休憩、宿泊、休憩、延長と、かなり高額に膨らんだホテル代はみことが払ってくれた。



ホテルを出た私たちはみことの案内で、輪光に設けた彼女の新居というマンションへ向かった。

昔住んでいた御巫の家は既に売り払ってしまったのだという。
両親はまだ御巫本家に住んでいて、みことだけ反対を押し切り輪光へと戻ってきたのだ。


前衛的なフォルムをもった新築のマンションは、やたらと豪華なエントランスで私たちを迎えた。
立地条件や、間取りからすればかなりの価格になるはずだけれど、これは全て彼女のお祖父さんからのプレゼントなのだという。巫女の修行を拒否して家を捨てた彼女の父と違い、御巫の家督を継ぐにたる実力を得た彼女への――――――。





「わぁ―――……。いいとこだね。素敵♪」


そう言ってからふと恥ずかしくなった。
素の自分に戻ってしまっていたことに。



あの日から―――、
あの奇妙な二人組にレイプされた日から、私は女を捨てたはずだった。

どちらにしても会話する相手などいなかったけれど、それでも私は、一人称を“俺”に変え、できるだけ男らしく振る舞ってきたのだ。
本当ならこの街からさっさと抜け出してしまいたかった。
この<力>さえあれば、どこへいこうと、どうとだってなるはずだった。
しかし父を独り放ったまま出ていくわけにもいかず、それでいて家に帰ることもできず、今もこうして彷徨い続けている………。



「い、いいとこじゃねーか……」

「でしょー。
 最上階しかも角部屋!
 日当たり良好どころか、一面綺麗な空が広がる最高のテラスつき!
 このマンション一番の優良物件だよ」

「ああ…、そうだな」


小さく呟いた私の言葉に、彼女は小さく笑った。


「せつらさん。
 私の前では、自分を偽らなくていいんだよ。
 だって私は、絶対に貴女を裏切らないから―――――…。
 辛かったよね……、
 ずっと独りにしてごめん……」

「……………」


何かを言おうとして、でも何も言えなかった。
言葉にならなかった。

ただ、彼女は信じていい。
素直にそう思えた。


「うん………」


だから私は素直にそう答えた。


彼女が私に与えてくれたもの。


それは多分、人間が生きる上で一番大切な―――――――










愛されているという実感。












それはとても心地のいい、安らぎ―――――――――……。










本来10年はかかる修行をたった2年で終えたみことはお祖父さんの大のお気に入りで、とても可愛がって貰えたそうで、でも、その厳しい修行を2年で終えることのできた理由が、携帯も取り上げられ、外部との連絡もできず、修行を終えるまで外へでることが許されず、だからただひたすらに、少しでも早く私に逢いたい一心で打ち込んだから―――――――――
と聞かされては、私はもう、そのとりとめのない、あまりに茫洋たる感情に、ただ狼狽えるしかなかった。

事実、彼女の勇気の前に私は恥じ入るしかできなかった。

心から飛鳥を愛していると豪語するにもかかわらず、彼の意志を継ぐと決めたにもかかわらず、私は何一つ頑張れなかった。
いつまで経っても行動を起こせなかった。

記憶を失っていたとは言え、今こうして、彼女の前に立つ資格があるのかどうかさえ、私には分からなかった。










越してきたばかりで調度品はまだあまり揃っていなかったけれど、とても女の子らしい素敵な部屋だった。


「服、洗濯するから脱いで」
「う、うん……」

「正直ちょっと、臭う、からね…w」
「あう…」


私の家もそう遠くはなく、一度戻るかあるいは適当に仕入れればいいのだけれど、素直に彼女の好意に甘えることにした。

脱ごうとして、直前に恥ずかしくなって躊躇する。
彼女とは先ほどまで裸で肌を合わせていた仲だというのに。

とはいえやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。





みことの服を借り、それに身を包んだ私は言いしれぬ幸せを感じていた。
その匂いに、温もりに、その存在に。










「お寿司出前とろー」
「え?」

「越してきたばかりでまだ何もないの。
 せつらさんと再会した記念でもあるし今日は出前、特上で――――――!!!」
「うん―――w」





お寿司の届く30分ほど、私たちは大きな鏡の前でじゃれ合っていた。


「ほら動かないで」


みことが私の髪に櫛を入れ、いろいろな髪型に弄る。
それから化粧を施す。


「せつらさん、ちゃんとお化粧できるようになった?」
「馬鹿にしないで」

「ふふっ、私と出会った時は全然できなかったのになぁ。
 だからいつも私と悠理で学校でこうやって色々弄って―――――」


そんなことない、などとは言えなかった。
実際、記憶喪失になった私は化粧に関する知識をあまり持っていなかった。

災厄の日以前の記憶を無くしても、言葉や、服の着方、道路の歩き方など、普通に生活する分には全く問題が無かった――――――にもかかわらず、化粧用品や生理用品の扱いに戸惑ったことは今でも覚えている。


でもそれは昔のことだ。


今は分かる……。


だって―――……
飛鳥に好かれる為に――――……沢山勉強したから―――……。










宅配されてきたお寿司をテラスに運び、私たちは青空を眺めながらお寿司を頬張った。



「せつらさんって今もあの家に一人で住んでるの?」
「ううん、お父さんと二人で――――だよ……」
「そうなんだ」


父のことを口にするだけで、気分が沈み、言葉尻にでてしまったけれど、彼女は気付かなかったようだ。


「あと、一つ聞きたいんだけど」
「うん?」

「せつらさんって、お兄さんいるよね? 羅城道孝っていう――――――」
「うん」





「―――――――――――だよね……」

「?」

「ううん、前はお兄さんなんていないって言ってたから。
 あれは嘘、だったのかな―――……」

「うーん――――……」





羅城道孝―――――……

それはこれまで、あらゆる人から、聞かされた名前。
そしてそれは決していい響きを持たず。

私の兄。
行方不明の兄。
ただの一度も会ったことのない兄。

そして沢山の人を傷つけてきた――――――……悪い人…。。。





「ね、正直に答えてくれる?」
「うん?」

「せつらさんは私に嘘を吐くと思う?」
「うーん……」


吐かない、と思う。
吐きたくはない。
吐かなければいいと思う。

でも絶対に吐かないなんてことがあるだろうか。


「吐くかも、知れない――――」
「そう……」

「でもみことに嘘を吐くなら、多分それはきっと、もうそれ以外どうしようもなくて、
 そう言うしかなかったとか、そんな状況にいる―――――と思う……。
 ごめん、昔のことは思い出せないから、
 もし嘘を吐いていたなら、ごめん………」 

「ううん。私もそう思うから」
「え?」

「せつらさんは嘘なんて吐いてなかったって思うから」
「分かんないよ………、前のことは……」

「じゃあ今は?」
「吐かないと、思うけど―――――」

「じゃあ今は羅城道孝の妹だって認める?」
「うん。お父さんもそう言ってたし。
 でも………、、、
 確かに私にはお兄さんがいて、それは道孝って名前で、
 それにいろんな人から恨まれてるけれど、
 だけど私には記憶も面影さえもないし、一度も会ったことないし、
 私たちが一緒に写ってる写真一枚無いし、本当に実感なんてないんだよ……。」

「うん、分かった。
 多分そうじゃないかなって思った」

「みことは兄のことを知ってるの?」
「知らない―――――、

 
 って言ったら私が嘘吐くことになっちゃうね……」

「?」

「昔、レイプされたんだよ」

「え………?」

「もういいの。忘れて。
 話したくないし、済んだことだし、私はもう気にしてないし、
 この話はこれでおしまい。いい?」

「うん。
 でも一言だけ言わせて―――………、ごめんね―――――――」

「うん。
 私はせつらさんのこと大好きだから、全然気にしてないから、
 だからせつらさんも気にしちゃ駄目。いい?
 話の流れで言うことになっちゃったけど、
 そんなことよりも私は、早くキスしてくれたほうが嬉しいんだからね」

「うん、わかった……w」





昨日ラブホに引き籠もってた所為で、二人とも腹ぺこで。
それなりに重い話題をしていたような気がするんだけど、目の前のお寿司はあっというまに無くなっていた。



くぅ。



美味しすぎた。流石特上!

でもお茶も、寿司ネタに負けないくらい、すごい、美味しい。



……っていうか、この一ヶ月ろくなものを食べていなかったっていうのもあるし、誰かと一緒に食べること自体久しぶりだった。

まるでこれまで死んでいた味覚が突然蘇ったような、そんな感覚さえ覚えた。
喉ごし―――――、喉を何かが通るという感覚さえ、今の今まで忘れてしまっていたようだった。



食後、みことが「今はこれしかないから」と淹れてくれた粉末のチャイラテもまた、とても美味しかった。





それから、テラスにタオルを持ち出し、二人で並んで日光浴を楽しんだ。
勿論、紫外線対策にみことに化粧水を借りた後で、だ。

不規則極まりない荒れた生活の所為で、私の肌はすっかり痛んでしまっていた。










「ね、せつらさん。この家で一緒に暮らさない?」
「え?」

「だって私一人じゃ広いし。勿体ないじゃん?
 っていうか私は、最初からそのつもりだったんだけど」
「それは、嬉しいけど――――………」



私がいなくなったら父は独りぼっちになってしまう。
あんな父親でも父は父だ。



「でも、私が出て行ったらお父さん、一人になっちゃうから……」



もうずっと家に帰ってないくせに。
顔も合わせていないくせに、何を言っているんだ―――――、と思う。

でもそれでも。
ずっと見守ってきたのだ。

得体の知れない連中に狙われて、ずっと逃げ出したいのを我慢して、それでも、
この輪光ばしょから離れられずに――――――――……





「せつらさん」





みことが、私の名を呼ぶ。

しっかりとした、意志を持つ、声。
ただ、それだけで彼女の意志が伝わってくる。





そう、駄目なのだ。

彼女はまるで私の全てを見通しているようで………

彼女には、もう――――――……


私はもう彼女の前では………





「お父さんが……、、今、ちょっと精神不安定だから………。
 だから、今日はちゃんと、家に帰るから……」

「うん、分かった。
 でも、ここはもうせつらさんの家でもあるから、
 っていうか、これからせつらさんの生活用品も揃えるつもりだから。
 あとで合い鍵渡すね」

「う、うん………」










「わたしのこと、せつらさんのパートナーだと思って欲しい」

「え?」

「少なくともわたしはせつらさんのこと、そう思ってるから。
 かけがえのない、たった一人のパートナーだって、思ってるから。
 だから頼るし、甘えるし、好きだし、尽くすし、大切にするから――――――」

「う、うん、ありがと、みこと」


















































秋の月が綺麗に夜空に輝いていた。


21時――――――――――……


あけたのは1ヶ月と少し―――――――――………。
それが長かったのか短かったのかは分からない。





私は久しぶりに羅城家の門をくぐっていた。










リビングの電気はついていなかった。



スイッチに手を伸ばし、私は心臓を凍り付かせた。



闇の中に確かに気配を感じたのだ。



誰かいる……まさか彼奴らが―――――――――――――!?



一瞬そう思ったけど、それは彼らの気配ではなかった。



私はおそるおそるリビングの蛍光灯をつけた。



闇の中に佇んでいたのは父だった。



TVもつけず、電気さえつけず、ただ椅子に、座っていた………。



眠っているのかと思ったけれど、父は少し目を開けていて………
いつからそうしているのか、分からない。



ただ、スーツをきたままの父が、ぼーっと椅子に座っていた。



「おとーさん………?」



私が呼ぶと、父は顔をあげた。



「ひかるっ!? ひかるかっ―――!!!
 どこへ行ってたんだ!?
 おい、ひかる!!!」



そして飛びかかってきた。
私の両腕を掴み、掴みかかり、壁際まで押しやられ――――――



「お父さん!
 落ち着いて!お父さん!!」

「ひかる、もしかして別の男のところへ行っていたのか!?
 ええっっっ―――!?
 おじさんを捨てて、別の男のモノを咥えていたのかッ!!!
 おい!!どうなんだ!!!
どうなんだ!!どうなんだ!!どうなんだ!!どうなんだ!!どうなんだ!!どうなんだ!!どうなんだ!!どうなんだ!!どうなんだ!!どうなんだ!!答えなさい!!ひかる!!答えなさい!!答えるんだ――――――――――――!!!!!」

「お父さん!!
 私はっ―――――――――――」





思い切り頬を叩かれた。
そしてもう一発。
また一発。

蹲った私を父が上から叩いた。





「この淫売め――――――――!!
 淫乱な女め―――――――――――――!!
 おまえもっ!
 あの女と同じだ!!
 男を見つけては、股を開く!あの、女と―――――――――!!!」



何度も何度も何度も―――――――――――………



「ごめんなさいっ……お父さん……ごめんなさいっ……」
「はぁっ……はぁっ……はぁっ………………………………」

「ごめんなさい………」
「はぁっ……はぁっ…………………」

「お父さん――――――だと!?
 おまえはっ!!!
 一体誰にそんな風に躾けられたんだ!?
 前は俺のことをパパって呼んでただろう!?
 ええっ、言えっ!!
 ひかる、誰だ!?
 誰に躾けられたっっ――――!?
 言えっ言えっ言えっひかる、誰だ! 誰だ―――――――――!!!」


「パパ…ごめんなさい……、パパ、ごめんなさい……パパ………」



「はぁっ……はぁっ…………………」





父は立ち上がると荒い息をついたまま、二階へ上がっていった。

私はすっかり狼狽えてしまい、何をすべきか、どうしたらいいのか全く分からず、ただ蹲っていた。



父はすぐに降りてきた。





その手には―――――――――――……





私の心に絶望が、深く影を落とした。





本当にもう、父は―――――――――…………





父は私の首に首輪をつけ、それから手錠を掛けた。
それからロープで足を縛る。




「おと―――――……、、、パパ………」

「ちゃんと躾けなおしてやるからな!
 ひかる!
 お前がいい子になるまで、一歩もこの家から出さないからな―――!!
 分かったか!分かったら返事をしなさい!ひかる!!」

「パパ―――――――………」










涙が溢れた。





父の中に私はもういない。





彼の瞳に写っているのは一人の援交少女。


お気に入りの援交少女。


自分を愛し、自分のいうことを何でも聞いてくれる、愛でるためだけの、自分の欲望を満たすためだけの玩具―――――――……





「パパ、赦して、お願いだから…………
 私はもう、どこにもいかないよ……………、だから…………
 お願いだから………」




















父がつきだした、きつい匂いのするそれを私は自分から咥えた。



















































第78話:禍福
終わり

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  第79話:襲撃
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