山中へ逃げるにつれ、どんどん冷気は強くなり、視界も足元も悪くなった。
<鬼>を解除すれば、生身では歩くこともできそうにない。
「はぁっ―――はぁっ―――はぁっ―――……」
逃げても逃げても奴らは執拗に追跡してきた。
「はぁっ―――はぁっ―――はぁっ―――……」
肺が、心臓が、悲鳴をあげていた。
凍てつく空気を直接肺に吸い込んでいる所為だ。
休み無く走り続けている所為か腹痛も酷い。
御巫の家で毎日、掃除と称する鍛錬を積んでいたから足腰はなんとか持ちこたえているが、このままではすぐに限界が訪れるだろう。
<鬼>の力に限界があるのかどうか、俺は知らない。
もしかしたらそれはほとんど無尽蔵にあるのかもしれない、が、それを操る俺自身の体は18歳の少女のものなのだ。
感覚の延長で操作する<鬼>は幾らそれが強力と言えど―――、それら全ての基本動作は俺自身がしなくてはいけないのだ。
どこにいるのか分からなくなる度に、俺は太陽の位置で方角を確かめる。
コートの中は汗びっしょりで、熱いくらいに蒸していて酷く気持ちが悪かった。
いっそ脱ぎ捨ててしまいたいが、雪山でそれは自殺行為だ。
「はぁっ――――――はぁっ――――――はぁっ――――――はぁっ――――――」
「うあっ――――――!!!」
俺は足をもつれさせ斜面を転がった。
必死に<体>で自身を庇う。
「はぁっ―――はぁっ―――はぁっ―――」
奴らの気配は、無い。
が、頭上を見上げると一羽の鷲が大きな翼を拡げて旋回していた。
どこか輪郭のおかしい、影のない、鳥――――――。
あの女のどちらかの識神だろう。
攻撃してくる気配はないが、あれの所為で完全に俺の位置はばれてしまっていた。
(くそっ――――――……)
もう何時間、この命を賭けた追いかけっこを続けているのだろう。
既に2度、直接座主坊たちと顔を合わせた。
関西弁の男は車に戻ったのか、あるいはどこかに潜んでいるのか、俺と鬼喰らい3人の戦いだった。
識神までも召喚され、数で不利な俺はなんとか奴らの頭数を減らしたかった。
だが、座主坊と共にいる巫女二人は、女なのだ。
せめてナイフや格闘術などで直接的な攻撃を仕掛けてくれれば応戦しやすいのだが、識神という間接的な攻撃をしかけてくるために、俺は術者そのものに攻撃を仕掛けることができずにいた。
無論、鬼喰らいはみことを狙っている敵でもあり、なんとか潰したいし、殆ど殺意に近い感情も抱いている―――――のだが、いくら間合いを詰めても「今だ!」という時になると、どうしても相手が女である所為で躊躇してしまう。
しかも識神は潰しても潰しても新たに召喚されてしまう。
敵が女であることによって受けるストレスは甚大だった。
それが男女差別だと言われようと、俺に女を殴ることはできなかった。
せつらのままだったなら、あるいは戦えたかも知れないが―――……。
こうなったら座主坊だけでも――――――と思ったのだが、識神を織り交ぜた巧みな連係プレイでどうしても決定的な打撃を与えることができずにいた。
俺は冷たい木にもたれかかり、僅かな休息を取っていた。
修行の成果か、寒さには慣れていた。
必死に呼吸を整え、貴重な休息に俺は自分の状態を確かめる。
ずっと頭痛を感じている。
それから肺なのか心臓なのか分からないが胸に激痛が続いている。
スカートなのは致命的だった。
穿いてきたはずのズボンは御巫の家で洗濯に出して以来戻ってきていなかった。
一応、厚手の生地のスカートを選びはしたが下半身が冷えに冷え酷い腹痛が続いている。
動きやすいは動きやすいんだが………。
晒した素肌からはどんどん熱が奪われ、寒さの所為で痺れすら感じている。
あと、耳と手が凍傷にかかっていた。
指先は血管が麻痺し、殆ど感覚がない。
どこかに引っかけたのか、座主坊との殴り合いの所為か、コートが所々破けていた。
「はぁ―――……はぁ―――……」
いつの間にか日は傾き、夜が近づいていた。
最悪なコンディションだった。
雪山で、ろくな装備も無しに、食料も無く、火も無く―――――――――……
腹減ったし、寒いし、眠いし――――――、、、
見上げると大きな鷲がぴったりと頭上を追跡していた。
俺は途切れそうな意識を必死に呼び起こし、ただひたすら歩き続けた。
第94話:闘争
終わり