芹沢が輝きを取り戻した――。
本来、類まれなパワー、テクニック、そしてセンスと全てを備えていたプレーヤーである。
J1ですら頭一つ飛び抜けた存在だったのだから、その実力を十全に発揮できるのなら、J2では格が違う。
芹沢にボールを持たせたら点を取られたも同然と言われるほどの活躍で、前半の低迷をものともせずにその年のJ2の得点王を獲得。
かつて、日本最強のFWとして君臨していた芹沢の復活劇である。
芹沢がJ1で活躍していたのはまだたったの2、3年前のことであったが、いつの間にか観客は勿論、敵も味方さえも眠れる獅子に慣れてしまっていたのだ。
そして、目覚めた獅子の真の力は、植えつけられたイメージを払拭するには充分すぎるほどだった。
エースである芹沢の再生とともに、チームも息を吹き返し、シーズン前半とはうって変わって後半、上位2チームを猛追した。
チームは緊張感と勝利への執念を感じさせるようになり、まるで生まれ変わったようだと囁かれるほどだった。
それらの変化の功労者が斉木誠であることは、万人が認めるところである。
斉木は、日本代表に名を連ねたこともあるし、スポーツ選手にしては弁舌爽やかな方だから、テレビなどに出演する機会もそこそこあった。
しかし、斉木はそれなりに名の売れた選手ではあるが、選手としては強烈なイメージを持つタイプではない。
いや、通常であれば、斉木は押しも押されもせぬトッププレーヤーの一人に数えられていたはずだ。
何よりも、綺羅星の如く輝くスター選手を異例とも言えるほど輩出した世代に含まれてしまったことが、斉木にとっては不運であったと言える。
その上に、斉木を最も特徴づける能力、特性は、芹沢のように一目見て明らかな類のものではなく、残念ながら、その他大勢の選手の中に埋もれがちであったことは事実である。
だからこそ斉木は、一般的に実力を侮られがちであったのだ。
その為に、斉木の加入がチームを再生させたと言う事実に、世間は瞠目した。
だが実際、斉木が加わった前後でまるで別のチームでもあるかのように様子が一変したのだから、斉木の功労は誰もが認めざるを得ない。
勿論、最大の得点源である芹沢の再生がチームの勝利に最も貢献しているのは間違いない。
しかし、その芹沢の再生自体、斉木と言う選手がいてこそだ。
斉木は司令塔としてはひたすら堅実であり、芹沢と言う天才を意のままに使いこなしているとは言いがたいのは事実だ。
だが斉木は、そもそも芹沢を使いこなそうなどとは思っていなかっただろう。
秀才が天才を使いこなせるはずがないのだ。
だから、ばらばらだったチームをまとめ、芹沢が自分の判断で自由に暴れられる基盤を整えた。
斉木が、若いチームの精神的支柱としての役割を果たすことで、芹沢をがんじがらめにしていた枷の全てを取り去ったのだ。
恐らくは、斉木の持つ能力――統率力が最大限に発揮された事例であったと言えよう。
残念ながら斉木が途中加入した昨季は、前半の低迷のツケが大きく、わずか及ばず3位で終わった。
そして今季。
J1への再昇格をかけて闘うチームさえも寄せつけず、無敗で前半を終えた。
やはり斉木を中心としてチームが強力にまとまっていることは誰もが認める事実だ。
シーズンを折り返し後半に入った今、斉木へのプレッシャーが日増しに激しくなるのは、当然のことであった。
薔薇のダイヤを胸に
軸になっていた左足を引っかけられ、斉木は肩からフィールドに倒れこんだ。
斉木は倒れこんだ肩ではなく、左膝を押さえる。
だが、ホイッスルは鳴らない。
あまり状態がいいとは言えない芝から顔を上げてボールの行方を見ると、群を抜く長身がルーズボールを拾ったところだった。
芹沢だ。
それならボールの行方はもう心配はいらないと、斉木はようよう上半身を起こした。
フィールドの外でコーチが手振りで担架を示していたが、斉木は首を横に振る。
まだ後半が始まったばかりだ。
下がるのには早すぎるし、大体担架と言うのがいただけない。
斉木はゆっくりと立ち上がる。
左足をフィールドにつけた瞬間、左膝を中心にして腰まで刺すような痛みが走った。
もう一度膝をつきそうになるが、かろうじて持ちこたえる。
脂汗が流れる。
「くそっ」
太ももを叩いて痛みを散らすが、それも気休めでしかない。
そもそも痛み止めを打っているのに、この様だ。
斉木はうつむいて顔をしかめる。
表情を、誰にも見られないように。
その瞬間、得点を知らせるホイッスルが鳴る。
これで3-0になったのが唯一の救いだな、と、考えながら、斉木はキックオフに備えて自らのポジションに戻ろうとする。
その途中で、
「斉木さん!」
と、芹沢が追いかけて来た。
隣に並ぶと、声を潜めて芹沢が問う。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないな。この後は7割も走れない」
「無理はしないで下さい」
「交代は、せめて後半が半分終わってからな」
それは本音だった。
斉木の顔を覗き込んでいる芹沢の顔が曇る。
芹沢には分かってしまう。
斉木が交代をするのは、ただレギュラーが一人サブに交代して格が落ちると言うだけではない。
斉木が、このチームの精神的な屋台骨を支えているのだ。
その斉木が抜けるのは土台をなくすのと同じだ。
芹沢も、斉木のおかげで復調してからは随分信頼してもらえるようになったが、斉木への信頼度とは比べ物にならない。
斉木が抜ければ間違いなくチームの力が半減する。
精神的な面で斉木に頼りきった状態は、チームとして最悪ではないものの、いい状態とは言えないことは分かっているが、それが現実だ。
下がる訳にはいかないと言う斉木を、下がるように説得するだけの材料を芹沢は持たない。
だから、
「芹沢、この後は1.5列目に下がってくれ。ゲームメイクは任せるわ」
斉木の言葉に否やはない。
「はい」
芹沢はやろうと思えば司令塔も出来る。
ただ、その得点能力を最大限に生かせる司令塔が別にいるならば、FWが最適だというだけの話だ。
「悪いな」
「ここからは俺の一人舞台ってね」
自信たっぷりに笑って見せる。
この一瞬だけでも斉木を安心させたい。
口には絶対に出さないが、その思いは多分伝わってしまっている。
斉木も小さく笑って、
「頼りにしてる」
と、芹沢の背中を一つ叩いて、自分のポジションに戻って行く。
知らなければ分からないほどわずかにびっこを引く斉木の後姿を見送って、芹沢は薄い唇を噛んだ。
今、チームの柱が斉木であることは誰の目にも明らかだ。
しかも一選手としての実力は、もって生まれた才能と、積んだ経験がちょうどよいバランスを保ち、円熟期にさしかかっていると言ってよい。
斉木も、正攻法ではそう簡単に止められるプレーヤーではない。
だからこそ、斉木へラフプレーが集中する。
斉木が下がればチームの力が減ることは、敵もよく分かっている。
技術がないだけにラフプレーもあからさまだ。
だが、そんなラフプレーを的確に取り締まれる審判の頭数が揃っていない。
芝の状態も、J2のホームスタジアムではまともと言えるレベルのチームの方が少ないだろう。
選手の技術、審判の力量、その他の環境――全ての面において、J1とJ2の質の隔たりは、世間が思うよりも遥かに大きい。
その全てが、左膝に古傷を持つ斉木にとっては不利に働く。
左膝の傷が再発したのは移籍してからまもなくのことだった。
短いオフシーズンだけで治せるものではなく、そして、ある意味J1よりもはるかにハードなJ2のスケジュールの中で、悪化の一途を辿っている。
しかし、その怪我の正確な状態を知っているのは、主治医と首脳陣、トレーナーなどごく一部の限られた者だけで、選手では斉木本人と芹沢だけだ。
自分が精神的支柱である自覚がある斉木は、若い選手の動揺を恐れ、詳しい状態は知らせないことを選んだのだ。
だから、担架で運び出されるようなことをよしとしない。
とっくの昔にドクターストップはかかっており、本来であれば登録を抹消されてもおかしくない状態であるにも関わらず、だ。
オフェンスを芹沢に任せたとしても、斉木にはラインの統括などまだまだたくさんの役割がある。
芹沢も、自分のポジションに戻りながら、右のオフェンスハーフに声をかける。
「佐藤、上がれ!」
芹沢は自分に出来ることは最大限やると決めている。
それが、斉木を少しでも楽にする唯一の方法だった。
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