俺が女になってから5日目。





「今日から女子はマラソンねー。
 秋のマラソン大会、もうすぐなんだからね――――!!
 はい!校舎周りマラソンコース10周!」


えー!!
10週とか無理〜〜!
鬼〜〜!
悪魔――――!


そこかしこから沸き起こるブーイングを受け流し、先公が笛を吹く。
けたたましい笛の音に急かされ、女子共が重いケツをあげ始めた。



それはこの体になってから受ける、初めての体育だった。

マラソン――――
ただ走るだけ、というなんともつまらなく苦しいものだが、この肉体の身体能力を知るにはいい機会かもしれない。



しかし俺は走り始めてすぐ、ストレスの嵐に見舞われることとなった。



(髪が邪魔くせぇええええええええ―――――――ッ!!)



足を踏み出す度に左に揺れ、右に揺れ、さらには顔面に、まるで襲いかかるようにぶち当たってくる始末。
それから胸筋が発達していない。
この膨らみの所為か、胸が気になって仕方がない。
というか明らかに揺れて、邪魔だ。
どうやらブラをつけなかったのはまずかったようだ。

つけるのが面倒だったというが大きな理由だが、そんなものつけられるか!というのはもっと大きな理由だ。


「せつらさん、胸おっきいね………」
「え?」


隣にやってきたみことが俺の胸で跳ねる二つの塊を見ながら呟いた。
彼女の視線に釣られて俺も自分の胸を見下ろし、それから次に視線は自然と彼女の小ぶりな胸へと移る。
何かコメントを求められているような気がしたが、俺は


「うーんと、、、凄い、邪魔、かな……」
「うー。」


みことが胸に手を伸ばしてきたので俺は慌てて避けた。


「邪魔といえば、せつらさん、髪の毛邪魔そうだね」
「うん、やっぱ切れば良かった……」
「そ、それは駄目だよっ!!」


みことは俺の言葉を聞くなり、いきなり自分の髪のリボンを解いた。
すぐ目の前で彼女の髪が風に広がり思わずどきっとする。


「ちょっと、止まって!!」
「え?」


言われるままに立ち止まると、みことは後ろへ回り俺の髪を一纏めにし、今解いたばかりのリボンであっという間に結わえてしまった。


「これでよしっ!
 いこっ♪」


みことは笑い、そう言って走り出す。
俺は慌ててその後ろを追いかけた。

なるほど、みことが髪を結んでくれたおかげで大分走りやすい。


が、今度はみことの髪がばらけてしまっている。


「走りやすいけど、でも―――――……」


俺は、そこで言葉を止めた。
「みことが」と言おうとして恥ずかしくなったのだ。


「でも御巫みかなぎさんが……」
「みこと」
「え?」
「みことって呼んで」
「そ、それは………」
「友達ならみことって呼んで〜〜〜!!」


出会って四日目とあって、彼女のテンションに馴れてきてはいた。
が、流石に名前で呼ぶのは恥ずかしい。
何も恥ずかしがる理由などないはずなのに、でもそれはやはり俺が本来男で、その上女とのコミュニケーションをまるでとってこなかった所為だろう。

しかし、相手の名前を呼べないというのは、コミュニケーションをとっていく上でどうしても無理がある。



「じゃ、じゃぁ―――……、み、みこと……」
「うんっ」

俺は覚悟を決めてその名を口にする。

「悠理」

いつの間にか隣にきていた悠理が、ぼそっと呟いた。
俺は覚悟の尽きないうちに悠理の名前も呼んだ。

「ゆ、悠理……」
「うんっ」


走りながら悠理が笑顔で笑い、間近で見せられたその笑顔に俺は心臓の跳ねるのを止められなかった。

それは俺が初めて、みことと悠理の名前を呼んだ瞬間だった。


一度声に出してしまうと、抵抗感はあっという間に薄れた。


「でも、みことが走りづらいんじゃ―――……」
「いいの、たまには!」










自分が走りづらくなると分かっていて、俺のことを優先した―――――……

まだ知り合ったばかりで、友達になったとも言えないような関係なのに……。



歯痒い。


もどかしい。


じれったい。




どこかイライラするようで、


でも居心地は―――――――――悪く、ない……。





こんな、こんな、感覚は――――――――――










(うおおおおおおおおおおおおおおおッッ―――――――――――!!)










俺は思いきり走るペースを上げた。


「せつらさん、早っ――――!!」
「まだ1週目だよ!?」
「そのペースじゃばてるよ―――――――――――――!!」


後ろからみことと悠理が叫ぶ。

分かってる。
このスピードじゃまるで短距離走だ。

でも――――、でもなんだか恥ずかしくて、体がむず痒くて、どうしてもそれ以上、彼女たちの傍にいることができなかったのだ。










「はぁっ―――、はぁっ―――、はぁっ―――……」


案の定というか、当然というか、一周で力尽きた俺は足をもつれさせ、それ以上前へ進むことができず、諦めて大の字に寝転んだ。



9月―――――
夏が終わり、肌寒く感じる日が増えてきているとはいえ、太陽光に暖められた地面は暖かく、地面に直に寝転んだ俺は、実に爽快な、最高に心地いい気分だった。



クラスの女子たちが、地面に寝転ぶ俺の姿に笑いながら通り過ぎていく。

暫くしてみことと悠理が追いつき「だから言ったのにー」と笑いながら走っていく。










「あはっ、あははははっ―――――」


急におかしくなり、笑いがこみ上げてきた。
止められなかった。

俺は声を出して笑い続けた。





「あはははははっ、あはははっ―――――………」


それから急に涙が出てきた。


最初は笑い涙だと思った。
でも違った。


俺は泣いていた。

咽せってしまいそうになるのを賢明に堪える。


けど涙を、嗚咽を止められない。







俺はいったい何をしてるんだ―――――――――……

俺はいったい誰なんだ。

羅城道孝、おまえはどこへいっちまったんだ。

おまえはどこへ消えちまったんだ。

なぁ、おまえは死んじまったのか?

おまえはもう、どこにもいないのか?


確かにおまえは悪いやつだった……。

何もかも境遇の所為にしておきながら、それでいてその境遇に甘えて、

化け物並の体格をいいことにやりたい放題やって――――……


けど、それでも、こんな仕打ちを受けなきゃいけないようなやつだったのか?


なあ――――……


―――……



















































俺は立ち上がり、呼吸を整えると再び走り出した。

全力疾走をしてしまったために、足の筋肉が急激な疲労感を訴えているが、今度は呼吸の乱れないぎりぎりのペースを保つ。


(そういえば元の体も持久力はあまりなかったかもしれないな…)


羅刹の時、瞬発力には相当の自信を持っていたが、スタミナはなかったかもしれない。

というより、これまではスタミナが求められるような状況がなかった、という方が正しいだろう。
例え相手が何人がかりだろうと、勝負は一瞬でついてしまうのだから。



悪くない。

多少呼吸は苦しいものの、それは走っているのだから当たり前のことであって、無理せずこの早さを保ち続けるなら、むしろ相当に――――いい。

あっという間にみことと悠理を追い越し、さらには他の女子たちも次々と追い抜かしていく。

俺は無理はせず、しかし決してペースは落とさず、真面目に走り続けた。





「え、うそー!?」
「まじでー……」


気づくと、みことと悠理を周回遅れにしていた。
唖然と呟く彼女たちを置き去りに、俺は走り続ける。




何周走ったか把握していなかったため、結局俺は皆が走るのを止めるまで走っていた。
どうやらかなり好成績だったようで、陸上部からの誘いを丁重に断った俺は水道の蛇口を思い切りひねった。


髪が濡れるのも構わずに頭から水をかぶり、口の中を冷水でゆすぐ。
最高に気持ちよかった。


(ちっ、タオル持ってきてねーや……)





「ヒューヒュ―――――!!」


更衣室へ戻る途中、廊下ですれ違った野郎に突然口笛を吹かれ、若干カチンときたものの、構わず通り過ぎる。










「ちょっ、せつらさん!!」


更衣室のドアを開け、俺を見たみことが驚いた表情を見せた。
急に手をとられて中に引き入れられ、俺は思わず顔が赤くなってしまったのが分かった。


「なんでブラしてないの?」
「え?」


みことに言われ、俺は自分の胸を見た。
汗をびっしょり掻いた所為で気にしなかったのだが、水浴びをした所為で体操服が濡れ、乳頭が色も形もはっきりと浮き出てしまっていたのだった。

ああ、だからあの男―――と遅まきながら気づいたが、目の前には裸になって汗を拭く女たちが一杯で、今更恥ずかしいとも思えなかった。

というより、俺にとってはすぐ目の前で、みことがブラ姿でいることの方がよっぽど恥ずかしい。その膨らみは決して大きくはないが、その細い首筋と浮き出た鎖骨が何とも劣情をそそる。


「ごめん、みこと、タオル余ってたら貸してくれない?
 今度洗って返すから………、あ、予備がないならいいけど」
「もう―――……」

みことは少し呆れたように呟き、それでも新しいタオルを差し出してくれた。



タオルを思い切り顔に押しつけたら、それはふかふかとして柔らかく、まるで夢見心地で、俺は思わずぼーっとしてしまい、ああ、もしかしてみこと胸に顔を埋めたらこんな感じなのかな……、なんて、気づけば無意識にそんなことを考えていて、俺はまた顔が真っ赤になるのが分かり、それからもうしばらくの間、俺はタオルで顔を覆い続けなくてはならなかった。


何となく、みことたちに胸を見られたくなかったので、俺は最初と同じように、皆がいなくなってから着替えた。




















いい汗をかいた所為だけではない。

晴れやかな気分だった。

涙を流して泣いた所為かもしれない。

あんな風に泣いたのは初めてかも知れないな………。





俺の中で何かが吹っ切れていた――――――





そしてこの日を境に、俺は急激に、変わっていった――――――……



















































第5話:体育
終わり

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  第6話:消失
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