Love Walks



Love walks slipped and gone without a sound
Gone without a word to say





  テーブルの上に並べられているのは、コーヒーにサラダ。
 キッチンからはトーストの香ばしい香りが漂ってくる。
 しかし、シャワーを浴びて来た芹沢は、濡れた長い髪をかきあげながら、唇を捻じ曲げた。
「何だよ、これ」
「立派な朝食でしょうが」
 無造作に積み上げたトーストの皿を片手にキッチンから現れた彼女は、あくびをしながら言った。
「どうぞ」
「どうぞって言うか、これを」
 芹沢は、目の前に置かれたトーストを冷たく見下ろして、不平を鳴らす。
「黒焦げじゃねえか。コーヒーはインスタントだし、大体このサラダ」
 と、芹沢が指すのは、コンビニのパックサラダ、240円也。
「せめて皿に移し替えるとかしろよな。こんなんだから嫁の貰い手がないんだ」
「バカね、そんなもんする気があるならとっくにしてるわよ」
 彼女はインスタントコーヒーを入れたマグを持って芹沢の向かいに座る。
「ったく、私は朝食べないのに、芹沢君のためにわざわざ買ってきてあげたって言うのに、ちょっとぐらい感謝の言葉はないの」
「感謝できるもんが出てくれば、いくらでもしてやるさ」
 とは言いつつ、芹沢は不満を炸裂させたトーストにバターを塗り始める。
 芹沢の体を維持するには、それなりの栄養補給が必要である。
 見た目も味もイマイチであろうと、これしかないのなら仕方がない。
 そんな意志をもろに態度で示す芹沢を前にして、彼女はコーヒーを啜りながら、何気ない口調で言った。
「そんなちゃんとしたご飯は『まこと』ちゃんに作ってもらいなさいな」

 ………手が、止まった。

 もう少しでパンまで取り落とすところだったが、寸前で止める。
 見れば、彼女は口元にしてやったりの笑みを浮かべていた。
「……何で、知ってる」
「昨日、言ってたわよ」
 素面の時に、漏らした記憶は芹沢にはない。
 だとしたら。
「もうちょっと、ショック受けた顔でもして見せろよ」
 ベッドの中で口走ったとしか思えない訳で。
 芹沢はトーストにかじりついた。
 冷めたら不味くて食べられたものではなくなってしまうせいだが、表情を隠す効果もある。
 一方。
「私が? どうして?」
 彼女は、笑ったまま応じた。
「最初から『まこと』ちゃんの代わりだって、知ってるのに」
 芹沢は、不味そうにトーストを租借する。
 考えたくなかった、何も。
 味など分からない。ただ機械的に、水分で固形物を腹に流し込むだけだ。
「ま、今日はさっさと帰って『まこと』ちゃんに詫び入れて、許してもらうのね」
「俺は悪くない」
 いつもはともかく。
 今回ばかりは、自分が悪いとは思えない。
 そう、呟く芹沢に、
「別に、悪くなかったら謝ったらいけない訳でもないでしょ」
 肩を軽くすくめて、ため息までつかれる。
「芹沢君みたいなどーしよーもないのとまともに付き合おうなんて思ってくれる彼女はそうそういる訳ないんだから、悪くないと思っていても、悪いこと言わないから詫びいれて許してもらった方が身の為よ」
「そういう問題じゃないんだよ…」
 呟いて、違和感に気がつく。
「は、ははは」
 思わず、笑ってしまった。
「何よ」
「いや、大したことじゃない」
「思い出し笑い? 気持ち悪い」
「だから、俺にそんなこと言う奴はいないぞ」
 芹沢はコーヒーを飲み干して、席を立った。
「ごちそうさん」
「帰るの」
「ああ」
 芹沢はまっすぐ玄関に向かう。
 靴を履く芹沢の背中に、おせっかいな言葉が落ちてくる。
「ちゃんと仲直りするのよ。で、今度会う時は『まこと』ちゃんも連れてきてね」
「やなこった」
 即答する。
 出来るはずもない。
 彼女は、『まこと』が女だと思っているのだ。
 言われてみれば、確かに『まこと』と言う名前の女もいる。
 だが、漢字があまり女に使うようなものでなく、何よりあまりにも本人の容姿が男らしいせいで、そんなことは考えたこともなかった。
 中身だって、斉木に女を思わせるところなど一つもなくて。
 それでも。
 そんなことは関係ないほど、好きで。
「かわいくない」
「じゃあな」
 芹沢は、軽く手を挙げて、外へ出る。
 振り向こうとは思わなかった。
 彼女は、少し斉木に似ている。
 年上で、説教臭くて、人の心配をして。
 でも、欲しいのは斉木なのだ。
 いくら似ていても、同じように欲しいとは思わない。
 ただ、振り向けば、このまま縋ってしまいそうな自分が恐かった。
 彼女を、斉木の代わりにしてしまいそうな自分が。



Where are you?can't keep it chained



 マンションの地下駐車場に置いた、自分の車に乗り込む。
 この時ようやく、芹沢は携帯にメッセージが残されていることに気がついた。
『俺だ。……また連絡する』
『俺だけど。今、アパートに着いた。また…電話する』
 冷たい機械の声が、録音されたメッセージの終了を告げる。
「…っ」
 芹沢は、言葉にすらならない苛立ちを、ハンドルに叩きつける。

 斉木は、何一つ芹沢に求めていない――。

 髪をかきむしる。
 気が、狂うかと思う。
 狂暴な感情はハンドルに叩きつけたぐらいでは納まらず、斉木の声を伝えた携帯を壊してしまおうかとさえ、思った。
 それはただの道具にしか過ぎず、斉木の意志を決めたものではないのに。

 斉木は、芹沢に何も求めない。
 芹沢を縛ってはくれない。
 欲しがっても、くれない。

 『連絡をしろ』の、一言さえ、言ってはくれない。

 芹沢は携帯を助手席に投げ出した。
「まるで、ピエロだな……」
 いつだって一人相撲だ。
 本当は。
 斉木が芹沢に構うのは、ただ、他人の心配をする延長線上に過ぎないのかもしれない。
 芹沢が悩んでいるのだと言えば、斉木は一緒に考えようとするだろう。
 でもそれは、芹沢が相手でなくても、きっと、同じだ。
「ハハ、ハ、ハ……っ」
 笑おうとしても、ただ、口元が引き連れるだけだ。
 作った笑い声が、別のものに変貌するのを自覚して、芹沢は口を引き結んだ。
 もう一度ハンドルに拳を叩きつけ、そのまま顔を伏せた。
 声は殺したが。
 肩の震えまでは、殺せなかった。