その夜、私は羽織と一緒に、輪光の街外れ、山の麓へと続く道を走っていた。
私はバイクを持っていないので、羽織の後部座席だ。
輪光北西部はあまり開発が進んでおらず、遙か遠くにはいくつもの山が黒々と聳えている。
鴎山――――と言うらしい。その輪郭が鴎が飛んでいる姿に見えるからそう呼ばれているんだ――――、と羽織が教えてくれた。
月明かりと煌めく星たちのお陰で輪郭はよくみえた。
なるほど、そんな風に見えないこともない。
鴎山から流れ出る大きな川が、更に西、隣との県境に横たわっている。
この辺へ来たことは一度も無いはずだけれど――――――、思い出せる記憶はないけれど、なぜか地理は頭の中に入っていた。
郊外、といえば郊外だが、民家の灯りは決して少なくなく、続々と集まってくるバイクに私は一人、「あーあ…すっごい迷惑だよ……、警察くるよこれ……」などと考えていた。
バイクの轟音が轟き、肉体を刺激する。
腹の底まで刺激する爆音は、それは受け取り方次第で、興奮にも、怯えにもなる。
何十台もバイクが並び、怖そうな格好をした女たちが屯していた。
正確な数は分からないけど、もしかしたら50人近くいるんじゃないだろうか。
羽織は夏に族を立ち上げたと言っていたけれど、それなりに盛り上がっているらしかった。
そして今、私はその二つに割れた陣の真ん中を歩かされていた。
場違いなとこにきてしまった―――――、と思った。
不思議と恐怖はなかった。
それよりもむしろ、そんな光景にどこか懐かしい感覚さえ覚え、そのことに戸惑っていた。
居並ぶ女たちは皆、女として可愛くなかった。
そこにいた殆どが短髪で、更にそれを振り乱し、ど派手な色に染め、顔の半分を覆うマスクをしているものもおり―――――…威嚇するような目つきで私を見ていた。
一目で、歓迎されてない、と分かった。
前を歩く羽織の後に、私はさらにその陣の奥へと連れて行かれた。
現れたのは、こんな場所にいるのはまるで似つかわしくない人物だった。
華奢で、長い黒髪を持った、女の人だった。
その容姿は一見して『綺麗』という単語を連想させる、超美人……。
その肌はこの夜の中、どこか輝いているようにさえみえた。
この人が、神羅雪の―――――頭。
それでいて、彼女が持つ貫禄は王の座に座るに相応しい。
「いつきさん。
私のダチです。仲間に入れてやってください。お願いします」
そう言って羽織が、彼女に頭を下げた。
いつき、と呼ばれた女が私を見た。
鋭い眼光。
私を値踏みするような目で睨みつけてくる。
まるでヘビのような人だ――――、と思った。
鋭い眼光で獲物を狙い、強靱な顎で喰らう―――――……蛇女――――……
あの長い髪の毛は、実は一本一本が蛇で、隙を見せれば絡みついてくるんじゃないか、そんな風な妄想を抱かせた。
私はそれ以外特に感情を抱かず、敵意も好意もなく、ただ彼女を見返した。
(っていうか、私は入りたいなんて一言も言ってないのに、羽織のやつ……)
「おまえ、名前は」
「羅城せつら―――――……」
私が名乗ると、突然、彼女は目の色を変えた。
同時に周囲がざわついたのが分かった。
「羅城――――――――――――!?
羅城だって―――――!?」
この反応久しぶりかも、と気楽に構えていると、彼女が立ち上がって怒鳴った。
殴られる!!―――――と、縮こまった私の前に羽織が割って入る。
「待ってくださいいつきさん!!
こいつは関係ありません――――!!」
「は――――?」
「だから関係ないんです。あいつとは―――!!!」
「羅城――――、って苗字がそうそういるとは思えないんだけどね?」
「関係ありません。こいつは私は友達です。」
「分かったよ。あんたがそう言うならそうなんだろう――――………。
で、なんでこいつを連れてきた?
まるで死んだような目をしてるじゃないか。え?」
「それは」
「しかも見た目、まるっきりパンピーだね。
つっぱる気はあンかい?
え?あんた、どうなんだよ?」
「私は別に…………、、、どうでも………、、、」
急に矛先を向けられ、訊かれたが、私は口籠もった。
というより内心しらけてしまっていた。
彼女の言葉にどうしようもない温度差を感じてしまったためだ。
私は、もともと族などに興味はない。
羽織がどうしても!というからついてきただけだ。
つっぱるだって?
あは、笑っちゃう。
どうしても入って欲しいというなら考えなくもないが、入りたい!なんて熱血しないと駄目ならもう論外だ。
私などに構わず勝手にやってればいい。
「羽織、私帰るね」
「ぼそぼそ喋ってんじゃないよ。
聞こえるように話しやがれ!」
「待ってください、いつきさん!!
こいつ今はこんなだけど、本当は凄い根性ある奴なんです!!
私はどうしてもこいつを助けたいんです。
仲間にしたいんです。
これから私がこいつを教育しますから、暫く私に任せて貰えませんか?」
「羽織――――……、
あんたは歌織の妹だから、あんたの頼みは断れない―――――……
なんてことは、これまで一度も考えたことはないよ。
あたしはね、おまえのことを認めているから。
そこまでいうなら、こいつのことはおまえに任せるよ。
でも―――――――――――」
彼女が立ち上がった。
睨まれた。
撃たれたと思った。
それは確かに、何かが、視線から入り、頭のてっぺんから、足のつま先までを駆け巡った。
(なに――――……この人――――……)
「羽織、木刀貸してやんな。
少しだけ、みさせてもらうよ。
あんたが肩入れするこの子がどれほどのもんか―――――」
羽織は俯いていたが、すぐに木刀を取り出し私に差し出した。
「せつら。負けるな」
(は――!?
なに、言ってるの―――――?)
負けるな?
なんで?
意味不。
勝てるわけないじゃん。
木刀なんて使ったこともないのに。
ちょっと授業で剣道の真似事をしただけじゃん。
その私に、こんな無茶苦茶強そうな人と、暴走族のリーダーと、やれっていうの―――?
ちょっと羽織―――!!!
ふざけるのもいい加減にしてよ―――――――――!!!!!
重い。
こんな重いの、握れないよ。
ガツンッ―――――――――!!!!
「きゃっ――――――――――――――――――」
それでも仕方なく構えを取ろうとした、次の瞬間、私の木刀は弾かれていた。
指が痛い。手首が痺れる。
折れたかと思った。
私は顔を顰め、手首を摩った。
「もう一度。」
低く言われ、私は仕方なく木刀を拾い上げた。
重い。
ただの木なのに。
でもこれは凶器だ。
間違いなく。
それから私たちは、3度、同じことを繰り返した。
「拾え。」
馬鹿らしい。
これじゃただの虐めだ。
私が無視していたら、彼女が近づいてきた。
顔を上げると女は木刀を振り上げていた。
(え―――――――――――!?)
とっさにあげた腕に激痛が走った。
骨が痺れた。
一度だけではなかった。
それから何度も叩かれた。
確実に、痣になる、打撃。
私は頭を抱え地面に縮こまった。
なにすんだこの女――――!!!
この体は大事な商品なのに!!!
こんなに傷が付いたら、痣だらけになったら、売れなくなんだろうが――――――!!!
「この根性無しがッ――――――――!!」
地面に縮こまった私を、女が罵った。
背中を殴られた。
腹を蹴られた。
それから髪を思い切り掴まれ、持ち上げられた。
ブチブチと何本も毛髪が抜けるのが分かった。
痛い。痛い。
「髪も切りな。
喧嘩の時、女の長い髪は弱点になる」
は?。
何言ってんの。
この馬鹿女。
頭悪いの?
切るわけないじゃない。
飛鳥が好きって言ったんだ!!!
飛鳥がこの髪を好きって―――――――――!!!
切るわけねーだろ――――――――――――――!!!!!!!!!!!!
それから何度も髪を引っ張られ、引き摺られた。
「あんた、売ってるだろう?」
「…………」
売り。援交のことか。
私は答えられなかった。
体中が痛くて、理不尽な暴行に、激しい憤りを感じていたけれど、なぜか嘘を吐いてまで見栄を張ろうとは思わなかった。
羽織も、周りの連中も見てるだけで止めようとしない。
きっとこの女が怖いのだ。
誰も逆らえないのだ。
羽織もクソだ。
私をこんなことに巻き込んで。
誰が―――――!!!
こんな連中の仲間などに、誰がなるものか―――――!!!!
「売りなんてやってる雑魚はうちにはいらねーんだよ!!
いいか、うちはただの走り屋じゃないんだ。
族なんだよ。
うちの旗に命かけられる奴しかいらねーんだよ。
仲間を守るには力が必要なんだよ!!
うちに入りたいならそれなりの覚悟を見せな――――――!!!」
女が吐き捨てた。
「駄目だ、羽織。
てんで話にならないよ。こいつにうちに入る資格はねぇ」
「そんな―――――!!
待ってください、いつきさん――――――!!!」
羽織なんかについてきた私が馬鹿だった。
私みたいなのに、暴走族なんてできるわけないじゃない。
羽織は馬鹿だよ。
ちょっとイライラして、人を殴って傷害を起こしただけなのに。
そんな札に釣られて。
本当馬鹿だった。
言われるままにのこのこついてきて、殴られて、ボロボロにされて、地面に這いつくばって………。
でも今の私にはお似合いなのかも知れない。
援交して、父親に犯されて、族に暴行されて、
もうこのままどこまでも堕ちて―――――…………
さっさと帰ろう。
そして布団に潜って、なにも考えず、寝ていよう―――――――……
私はゆっくりと立ち上がった。
体中ズキズキと痛んだ。
家まで歩いて帰るのは、とても億劫だった。
「せつら――――――!!!」
その時―――――、誰かが私の名を呼んだ。
振り向くまでもない。
それは羽織の声。
「せつら!!
魔夜火紫を知っているか!?」
「…………」
「以前、この辺を仕切ってた族だよ。
それを作ったのは空見翔。
空見先輩のお兄さんなんだよ――――――!!」
空見―――――……?
興味の欠片も持てなかった羽織の言葉に、私は意識を向けざるを得なかった。
「だから――――……?
だからなんだって言うの―――………?」
「空見先輩に聞かなかったのか!?
彼はお兄さんに憧れて家を捨てたんだ!!!
空見先輩は走るのが好きだった。
お兄さんと一緒に族をやりたかったんだよ――――――!!!!!!」
「……………」
「空見先輩が、あんたと同じ道を歩くために大学を選んだように、、
あんたもっ!!
あんたも空見先輩が見たがってた同じ景色を、見てみたいとは思わないのかっ―――!!!」
なんで
ギリッ―――――――――――――――――――――
なんで。
なんで。
なんで。
なんで。
なんで。
なんで。
なんで。
なんで。
なんで。
なんで。
体が熱い。
信じられないほどの怒りが込み上げてくる。
どうして、
なんで、そんなことを言われなくちゃいけない。
あんたに。
あんたなんかに。。
神楽羽織イイイイイイイイイイイイイイイイイッ――――――――――――!!!
なぜ
「どうしてあんたがそんなこと知っている―――――――!!!」
私は自分でも気付かぬ間に、落ちていた木刀を掴みあげていた。