俺はそっと目を開けた―――――――――……
空気が、やけに身体に馴染んで感じられた。
肉体が、精神が、ひどく落ち着いている。
のし掛かる疲労感も、激しい飢餓感も、なぜか、
それらを全て包み込む雰囲気が、そこにはあった―――――――――
そうか、ここは―――――――――――
それは本当に自分の家に帰ってきて初めて感じる―――――――――
我が家という、安心感。
あいつらから逃げて、いつきに助けられて……。
家に戻ってくることができたのか………。
俺は温かな布団の中でそっと寝返りを打った。
体中が軋み、痛みが走った。
自分で自分の体に触れ、状態を確かめる。
どうやら誰かが手当をしてくれたらしい。
俺が寝かされていたのはリビングではなく、普段は使わない客間の方だったが、隣の部屋から漏れてくる灯りを見ればすぐに、暗く静かな部屋で眠らせてあげようという配慮からだと分かる。
まだ全然眠り足りないし、疲労は殆どとれていない、が俺は起き上がった。
今は、なによりも、腹ぺこだった。
何でもいいから早く口にしたい。
本当に腹が減っていた。
涎が溢れ、床に落ちるんじゃないかというくらい、食べ物を欲していた。
キッチンの方からいい匂いが漂っていた。
漂ってくる良い匂いが俺の鼻をくすぐる。
料理をしているのはきっと父だろう。
う―――。。。かなり長い間、家を開けてしまったからもしかしたら怒られるかも……。
それに、こんなボロボロになって帰ってきてしまったから、、、きっと心配させてしまって、
ああ、やっぱり怒られるかもしれないな。
はは――――――、、不思議なもんだ。
この俺が親父に怒られることに期待するなんて―――………。
親父―――………、、、
本当に貴方は私のことを知らなかったんだ……。
覚えて無いことを責めてしまったけれど、本当に知らなかったんだ……、、
さぞ驚いただろう。
身に覚えの無い少女を、自分の娘だと言われた時は――――――
それでも、貴方は私のことを愛してくれたんだね―――――――――………
俺は軋む身体に鞭打たせ、キッチンへ向かった。
そこに立っていたのは――――――
キッチンに立っていたのは親父じゃなかった。
彼女は、俺が使っていたエプロンをその身につけ、鍋を眺めていた。
「みこと………」
俺の呟きに彼女が振り向く。
俺はとっさに俯いてしまった。
怖かった、彼女の顔を見るのが。
「せつらさん、どうして――――――、
どうして急にいなくなったり……、したの?」
それは静かな、問い。
怒るでもなく、責めるでもなく、泣くでもなく………。
みことがコンロの火を止め近づいてくる。
動けなかった。
「せつらさん?」
俺は完全に言葉を失っていた。
なんて言えばいいのか分からなかった。
ただこれ以上、彼女を傷つけたくはなかった。
なぜ御巫が、あの女のことを崇めていたかなんて知らない。
だが俺には、彼ら御巫の一族が―――俺の咎を全て肩代わりするためだけに、その血を繋いできた、ということが分かってしまった。
これまで他人の気持ちなど考えず、踏みにじることし知らなかった俺だが、今はもう、そうまでして救われたいとは微塵にも思えなかった。
だって、彼女と出会って知ってしまったのだ。
彼女が教えてくれたのだ。
人を愛するということを――――――、思い遣る気持ちというものを。
「記憶、戻ったんだね……」
その言葉に驚き、俺ははっと顔を上げた。
しかしその反応は同時に肯定をも示してしまっていた。
「なんで――――――――……」
なぜそんなことが分かるのか。
まだ何も語っていない、話してもいないのに。
まさか、今、ほんの少し俺と目を合わせただけで……?
みこと。
お前はどこまで知っているんだ?
おまえは一体どこまで―――――――――
「もう、みことのこと、好きじゃ、無くなったから―――――――――…」
「え……………?」
「だから、出てって。
二度と私に近づかないで」
胸が張り裂けそうだった。
どうして彼女にこんな言葉を言わないといけないのか。
彼女が欲しいというのなら、なんだってくれてやりたいのに。
この体だって、心だって、命だってなんだって。
それでも――――――――
それでも、
こうしないと、
お前は幸せにはなれないから
だから、
「出てなんかいかないよ。
だってここはもう私の家だから」
「え?」
「この家は御巫の当主である私の権限で、買い取りました。
だから私にはここにいる権利がある」
「な、何を………」
「ごめんね、せつらさん。
でもわたしはもう、貴女無しでは生きられない。
だから、貴女と生きるためならなんでもするよ」
「おまえ、なに、言って………」
「みこと」
「………」
「おまえじゃない。
みことだよ、せつらさん―――――――――」
彼女がその瞳大粒の涙を浮かべていた。
それは今にも零れてしまいそうで。
彼女は泣いてしまうのをぎりぎり耐えていて。
それは、俺が、なによりも見たくない表情で
決して、彼女にはさせたくなかった表情で.....
彼女がそんな顔をすると、俺の胸は苦しくて、張り裂けそうになってしまう。
でも、
俺じゃ拭えない………
その涙を拭ってやれない……
俺じゃ拭えないんだよ――――――――!!!!!
みこと――――――――――
!!!!!!
頼むからこれ以上、俺の為に生きるのはやめてくれ―――――
―――――――――――――
―――!!!!!!!!!
お願いだから………
これ以上―――、、、
俺の為に傷つかないでくれ..........
「わかった、じゃあ、私が出て行く―――……、、、」
俺は彼女に背を向けた。
そのまま玄関から飛び出していきたかったが、でもその前にあれだけは、
あのラクサラの呪いだけは、持ち出さなければ―――――――……
俺が二階の自分の部屋へと向かおうとした時、みことが後ろから叫んだ。
「なんで―――!?
なんでよ―――――――――!!
おねがい、逃げないで―――!!!!!
私と生きて、せつらさん――――――――――――!!」
後ろから抱きしめられた。
強く、強く―――――――――
うううっ
ううううううううっ
堪えきれなかった。
涙が溢れて、溢れて、止まらなかった。
多分これは、
俺が
羅城道孝が、
生まれて初めて流す涙。
体育で走った時や、みことの痛みを感じた時に流したものとは違う――――――、
どうしようもない
悲しみの為の涙――――――……、、、、
なんで、
なんでこんな、
どうしようもないんだ、
なんでこんなに
世界は理不尽なんだ
どうして俺に彼女を傷つけさせた……?
どうして俺に彼女を傷つけさせるんだ―――
優しい人が、、、
優しい人が幸せになれば、それでいいじゃないか
それでいいじゃないか、
なあ、世界よ――――――………..........
「お願い……せつらさん………、私と生きて………」
どうして―――、、、.....
どうしてお前はそんなに強いんだ。
一体どうすれば、こんな俺のことを、そんなにも強く想えるんだ――――――――……。
おまえは俺にどんな酷いことをされた?
俺の所為でどんな酷い目にあった?
それでも、俺のことが好きだというのか?
それでも一緒にいたいというのか?
おまえが俺の為にどんな宿命を負わされているのかを知っているのか?
それでも俺に傍にいろって言うのか?
それでも俺の傍にいたいって思うのか?
俺は、お前が好きだよ、みこと―――……
どうしようもないほどに、
本当に、
誰よりも、
我が身よりも、
お前のことが、
大切で、
だから
だからこそ、俺は―――――――――
ううっ――――――――――――――
うううううううううううううううううううっ――――――――――――――――――
うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ――――――.....
どうしてっ―――……
どうして、、、離すことができる―――?
どうすれば捨てられる
この温もりを
こんな俺を包んでくれる、こんなにも暖かい、優しい温もりをっ―――――……
俺は身体から全ての力を抜いた。
背中の彼女に全てを委ね、
みことはどうして私にあの像を見せたの――――――?
そう、訊こうとしてやめた。
これ以上は、彼女の気持ちへの冒涜でしかなかった。
「全部、話すよ――――――…」