山頂に切り拓かれ、広大な敷地の上に立てられたその家は、何度も補修と改築を重ねた跡や、長い年月が刻まれた跡が見て取れた。
「みこと、どうして戻ってきた?
佐武朗たちが丁度、お前のところへ向かったばかりなのだぞ?」
「え、そうなの?
ちょっと大変なことがあって、急いで戻ってきたんだけど――――…
あー!それって私の携帯電話―――!!!」
「うむ…、慌てて飛び出していくからいかんのじゃ」
「もう新しいの買ったし、別にいいけど……」
「それはそうと、彼女が?」
「羅城せつらです」
私はみことの祖父という人にお辞儀をした。
「ほうほう、これはえらい別嬪さんじゃなぁ―――」
「お祖父ちゃん、私の大切な人なんだから、変なことしないでよ」
「ほうほう、変なこととは?」
「近〜づ〜か〜な〜い〜で〜〜〜〜」
「なんじゃ、もう………、減るもんじゃあるまいに」
「とにかくー、話は後でするとしてー。
もう一日中歩いてきたからへとへとだし、足は痛いし、お風呂はいりたーい!
あ、お父さんとお母さんは?」
「あやつらなら離れに引き籠もっておるよ」
「うー。ちょっと挨拶してくるー。
せつらさんいこっ!!」
私はみことに腕を引かれ、長い廊下を歩いた。
木造の家は暖かみはあるものの、庭に面した廊下は吹き抜けで、足の裏から根こそぎ熱を奪っていく。
確かにみことのいうとおり、一日中歩き続けた所為で足が痛くてしかたがなかった。
私はドキドキと不安を抱きながら、みことのご両親に挨拶した。
まさかいきなり彼女のご両親に会うとは思っていなかったから、突然の引き合わせに混乱してしまう。
みことをお嫁さんにください!と言いそうになったのを辛うじて堪えた。
離れといってもそこは何部屋もある、豪華な和室だった。
そしてそこで、この家にきてから初めて生活臭を目にした。
2年前、みことと共に御巫の家に引っ越してきたご両親はそのまま世俗を捨て、ずっとここで暮らしているのだという。
末っ子とは言え御巫の男子として、本来すべきだった巫女修行から逃げ出したみことのお父さんは、かなり肩身が狭かったそうで、でもその娘であるみことが並々ならぬ資質を備えていたために、ようやく我が物顔で歩けるようになった、と笑って話していた。
日々巫女の修行をしていたみことの私室は本殿のほうにあるそうで、私もそっちに泊まることになった。
それからようやく、私たちは温かなお風呂に入ることができた。
まるで旅館のような岩造りの広い浴場で、私たちは至福の一時を過ごした。
こういうとき、女同士だと人目を憚らなくてすむのはいい。
夕食に呼ばれた食堂。
長いテーブルを囲っているのは12人。
上座には御巫の当主であるみことのお祖父さんが座り、他にみことのご両親、それからみことの叔父にあたる人が二人、他は頭髪を綺麗に剃った人が5人。
全員巫女だという。
そこにいるのは私とみこと、それからみことのお母さんを除けば全員男だった。
食事を運び給仕してくれる人まで男だった。
御巫の巫女は代々男で、女であるみことが巫女としての力を持つ方が珍しいのだそうだ。
腹ぺこで迎えた夕食は、完全な山菜料理だった。
お吸い物、煮物、漬け物ににいたるまで、しかもどれも味付けが薄い……。
が、空腹という最高のスパイスを手にした私にはとても美味しく感じられた。
「そのうちこれ病みつきになるから」とみことが笑って告げた大粒の梅を、私は少なくとも10個は平らげた。
「で、なにがあったんじゃ?」
「鬼喰らいの一族に襲われたんだよ」
「鬼喰らいじゃと!?
ふむ――――、鬼もさることながら、そちらも絶滅種だと思っておったが―――…。
それで、このお嬢さんの鬼を?」
「うん。
せつらさん、ちょっと<鬼>見せて貰っても良い?」
「あ、はい」
みことと二人でずっと楽しい気分でいたために感覚が鈍っていた。
基本的に<鬼>の顕現は、暴力的な願望がトリガーになっている。
私は目の前で握り拳をつくり、力を込めた。
が、でない。
「あれ……?」
食堂に居並ぶ面々の注目を集め、私は焦った。
しかし私は心のどこかで気付いていた。
私がこの力を拒んでいることに。
私の裡に兄の魂が潜んでいて、それがこの力を顕現しているのなら、これはみことを傷つけた悪しき力。
そんな力に私は頼りたくなかった。
それでも私は何度か<鬼>を発現させようとし――――――――――――………
「ふむ、ここは物の怪を寄せ付けぬ結界が張ってあるからのう……」
「ああ、そうだった。
ごめん。せつらさんの鬼はどこからか召喚するタイプだからね」
「ほう……。
まあ見せて貰うのはまた別の機会で構わぬよ―――。
無理を言って済まなかったね」
「いえ………」
実は―――――――――
私は彼らにこの<力>を見せずに済んだことに、内心ほっとしていた。
もしかしたら彼らならこのおぞましい力を私から取り除いてくれるかも知れない。
浄化や封印といったようなこともできるのかもしれない。
そうすれば鬼喰らいのような悪人にこの力を渡さなくて済むし、なによりもう狙われなくて済む。
けれど、なぜか彼らには見せてはいけない気がしていた。
理由は分からない。
どんなに忌み嫌おうと、それでもたった一人の兄だから――――――――と、思ったわけでもない。
自分の心の動きが分からぬまま、それでも確かに、私はほっとしていたのだった。
でも一方で、この力の浄化を手放しで喜ぶことができないのも事実だった。
私が鬼の力を失えば、私はもう狙われることはないかもしれない。
しかしあの鬼喰らいは、小童谷恭兵は、確実にみことの<力>を狙っている。
己の養分として、道具として用いるためにみことを狙っている。
その時もし私に力がなかったら、彼奴らと戦うことができないし、みことを護ることができない。
だから、少なくともみことの安全が確実に保証されるまでは、私はこの力を失うわけにはいかないのだ。
私はそう考え直し、自分の中に感じた得体の知れない不安を押し込めた。
「それでその鬼喰らい、もしや座主坊という名の者はおらんかったか?」
「いたよ。
でっっかい巨人みたいなひと。
鬼を降ろしてすごい強くなってた!
お祖父ちゃん知ってるの―――!?」
御巫の家に来てからずっと感じていていたことだけれど、普段からどこか幼く見えるみことが、より幼くみえるような……。
お祖父さんやご両親の前なのだから、子供、になるのは当たり前なのかもだけど、どこかはしゃいでいて。
あ、そんなみことにきゅんきゅんしてます、私は。
でもこんな少女がこの家の中でも強力な巫女の力を持っているなんてちょっと信じられない。
勿論、座主坊たちとの戦いで彼女の凄さは身に染みて分かっているんだけど。
「鬼喰らいの方は佐武朗たちに探らせるとして―――、二人はしばらくここに留まるがよい。
ここにいれば絶対に安全じゃからな」
「うん、ありがと」
「その代わり―――――――」
「え?」
「今日から丁度12月じゃ。
この家にいる間はしっかり修行に励んで貰うからの」
「え―――――――――!
せつらさんと遊ぶ時間がなくなっちゃう!」
「ならその娘も一緒にすればよかろう」
「あ、うん。そうだね。それは名案だよ。とってもすごく名案だよ。
せつらさんも明日から一緒に巫女の修行しようね?ね?」
「え……? えええ!?」
「私といっしょにしよう、ね?」
「う、うん………」
縋るようなみことの目に、嫌とはいえず私は頷いた。
勿論、みことと一緒という言葉に並々ならぬ魅力を感じたのは確かだけれど、先ほど案内してもらた修行の間と言う場所に、暖房が入っていないのは明らかで―――――……
いつぞやの羽織の道場よりも数倍は寒そうで……。
私の返答にみことが嬉しそう笑い、でもどこかその瞳に、悪戯っ子のような輝きが浮かんでいたのを私は見逃さなかった。
「明日、朝5時起きだから―――――――」
案の定、少し申し訳なさそうに、でも嬉しそうに告げたみことに、私は仰々しく肩を落として見せた。
っていうかあと一日くらい生理痛続きそうなんですけど――――――っ!!!
私にも8畳間が丸ごと一室与えられたけれど、勿論、私はみことの部屋で夜を明かした。
初めて訪れる御巫の家に、なかなか緊張がとれなかった。
夜通し語り明かしたかった私の願望は見事に打ち砕かれ、翌朝からの過酷な修行に備えるべく私たちは早々に布団に入った。
しかし疲れ切っていた私たちは、肌を寄せ合うのと同時にあっという間に眠りに落ちていった。
第89話:御巫
終わり