げほっ、げほっ―――――……
私は空き教室で、羽織に勉強を教えながら煙草をふかしていた。
学期末テストが近いため、羽織が教えてくれと頼んできたのだ。
輪高は折角校舎を増設したにもかかわらず、“羅刹”がいなくなった所為で入学希望者はがっくりと減り、その所為で空き教室をごっそり抱えていた。
といっても、とても寒いので私たちは灯油持参で備品のストーブを動かしている。
「やめときなって、煙草なんて吸ってもいいことないよ」
「げほっ……、うん…、不っ味いね…、
みんななんでこんなもん吸いたがるんだろ?」
「ていうか、不味いなら消せ。煙い」
「うん…、まあ、税金高いしね、やめとく」
「そうしな。
で、なんで1日が23時間56分4秒なのさ?
足りなかったら段々日がずれていっちゃうんじゃんか。
時計は微妙に早くして調節してんの?」
「だから、23時間56分4秒っていうのは1日の長さじゃなくて、地球の自転周期だってば。
地球が自転してるだけなら24時間でいいんだけど、地球は秒速33kmで宇宙空間を移動してる物体なわけ。
つまり太陽に対して最初に向いてた面が、地球が自転1周を終えた時にはもう、地球自身が移動してしまったためにずれちゃってるんだよ。
はい、これを公転といいます。
では地球が太陽の周りを回るのに何日かかるでしょうか?」
「365日だろ?」
「そう太陽の周りを1日に移動するのが1/356度分。
この分のずれを地球の自転が戻すのに約4分かかる。
つまりさっきの自転周期と合わせて、一日が24時間になるというわけ。
でも正確にいうと公転周期は365日5時間48分46秒で、
これを修正するために4年に1度、閏年に1日増えるの」
「ふぅ――――――………………」
「これくらい分からないと時を動かしちゃう国についていけないよ?w」
「時を動かすって?」
「サマータイムっていって夏に1時間時計を早めちゃうんだよ。
私にはちょっと理解できないけど、
でも時刻を絶対的なものと捉えないで、フレキシブルに弄っちゃう発想は好きかな」
「そんな国いかねーからうちには関係ねーな」
「日本も一時期導入したことがあるんだよ?」
「………………」
「でも奇妙だよね。自分たちで時計を動かしたくせにさ、
新年とか1時間早くはっぴーにゅーいやーとか言うの、ちょっとおかしくない?
あんたたちまだ日付変更線越えてないでしょっ!ていう……」
「でもサマータイムだから冬は戻すんじゃねーの?」
「南半球は、1月が夏なんだよー」
「つまりこういうことか。
日本の標準時は明石だろ?
新年カウントダウンで10,9,8,とか数えてる時に、
東京の連中なんかはもう日付変更線を越えてんよ、って言うわけだ」
「うん、まあ、そういうこと………かな?(笑)」
「っていうかせつらさー、
なんであんたろくに授業でてないのに理解るのさ?」
「さぁ?
それは私が聞きたいくらい…(笑)」
「やっぱ凄いよ、あんたは―――――」
ちなみに殆ど飛鳥の受け売りなことも、中学校の復習であることも黙っておく。
羽織から尊敬の眼差しをむけられるのは嫌いじゃない。
コンコン――――…
ノックの音に扉をみると悠理が教室を覗き込んでいた。
私は急いで煙草の箱と灰皿を隠し、窓を開けて換気をしながら悠理を手招きする。
「悠理、どうしたの?」
「聞いたよ。せつら暴走族に入ったんだってね」
「うん、なんか、そうらしい。
ま、暴走族って言っても、かなりお行儀のいい―――仲間たちだよ。
愛好会みたいなもん?」
お行儀のいい、という言葉に羽織が反応したのが分かった。
実際そうなのだから、私はそれはそれでかっこいいと思うのだけれど、羽織は喧嘩が強いというイメージを植え付けたいらしい。
彼女自身、出鱈目に強いくせに、でもそれを周囲には隠しているのだから私にはよく理解できない感情だ。
「神楽さんて神羅雪の幹部だったんだね。
全然知らなかった」
「ああ、そうだよ。いちいち他人に言うことじゃねーしな」
羽織は参考書から顔を上げずに答えた。
「羽織でいいよ。ね、羽織」
「あ、うん」
「こっちは悠理ね」
「白井悠理でしょ。知ってるよ」
「そうだよね(笑)
同じクラスメイトなのに、なんで二人を紹介してるんだって感じだよね(笑)」
「で。悠理―――さんは、何しにきたの?
せつらを族なんかに引き込むなって、そういう話?」
「悠理でいいよ。
ね、私も入りたい。
羽織、紹介してくれない?」
私はびっくりした。
耳を疑った。
思わず目の前にいるのが悠理ではなく、悠理になりすました誰か、とさえ疑ってしまったほどだ。
しかしどっからどう見ても、これは悠理に、彼女自身に違いなく………、、、
「ちょっと悠理――――――――――――――!?
何、言ってるの!?
自分が何を言ってるか分かってるの!?」
「分かってるよ。
ね、羽織、紹介して」
悠理の態度ははっきりとしていた。
迷いさえ、ない。
今は殆ど交流がなくなってしまったが、悠理が大切な友人であることに変わりはない。
悠理にはこちらの世界ではなく、普通の世界を歩いて欲しい。
私は素直にそう思った。
本当に彼女のことが心配だった。
だからこそ、こんな私が彼女の傍にいてはいけない、と少なからず思っていたのに。
「お願い羽織。紹介して」
それなのになぜ、目の前の彼女は、こんなことを言うようになってしまったのだろう?
私が離れてしまったから?
私が彼女を置いていってしまったから…?
私の、所為…?
「だ、ダメだよ!! 羽織、絶対ダメ!
ねぇ悠理―――――、一体どうしたの?
しっかりしてよ……
悠理はもう、あんなことは忘れて、幸せに生きなきゃだめだよ!
そもそも悠理みたいな、良い子が、関わったのが間違いだったんだよ。
悠理だけは、悠理だけはこっちにきちゃいけない」
「じゃあせつらは?
せつらだって同じだよ。
じゃあせつらも、飛鳥さんのこと忘れて、普通に生きてよ」
悠理の言葉が私の心臓を抉った。
締め付ける――――――なんて生易しいものでは無い。
文字通り、心臓に突き刺さっていた。
飛鳥のことを忘れて普通に生きる……?
そんなこと言わないでよ……。
だって、そんなこと、できるわけがない。
今でも彼が隣で笑っていることを夢に見るのに―――――……。
それだけで涙が出そうなくらい嬉しいのに。
忘れるなんて、できるわけがない―――――……。
この体が生き続ける限りは―――……永遠に……
「私は…もう無理、だよ……」
「なんで?」
「私はもう無理なんだよ。
援交だってしたし、人を傷つけて前科もついたし……。
あとはもう、堕ちるところまで堕ちるだけ―――――…」
「じゃあ私も」
「駄目。
悠理はだめ。
悠理はまだ間に合うから。
引き返せるから」
辛かった。
悠理に黎を忘れろと言ったのは確かに私だ。
でも、それは悠理が心配だから。
本当に悠理が心配 だから――――――……
悠理は、悠理だけは、幸せにならないと駄目だから、
だって彼女は私の最後の希望だから―――――……
「ほんとに、お願い……、だから………」
私は縋り付く思いで彼女に懇願した。
悠理が私から離れた。
そしてドアの方へ。
諦めて去ってくれるのかと思い、申し訳なくも、安心した瞬間、彼女は振り向いた。
「っざけんなああああああああっっっっっっ――――――――――――――!!!!!
あたしを舐めんじゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ――――――――――――――――――
――――――――――――ッッ!!!!!」
それは教室に収まりきれず飛び出し、換気に開けていた窓から他棟へと響きわたる雄叫び。
それは彼女の覚悟。
決意の叫びだった――――……。
第67話:叫び
終わり