時折不安になる。
過去の自分が一体どんな人物だったのか。
羅城せつら、とは一体何者だったのか。
私の家にはただ一冊のアルバムは無く、クラスメイトの友人たちは転校してきたばかりの私をよく知らなかったし、お父さんに聞いても答えてくれない。
一度お父さんが口を濁したので、“聞かれたくないことなのだ”と察し、それ以来口にはしていないけれど、どうしても納得のいかないことが一つある。
父も私も羅城家にずっと住んでいた。
にもかかわらず、なぜ私は、地元の高校に編入することになったのか――――。
友人達に尋ねたところ、以前の私も編入前の学校や生活については殆ど語らなかったらしいし、父も全くと言っていいほど私の過去については何も教えてくれない。
私の過去の友人達は、私を知る大切な手がかりに違いないのに。
とはいえ、羅城家のその部屋には確かに私の服や、美容品や、生活用品が取りそろえてあって、それがかなり少ないこと以外に違和感は無く、どうやら私が羅城せつらであることに間違いはないらしく――――……
記憶が無いことはもうどうしようもないことで、今となってはもう、あまりそのことに不安は無いのだけれど、希に感じる“ズレ”に私は奇妙な違和感を感じて仕方がない。
普通、個人の行動には一貫性がある。
相手や状況によって態度を変えることはあっても、その人はいつでもその人らしい。
それはその個人の常識や価値観が、いきなり変化したりしないからだ。
希に「あれ?自分ってこんな人間だったっけ?」と思うことはあるかもしれない。
でもそれは長い時間の中で自分の価値観が変化していたのに気付いたり、未知の状況に遭遇し、改めて自分を知ることになる場合などだ。
しかし私の場合は違う。
本来なら、記憶を失った私にとってそれは、未知の自分との遭遇であり、同時に過去の自分の再発見であるはずのもので、それにもし、そんなこととは関係無しに、今新たに人格形成を迫られているのだとしても、私はそれに対してさえも違和感を感じている。
私は既に私だった。
勿論、何人ものお医者さんやカウンセラーさんに診て貰い、沢山のアドバイスを貰った。
私はあくまで過去に関する記憶を失っているだけで、私は自身の人格まで失ったわけではないのだと、だから私はただ、私らしくいればいいのだと、そう言われた。
それでも――――……
単なる記憶の混乱。記憶錯誤。
そう言葉で片付けてしまえれば簡単なのだが、私は私のはずなのに、今の私が、まるで何かの価値観によって想像されている気がしてならない。
まるで誰かの価値観にしたがって、こうなりたかった私、を演じているような、そんなことを思ってしまうほど―――――、私は既に私だった。
記憶。それはその個人を特定の個人たらしめる重要な要素。
もし私の友人の悠理が突然記憶を失ったとしても、それでも悠理は悠理であり、それに間違いはないけれど、同時にそれは今までの悠理ではない。
記憶の無い私。
勿論、全ての記憶を失ったわけではなく、生活習慣や社会のルール、道具の使い方なんかは全部覚えているから、完全に0スタートしているわけではない。
でも、私が感じている違和感は、記憶がないことではなく、記憶そのものにある。
それを言葉で表現するのは難しい。
例えばえっちに関して。
私は処女だったのにどうしてもエッチが初めてだとは思えなかった。
フェラなんて恥ずかしいという価値観と、同時にそれが普通にするものだと思える価値観もあって、そして更に同時に、それを舐めるなんてことが生理的に受け付けない。
生理的、というとまた違ったニュアンスになってしまうが、どこか拒否反応とさえ言えそうなものを感じる。それにえっちをしたことが無いのに、えっちがさほど非日常的なものだとは思えない感覚もあって………。
んー、やはり言葉で説明するのは難しい。
例えば、まるで興味が無いスポーツや格闘技に詳しかったり、バイクの専門知識があったり……、それは以前の私が興味があったから、と言えばそれまでなのだが、それはどうにも限りない実体験に基づいた知識であるように思える。
更に、私は生理用品の使い方さえ知らなかったし、クラスの女の子達との会話にいまいちついていけない事も多い。
そう。
私が持つ記憶は、まるで私が私で無かったかのように感じさせる。
それこそがズレであり、違和感の正体。
かといって現状、他者との関係に軋轢や、不都合があるわけでもなく、円滑に、順調に、むしろ飛鳥のことを思えば十分なくらい、問題が無い。
だから、お医者さんが言うように、私はただ私らしくいればいいのだと、そう思うのだけれど。
仮にもしその違和感の原因を考えるなら、それは名前しか聞いたことのない兄の存在しかない。
相当悪名高い、嫌われ者の、兄。
恨まれていた、と言った方がいいかもしれない。
それは単なる妄想ではなく、私が何事もなく過ごせているのは、ひとえにあの事件の凄惨さ・衝撃さから世間の注目を浴び、生徒全員に対する過度なまでのカウンセリングと生活指導のお陰だということを私は何度も感じている。もしそれらがなかったのなら、私が攻撃の矢面に立たされていたことは想像に難くない。
「羅刹の妹」「悪鬼の四天王・空見の彼女」として私がどんな陰口を言われているかくらいは、知っている。
とはいえ同時に沢山の同情も貰っていて、特に波風もなく暮らせているのだけれど―――。
それはともかく――――、私はもしかしたら結構お兄ちゃん子だったのかも知れない。
そうでなくては、私の生活習慣について納得が出来ない。
結局―――私は記憶の違和感の正体を、面影さえない兄に押しつけて、思考を閉じる。
というより閉じる他なかった。
過去を知る手がかりを手に入れない限り、私にはそれしかできないのだ。
皆が口を揃えて言う、私の親友だったはずの“御巫みこと”という名の少女に会えば何か分かるかも知れないのに―――……。
みこと、みこと、みこと、みこと、みこと、みこと、みこと、
その名を連呼してみても思い出せることは何もなく。
かすかに胸の奥に明かりが灯ったような気はするけれど、それが一体どんな感情なのか分からない。
でもこんな不安も、時折浮かんで消える泡みたいなもの――――……。
慌ただしい日常の前に、すぐに押し流されてしまう。
そんなことを考える余裕も必要もないほどに、日々は満たされていて、
結局、幾ら考えたところで私は私でしかないのだから――――――――――…
第35話:不安
終わり