輪光から東に四駅先に―――桜劉会事務所はあった。





磯姫はその正面に堂々と、彼女の愛車を乗り付けた。
通り一本向こうは大きな歓楽街で賑わっているというのに、その通りには人の気配というものがない。人々の活気に溢れた喧騒が聞こえてくる場所でありながら、まるで嫌忌剤でも撒かれたように、誰も寄りつこうとしない。



彼女はその狭い入り口を眺め、そして2階を仰ぐ。
思ったよりは豪華な作りをしているらしいが、組長室まで直線距離にしてせいぜい100mもあるまい。



その時、不意に彼女は違和感を感じた。
それは彼女が滅多に感じることのない、悪寒。



(なんだ―――……? この嫌な感覚は―――……?
 誰かに見られている―――……?)



彼女は無意識に剣先を地面にあて、周囲の気配を探る。
が、場所を特定できない。



いずれにせよその気配の持ち主は事務所内にはいない。
彼女は躊躇いなく、正面から堂々とその扉をくぐった。










「な、なんだテメェは――――――!!!」
「コルァアッ―――――――――、ここがどこだか分かってんのか女ァ!!」



屯所で控えていた男達が、いつきの姿に立ち上がり怒声をあげた。
その手はすぐに木刀やナイフへと伸びる。

なぜなら彼女の着ている―――特攻服―――が意味することは明らかだからだ。


殴り込み―――


女が木刀片手にヤクザの事務所に殴り込みをかける、なんてことは普通想像できない。
現実に起きたとしても、その状況を認めることすら困難。

しかしその場にいた誰もが、彼女の顔に見覚えがあった。
以前危険人物としてオジキから全員に周知された神羅雪の総長―――七種いつき―――、通称・磯姫。

たった一人で玲瓏会を潰した、化け物――――――!!





女一人にびびることなどない、普通ならそう考えるが彼女の持つ雰囲気がそうさせなかった。
だが、彼らが油断しようがしまいが、迎える結果は同じだった。

瞬時に4人の男を悶絶させた彼女は、更に奥へと進む。
が、そこから組長室へ辿り着くまで、誰一人遭遇しなかった。




なんだろう、この手ぬるさは。




この組には敵対組織というものがないのだろうか?
それとも悪鬼に乗っ取られたばかりだから―――?





彼女は進み、そして一番奥のドアの向こうに人の気配を感じ―――、扉を開けた。





そこにいたのは一人の青年と―――3人の女―――……。










「ああんっ―――、はぁっ、はぁんっ、じゅぷぷっ―――」
「ああっ、ああっ―――……」



「あ……? 何だお前は―――?」



彼には確かに面影があった。
それは彼女の親友・神楽歌織が思いを寄せた空見翔の――――――



「おまえが、空見飛鳥―――?」

「そうだが?」



彼は豪華な椅子に座り、二人の裸の女と交わっていた。
本来ならその前にあるはずの豪華なテーブルは部屋の隅へと追いやられている。


3人目の女は―――じっとソファーの上で蹲っていた。
こちらはちゃんと服を着ている。



「あたしは神羅雪の頭をしている七種いつきだ。
 空見飛鳥、お前の首を貰う―――」



いつきが木刀を突き出し宣言する。
しかしその言葉を聞いた飛鳥は含み笑いを作った。



「首を貰う―――? って、何?
 貰うって首を斬り落とすってことか?(笑)」



その不敵な笑みに彼女はたじろいだ。
ヤクザの組長室で女を侍らせているという状況からして、彼が桜劉会を乗っ取ったという事実に間違いは無い。
しかしそれ程の力がこの男にあるのか―――。



「立て、空見飛鳥―――」

「やはりこんな場所に長居したのが間違いだったかな―――?」



飛鳥が二人の女をどかし、面倒臭そうに立ち上がる。
ずるり、と音を立て女の股から抜けたその性器は白く泡立っていた。


「でていけ」


彼の言葉に二人の女は服を拾い、我先にと部屋を飛び出していく。
壁際のソファーに蹲った少女だけは、ただじっとそこに座ったまま動かない。
眠っているわけではない。
これからここで起こることを、見守るつもりのようだった。



綺麗な筋肉のついた肉体を堂々とさらし、依然勃起したままの男性器を恥じらい無く向けられ、磯姫は苛立ちに眉を顰めた。





次の瞬間彼女は跳んだ





数メートルの距離を瞬時に詰め、正面から木刀を打ち込む。

彼はその刀身を掴みそのまま振り払った。

刀身から体ごと放り投げられ壁に激突しそうになった彼女は瞬間体勢を整えて足で壁に着地、そのまま刺突を繰り出す。
が、飛鳥はそれを難無く交わすと彼女の腹に膝を打ち込んだ。
木刀を支えに体を回転させるも背中に蹴りの直撃を貰い、彼女は逆さ状態で壁へと激突した。

すぐに身を翻し起き上がる。
木刀を構え直し、笑った。



「へぇ、ほんと、強いんだ―――?」



いつきは小さく息を吐いた。
今のは小手調べだ。
刀身を掴まれるなんて醜態、二度と、ない。



「俺、君みたいな女の子、結構好みなんだぜ?
 どうだ?
 喧嘩よりこっちで一戦交えてみないか?
 そっちの方が断然、楽しそうだけど―――」


「ほざけ――――――」




両腕を腰に当て、いまだ勃起したままのものを突き出され―――、
彼女はその柄を強く握り直した。





神楽流剣術―――それは本来、不良やチンピラを相手に使われるものではない。
そしてそんな低次元のものでもない。

それは神を護る為に生まれた実戦格闘術――――――





神遊火カミアソビ――――――――――――」





磯姫の構えに―――飛鳥はすぐに腰を落とし構えた。

が、その剣を避けきれないと判断したのか、壁際のテーブルを持ち上げると彼女へと投げつける。木造のテーブルが彼女に当たる前に粉々に砕けた。


部屋の中に巨大な瓦礫が砕け散る――――――


木刀でテーブルを斬ったのは勿論、決して巨体ではないどちらかといえば細身な彼が、何百キロはありそうな重厚なテーブルを放り投げたのも出鱈目だった。





「羅刹―――か……」

「いや、俺は彼じゃない―――が、今ならいい勝負はできるかもしれないな」



思わず零した磯姫の呟きに、飛鳥は謙虚に答えた。



「いずれにしても―――、首を貰うっていうのは単なる比喩でも無かったわけだ。
 人間離れした力―――……
 人間なんてどんなに鍛えたところで限界があると思っていたけれど―――、
 羅刹さん、そして俺、さらに君みたいな子が現れるとなると――――――
 俺が思ってた限界なんてものは、まだまだ序の口だったのかもしれないな―――」



「同感―――!!」



磯姫は背後から殴りかかってきた、灰刃と桧山の胴を横薙ぎに払った。
彼女の細腕にどこにそんな力があるのか、それは二人の男を体ごと吹き飛ばし壁へと強打する。



「ううっ―――……」



二人は暫く呻いていたが、何度か起き上がろうとし、そして気を失った。
仮にも悪鬼四天王と呼ばれた二人が、一撃で―――。



パンッ――――――!!



ドアの裏に潜んでいた男が飛び出して発砲した。
が、引き金を退く前に、既にその銃身は磯姫の木刀の柄に押し上げられ、弾丸は天井に突き刺さる。



「うおっ―――!!!」



その状況を理解する前に、肉薄されたことに驚き、驚愕の声をあげ―――た時にはもうその顎に打ち込まれた木刀に、彼は壁に強く頭部を打ち付け、気絶した。
元羅刹の片腕であり、元魔夜火紫のリーダーであり、元桜劉会幹部候補生であり、今は空見の配下についた、戸田筧であった。





飛鳥は、一瞬にして気を失ってしまった配下3人の姿に―――、呆れたように首をすくめた。
彼は床に落ちていたトランクスとズボンを拾いあげる。
緊張感などまるでない、飄飄とした態度だった。





「なあ、磯姫―――いや、七種いつきさん。
 一つ提案なんだが、俺の仲間になってくれないか?」

「なるわけねぇ―――!!」



悠長に服を着込む男の態度が気に入らず、磯姫は足を踏み出す。



「じゃあ、一つ教えてくれ。
 君は俺になにか恨みでもあるのか?」

「そんなのあるに決まって――――――、」





答えようとして彼女は、その口を詰まらせた。





(恨み? こいつに―――?

5年前―――、あたしはまだ17歳で、羅刹はひとつ下、

そしてこいつは更にその二つ下で―――……

実際のところあたしとこいつの面識は無い―――……。

でも―――……、でもっ!!)





そう、悪鬼の存在を、自分は許すわけにはいかない。





「―――……、悪鬼は潰させて貰う。」


「悪鬼―――? ああ、君は羅刹さんに恨みがあるのか?
 よし、じゃあ悪鬼は今日限り解散だ。
 これでいいか?」


「はぁあ―――……?」


「これで俺と君が戦う理由は無い。
 俺には仲間が必要なんだ。
 あんな弱い連中じゃなく、君みたいな―――」


「うるせぇ―――! あたしはお前みたいな奴は気に入らねーんだよ―――!!」


「気に入らない―――、ね。
 それはただの不良少女の癇癪なんじゃないか?」


「ほざけっ――――――!!!」



磯姫の繰り出した神速の突きに、飛鳥は反応してその刀身を掴み取った。




有り得ない―――……
私の太刀筋を読み切るなど―――!!!




まだ、どこかで彼を舐めていた。
この男には、本当に、本気を出さなければ、ダメだ―――――――――。




「放せ―――!」



掴まれた木刀がぴくりともしなかった。
物凄い握力だった。





「頼む、聞いてくれ」



彼は木刀を掴んだまま、突然頭を下げた。



「―――!?」


「俺には仲間が必要だ。
 でも君がどうしても嫌と言うのなら、仲間にならなくてもいい。
 けど、君に一つ頼みがある」


「はぁ―――!?」



磯姫はあまりに不可解な彼の態度に毒気を抜かれてしまった。
自分は彼をぶちのめしにきただけなのに、一体何が起きていると言うのだ…。

混乱する彼女に、彼は続けた。



「君に彼女・・の護衛を頼みたい」



飛鳥の視線を辿り、いつきは首を傾げた。

それは彼女が部屋に入ったときからソファーに座ったまま微動だにしない少女―――……。
少女もまたこちらを見て―――目が合った、が、少女はすぐに目を逸らす。
オッドアイ―――……情報からすればこの子が羅刹の妹―――羅城せつらに違いない。





いつきは飛鳥へと向き直る。
以前木刀は掴まれたままだ。



「見てくれ。このとおり、俺は狙われる身でね。
 俺の傍にいる彼女には護衛が必要なんだ」



胸元に突きつけられた木刀の切っ先を弄びながら彼はおどけていった。
だが目は真剣そのものだ。



「あれは羅刹の妹だろ?
 それこそあたしには守る理由がない」


「はぁ―――……、頼むからもう少し大人になってくれないか、いつきさん。
 羅刹さんの恨みは羅刹さんに晴らすべきだ。
 彼女にはなんの罪もない。
 そうだろう?」


「それは―――……」


「違うか?」


「………………」



この男―――、いちいちイラツク。
しかし彼の言うことは理に叶っている。



「なぁ、もう一度考えてくれ。俺と君には戦う理由が無い。
 それとも俺と縄張り争いでもしたいか?」




「―――……、くっ、、」




いつきはついに木刀を掴む手から力を抜いた。
飛鳥もまたその刀身を放す。




「空見飛鳥―――、お前は桜劉会を乗っ取ったんだろ……?
 ならお前はもうヤクザだ……」


「やれやれ―――……、君はどうしても俺と戦う理由を見つけたいようだな。
 だが、俺はどうしても君にお願いしたい。
 24時間、いつでも彼女の護衛を―――」




(護衛―――……?
 24時間この女を護れ?
 あたしは―――神羅雪のアタマだ。
 そんなことをする理由も、余裕も無いし―――、していられない。)




「問題は君に払う対価―――だが……、、。
 君は金の為に働くわけではもなさそうだし―――、
 うーん、、、困ったな」


「考える必要は無い。
 あたしは護衛なんてやらない……。
 空見飛鳥―――、
 もしおまえがこれからヤクザ稼業を始めるつもりなら―――、
 いずれまた会うことになるだろう。
 邪魔をした――――――……」





「待ってくれ―――、このところ妙な気配を感じている」


「は―――?」


「俺を狙っている気配、だよ―――、
 もしや君かとも思ったがどうやら違ったようだ」


「…………?」


「いつきさん、今回だけは、人助けだと思って協力してくれないか。
 その気配の主を消す間だけでいい。
 近いうちに俺が必ず片を付ける―――。
 報酬は一千万。
 君は興味ないかもしれないが、神羅雪のメンバーたちにはきっと役に立つだろう―――?」


「………………」


「俺のすることに加担しろと言っている訳じゃない。
 彼女を護って欲しいだけだ」


「……………、いつまで―――?」


「1週間―――、その間に必ず」


「いいだろう―――……。
 1週間―――、この女は必ずあたしが護ってやるよ―――」


「よろしく頼む」


「羅城せつら、ついてこい」



磯姫の言葉に少女は明確に首を振った。



「嫌。私は彼の傍から離れない―――」



「せつら、言うことを聞け」





「ぜったいに、嫌。」





磯姫の吐いた溜息に、飛鳥はおどけて肩をすくめた。










その日より七種いつきは羅城せつらの護衛として―――、空見飛鳥と行動を共にすることになる。



















































第69話:神羅雪
終わり

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  第70話:血戦
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