Rescue3






 練習後にシャワーを浴びて、部室に戻る。
 汗を流し、すっきりしたところで、当たり前のように胸のポケットに手が伸びた。
 煙草を取り出し、一本口に咥えようとしたところ、横から伸びて来た手にかっさらわれる。
 斉木は、その手の主へ不機嫌な視線を向ける。
「何すんだよ」
 視線の先にいるのは副主将だ。
 副主将は容赦なく手にした煙草をへし折ってゴミ箱に捨てた。
「斉木、最近タバコ増えてんな」
「風呂上がりにちょっと吹かしてるだけだよ」
「それにしちゃやたら慣れた感じじゃねえか」
 副主将の目が座っている。
 何を答えても言い換えされそうな気配を感じて斉木は鼻白んだ。
 その姿をどう取ったのか、小さなため息をついて副主将が問答無用で斉木の胸ポケットに手を突っ込んだ。
「って、何するっ」
「何するじゃねえよ、禁煙だ禁煙」
 思わぬ行動に面食らう斉木の前で、副主将は取り上げた煙草のパッケージを示し、そのままゴミ箱に放り込んだ。
「家にカートン買いとかしてねえだろうな?」
「さすがにそれはしてない」
 えらく疑われているな、と、斉木は苦笑する。
「一箱なくなるのにゆうに一週間はかかるしな」
 一昨日封を切った煙草は、まだ7本も残っていたはずだ。
「まあ、いい。斉木はたった今から禁煙な。隠れてなんて吸うなよ?」
「一体何なんだよ、急に……」
「急じゃねえよ、ずっと気になってたんだよ。口寂しいなら飴でも舐めとけ」
 言いながら、副主将はテーブルの隅にあったカゴを斉木の前に置いた。
 そのカゴの中には色とりどりのラッピングに包まれた飴が詰まっている。
 糖分補給用に部室に常備されているものだ。
 それをこれ見よがしに置いた後、副主将は苦虫を噛み潰したような表情のまま、手近にあったパイプ椅子に座る。
 乱暴な仕草に耐えきれず、使い込まれたパイプ椅子がガチャガチャと悲鳴を上げた。
「そりゃまあ、いいことじゃないだろうけどさ、俺だけじゃないじゃん」
 他にも吸ってる奴いるじゃないか、と、斉木は部室に視線を巡らす。
 未成年は勿論厳禁ではあるが、成人済みの部員にはいくらか喫煙者がいる。
 昨今の禁煙ブームで肩身狭くなりつつあるが、確かに部室の片隅で煙がくゆっている。
 だが、斉木の子供じみた言い訳を副主将は一蹴した。
「あいつらはいいの、卒業したら後は草サッカー、草フットサルぐらいしかやれないんだから」
 日本では社会人がスポーツを続けていく土壌が貧弱だ。
 学生時代はバリバリの体育会系でも、就職した途端にスポーツをやる環境がなくなってしまう。
 ようやく最近、社会人もスポーツをすることが一般に広まりつつあるといったところだ。
「でも、お前は違うだろ。俺達が逆立ちしたってなれないプロになろうってアスリートが喫煙はどうなのって話よ」
 副主将自身も一般就職組だ。
 今年の卒業生の中で、サッカーでプロになる、しかもJ1のクラブからオファーを受けているのは斉木一人だ。
 J1のクラブに限ると斉木が初であり、今後もこの大学のサッカー部からはしばらくは出て来ないだろう。
 関東2部の所属期間が長いサッカー部であり、本来であれば斉木が入るようなレベルではなかった。
 だからと言って、部員達が不真面目だった訳ではない。
 ただ、どれだけ努力しても越えられぬ壁と言うものがあるだけだ。
 斉木だけが、その壁を越える才能を持っていることは、部員の誰もが理解している。
 勿論、ただ才能に溺れず、日々努力して実力を身につけていることも知っている。
 だからこそ、関東2部に所属していながら、J1のクラブからオファーが舞い込んでいるのだ。
 だが、それが分かるからこそ、不摂生をしている斉木の態度が副主将には腹立たしかった。
 その副主将の思いは斉木に届いたようだ。
「分かったよ」
 斉木は太い息をつきながらお手上げのポーズをする。
「もう吸わない」
「それならいい」
 副主将はほっと息をついた。
 そうして表情を緩めて、問う。
「ホントさあ、最近どうしちゃったのよ。明らかに機嫌悪いしさ」
 どこまで意識しているのか、副主将の表情からは読み取ることは出来なかったが、それは確かに斉木の痛いところを突いていた。
 斉木は何を言われているのか分からない、と言う表情を作って答える。
「別に、いつもと変わらないぞ?」
「いーや、違うね。イライラしてるだろ。おかげでここんとこ練習もピリピリしてるしさ、よくないって」
「そう言われてもなあ。心当たりはないけど、今後気をつけるよ」
 と、口では言ったものの、心当たりはしっかりある。
 誰にも言うことは出来ないが。
 しかし、副主将はそんな斉木の傷口を力一杯ひっかいた。
「何か知らないけどそんなイライラすんなら、どっか芹沢に連れてってもらって気分転換でもしてくれば? あいつ、そういう遊び場ならいくらでも知ってるだろ」
 ひくり、と、斉木の口元がひきつった。
 だが、副主将は邪気のない表情で続ける。
「ああそういや芹沢最近来ないな。何でか知ってる?」
 表情を隠そうと、斉木は目の前のカゴに手を伸ばす。
 飴の袋を破ろうとして、わずかに指先が震えていることに気が付いてしまう。
 動揺を形として見せつけられて、舌打ちしたくなったがそれは何とかこらえた。
「さあな」
 にべもない斉木の答えに、副主将は驚いた表情をする。
「え、斉木も知らないの」
「知る訳ないだろう、俺はあいつの保護者じゃないぞ」
 ようやく取り出した飴を口に放り込みながら言う。
「まあ、怪我も治って完全復帰したからな、忙しいんだろ」
 それは恐らく事実だろう。
 しかし、それは顔を出さなくなった理由ではないことを斉木は知っている。
 このまま会話を続けていたらボロを出しそうで、斉木は早々に切り上げることに決めた。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
「おう、お疲れさん」
 斉木から禁煙宣言を引き出すと言う肝心の目的は達していた副主将は、特に不審に思った様子もなく、斉木を開放する。
 斉木は出来るだけゆっくりと歩く。
 そう意識しなければ、この場を駈け出してしまいそうだった。
 部室のドアを閉め、ゆっくりと、だが出来るだけ大股に校外を目指す。
 校外に出た瞬間、斉木は走り出した。
 大学から十分に離れ、人気が少なくなったところで足を止めた。
 上がった息を整えながら、天を仰ぐ。
「……失敗したな」
 イライラしていることは表面には出していないつもりだった。
 しかし、全員とは言わないが、気づいている者もいるとは。
「もっと気をつけないとな」
 必死で忘れようと努力し、それはある程度成功しているのだが、不意に、物足りなさに襲われる瞬間がある。
 足りない何か。
 そんなものは分かっている、芹沢だ。
 話をしたい、会いたいと思ってしまうこともある。
 だが、それだけは許されないことも理解している。
 好きだからこそ、離れなくてはならない。
 男同士の恋愛など、世間に受け入れられるはずがない。
 芹沢の足を引っ張るだけだ。
 ずきり、と、胸が痛んだ。
 この痛みは、時間が解決してくれるだろう。
 いや、時間しか解決出来ないと言うべきか。
 ただいつか、そんなこともあったとお互いに笑えるようになればいいと、斉木は思う。





 アパートに帰った斉木が食事を済ませ、何となくテレビを眺めていると、携帯が震えた。
 着信表示を見ると、神谷である。
 斉木は慌てて通話ボタンを押した。
「もしもし」
「ちわ、神谷っす」
 いつも通りのぶっきらぼうな声を聞いて、斉木は笑顔を浮かべる。
「どうした、神谷から電話なんて珍しいな」
 高校時代の仲間とは今でもたまに会うが、そう言う時に連絡を回すのはほとんどが斉木で、神谷から自発的に連絡がくることはあまりなかった。
 そんな神谷がわざわざ世間話をするために電話をかけてくるとは思わない。
 何かあったのかと斉木は身構える。
 しかして、
「斉木さん、飼い犬の躾はしっかりして下さいよ」
「は?」
 神谷が何を言っているのか本気で分からず、斉木が聞き返すと、電話の向こうで神谷が大きく息を吐いた。
「芹沢、何やらかしたんですか?」
 単刀直入な問いに、斉木が一瞬固まる。
 だがすぐに、
「知らないよ、何で俺が」
 と、答えて苦笑する。
 今日はもしかしたら厄日なのかと思いながら。
「何でじゃないっすよ。俺に芹沢のこと聞いて、適当に宥めておくって言ったの斉木さんじゃないですか」
「ああ、そんなこともあったなあ」
 思い出して、斉木は眉間に手を当てた。
 まだ芹沢に告白される前に、怪我の状況やら何やらチームメイトの神谷に聞いたのだ。
 今更ながら余計なことをしてしまったと思い至る。
「あの俺様大王がべっこり凹んでて、斉木さんを怒らせたんかって聞けば、露骨に嫌な顔して逃げてくし」
 これは毒だ。
 斉木は思う。
 もしかして、まだ間に合うのだろうか。
 芹沢は許してくれるのだろうか。
 一瞬、そんな夢を見てしまう。
 だが、斉木は苦笑して一つ頭を振る。
 あんな仕打ちをして、許されるはずがない。
 自分の名前を聞いて、嫌な顔をして逃げて行くほどなのだ。
 どの面下げて会えようものか。
「俺様大王って、神谷には言われたくないだろうな、さすがの芹沢も」
 斉木は平静を取り繕って軽口を叩く。
 しかし神谷は相手にしなかった。
「とにかくウザくてしょうがないんで、何とかして下さい。お願いしますよ」
「いやだから何で俺が・・・って、おい、神谷!」
 言いたいことは全部言ったのか、斉木の制止も聞かずに電話は切れた。
 斉木は一瞬呆然とし、それから苦虫を噛み潰したような表情になる。
「ったく、ホント人の話を聞かないんだから・・・どいつもこいつも俺の傷口抉りやがってっ」
 閉じた携帯をベッドに投げつける。
 足下に叩きつけなかっただけまだ理性は残っているようだ。
 斉木は浅いため息を吐いてベッドに歩み寄り、布団に埋まっていた携帯を枕元に避ける。
 そして、斉木自身がベッドに身を投げ出した。
 身を投げ出された安物のパイプベッドがみしみしと音を立てる。
「くっそ」
 天井をの模様を睨みながら呟く。
「人が必死で忘れようとしてるのに……」
 何しろ芹沢はサッカー界では有名人だ。
 意識などしなくても、サッカーの情報を追っていれば嫌でも目に入ってしまう。
 だが全てテレビや雑誌などのマスコミのフィルターを通して接する限りは、遠い存在だと自分に言い聞かせられる。
 実際、遠い存在ではある。
 サッカーの才能も実力も段違いの上、プロとしてのキャリアまで芹沢に上回られた。
 その上に見てくれまでも最高で、欠点を探す方が難しい。
 何もかも揃いすぎていて、嫉妬する気にもならないほどだ。
 同じ静岡出身ではあるが、学年も違うし芹沢は、内海の後輩と言う繋がりがなかったら斉木が深い関わりを持つことなどなかっただろう。
 実際、何で他校の人間を構っているのかと皆に言われていた。
 斉木にしてみれば、芹沢に構うのはそれほど不思議なことではなかった。
 向こうが懐いて来ているのに、それを拒絶する選択肢など斉木にはない。
 それは別に芹沢に限ったことではなく、誰が相手でも同じことだ。
 そこでふと気がつく。
 そう言えば、何で芹沢は斉木に関わろうとしたのだろうか。
 高校の先輩である内海も、口は悪いがけして面倒見が悪い方ではない。
 大学に進学と言う立ち位置も斉木と同じで、その内海を通り越して斉木に声をかける理由はすぐには思いつかない。
 サッカーで才能も実力も充分芹沢と対を張る神谷は芹沢のチームメイトであり、その面でも斉木に声をかける理由に思い当たらない。
 あまり体育会的精神に染まっていない芹沢は、神谷の方が性格的にも合いそうに思える。
 そして言うまでもなく、芹沢は女にたいそうモテる。
 斉木だって女に困ったことなどない。
 サッカー選手としての実力の上に、モデル並の容姿を兼ね備えた芹沢は、芸能人まで含めて取っ替え引っ替え、斉木が知ってるだけでも両手の指では全く足りないほどの浮き名を流している。
 そんな男が一体何をとち狂って男などに恋愛感情を抱くに至ってしまったというのか。
 斉木は、前髪をかきあげてため息をつく。
 そのまま、右手を明かりに翳す。
 日に焼けた自分の手。
 ゴツゴツした輪郭の、まごうことなき男の手だ。
 手だけではない。
 全身、どこを見たって男以外の何者でもない。
 むしろ普通よりははるかにゴツい。
 顔だって、取り立てて美形という訳でもない。
 サッカーをやっていなかったら人波に埋没してしまう自信がある。
 そんなゴツくてでかいだけの男に、よりにもよって芹沢が、どうしてあんなに本気になったと言うのだろうか。
 その、瞬間。
「斉木さん……」
 不意に斉木の脳裏に蘇る、熱をはらんだ声。
 熱い吐息を吹きかけられたような気がして、斉木は首を竦めた。
「駄目だっ、思い出すな、俺っ」
 斉木は目を閉じて頭を抱え、自分に言い聞かせる。
 それはほとんど悲鳴だったが、熱を持ち始めた体はお構いなしだ。
 そして、視界を閉じてしまったのは失敗だった。
 暗闇の中で、芹沢の声が響く。
「力抜いて。すぐによくしてあげますから」
 その声に熱を持ち始めていた下半身が反応し、鎌首をもたげた。
 ここまで来てしまったら、もう意志の力で鎮めることは不可能だ。
「くっ」
 斉木は唇を噛んで、始末をするために体の中心に手を伸ばす。
「んっ、はあっ」
 しごく自分の手が、芹沢のそれにすり替わる。
 芹沢の手は、大きく熱くて、そして優しかった。
「斉木さん、気持ちいい?」
「ああ…い、いく…」
 斉木の耳元に幾度となく注ぎ込まれる囁きに煽られて、あっと言う間に到達してしまう。
 あがった息を整えて起き上がる。
 枕元に置いてあるボックスからティッシュをまとめて引き出し、後始末をする。
 冷めてしまえば、後に残るのはただただ自己嫌悪である。
 斉木は、ティッシュの固まりを叩きつけるようにゴミ箱に投げ入れた。
 ただの八つ当たりだ。
 そんなことは斉木自身が一番よく分かっている。
 そうして、思い返す。
 芹沢の手は、優しかった。
 からかいや何かの冗談などではないことは、それで分かった。
 芹沢が斉木を好きになった理由は分からない。
 芹沢は嘘偽りなく、斉木が好きなのだ。
 言葉だけならば最後まで斉木は信じなかったかもしれない。
 しかし、体でしか伝わらないことも確かにあるのだ。
 理由は分からずとも、気持ちは伝わった。
 だが、斉木は気持ちが伝わったからこそ、あの場を逃げ出した。
 芹沢の気持ちを踏みにじった。
「最低だ、俺……」
 斉木はうつむいて両手で顔を覆う。
 誰にも見られたくなかった。
 きっと今は、とてつもなく醜い表情をしているだろうから。










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夕日(2011.05.28)

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