翌日も雪だった。



ここから見る景色はとても寒そうだけれど、ガラス窓一枚を隔てて病室はとても暖かい。
とはいえ、乾燥し、熱気を含み、病院特有の匂いを含んだ空気はあまり心地いいものではない。



コンコン―――――――



「どうぞ」


ノックと共に部屋に入ってきたのは長身の、学生服を着た青年だった。
切れ長の目に、眼鏡をかけ、いかにも頭がよさそうに見えるが、その頭髪は見事に金髪に染まっている。


その特徴的な容姿に見覚えはなかった。
年齢の近い異性、に私は少し緊張感を覚えた。


「どなた、ですか……?」


私が尋ねても彼は答えなかった。
ただ黙ったままじっと私を見つめている。
どこか懐かしむような視線に、私は気恥ずかしさから目を逸らした。


「座ってもいいかい?」
「どうぞ……」


低く、澄んだ声。
やはり記憶には、ない。

青年は壁に立てかけてあった折りたたみ椅子を持ち出し、私のベッドのすぐ隣に腰を下ろした。
暫く待ってみたけれど、彼が口を開かないので再び私から問いかける。



「あの――――………、どなた、ですか?
 私とはどういった関係の―――………」

「何も、覚えてないんだって?」
「はい……」

「俺は空見うつみ―――、空見飛鳥あすか
 輪光高等学校3年―――、君の先輩だ」
「先輩………」


輪光高等学校…、輪光市………。
その名称は知っている………気がするが、イメージは全くない。


「私もその学校の生徒だったんですか?」
「そうだ」
「まあ、あまり評判のいい学校じゃなかったが………」


それだけ言って、彼はまた口を閉ざしてしまう。
でも彼の持つ雰囲気は、それ以上話すことがないというより、そこで落ち着いている、という感じだった。


私と彼は一体どういう関係なのだろう。
先輩と後輩。
他には……?


「あの、もう少し詳しく教えてもらえませんか。
 私とあなたが……、どういう関係だったのか……」

「そうだな、―――――はっきり言ってしまえば。
 俺は君のことが好きで言い寄っていた男だ」

「えっ―――………?」

「けど今、君には以前の記憶が無い。
 僕はその隙に付け込む気満々だけどね・・・・・・・・・・・・・・・
 君は用心しなくてはいけないよ」

「えっ?ええっ―――!?」


困惑する私に、彼は悪戯っ子のように小さく笑った。

不意に見せた笑顔。
どぎつい金髪とは裏腹に、その優しそうな笑顔に私はドキッとさせられた。




「さて―――――――――、ゆっくりと話がしたいのはやまやまなんだが、
 実はあまり時間がないんだ。
 だからこれから話すことをきちんと聞いて欲しい」
「え――……?」


急に彼の雰囲気が変わり、その口調が真面目なものへと変わる。
その真摯さや理知的な物言いに、私は自然と襟を正した。


君は芯のしっかりした強い子だった・・・・・・・・・・・・・・・・
 これは刷り込みでも洗脳でも何でもない、事実を言ったまでだ」

「は、はい……」

「君は1ヶ月前ある事件に巻き込まれた。
 そのことについて何か覚えているかい?」

「いえ……」

「君はその時の重要参考人・・・・・なんだ。
 担当医が既に面会の許可を出してしまってね、だからすぐにでも警察がくる。
 僕はちょっとこの病院に知り合いがいて―――――、先に通して貰ったんだが―――――」


何かの事件に巻き込まれたというのは、医者達の話で分かっていた。
が、どのような事件だったかまでは聞かされていない。


「その事件、どういう事件だったんですか……?」

「思い出せないなら知らない方がいい」

「知りたいです」

「ショックを受けるかもしれない」

「それでも知りたいです」

「だから君は芯のしっかりした子だって言っただろう?」

「もう、刷り込まれたのかも………」

「それだけのユーモアを言えるなら大丈夫そうだな」


そう言っていって彼は笑った。
その笑顔に、私の中にまた、新たな余裕が生まれる。

が、次に彼が放った言葉を私の間隙を突くには十分だった。




「その日、30名近い学生が死んだ」





「!?」

君はその場にいた唯一の生き残りだった・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「何も―――……思い出せません――――………」

「いいんだよ。
 別に君は事件には何の関係もないんだ。
 俺が言いたかったのは、君は何も心配しなくていいってことだけだから。
 いいね?」



ガラッ――――――…



突然、病室のドアが開き、3人の男性が入ってきた。
先頭にいるのは昨日から私を診てくれている先生で、後ろのスーツを着た二人は全く知らない人だ。


空見―――さんが、立ち上がった。


スーツをきた中年男が突然大きな声を張り上げ、私はその声にびくりと肩を縮めた。



「おや!? そこにいるのは空見くんじゃないか!
 なんで君が我々より先に面会してるんだ?
 まさか、彼女に何か吹き込んだじゃないだろうな・・・・・・・・・・・・・・・・・・―――――!?」

「そんなことしませんよ。
 それからつなしさん。ここは病室ですよ?
 大きな声を出すのはやめてください。彼女が怯えてしまうでしょう?
 俺はただ、あなたたちの取り調べを怖がらなくていいように彼女に言ってただけです。
 それからここに入ってからの会話は全部このICレコーダーに記録してありますから。
 気になるなら確認をどうぞ」

「ふん。まあいい。さっさと出て行け」

「あっ、十さん。あの時は本当にありがとうございました。
 それから今回もできるだけきつい報道管制をお願いします。
 今は彼女に余計な刺激を与えたくないので。」

「フン。それくらい我々だって配慮できるわ――――!!
 空見!おまえはさっさと外に出ていろ!」


私は目の前で繰り広げられるやりとりに何とかついていこうと頑張ったが、無理だった。

狼狽える私に空見さんが言った。


「俺はすぐ外で待ってるから。
 この人たちが帰ったら、また逢いに来るから。
 いいね?」

「はい」





彼が外へ出て行った途端、50を過ぎたあたりの刑事は急に柔和な顔を浮かべた。

そのつなしという刑事は、声こそ大きいものの、私の体調や精神状態をとても気遣ってくれ、私は特に怯えずに会話することができた。
けれど何を聞かれても、私は何も覚えておらず、何も思い出せず、結局何の役に立つこともできなかった。


やがて質問することに疲れたように、彼は大きく溜息を吐いた。


「すみません―――……、
 でも本当に、私、何も思い出せなくて……」

「いや、いいんだ。
 正直ね、君は記憶をなくして良かったとさえ思っているよ。
 我々も仕事だから、調べないといけないけれど、
 あの凄惨な現場は、もう何十年も刑事をやっている私でさえ、
 二度と思い出したくない――――…………」


その心底疲れたような、悲嘆に満ちた表情に、私はかける言葉が見つからなかった。
だから、ただ、謝るしかない。


「ごめんなさい……やっぱり何も……」

これ・・はまだ君に見せるべきかどうか、迷うんが……。
 カウンセラーと相談してからのほうがいいのかもしれないが――――」

「なんですか…?」

「何かしら情報が得られれば我々としては嬉しいんだが、
 もしかしたら記憶を呼び起こし、君に辛い思いをさせてしまうかもしれないと思うと……」

「見せてください」

「しかし先生からも君をあまり刺激しないようきつく言われててね―――……」

「見せてください」


しかし私はきっぱりと言った。
確かに私は芯が強いのかもしれない。


十刑事は私に一枚の写真を差し出した。


写っていたのは一人の少女。
可愛らしい顔立ちをしている。
が、記憶に無く、名前さえ分からない。


「彼女は―――……?」
「名前は御巫みかなぎみこと。君のクラスメイトだった。
 覚えてない―――――?」


私は首をかしげ、答えた。

思い出せない。
記憶には、無い。


(みこと―――……)


思い出せない、が、なぜかその名前は心に強く引っかかった。


「じゃあこの男は?」


私はもう一枚写真を受け取る。
人相の悪い男が写っていた。


「羅城道孝―――と、いうんだが……」


羅城――――――それは私と同じ名字。
つまり私の兄――――、なのだろうか?

けれどやはりなにも思い出せず、私は首を横に振った。


「じゃあ最後に一つ。
 羅刹―――、という言葉に心当たりは?」



「鬼――――…ですか?」



それは今回、彼らに問われた多くの質問の中で、唯一答えることができた問いだった。

しかし彼は少し唇を釣り上げて笑い、それから小さく溜息を吐いた。
何の収穫にもならなかったようだ。


「ありがとう。
 もし何か思い出したらすぐに連絡してくれるかい?」
「はい」


結局、彼らは私から何の収穫も得られず、部屋を出て行った。

しかし私には彼らがの様子が落胆ではなく、どこか満足したような、納得したような雰囲気に見えたのは気のせいだろうか。





それが気のせいで無かったことは、入れ替わりに入ってきた空見さんの話で分かることになる。





彼らはもう、諦めていたのだ。
この事件に関して、犯人を見つけることも、真相を知ることも―――、何もかも――――……。




















征関学院のすぐ近くに放棄されていたの空き倉庫。



その日、その場所でおよそ30名の学生が死んだ。
およそというのは、その数が特定できないからだ・・・・・・・・・・・・・

発見時、倉庫内は壁も床も天井も、辺り一面、真っ赤に染まっていたらしい。

それは全て、倉庫内にいた学生たちの血肉によるものだった。

被害者人物特定不可。
被害者人数不明。
凶器および殺害方法不明。
被疑者――――不明。

肉も、内蔵も、そして骨までもが、塵になるまでり潰されたとしかその思えない状況に、警察は凶器や殺害方法はおろか、殺害された人数さえ特定することはできなかった。

現場から検出されたDNAは27種類。
しかし倉庫の隅と真逆の端から同一のDNAが検出されたりと、その状況はまさに混沌の地獄絵図を描き、幾人もの検死官をノイローゼへと追いやり、難航した調査結果はどこまで正確かは分からなかった。
設置されていたライブカメラのデータは一切の状況を語らず、唯一現場を見ていたはずの少女は意識不明。



そして警察はそれ以上の現場検証を諦めた。





その中で唯一生き残った少女こそが、私―――――――――――――……





その時、そこで何が起きたかは分からない。

細菌兵器、生体兵器、自然現象――――様々な殺害方法が考えられたがどうやってもその状況を説明するには至らなかった。
ただ唯一の状況証拠――――つまりその時そこには私しかいなかった・・・・・・・・・・・・という事実から、犯人の最有力候補は私となった。
が、しかしその血だまりから私の指紋の付いたナイフが見つかったものの、共に検出されたのは男の海綿体組織や精液で、殺害を立証する証拠にはならなかった。

私がそこに居合わせたのは、不良グループに拉致された友人を助けるため――――、というのは空見先輩の証言による。

私の無実が確定的となったのは、その死体の中に唯一、殺害方法の痕跡を示す遺体があったからだ。




その肉の断片は、力任せに引き裂かれている・・・・・・・・・・・・―――のだった。










実のところ、そんな話を聞かされた私はあまりショックを感じなかった。
だってそれは、あまりにも現実味がなかったから。

私がそんなことをするはずはなく、万が一しようと思ったところで、できるわけもないから。





「そいつらは女の子を攫って、そこで乱暴し、その映像をネットに流していたんだ。
 殺されても文句言えない連中だったんだよ」
「そう、なんですか………。
 え? それじゃ、まさか私も―――――?」

「いや、それはない。君は何もされてないよ。
 それは俺が保証する」
「空見先輩も、そこにいたんですか……?」

「ああ。いた。
 君を助けに、ね―――――」


「え―――?」


彼の言葉に、私は顔が赤くなるのが分かった。
胸がドキドキしている。


「…――――先輩は、どうして助かったんですか?」
「その時俺はまだ外にいたから、かな」

「……私はどうして助かったんですか?」
「それは簡単なことだよ」

「え?」

犯人が君を殺そうとは思わなかったからだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



彼の、そのあまりにシンプルな、しかし明快な言葉に、私は一気に肩の荷が下りた気がした。
自分でも気づかないうちに、相当のプレッシャーを強いられていたらしい。





彼は―――――――、優しい。





「先輩、御巫みことって知ってますか?」
「直接の面識はないが、君のクラスメイトで、親友だった」

「彼女は今どこに…?」
「この事件のあとすぐに引っ越してしまったよ。
 転居先は分からないが、ずっと遠くらしい―――――。
 事件のことが余程ショックだったんだろうな」
「そう…ですか……」

「じゃあ、羅城道孝は?」
「彼のことも警察が?」
「はい」

「それは君のお兄さんだ。――――もう何ヶ月も前から消息不明だが……
 おそらくは――――………」
「おそらく……?」

「そう――――………だな……。
 恐らく警察が一番に疑っているのは彼だろうね。
 彼はかなり非道いこともしていたし、なにより人間離れした怪力の持ち主だったからね」
「そうですか………。
 先輩は私の家族を知ってるんですか?」

「君は、君とお父さんの二人暮らしだよ。
 お父さんもすぐに顔を見せるんじゃないかな?」
「そうですか………。
 色々と……ありがとうございます……」


父――――……
顔も、名前さえも思い出せないが、私の家族。
私が気がついてからもう2日目なのに、まだ、会いに来てくれていない。

私は、大きく息を吐いて布団に背を預けた。
身体が怠く、目蓋が重たかった。


「少し、疲れました……」
「うん、今日はもう帰ろう。
 明日またくるよ。
 むしろ、君が退院するまでは毎日くるつもりだ」
「え……?」

「勿論、君が迷惑だというならやめるが――――」
「迷惑だなんて、そんな………」

「じゃあ、また明日。
 おやすみ、せつら」
「は、はい………」


名前を呼ばれ、私は顔が赤くなってしまった。
呼び捨てにされたけれど、悪い気はしなかった。



それよりもむしろ、私が感じていたのは彼に対する親近感や嬉しさ―――、だった。




















彼とは今日初めて知り合ったのに。



出会ってまだ数時間足らずで、彼のことは何も知らないのに。



それでも自分のことさえ分からない今の私にとって明日またくるよ・・・・・・・という未来への約束は、大きな支えだった。



先ほど刑事がきた時もそうだ。



彼は 『部屋の外で待ってる。警察が帰ったらまた逢いに来る』 と言ったのだ。



その言葉が、どれだけ私を楽にしてくれたか、



そして今、どれだけ私の心を支えてくれているか、彼は知らないだろう―――――――…










彼は――――………











私は疲労感に誘われるままに、眠りに落ちていった。



















































第25話:十刑事
終わり

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  第26話:恋心
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