独りじゃないってこと―――。
それは力の湧き出る泉。
傍にいてくれる、ただそれだけで力が湧いてくる魔法の泉だ。
私はもう、本当に何もかもを失って、生きる気力も、目的も、何もかもが見えなくなって、
殆ど生ける屍のようになっていたのに、今は――――――……
派手に損壊して吹き曝しとなったリビングの修繕中、私はみことのマンションに身を寄せた。
そして私たちは沢山話をした。
沢山沢山――――――――――………
私たちはまるで、これまでのことを貪り知ろうとするかのように、話し続けた。
これまでのこと、修行のこと、あいつらのこと、お互いの<力>のこと。
それから私はあいつらに言われたことを、なるべく正確にみことに伝えた。
「多分、鬼喰らい――――…だね」
「鬼喰らい……?」
「うん、あのでかい方、鬼の力を宿してたし……。
私も文献で読んだだけで実際に会うのは初めてだけど、鬼の魂を喰らって自分のものにする、呪われた一族…、だよ。そんなのは当然禁術だし、まっとうな人間なら考えない。
だって私たち陰陽師は人に仇なす鬼を調伏する立場にいるはずなんだから―――」
「鬼って、悪い、存在なの…?」
「うん…。勿論諸説はあるけど、私たちが言う<鬼>って、人間の恨みとか憎しみとか、そういうマイナスの感情を喰らって増長する物の怪ことだから――――…」
「私の中にも、それ、がいるの?」
「正確には分からない……。
でも感じたままをいうならせつらさんの中にはいないと思う。
そいつらもそう言ってたみたいだけど、
せつらさんの場合、多分どこからか鬼の力を召喚してる。
どうやってるのかどこからきてるのか、さっぱり分からないけど」
みことが分からないんじゃ、私に分かるわけもない。
とりあえず当面の危機は去ったけれど、あいつらがこのまま私を見逃すとも思えなかった。
「あいつらってまた、くるよね」
「くるだろうね…」
「そうしたら、どうすればいいのかな」
「一応説得はしてみるけど、多分戦うことになる、かも……。
せつらさんの力を封じる力を持ってるみたいだけど、それは私がなんとかするから。
それにもし今度彼奴らを完全に熨せたら、あの二人が持ってる<鬼>を浄化させてみるよ。
そうしたらもう襲ってこないかもだし………」
「うまくいくかな……」
「あんまり心配しなくていいと思う。
だってはっきり言っちゃえば――――――……」
「うん?」
「せつらさんの<力>方が比べものにならないくらい強い、から」
「そうなんだ?」
「うん(笑)」
「えっと、みことにはどんな<力>があるの?」
「何ができる?って訊かれると説明しづらいんだけど。簡単に言えば普通の人には見えないもう一つの理で動く力を操れるとでもいいのかな? 方術って言うんだけど。 あ、言っておくけど、姿を消したり分身したり、雷を落としたり、何かを具現化させるみたいなそんなファンタジーなことはできないよ?(笑)
でも正直驚いた。私はこれまでは小さな死霊とか、生き霊とか、精々その程度しか見たことなかったから。お祖父ちゃんは識神なんかも使役できるんだけど、私はまだそこまでは……。
その代わり退魔とか方術、特に結界なんかに関してはそれなりに自信あるよ。あいつらの張ってる結界の構造なんかは手に取るように分かるし! だから、私がいる限りあいつらにせつらさんの<力>を封じさせやしないし、そうすればあとは―――――――………、、、、」
急に彼女の声が沈んだ。
「うん…?」
「………だから、その、サポートはできるんだけど、
でも、あとはせつらさんの<力>に頼ることになっちゃう。
ごめんね……。結局危険な目にあわせることになっちゃうよね……」
「ううん、全然平気だよ。
っていうかそれで良かったよ。
みことを前に立たせるなんて絶対にしたくないし」
「あは」
本当に頼もしかった。
事実、これまでこの<力>の前に敵はなく、この<力>が発揮できさえすれば何も問題はないのだ。
それに万が一、この<力>が暴走してもみことが抑えることができる。
彼女はそんな知識を、力を、私と生きるために身につけたのだ。
彼女は私の為に、私の為の巫女になったのだ。
思えば飛鳥も、私と生きるためにその生き方を、歩む道を変えた。
私と一緒にいるために
私と生きるために―――――――…………
嗚呼―――、私はなんて幸せものなんだろう―――――………
自分の人生のパートナーが、
自分を支えてくれる。
それは本当に、怖いくらいに、幸せなこと――――――――――……
私はそっとみことを抱き寄せ、それから強く強く、何度もこの胸に抱きしめた。
その日、私たちは午前中に入院している父の病室を訪ねた。
私一人だったらきっと行けなかったに違いない………。
でもみことがいてくれたから勇気を出せた。
「事件のことをよく覚えていないようなんです」
そう医者に言われても、私はなんら疑問を持たなかった。
だって父は既におかしいのだから………。
ご挨拶させて、と何度も言うみことをなんと押しとどめ、私は一人、父に会った。
「ひかる、来てくれたのかい?」
「うん、パパ……、怪我は大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。全然たいしたことない。
それよりあの時何が起きたのか教えてくれないか?
確かパパはひかると一緒にいた気がするんだけど……、
それから何が起きたのかどうしても思い出せないんだ………」
「うん。突然悪い人たちが、強盗が襲ってきてね、でもすぐに警察の人が来てくれたから」
「ひかるは、怪我はないのか!?」
「うん、私は大丈夫だよ……」
「そっか、良かった…………」
ひかるおいで、と腕を広げた父の元へ、私はそっと寄り添った。
それから耳元で
「ひかる、ちょっとお口でしてくれないか?
パパ溜まってるみたいなんだ。
お願いだよ」
抱きしめ、それから手を私の頭に当て、ぐいぐいと下に押してくる。
いたたまれなかった。
もういやだった。
こんな関係も、父も。
でも―――――…………
「………………………………………………………………………………
だ―――――――――め!!!
ここは病院でしょ!!
それにパパがちゃんと元気になって退院したらすぐに会いに行くから!」
「待て―――!! どこへっ、どこへいくんだ―――!ひかる!!!!」
「学校だよ、もう行かないと」
「制服は……、制服を着て無いじゃないか!」
「…………、うちの学校は私服だよ」
「ひかるはうちの娘と同じ学校じゃなかったか……?」
「転校したんだよ……」
「そう、か…………」
「じゃ、パパ早く良くなってね―――!!!」
ベッドから立ち上がり追いすがってきた父を、私は<手>を伸ばし無理矢理ベッドへと押しつけた。
そうして私は逃げるように病室を後にした。
「ね、ひかる……って?」
「ごめん……、今はまだ……、話せない………」
みことに隠し事をするなんて、そんな自分が嫌だったけれど、でもどうしても言えなくて………。
「分かった。話せるようになったら、いつでも話してね」
「うん……」
私が<手>を出したことを、彼女は気付いているだろう。
それをなぜ父に対して使わなくてならなかったのか、本当は聞きたいに違いなかった。
でも私がよっぽど辛そうな顔をしていたのか、彼女はそれ以上の追求をしないでくれた。
私たちはそのまま繁華街へと向かった。
10月の終わり――――――――――……
日は出ていても影に入ると風が冷たく、握りしめた手の温もりはより一層暖かく感じられた。
平日のお昼は程よい人で賑わっていた。
本当なら私たち二人はまだ高校生で、ちょうど今は受験勉強なんかを頑張っている時期のはずで……。
私たちはまず携帯電話を購入した。
随分前に破棄してからずっと所持していなかったのだ。
棚に並んだ0円携帯の一つが、昔営業に使っていたものと同じで、私は過去の想い出にチクリと胸を刺された。
それから二人で食事をし、映画を観て―――――殺人の濡れ衣を着せられた少女が、逃げ回り虐げられ、けれどその中で次第に理解者を増やし、悪に立ち向かっていくという内容だった―――――それからカラオケに行って………
時が経つのを忘れ、私たちは遊び続けた。
気付くと既に日は沈み、空はすっかり暗くなっていて――――、
でも色取り取りのネオンが鏤められた地上は煌煌と輝いていて―――――……
あっというまに24時――――――……
1日が終わる。
ただ1日が終わるという毎日起きる出来事の一つに過ぎないのに、
何かが終わると言うことに、私はなぜか、とても悲しい気持ちにさせられた。
終わってしまう。
楽しかった、夢のような一日が―――――――――――――
それが、どうしようも無く、悲しくて――――――……
「せつらさん、帰ろっか」
彼女の言葉に、感情が堰を切って溢れ出す。
嗚呼―――――――――――
私はこんなにも彼女のことが好きなのに
まだ応えられずにいる。
彼女を愛していると感じながら、唇をゆるせない。
毎日手を繋ぎ、肌を寄せ合い、互いの存在を求め合っているのに
ずっと一緒にいたいと、そう願っているのに
私の中にはまだ飛鳥がいるから。
彼への想いがあるから――――――――……
私は――――………
私は――――………
それでも今、私は心からの感謝を捧げた。
今、私のすぐ隣で、彼女が笑っていることを
そして、彼女と同じ家に帰ることができることを
たとえ今日という日が終わっても、彼女の傍にいられることを――――――………
真夜中、私は独り、鏡の前で小さな箱を取り出していた。
中には、シンプルな造形の、決して高価ではないけれど、とても大切な指輪が入っている。
彼のことを思い出してしまって悲しいから、ずっと外していたけれど、いつでも鞄の中にしまっていた、大切な、大切な、婚約指輪…………。
みことは静かな寝息を立てて眠っていた。
私はそっと、その指輪を左手の薬指へ通す。
身に着けるのは本当に久しぶりだった。
手が震えた。
白熱灯の光を反射する小さな宝石が涙で滲んで、やけに眩しく見えた。
「え、何それ――――――――!!!」
突然の大声に、びくっとして振り向くとみことが起き上がり、私の手元を指さしていた。
「ええ?え…?」
いつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい私は、彼女に促されるまま、指の先を辿り、自分の手元を見つめる。
私の指に、飛鳥から貰った婚約指輪が、輝いていた。
「あっ…………いやっ、これっは…………っっ」
「なんで!?
ねぇ、なんで薬指にしてるの―――――――!?」
「え、ちがくてっ、そのっ、………、それは……」
ずっと穏やかだったみことの声に、もはや遠慮はなかった。
その声には怒気さえ孕んでいた。
「だって、何!?」
「いや、その……、えとっ…………」
本当に、迂闊、だった。
彼女のすぐ傍で、この指輪を取り出すべきじゃなかったのに。
しかもそのまま寝てしまうなんて………。
「がーんがーんがーんがーん」
「みことっ」
「がーんがーんがーんがーん」
「みことっ」
「がーんがーんがーんがーん」
「みことっ」
「がーんがーんがーんがーん」
「みことっ」
「がーんがーんがーんがーん」
「みことっ」
「がーんがーんがーんがーん」
「みことっ」
「がーんがーんがーんがーん」
「みことっ、聞いて、お願い!」
「がーんがーんがーんがーん」
「ごめん! ごめん……てば……。
でも私、記憶なくて、みことのこと、忘れちゃってたんだもん……」
「わたしの〜〜
私のせつらさんが〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……。
男に汚された〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「それ捨てて」
「え…」
みことが低く、それでもはっきりと告げた。
それ。
彼女の指さす先は―――――――――――
分かる。
彼女の気持ちは痛いほど理解る。
もし自分が彼女の立場だったら、絶対に捨てて欲しいと思うだろう。
その存在を知らなければ、ただどこかに持っていただけならまだ許せたかも知れない。
けれどこんな風に取り出して、指にはめるなんて、許せるはずがない。
でもできなかった。
それだけは。
絶対に。
いくら彼女の頼みでも。
だってこれは私の大切な、大切な、
宝も――――――――――――
「はむ。ごくん」
「え、なに!?
なにしてんお!?
ええっ えええええっ ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ――――――――――――!?」
一瞬、何が起きたか分からなかった。
彼女は手を伸ばしたかと思うと、あっという間に私の指から指輪を引き抜き、
飲み込んでしまったのだ―――――――――!!!!!
「飲んだ」
「ばか!吐き出して!早く!」
「やだ!」
「何言ってんの!!!
そんなの飲んでみことが体悪くしたらどうするの!?」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない!」
「私は大丈夫」
「大丈夫じゃない!」
「飛鳥さん――――――の想いは、私が受け継いだから」
「え?」
「飛鳥さんの想いは、全部私が受け継いだから。
飛鳥さんの分まで、私がせつらさんを好きになるし、護るから、
だからせつらさんも、飛鳥さんの分も私のことを好きになって。
私を護って。
だってもう、飛鳥さんの想いは、私の中にあるから―――――――」
「……………」
「ね?」
彼女は――――――――――――――――――――…
彼女の言葉が
想いが
全てを包んでいく―――――――――――――――――
私の悲しみも、飛鳥への想いも、どうしようもない過去も、何もかも、
全てを優しく包み込んで、
「も……う……
ほんと、みことにはっ―――――…敵わな……………っ、、
うううっ、うううううううう―――――――――、
うあああああああああああああああああああああああ――――――っっっ…………」
「えへへ。
だって私、せつらさんラブだもん――――――!!!」
「ねぇ、指輪さ、うんちと一緒に出てくるんじゃないの…?」
「出さないもん」
「ほんとに?」
「うん」
「ほんとにほんとに?」
「うん。私が出さないって決めたから出さないよ」
「馬鹿」
「もし出てきたらまた飲むし」
「もう馬鹿っ―――!!」
そう、私は確かに抱いていた。
今はっきりと確信した。
彼女のことを思い出したわけではないけれど、
私は確かに抱いていた。
この感情を。
この切なくて、辛くて、暖かくて、とても大切な―――――――――――――
私は――――……
彼女に恋をしていたんだ――――――――――………
私たちはそれから
今までで一番熱い、
一番深い、
そして一番長い――――――――――
キスをした。
第80話:エンゲージリング
終わり