片付けはスムーズに終了した。
「コーヒーでも飲むか?」
またもや斉木が無防備に問い掛ける。
芹沢は流石に溜息を吐いた。
「もう帰ります」
「お前まで帰っちゃうのか?」
「斉木さん、あんまり俺の理性を過信しないで下さいね」
鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をする。
そんな顔も可愛いとか、引き止めようとする時の残念そうな顔も可愛かったとか、芹沢がそういう風に自分を見ているとは、斉木は全く知らないとでも言うのだろうか。
 そして確かに斉木は、芹沢に告白をされている立場なのだと忘れがちなのだった。
軽んじているのではない。
二人でいることの心地良さが、別に急いで答えを出す必要も無いのではないかと斉木に思わせるのだ。
勿論その心地良さは芹沢の気遣いから生まれている訳だから、無意識の内に斉木は芹沢に甘えている事になる。
 今の一言も迂闊と言えば迂闊だった。
家族は皆出払い、住み込みの使用人は別棟にいるので実質上二人きりだ。
それなのに『抱きたい』と言われたことのある相手を引きとめようとするとは――
芹沢は怒ってもよかった。
「コーヒー飲むだけで済ませる自信ないんで、帰ります」
それなのに、少し皮肉に片頬で笑って見せるだけだ。
斉木は反射的にその腕を掴んだ。
だが言葉は見つからない。
「斉木さん?」
数瞬の躊躇いの後、斉木は言葉ではなく行動を取った。
棚からインスタントコーヒーとカップを二つ取り出したのだ。
そして、言った。
「コーヒー、飲んで行けよ」
声が、本当に僅かに揺れていた。
その言葉がどういう意味か問うほど、芹沢は愚かではなかった。
信じられなかった。
だから、抱き締めることで確認した。
斉木は抵抗せず、毀れるだろ、と呟いた。
「俺はコーヒーも飲みたいんだ」
「何杯でもどうぞ。 待ってます」
そう答えたけれど、結局芹沢は待てなかった。
インスタントコーヒーの入ったカップを二つ持って、斉木の部屋まで行ったのが限度で、邪魔なカップを置くとすぐさま斉木を腕に封じ込めた。
「芹沢? 待つんじゃなかったのか?」
今度は押し返されてしまった。
嫌がっているのではなく、慌てているらしい。
「えぇと、その、な」
斉木は、言葉を捜した。
どう言っても卑怯になりそうで、芹沢に卑怯だと思われたくないと思う自分がみっともなくて、絶句するしか能が無い。
「何が言いたいのか判ってるつもりです」
芹沢は言ったが、それは助け舟ではなかった。
「俺を利用するのなら幾らでもして下さい」
過去を振り切る為でも、ただ誰かと触れ合いたかっただけにしても――利用されるだけじゃないから。
「俺はそれに付け込ませて頂きます」
芹沢は綺麗に笑った。
整った顔で綺麗に笑いながら自信たっぷりな台詞で迫られてしまったら、女は逃げ場を失うんじゃないだろうか。
斉木はついそんなことを考えてしまう。
芹沢も物好きな、と。
 くす、と斉木は苦笑を洩らした。
「何笑ってるんですか」
頬に触れようとする手を避け、ベッドに腰を下ろす。
立ったままの芹沢を見上げて、からかう様に笑って見せた。
「お前が、俺の誘いに乗るのか?」
「乗るに決まってるでしょうが」
何言ってるんですか、と芹沢は斉木の前に片膝を付いた。
「あんまり欲しくて、夢に見ました」
斉木の顔が盛大に朱に染まった。
「そんな恥ずかしいこと、よく言えるな」
「何故ですか?」
芹沢は挑発するように言った。
「好きなら、当然でしょう?」
瞳が強くて、痛い。
斉木は思わず目を閉ざし、それが合図となって夜が始まった。
 芹沢は男を抱くのは初めてだった。
何処をどうすれば感じるのか等判らない。
同じ構造の身体を持っていれば判りそうな物だとも思うが、斉木は芹沢の知らない官能を既に知っているのだ。
芹沢によって、ではなく。
意識するなと言う方が無理であろう。
 だがそんな躊躇いも、斉木の肌に触れているうちに霧散していった。
斉木の肌は女のそれと比べても遜色無い程に滑らかであった。
むしろあちこちに手入れを施した女たちより綺麗なくらいだった。
そうでなくとも斉木を腕にしていると言う事実自体が、信じられないような僥倖なのだ。
ささいな心の痛みなど、問題にならぬ程に。
事実、芹沢の肉体は既に熱く猛っている。
斉木の方からは何も刺激してこないにも拘らず、だ。
斉木は片方の腕で目を隠し、もう片方の手で口を覆って感じているのを隠そうとしている。
芹沢の視線から。
まるで視線も愛撫であるかのようだ。
 否、そうではない。
全てが愛撫なのだ。
視線だけではない、何気ない言葉も、仕種も、全てが。
斉木の存在を主張し始めたファルスをその手した時、まるで嫌悪感を抱かない自分を不思議とも思わなかった。
感じてくれているのだと思うと、嬉しくて仕方がない。
それを口に含み昂める事だとて、歓びであった。
 女を抱く時、相手の快感にこれ程に心を配った事があっただろうか。
無かった、と芹沢は思う。
女は始めから快感を得ようと構えているし、また体の構造からいってもそれは容易な事である筈だ。
芹沢にとっては楽と言えば楽な関係だった。
絶対的に欲しい訳ではない。
だが、肉体的にはなくてはならない対象(もの)
 斉木は、明らかに彼女達とは違っていたのだ。
本来なら抱かれることの無い身体。
自分と同じ側の性。
それでも、心が欲してしまうのだ。
灼熱の地で水を欲しがるように。
 芹沢は斉木の中に入りたい欲望を押さえ切れなくなった。
しかしそこは自然と濡れる訳も無く、そのままだと傷つけてしまいそうだ。
躊躇う芹沢の身体を押し返し、斉木が身体を起こした。
「ちょっと、待ってろ……」
荒い息の合間に言う。
その声がいつもと違う。
――甘い。
その認識が余計に芹沢の興奮を煽る。
 斉木は手を伸ばしヘッドボードの引き出しからプラスティックケースを取り出した。
有名な銘柄の、クリームタイプの傷薬である。
ぴんと来ない芹沢の目前で、斉木は蓋を開け中身を指に取った。
その手を背後の回し、自らの窪みに埋め込んだのだ。
「ん――くっ」
噛み締めていた唇から、声が漏れる。
片手は身体を支える為に塞がっているし、もう片手は背後に回されている。
声を押さえることは不可能だ。
頑なに目を閉じてはいるが、芹沢には全てを晒していた。
朱に染まった肌は、羞恥の為かそれとも期待の為か。
寄せられた眉はいつもの意志の強さは何処へやら、ひたすら切なげに芹沢を誘う。
このままでは強引に押し入って、斉木を傷つけてしまいそうだった。
「斉木さん、目を開けて俺を見て」
耳元に囁く。
その吐息でさえ感じるのかビクリと身を竦ませて、斉木が瞼を開いた。
瞳が濡れている。
その恨めしげな、同時に全てを委ねきったような艶のある視線が胸を射る。
たまらず、抱き締めた。
「あっ……」
埋め込んだままの指が更に深くなったのだろうか、斉木が押さえた声を上げた。
「俺がします。 俺にさせて下さい」
「駄目だ」
意外なほど早く返事が返って来る。
こんな情況になってもまだ、そこへ触れられるのは羞恥があるのだろうか。
それとも、穢れているとでも思っているのか。
「何故ですか」
芹沢も余裕などない。
「俺は斉木さんの何処でも触れたい。
それに、もっと気持ち良くしてくれるんでしょう?」
やや強引に、そこへ指を這わせた。
 斉木は観念したように息を吐き、再び身体を横たえた。
「もういいから」
顔を背けて言う。
遠回しな言い方だが、芹沢には判った。
「だけど、本当にいいんですか?
もっと慣らした方が……」
気遣ったつもりだが、
「いいって言ってるだろ!」
逆切れされてしまった。
羞恥がそうさせるのだと思うと、愛おしさが募る。
芹沢は慎重に身体を進めた。
斉木を傷つけぬように。
 だがそこは芹沢が心配したほど、頑なではなかった。
嵩張った部分が侵入した後は、それ程の抵抗も無かった。
慣れて、いるのだ。
芹沢は自分の胸に兆し掛けた暗いものを振り払う。
予想通り狭い、しかし予想より柔らかいそこは、誂えたようにぴったりと芹沢を包み込む。
底が無いかのように、奥へと吸い込んでいこうとする感覚に、芹沢はすぐに達してしまいそうになるのを必死で堪えた。
「芹沢……?」
根元まで入ったまま動こうとしない芹沢を、斉木が不安げな瞳で見上げる。
眼の縁が紅くなって泣きそうに見えるのは、勿論痛みの為ではない。
芹沢は呼吸困難に陥りそうだった。
この人は、俺をどうしたいんだ――?
引き寄せて、魅了して振り回して。
狙っているのなら、大したジゴロである。
そうではないのは判っているが。
「俺、今本当に斉木さんの中にいるんだなぁ、って幸せ噛み締めてたんですよ」
何とか笑って見せた。
それから耳元に口を寄せ、囁いてやる。
「焦らしてすみません」
繋がった所が、きゅんと締まる。
「焦れてなんか――!」
最後まで言わせない。
芹沢は埋め込んだままのそれを途中まで引き抜くと、斉木の中を探るように動き始めた。
「――っあ」
突然の動きに斉木の口から殺し損ねた声が漏れる。
斉木は慌てて再び口を塞いだ。
芹沢は声を聞きたかったが、それを口にした所で素直に言うことを聞いてくれはしないだろう。
却って頑固に口を閉ざしてしまいそうだから、言わない。
要は斉木を、羞恥を忘れるくらいに感じさせればいい。
 芹沢が斉木の中のある一点を突くと、斉木の身体がびくんと跳ねた。
ここか、と芹沢は探り当てた場所を刺激した。
「んぁっ」
再び身体が跳ね、押さえた手の間から濡れた声が漏れる。
気を良くした芹沢は更に奔放に斉木を責めたてた。
 一旦感じていることがばれてしまうと、斉木はもはやそれを隠そうとしなかった。
隠しようがなかった。
芹沢の激しい動きに着いて行くのがやっとの有様で、腕は芹沢の背に縋り付くしか能がない。
感じる所を嬲られ、又焦らされて、斉木は脚を絡み付けてねだる様な仕種さえ――
「せりざわ・・・っ、せりざ、わぁっ」
熱に浮かされて繰り返し名を呼んでくれる斉木が、嬉しくて愛しい。
芹沢とて余裕などなかったが、出来るだけ自分本位にならぬよう気を使っているつもりであった。
また抱かれてもいいと思われたいといういじましい望みからであっても。
これきりになどしたくなかった。
 少しでも斉木の中で斉木を感じていたい。
だがそこが心地良ければ良い程芹沢は追い詰められ、斉木が達して中が絞られるのに抗しきれず勢い良く精を迸らせた。
その感覚に斉木が身を震わせる。
敏感な反応を返す斉木を抱き締め、口付けを落とす。
自ら唇を開いて受け入れてくれる斉木から、まだ離れたくない。
その思いを、芹沢の肉体は如実に反映した。
入ったままのそれが、再び硬度を取り戻したのだ。
 斉木が咎めるような瞳で芹沢を見やる。
眦に浮かんだ涙の粒が綺麗だ、と芹沢は思う。
「すみません、俺、又――」
「謝るな……」
シーツに落とされていた腕が、芹沢の肩に回り引き寄せる。
合わせた胸からは治まり切れぬ鼓動が伝わる。
汗に湿った髪からは芹沢の好きな、斉木の匂いがする。
「――好きです」
無意識の内に言葉が紡ぎ出されていた。
何かを望む訳ではなく、(こた)えを期待している訳でもない、ただ心の奥底から溢れ出して来たのだ。
睦言と言うには真摯過ぎる言葉に、斉木は返事をしなかった。
出来る筈がなかった。
自分の迂闊さに気付いた芹沢が身を離そうとしたが、果たせなかった。
斉木の腕が許さなかったのだ。
芹沢の背中を抱いた腕の力を強め、離すまいとしていた。
あるいはそれが斉木の答えなのかもしれない。
芹沢は、斉木の身体を強く抱き返した――





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