き合ってみたらどうだ?」
「お前なぁ」
加納がそんなことを言うとは思っていなかったので、斉木は憮然となった。
「即答で断らないのは、可能性があるからじゃないのか」
「それは――」
その通りだった。
自分は多分、芹沢に惹かれている。 
そうでなかったら、こんなに屈託しない。
しかし、だからと言って付き合うと言うのは、短絡に過ぎるのではないかと斉木は思う。
加納は考え込んでいる斉木は放っておいて、芹沢に向き直った。
「悪いが、後は頼む」
「はい」
斉木のことだと思った芹沢はすぐさま返事をしたが、ふと卓上は散らかり放題なのを思い出した。
「加納さん!」
呼び掛けたが、片手を挙げて挨拶を返しただけで、振り向きもしない。
「やられた……」
「奴ら、食い逃げしやがったな」
斉木が口惜しそうに罵ったが、後の祭りである。
芹沢は苦笑したに留まった。 
あの内海の後輩だけはある、と妙な所で感心する斉木は、二人きりになれたのが嬉しいからだとは思いもしない。
「仕方ない。 片付けましょうか」
皿を重ねて持ち上げるのに習って、斉木も片付けを始めた。
広々としたキッチンに食器を運び、斉木が洗い芹沢が拭いて重ねていく。
「あんまり食べられなかったな。 折角の斉木さんの手料理だったのに」
芹沢が嘆息した。
料理の殆どは、ブラックホールと渾名される内海の胃袋へと消えていったらしい。
「今度作ってやるよ。 芹沢は何が好きなんだ?」
斉木は何の気なしに言ったつもりだったが、芹沢は片付けの手を止めて妙な目つきで斉木を見返してくる。
「何だ?」
期待させるようなことを言う。
しかも自覚なしなのだから始末が悪い。
もしこの人が女なら、と芹沢は考えた。
自分こそが斉木に惚れられてるんだ、と思い込む男が続出するだろう。
男でよかったとも言える。
「まるで新婚さんみたいですね」
芹沢は思ったこととは別のことを言った。
笑顔を向けると、斉木は顔を赤くした。
「気色悪いことを言うな」
そう言うが、嫌悪感が表れていない表情に、取り合えず芹沢は満足した。
「お前、結構手馴れてるな」
食器を扱う芹沢の手元を見ながら、斉木が意外そうに言う。
「俺割りとマメなんですよ。  今度一緒に料理作ってみましょうか」
「新婚さんみたいに?」
「そうですね」
芹沢は澄まして答え、二人は同時に笑った。





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