そういえば今何時だ!?
(しまっ――――――――――)
俺が思い当たるのと同時に、外に何台ものバイクが止まる音がした。
それは日頃から聞き慣れたエンジン音。
ピンポーン!
続いて鳴る呼び鈴。
それはいつも俺を迎えにくる悪鬼のメンツに違いなかった。
だが、出れない。
こんな体で、格好で出れるわけがない。
「羅刹さん―――!
おはようございまっ―――――ス―――――!!」
外から俺を呼ぶ声がする。
しかし答えるわけにはいかない。
答えられるわけもない。
「返事ないっすねぇ、まだ寝てるんすかねぇ」
「そうじゃないか?羅刹さんのバイクあるし」
「起こした方がいいっすか?」
「俺はやだぜ、殴られるのは――――」
「でも……」
「じゃ、とりあえず携帯で……」
「うい」
外の会話に聞き耳を立てていた俺は、はっとして急いで携帯を探す。
が、見つからない。
ない―――――、携帯がない。
(あれっ、携帯どこに――――!?
そうだ!
携帯は昨日の長ランに入れたままだ―――!
それがあの女に女子の制服にされたから――――……、
そのまま消えちまったのか――――!?)
念のため今着ている学生服のポケットを全て漁ってみるが生徒手帳の他には何も入っていない。
まさかと思って探してみたがやはり財布もなくなっていた。
ということはバイクのキーも……。
いや待て。
バイクは確かスペアキーはどこかに……。
(畜生、あのクソアマ―――――――――――!!
何がプレゼントだ!!)
「あれ、繋がらないッス。電源入ってないみたいすね」
「俺、ちょっと中覗いてみるわ」
その言葉を聞き、俺は机の上に散乱していた小銭を掻き集めると、必死にゴミ溜めの海を泳ぎながら、慌てて裏口から抜け出した。
近くのコンビニで弁当を買い、駐車場に座り込んで食った。
普段小さすぎて物足りなかった弁当が、やたら大きく見えた。
この体になって、ほんの少しだけ得をした気分になった。
通り過ぎる連中がじろじろと眺めてくるが、俺はそんなことはいちいち目は気にしな―――――
(―――――!?)
いつまでもまとわりつくような視線を感じて顔をあげると、そこにあったのは、それまでずっと味わってきた、遠巻きに腫れ物を見るような、そんな嫌悪感を示す視線ではなかった。
だらしなく鼻の下を伸ばし、頬を赤く染めたオヤジがにやにやしながら俺を見ていた。
一人ではない。他に数人の男がこちらを見ていた。
しかもその中の1人はにやにやしながら携帯カメラをこちらに向けて―――――――――
俺は何が起きているのかをようやく理解し、慌ててスカートを直し足を閉じた。
「見せモンじゃねーぞ――――ッ!!」
(ぶっ殺すぞ!! スケベ親父どもが――――!!
くっそおおおおおおおおおおおおお――――!!
ちくしょう―――……、何で俺がこんな目に……)
それから俺は1時間ほどコンビニで雑誌を立ち読みし、家に戻った。
流石に家の周囲に悪鬼の姿はない。
諦めて学校へ行ったのだろう。
悪鬼――――それは俺・羅刹の率いる不良グループだ。
学業を捨て、学校へ通うことに意味を見出していない連中ばかりだが、俺は普段からやつらに中退も留年もするなと厳命していた。
なぜかは分からない―――が、俺はそうすることで、あいつらを、そして俺自身を、ただの不良グループから犯罪者集団になるのを踏み留まらせようとしていたのかもしれない。
犯罪者集団ではない、というとそれは正しくない。
俺は俺の欲望を叶えるために、暴行もすれば強姦もする。
やりたい放題をやっている。
しかし、世間は犯罪者を好き勝手に放置するほど甘くはない。
かといってどんな犯罪だろうが、ばれなければ犯罪にならず、問題にはならない。
つまり好き勝手やるにしても、奴らの網から逃れられるようにやらなくては駄目なのだ。
逆に言えば奴らの網に掛からなければ何をしてもよい、ということだ。
事実、俺は何十人もの女をレイプしてきたが、一度も訴えられたことはない。
まあ、傷害でパクられたことなら何度もあるが。
部屋に戻ると、いつも狭っ苦しく感じていた部屋が、とても広く感じられた。
なにより、天井や部屋の狭さから受ける圧迫感や、扉をくぐるときに頭上を気にしなくていいのは、この体になった時に初めて感じたメリットだ。
「しっかし汚ねぇなぁ――――……」
俺は自分の部屋のあまりの惨状に思わず呟いた。
他の連中がここをゴミ屋敷と形容していることも知っているが、この有様では頷く他ない。
「することもねーし、片すか……」
幸い、ゴミはその量こそ多いものの、全てゴミ袋に詰めてある。
以前、そのまま放置していたらもの凄い悪臭を放ち出したので、袋に入れ、口だけはしっかり閉じるようにしたのだ。
分別なんてしてないし、ゴミを出す曜日の取り決めなんかもあるらしいが、俺の知ったことではない。俺はゴミ袋をぶら下げ、片っ端から近くの収集所へと持って行った。
途中近所のババァが文句を言ってきたが、「死ね!クソババァ」と怒鳴ったら黙った。
まだ家の中にあるゴミ袋の1/10も捨ててないというのに、収集所はゴミでいっぱいになってしまった。
「だりィー………」
塵も積もれば山というが、正にその通りだ。
しかしこれだけの量を溜め込んでしまったのは他の誰でもない自分である。
いっそ悪鬼の連中を呼びつけ片付けをさせてやりたいが、この体ではそういうわけにもいかない。
「羅刹さんマジ汚すぎっすよ、ゴミ捨てた方がいいっすよー。
何回も放火されてるじゃないッスか」
朝、よく言われた小言が脳裏をよぎり、俺はむかついて手元にあったゴミ袋を壁に投げつけた。
(誰かにやらせる――――?)
その時、俺はピンときた。
(そういえば、銀行のキャッシュカードは―――――)
俺は飛び起き、自分の部屋へ走った。
(確かここに――――――――――)
あった。
高校入学後、失踪したオヤジから生活費は送って貰っていたものの、俺にとってそれは早々に必要のないものになっていたのだ。
なぜなら輪高をまとめあげ、他校の連中から吸い上げた上納金だけで、生活費は勿論、バイク代や遊ぶ金なんかも賄えていたからだ。
俺はキャッシュカードと通帳を持って銀行へ走った。
残高を見てみると――――――――、160万入っていた。
(よっしゃあああああああああああ―――――!! 助かったぜ!!)
とりあえず俺は当面の生活費に20万下ろす。
それから家に戻り、俺は市役所に電話してゴミ処理を頼んだ。
30分もしないうちに収集車がやってきてあっという間に片付けていった。
誰かにやらせる、つまり、金があればできる―――!!
俺は以前から何度か、役所のやつが訪ねてきたことを思い出したのだ。
苦情が出ているのでゴミを片付けてほしい、という勧告をこれまでは無視してきたのだが。
この家の主の風評を知っているのか、役所の連中は特に何も言わず、黙々と作業だけをしていった。
金があったから彼らを呼んだのに、ただの1円も要求されなかった―――。
急に広くなった部屋で俺は寝転んだ。
(ていうか、くっせぇ―――………)
自分の慣れ親しんだ布団がやけに臭く感じられた。
たまには干そうと思い太陽に照らしてみたら、それはもうすっかり黄色に変色していて、それに気づいた俺は、自分自身のことにも関わらず、吐き気を催した。
俺はむかついて布団をゴミ捨て場へ持っていこうとし、そのまま座り込んだ。
重い―――――――――……。
(畜生、重てぇ、全然力でねぇ―――――――…………!!)
非力。
まさに非力。
まるで非力という言葉を体現したような肉体だった。
(ちくしょう―――――!!
あのクソアマッ―――――――!!)
俺はもう何度目になるか分からない、俺をこんな体へと変えた人外の女に悪態をつきながら、電話帳をめくった。
この近所にあるリフォーム業者を探し出し、すぐに家を清掃しろ、それから新しい布団を持ってこいと告げたら切られた。
2件目の会社も断られた。
3件目も同じだった。
(どいつもこいつも――――――――!!!!!)
分かっている。
分かっている。
話し方だ、いけないのは――――。
世間というものはやたらと言葉遣いを気にしやがるのだ。
俺のこの完全な命令口調の話し方がいけないのだと、分かってはいるのだが………。
「そんな風に話したことねーもんよぉ―――――――――――!!!」
俺は1人、家の中で叫んだ。
どこからか無数のエンジン音が近づいてくる。
(っるせーなぁぁ――――!!)
いつの間にかうたた寝していた俺は、そのはた迷惑な音にブチギレそうになりながら寝返りをうつ。
が、次の瞬間、俺は飛び起き時計を見る。
時刻は既に夕方近くになっていた。
しまった―――――――――――――――――!!
案の定、その無数のエンジン音は俺の家の前で止まったのだった。
「あれ!?
なんか玄関の周り綺麗になってるッスよ」
「ほんとだ。ゴミが一つもねぇ。あれ家の中もじゃねぇ?」
「羅刹さん、ついに掃除したのか!!」
ピンポーン――――――
そして鳴る、呼び鈴。
俺は再び、慌てて裏口から逃げ出したのだった。
コンビニで時間を潰し、それから夕食と、一番小さいサイズの男物のパンツ、シャツを購入し家に帰る。
俺は何か考えようとして、しかし考えなければいけないことは、あまりに多すぎて、
それは不明瞭で、曖昧で、判然とせず、糢糊としていてまるで闇の中を手探りで彷徨い歩いているようで…………、
どれくらいの間そうしていたか、分からない。
俺は、結局なにひとつ考えられないまま、
そして悪臭漂う布団の中で泥のように眠った――――――……
第1話:せつら
終わり