何事もなく日が過ぎていた。
しかし皆どこかぴりぴりしていて、怯えているのを俺は感じていた。
いつもと変わらぬ日常。
それが嵐の前の静けさだということを、誰もが確信しているようだった。
その日の放課後、俺はみことと二人で駅前の喫茶店で大きなパフェを食べていた。
悠理は珍しく文芸部に顔を出している為、一緒ではない。
このパフェという気狂いじみた甘ったるい食べ物。
最初こそ断っていたが、みことに強く勧められ、一度食べたら病みつきになってしまった。
これまでは口にしようとさえ思わなかったデザート類が、この体ではやたら口触りがよく感じられ、ついつい頬張ってしまうのだ。
「そういえばあれきた?」
「あれ?」
「あれだよ、あれ」
「うん?」
「だーかーらー、生理。
きてないって言ってたでしょ?」
「ああ、うん、まだ」
「えー、ほんとに―――……?」
時折、みことは思い出したように俺の生理について尋ねてくる。
みことが言うには、女の子には1ヶ月に1回、月経という生理現象があるらしい。
無論、俺とて女に月一の生理があることくらいは知っているが、その生態や仕組みに興味を持ったことはなかった。
古くなった子宮の内膜が剥がれ落ち、新しいものに変わるのだという。
その所為で股間から出血し、最低でも2〜3日は生理痛(頭痛、腰痛、吐き気、貧血、下痢、目眩など)に悩まされるそうだ。
聞いているだけで気分が悪くなってくるが、大抵は小学校〜中学あたりには初潮がくるそうで、未だきていない俺はちょっとやばいらしい。
「高校生でこないのはおかしいって。
ほんとに、一度病院行った方がいいよ?
一人で行くの嫌だったら私ついていってあげるしー」
「別に平気だって」
「病気は早期発見が一番いいんだよ?」
「平気だよ」
これはもう既に何度か行われたやりとりだった。
以前、みことが俺に生理用品を買ったのは、実は半分冗談のつもりだったらしいが、本当に初潮がきてないことを知ってからというもの、思い出したように話題に出してくる。
心配をしてくれているのは分かるのだが、特に体調不良を感じることもないし、この体のことは俺自身よく分かっていないのだから仕方がない。
それに説明を聞いてからはむしろ、めんどくさそうなので来ない方がいい、とさえ思っている。
「ね。今度せつらさんち、遊びに行ってもいい?」
「え……、いや、それは……」
グラスの底に僅かに残った生クリームを掻き出し、若干の物足りなさを感じつつも、幸せな余韻に浸っていると、みことは突然そんなことを言い出した。
「駄目かな?お父さんとかお母さん、嫌がるのかな?」
「そういうわけじゃないけど……」
そもそも親などいないし、改装してすっかり綺麗になった家には自信をもって招待することはできる。
外装こそ汚いものの、内装は新築と言っても通じるレベルだ。
以前のようなゴミ溜めとは違い、今の俺は掃除もすれば洗濯もするし、ゴミ出しもきちんとやっているのだ。
無論、問題はそこではない。
ついこの間まで羅城道孝の住んでいた場所に、同じ名字の羅城せつらが住んでいるという事実は、やはり誰にも知られない方がいいことだ。
そして個人的にそれ以上に問題なのは、みことが家にくるということは、俺の部屋で女の子と二人きりになるということだった。
何十人も女を無理矢理犯してきた俺が言うのもおかしな話だが、みことと二人きりになるのは正直怖かった。
あ、いや、勿論、そもそも女同士でどうこうなろうという気はないし、みことにもそんな気は無いのは分かってはいるが。
実を言うと、俺は未だにこの体のことをよく知らないのだ。
男の時は気づいた時にはもう自慰をしていたし、あとは衝動に突き動かされるまま女を犯していた。
しかし俺はこの体になってからは、オナニーさえしたことがなかった。
勿論、風呂に入るとき、胸や陰部に触れはするのだが、必要以上に触ることはない。
恥ずかしい話だが―――――、怖いのだ。
女の快楽を知ることが。
女のようにはしたなく、淫らに喘ぐことが、どうしようもなく怖いのだ。
だってこの俺が――――……
鬼の羅刹と呼ばれたこの俺が、そんなこと、受容できるはずがない―――――……
そもそも俺は快楽に喘ぐ女というのが大嫌いなのだ。
泣きわめき、嫌がり、抵抗し続ける女を犯すのが一番だが、気持ち良さそうに喘がれるくらいなら、まだマグロの方がマシというものだ。
俺はじたばたと不格好に、それでも必死に藻掻く女を犯すのが好きなのだ。
こればかりは俺の趣味なのだから仕方がない。
だからこそ俺は強姦ばかりしてきたのだ。
レイプするときはまず徹底的に殴り、痛めつけ、根こそぎ抵抗心を奪う、犯すのはそれからだ―――などという奴もいるが、それは弱者の理論だ。
俺は絶対的に弱い女に暴力を振るうことはない。
その必要など全くないない。
ただ力のままに押さえつけ犯す。
抵抗は全て受け止め、その上で犯す。
喚き、泣き叫び、俺の下で藻掻き暴れる白い肢体――――、それこそ活きがいいってもんだ。
耳を裂くような悲鳴も、肌に爪を立てられる痛みも、俺にとってはそれら全てが女を犯す快楽だった。
羅刹だったころ俺にとって女とは、同じ人間として会話の成立する相手ではなく、暴発してしまいそうなオスの性衝動を満たすための道具に過ぎなかったのだ。
「あ、ごめん。無理に、とは言わないから」
「うん、ごめんね」
「ね、一つだけ聞いていい?」
「なに?」
「せつらさんて…、本当にあの羅刹の妹じゃないの―――?」
ふと、この前、みことの前で羅刹の話はタブー、と悠理に言われたのを思い出す。
「違うよ」
「でも羅城って苗字珍しいけど―――………、
本当に違う?」
「うん。」
ずきり―――。
心が痛んだが、俺は羅刹本人であって、妹ではないのだから決して嘘はついていないはずだ。
「そっか、よかったぁぁ――――!!」
みことは羅刹が嫌いなの―――?
そう尋ねようとして、しかし、彼女の心底安心したような表情に俺は何も言えなかった。
彼女は「羅刹を嫌っている」と言ったわけではない。
けれど嫌っているのは、いやきっと憎んでいるであろうことは、俺にだって伝わってきていた。
となれば考えられる原因は一つ。
(俺は昔、みことをレイプしたのか――――……)
犯した女のことなどいちいち覚えてなどいない。
しかしそう考えると、あの明るいみことが、羅刹のことになると不自然に表情を曇らせる理由にも納得がいく。
「ね、私も一つだけ聞いていい――――?」
俺は。
みことが今まで半信半疑の状態でいて、それでも俺にずっと話しかけてくれて、友達になってくれて、親切にしてくれて――――
それでも聞かずにはいられなかったように―――――
聞く必要はない。
聞く必要など無いはずだ。
でも俺も聞かなくてはいけない。
彼女が自分の中のわだかまりを取り払うために訊ねたように――――……
きっとレイプなんかじゃなく、ちょっと睨まれただとか、ぶつかって怒鳴られただとか、
そんな些細な理由で、だから、俺が負い目に感じる必要はないんだと、心の中で願いながら――――――――――
言えなかったはずだ。
言わなくていいはずだった。
しかし俺は尋ねてしまっていた。
「みことはさ、どうしてそんなに羅刹が嫌いなの?」
途端にみことの表情が翳った。
顔がひきつり硬直する。
それは俺が今まで見たこともないような、彼女の貌―――――――
目の前にいるのが本当にみことなのか、と思うほどに
確定的だった。
なにかされたの?――――決してそんな言葉を続けられないほど決定的に。
その瞬間、
俺は急に心が引き裂かれるような痛みに襲われた。
体がではない。
心が、痛い。
「うあぁぁあああッッッ――――!!!!!!!!」
一過性の痛みかとも思ったが、あまりの激痛に俺は胸を押さえ、体をくの字に曲げてテーブルの上に倒れ込んだ。
ガンッ――――――――
俺の頭が激しくテーブルを打ち、衝撃に倒れたデザートグラスが床に落ち、派手な音を立てて割れた。
激痛を歯を食いしばって耐えるが、堪えきれず呻く。
「え―――……? せつら…さん……?」
突然の俺の様子にびっくりしたみことが背中をさすって心配してくれるが、痛みは急激に増していく。
みことに触れられた背中が灼けるように痛い――――!!
(なんなんだ――――これ――――――――――
ちくしょう―――――――……!!)
俺は必死に鞄から財布を取り出し、2000円をテーブルの上に置いた。
「ごめん、先、帰る…………」
「えっ?えっ?
せつらさんっ――――――――――!?」
俺は蹌踉けながら、それでも必死に、まるでみことから逃げるように店をあとにした。
「はぁっ―――、はぁっ―――……」
が、あまりの激痛に店から少し歩いただけで、それ以上歩けなくなり、倒れ込む。
苦しい……
息ができない…………
黒く―――……
視界が狭く、黒く染まっていく――――――
まるで絶望の淵に、暗黒の奈落へ堕ちていくようだ――――――――……
後ろで店のドアが開き、慌てて会計を済ませたのだろう、みことが走り出てくるのが分かった。
「せつらさんっ――――!!」
みことが悲痛な声で叫ぶ。
(駄目だ、みこと、くるな――――――――!!
この痛みは、この痛みは、おまえのっ―――――――――)
みことがすぐに俺のそばへ駆け寄り、肩に触れる。
「ねぇ、顔色、凄い悪いよっ、
病院、いこ、歩ける?
救急車、呼んだ方がいい?
せつらさんっ! せつらさんしっかりして!」
「みこと……」
「うん?なに?ここにいるよ?」
自分でも何を言おうとしたのか分からなかった。
みことに抱きかかえられた体に、身を引き裂かれるような痛みが走り――――……
俺は絶叫し、意識を失った――――――――――――